私は摂食障害になったことがきっかけで16歳から長期間、女優業を休業していました。ですが、18歳のころには復帰を熱望するようになります。幸い、そのタイミングで休業前に所属していた事務所から連絡が入り、「オーディションを受けてきなさい」と勧めてくれたんです。
それがNHKの連続テレビ小説、いわゆる朝ドラの「すずらん」(1999年4月5日~10月2日まで放送)でした。朝ドラといえば、当時から圧倒的な存在だったと思います。ひとたびヒロインに抜てきされれば、全国的に知名度が大幅アップするのはもちろんのこと、その後の女優業の成功も折り紙付き…みたいな感じでしたからね。
もちろん、朝ドラがそういう存在であることは私も知っていましたよ。なので、「オーディションを受けてみなさい」と事務所から勧められたときには、「受かるわけがないから、気軽に受けてみよう」って、“ダメもと感覚”だったんです。
実際にオーディション会場に行ってみると…。「応募者○○○○人(数千人です)のなかから選ばれた」とニュースで取り上げられますけど、オーディションそのものはごく少人数で行われました。数千人が一堂に会する…なんてことはないので、逆に受験者からすると、総数でどれくらいの人数が応募しているか、分からないんですよ。
結果的に「すずらん」のオーディションは6次審査まであって、私を含めて5人が残っていました。この時点では、自分自身が最終オーディションに残ったこと自体、信じられないのに、まさか合格するなんて思ってもいません。ところが…。それから少したって、なんと「合格」の知らせが届いたんです。
それからは、本当に大変でした。当時の朝ドラは、オーディションに合格してから撮影が始まるまでの期間に演技指導があって、週に何回かレッスンを受けなければなりませんでした。撮影前から朝ドラ用のスケジュールがギュッと詰まってくるんです。
しかも、当時の私は恋愛依存症。当然、オーディションに合格したこの時期にも、お付き合いしている男性はいました。いや、本当は「いました」なんてどころじゃなかったかもしれません。ふた回り近く年上の男性と同棲していたんですから。
ただし、私のなかでは同棲生活を隠しているつもりはなかったんです。所属事務所に「同棲しています」と伝えていたわけではないけど、事務所は事実を察知していましたし、法に触れるような悪事でもないじゃないですか。この時点では朝ドラヒロインの自覚がまるでなかっただけに、事務所の方々には迷惑をかけ通しだったと思います。
朝ドラヒロイン=清純派。このイメージを守るため、事務所のスタッフの人たちは、このときから私の言動に細心の注意を払っていくようになるんです。
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