2015年03月14日
本当のあなたへ
毎日が足早に過ぎていきますね。
毎朝書くブログは、同じ理解を共有する仲間たちに向けた手紙のような感覚です。
すぐに思考が織りなす物語に同化してしまう執拗な傾向に、待ったをかけるためのメッセージであり、同時に書き手自身にも言い聞かせています。
あっ、そうだ。
みんなの協力で破竹の快進撃を遂げているランキング、いまや120万ブログの中で30位にまで上がってきました。
これ凄くね?(急にヤンキーになる)
神様大好きさんからの質問への答えですが、クリックは一つの端末から一日一回分がカウントされます。
したがって毎日1回ずつクリックしてくれるとありがたいです。
飛んだ先の「リーラ」のタイトルをクリックすれば、また元に戻れます。
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行って・・・帰って・・・行って・・・帰って・・・
はい、よくできました(^^)
思考が織りなす物語。
これを人は現実と呼びます。
繰り返しますが、その思考が作る最初の作品が「私」という偽の実体です。
肉体の五感を通して、ひっきりなしに情報が訪れていて、我々はその肉体を「私」だと思ってしまったので、その「私」が人生を生きていると信じてしまいました。
僕が何を言っているのか、よくわからない人もいるかと思いますが、そんな人も心のどこかでこの真実を知っています。
「私」などと呼べる固定された自分は存在していません。
つねに、いまここで、「なにかしらの現象が起き、それを認識している意識がある」ということが繰り返されているだけです。
思考はストックした思考(記憶)を基にして、自分はこういう人間だというイメージを持ち運びます。
しかし、これを読んでいるまさにいまのあなたは、これまでどんな生き方をしてきたかとか、どんな自分で生きてきたかとかに関係なく、まったく新しい存在です。
したがって、その気になれば、どんな自分をも生きることができるのです。
過去の自分のイメージを持ち運ぶことに創造性はありません。
まさにいま、誰でもないフレッシュな意識として、この幻想ゲームを楽しんでください。
そんな態度で生きられたら、人生は色彩と冒険に満ちたアトラクションに変わります。
秘訣は遊び心です。
遊び心の秘訣は、気楽さです。
気楽さの秘訣は、リラックスすることです。
だからね、あんまり生真面目に深刻に考えないで、流れるように生きてごらんなさい。
それまで抱えていた問題(思考が作り出した塊)が溶け出して、「自由」という言葉の本当の意味が解るようになりますよ。
大上段から言うようですが、このような話は人生で最も大切なものです。
無数の仏典が指し示してきたのも、この一点に集約されます。
あいかわらず夢の中で苦悩するのか、それとも潔く夢から覚めるのか。
昨日収録した父から子へ贈るメッセージ、「居酒屋阿部家」は、今日の話を、まったく理解していない息子に語ったものです。
とてもうまく説明できたと思います。
このような話に何かを感じ始めた人は、理解が深まるので聴いてみてください。
スピリチュアル・エンターテイメント
それ以上に、現場で時空間を共にするのが、真実が伝達される最も効果的な方法です。
今月は博多と東京に伺いますので、一期一会に参加してみてください。
3月22日 博多
3月29日 東京
詳細は上記都市名をクリックしてください。
あなたの人生観が根底から変わること。
あなたの苦悩が根こそぎ落とされること。
そんなことを目的に活動してきました。
たぶんこの肉体が朽ちるまで続いていくと思います。
あなたからのクリックは、ランキングの順位だけでなく、応援されているという励みになっています。
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あっ、そうだ。
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これ凄くね?(急にヤンキーになる)
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はい、よくできました(^^)
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これを人は現実と呼びます。
繰り返しますが、その思考が作る最初の作品が「私」という偽の実体です。
肉体の五感を通して、ひっきりなしに情報が訪れていて、我々はその肉体を「私」だと思ってしまったので、その「私」が人生を生きていると信じてしまいました。
僕が何を言っているのか、よくわからない人もいるかと思いますが、そんな人も心のどこかでこの真実を知っています。
「私」などと呼べる固定された自分は存在していません。
つねに、いまここで、「なにかしらの現象が起き、それを認識している意識がある」ということが繰り返されているだけです。
思考はストックした思考(記憶)を基にして、自分はこういう人間だというイメージを持ち運びます。
しかし、これを読んでいるまさにいまのあなたは、これまでどんな生き方をしてきたかとか、どんな自分で生きてきたかとかに関係なく、まったく新しい存在です。
したがって、その気になれば、どんな自分をも生きることができるのです。
過去の自分のイメージを持ち運ぶことに創造性はありません。
まさにいま、誰でもないフレッシュな意識として、この幻想ゲームを楽しんでください。
そんな態度で生きられたら、人生は色彩と冒険に満ちたアトラクションに変わります。
秘訣は遊び心です。
遊び心の秘訣は、気楽さです。
気楽さの秘訣は、リラックスすることです。
だからね、あんまり生真面目に深刻に考えないで、流れるように生きてごらんなさい。
それまで抱えていた問題(思考が作り出した塊)が溶け出して、「自由」という言葉の本当の意味が解るようになりますよ。
大上段から言うようですが、このような話は人生で最も大切なものです。
無数の仏典が指し示してきたのも、この一点に集約されます。
あいかわらず夢の中で苦悩するのか、それとも潔く夢から覚めるのか。
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とてもうまく説明できたと思います。
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Posted by Toshiro Abe at
10:04
│Comments(18)
2015年03月13日
親から子に伝える、「人生の真実」
以前、こうしてランキングに参加していた時、どうやってみんなにクリックしてもらうかを考えたものです。
さりげなくクリックボタンを配置するのがいいか、それともハッキリと配置するのがいいか。
結局、さりげない顔してハッキリお願いするのがいいという結論に達しました(笑)
再開して3日目にして目立つところに位置することができ、おかげ様で初めて訪れてくれる人たちも増えています。
今日もよろしくお願いします。
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今日は息子の話をします。
息子の誕生には、ちょっとした不思議話があります。
当時は福島県白河市に住んでいました。
その自宅から10キロほど離れた病院で、智子さんの受胎後の経過を診てもらっていました。
不便でしたが、そこしかなかったのです。
当然その病院で生まれることになると思っていたのですが、8か月目くらいのある日の夜、自宅の裏窓から、隣家(といっても田舎なので100mくらい先)の窓が見え、そこに緑色に輝く置物のようなものが見えました。
この地に越してきて数か月、田舎だというのにずいぶん洒落た飾りつけをしていると思い、興味本位で近くまで見に行きました。
ところが近づいてみると、その光の置物はありません。
あれ、おかしいなと振り返ってみたら、そこから見える我家の背後には小高い丘があって、その丘のてっぺんに、緑色に輝く十字架が顔を出していたのです。
その光が燐家の窓に映って見えていたのでした。
あとから思ったのですが、この光が隣家の小窓に映って、それを自宅から見るには、かなり小さな確率による角度の配置が必要でした。
翌日、その十字架の正体を確かめに、丘の向こう側に行ってみると、そこには立派な病院がありました。
屋上には緑色の十字架が見えます。
もしやと思い、中に入って尋ねてみました。
「ここは産婦人科もあるのですか?」
すると
「はい、今月から新しく始まりました」
との返事。
これは「呼ばれた」と思いました。
誰だってそう思いますよね(^^)
その先生がまた素晴らしい先生で、病院をかえて間もなく誕生の日を迎えたわけです。
奇しくも、息子はその病院で最初の子となりました。
僕たちにしてみれば、近くて本当にありがたかったです。
あれから23年。
本当にいい子に育ってくれました。
さて、なんでこんな話しを始めたかというと、昨夜、我社の新入社員の息子が、「また番組を録りましょう」と言いだして、夜遅くまで収録していたからです。
しかも今回の内容は、自分が聞きたいことに答えてほしいというのです。
前回のようにシャバの問題提起ではなく、本当に息子として聞きたいことに答えてほしいというのです。
しかも酒を飲みながら語り合おうと。
そこまで決まっているなら、「いいよ、お安い御用だよ」とばかり収録を始めました。
そこで交わされた会話は、親子関係のあり方から始まって、息子が僕から聞いて育ったことや、息子にとっての最大の謎である目覚め体験に至るまで多岐にわたっています。
そのとき、シミジミと、「あ~、この子と23年間を共に生きてきたんだな」と思い、生まれた日のことを思い出したのです。
縁あって僕の子に生まれた彼にとって、どんな半生だったのか、改めて考えることができました。
そして何より、彼が真剣に聞いてくる「目覚め」や「さとり」と呼ばれる現象は何なのかという問いに対して、とても分かりやすく表現できたと思います。
これは親子ならではの感覚のキャッチボールで、ラジオ番組として収録しましたが、書籍にしたいと思いました。
このブログで伝えたいことを、とても分かりやすく語ることができました。
いままでにない新鮮さで届けられると思います。
みなさんには、本にする前に、直に生々しいやり取りを聴いてもらえます。
動画、音声配信サイトには、無料で聴ける番組「スピなんて大嫌いだ!」もありますので、初めての人は会員登録をしてからお聴きください。
すでに延べ7600人の人に聴いてもらっています。
前回の番組「創価学会」にも大きな反響を頂きましたが、今回の親子の会話も、かなり気に入ってもらえると思います。
しかも今回は新入社員の独断で300円にて提供します(笑)
今日のお昼前くらいからアップされます。
こちらからお入りください。
スピリチュアル・エンターテイメント
お問い合わせ : support@supitame.com
これからも心を込めて情報発信していきます。
今日もクリック応援よろしくお願いします。
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さりげなくクリックボタンを配置するのがいいか、それともハッキリと配置するのがいいか。
結局、さりげない顔してハッキリお願いするのがいいという結論に達しました(笑)
再開して3日目にして目立つところに位置することができ、おかげ様で初めて訪れてくれる人たちも増えています。
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今日は息子の話をします。
息子の誕生には、ちょっとした不思議話があります。
当時は福島県白河市に住んでいました。
その自宅から10キロほど離れた病院で、智子さんの受胎後の経過を診てもらっていました。
不便でしたが、そこしかなかったのです。
当然その病院で生まれることになると思っていたのですが、8か月目くらいのある日の夜、自宅の裏窓から、隣家(といっても田舎なので100mくらい先)の窓が見え、そこに緑色に輝く置物のようなものが見えました。
この地に越してきて数か月、田舎だというのにずいぶん洒落た飾りつけをしていると思い、興味本位で近くまで見に行きました。
ところが近づいてみると、その光の置物はありません。
あれ、おかしいなと振り返ってみたら、そこから見える我家の背後には小高い丘があって、その丘のてっぺんに、緑色に輝く十字架が顔を出していたのです。
その光が燐家の窓に映って見えていたのでした。
あとから思ったのですが、この光が隣家の小窓に映って、それを自宅から見るには、かなり小さな確率による角度の配置が必要でした。
翌日、その十字架の正体を確かめに、丘の向こう側に行ってみると、そこには立派な病院がありました。
屋上には緑色の十字架が見えます。
もしやと思い、中に入って尋ねてみました。
「ここは産婦人科もあるのですか?」
すると
「はい、今月から新しく始まりました」
との返事。
これは「呼ばれた」と思いました。
誰だってそう思いますよね(^^)
その先生がまた素晴らしい先生で、病院をかえて間もなく誕生の日を迎えたわけです。
奇しくも、息子はその病院で最初の子となりました。
僕たちにしてみれば、近くて本当にありがたかったです。
あれから23年。
本当にいい子に育ってくれました。
さて、なんでこんな話しを始めたかというと、昨夜、我社の新入社員の息子が、「また番組を録りましょう」と言いだして、夜遅くまで収録していたからです。
しかも今回の内容は、自分が聞きたいことに答えてほしいというのです。
前回のようにシャバの問題提起ではなく、本当に息子として聞きたいことに答えてほしいというのです。
しかも酒を飲みながら語り合おうと。
そこまで決まっているなら、「いいよ、お安い御用だよ」とばかり収録を始めました。
そこで交わされた会話は、親子関係のあり方から始まって、息子が僕から聞いて育ったことや、息子にとっての最大の謎である目覚め体験に至るまで多岐にわたっています。
そのとき、シミジミと、「あ~、この子と23年間を共に生きてきたんだな」と思い、生まれた日のことを思い出したのです。
縁あって僕の子に生まれた彼にとって、どんな半生だったのか、改めて考えることができました。
そして何より、彼が真剣に聞いてくる「目覚め」や「さとり」と呼ばれる現象は何なのかという問いに対して、とても分かりやすく表現できたと思います。
これは親子ならではの感覚のキャッチボールで、ラジオ番組として収録しましたが、書籍にしたいと思いました。
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しかも今回は新入社員の独断で300円にて提供します(笑)
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Posted by Toshiro Abe at
10:54
│Comments(43)
2015年03月12日
どうも、初めまして
ランキングをクリックしてもらうようになって、一緒にいてくれることの手ごたえを感じます。
なんかいいなァ。
とにもかくにも、ありがとう。
そんなわけで、行って・・帰って・・・行って・・・帰って
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はいよくできました(^^)
さっそく初めてここに来てくれた人たちもいることでしょう。
ここには3000余りの記事がありますが、その何割かは「あなた」に向けた記事だと思います。
人生で出会うありとあらゆる人は、一瞬早からず遅からず、絶妙なタイミングで出会っています。
まさにいま、こうして出会うことになっていたということです。
さて、このブログの主旨を簡単にまとめて書いてみます。
魂という言葉がありますね。
肉体と精神の奥で、生き続けている何かです。
肉体と精神はこの世を生きるための乗り物ですが、乗っている主体こそが我々そのものです。
このブログで伝えているのは、魂には優劣もなく、穢れもなく、最初から純粋無垢な存在として、いまも、そしてこれからも在りつづけているということです。
あえて魂と呼びましたが、むしろ「存在」と呼んだ方がいいかもしれません。
魂というと「自分の魂」となりますが、存在といえば「我々の存在」になります。
実際に存在しているのは、あなたという個人ではなく、我々という全体なのです。
その全体が、あなたという個性を持った肉体と精神を通して、いまここに現れ出ています。
肉体と精神は二つとして同じものはありませんが、魂(存在・全体)は、「一つ」しかありません。
その「一つ」が本当のあなたであり、あなたはそのことを知っています。
でも忘れたふりをして、今日も私(自意識)を生きているのです。
だから、何をしても、あるいはしなくても、何の心配もいりません。
教師の数だけ生き方が提示されますが、それを生きるもよし、生きなくともよし、いままでどおり思ったように生きればそれで何の問題もないことを伝えてきました。
したがってこのブログは、ひとつのメッセージに集約されます。
「大丈夫だよ」
これは気休めではなく、真実です。
あなたは最初の最初から救われていて、罪を犯すこともできませんし、堕落することも、汚れることもできません。
それらはただ肉体と精神に訪れる現象であり、本当のあなたは、いまも純粋無垢のまま完璧です。
洋服が汚れてもたいした問題じゃありません。
それを我々は、洋服と自己同化してしまっているので、いかに服を磨き上げるかが人生の目的になってしまいます。
心配しないで思い切り生きてください。
思い切り生きなくても問題ありません。
家で寝ていたければそうすればいいだけです。
何も失いませんし、遅れを取ることもありません。
そこまで徹底してOKを出したら、また心境が変わるかもしれません。
そしたら、また心のままに生きればいいのです。
何を言っているのか、さっぱり分からないという人もいると思いますが、それでもいいのです。
今日の僕の表現が、いまのあなたに合わなかっただけで、この多くの記事の中にきっとピッタリくるものを見つけてもらえると思います。
なぜなら、くりかえしますが、あなたはすでに心の底で真実を知っているからです。
わざと忘れて、こんどは思い出そうとしています。
だからこのようなブログを読んでいるのです。
あまりにも上手に忘れてしまったので、真実の発見が途方もないものに見えますが、実際には目の前にあります。
目の前ほどの距離もなく、あなた自身としてあります。
あなたの人生で最も大切なことを思い出すきっかけになれたら幸いです。
まっ、気楽にいきましょう。
どのみち、あなたは救われているのだから(^^)
そんなわけで、これからもよろしくお願いします。
ついでと言っちゃなんですが、お近づきのしるしにクリックしてケロ。
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ありがとう(^^)
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ここには3000余りの記事がありますが、その何割かは「あなた」に向けた記事だと思います。
人生で出会うありとあらゆる人は、一瞬早からず遅からず、絶妙なタイミングで出会っています。
まさにいま、こうして出会うことになっていたということです。
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魂という言葉がありますね。
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肉体と精神はこの世を生きるための乗り物ですが、乗っている主体こそが我々そのものです。
このブログで伝えているのは、魂には優劣もなく、穢れもなく、最初から純粋無垢な存在として、いまも、そしてこれからも在りつづけているということです。
あえて魂と呼びましたが、むしろ「存在」と呼んだ方がいいかもしれません。
魂というと「自分の魂」となりますが、存在といえば「我々の存在」になります。
実際に存在しているのは、あなたという個人ではなく、我々という全体なのです。
その全体が、あなたという個性を持った肉体と精神を通して、いまここに現れ出ています。
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これは気休めではなく、真実です。
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洋服が汚れてもたいした問題じゃありません。
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わざと忘れて、こんどは思い出そうとしています。
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Posted by Toshiro Abe at
10:17
│Comments(47)
2015年03月11日
身体の力を抜いて 心の力を抜いて
昨日から、ブログランキングに再登録してみました。
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やり方は、下の二つのタイトルをそれぞれクリックしてください。
すると、飛んだ場面に「リーラ」というタイトルがあるので、そのタイトルを押してくれたらまた元に戻ります。
はい、それじゃ練習してみましょう(笑)
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行って・・帰って・・・行って・・・帰って・・・
はいよくできました(^^)
一週間分の累計がランキングに反映されるので、最終結果は一週間後に分かります。
参加する目的は、タイトルが表示されることで新しい人の目に触れやすくなり、新しい縁が生じるからです。
このブログの説明欄には、リラックスすることが大切だと書きました。
すでにあらゆる人の中には、その人に必要な答えが兼ね備わっているので、外側に答えを見つけようと頑張るのではなく、まずはリラックスすることで元の叡智に触れていくことができます。
たとえいまがどのような状況であれ、怖がらずに力を抜いてみてください。
自分がなんとかしなくてはという過度の緊張感を持ち運ばずに、まずは力を抜くのです。
最初は難しいかもしれません。
よりよくしようと思って頑張っていたのに、そこから手を引いてしまっては、事が悪化していくのを放置するような気がするからです。
その怖れに耳を貸さずに、ただリラックスしてみましょう。
そのうえで必要最小限の対処を、一つ一つやっていきます。
どんな人も、一度にできることは一つだけです。
他にもヒントがあります。
袋小路にハマっているときは、大抵は自分の都合ばかり考えているときです。
うまくいかなかったらどうしようというわけです。
そういう時は、自分のことをいったん脇に置いて、人のために何ができるかを考えてみるのが、袋小路から抜け出す道です。
自分のことばかり考えていると、怖れと不安がやってきて緊張が生まれますが、意識を外側に向ければ、心は開放されていきます。
そして寛ぐことができるようになります。
事はあなたが起こしているのではなく、彼方からの力によって瞬間瞬間起きつづけています。
その力を信頼すること。
あなたの人生の流れを信頼すること。
それが自分を信じるということです。
力を抜いて、流れを信頼して、いまできることがどんなに小さなことでも、そのことに心を込めてみましょう。
何が起きているかは、実際にはそれほど重要なことではありません。
ただ起きることが起きています。
重要なのは、そのとき、どんな自分で生きているかです。
人生とは、何をするかではなく、どんな自分を表現するかなのです。
そのような観点から見れば、みんな同じです。
だってみんな、同じ「いま」を生きているのだから。
あなたの人生を応援しています。
今日も読んでくれてありがとう。
で、またこれが始まったよ。
クリックしてケロ (´▽`)
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たとえいまがどのような状況であれ、怖がらずに力を抜いてみてください。
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最初は難しいかもしれません。
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どんな人も、一度にできることは一つだけです。
他にもヒントがあります。
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うまくいかなかったらどうしようというわけです。
そういう時は、自分のことをいったん脇に置いて、人のために何ができるかを考えてみるのが、袋小路から抜け出す道です。
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ただ起きることが起きています。
重要なのは、そのとき、どんな自分で生きているかです。
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そのような観点から見れば、みんな同じです。
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Posted by Toshiro Abe at
09:19
│Comments(58)
2015年03月10日
諸行無常
目の前の現象は、すでに後姿です。
すべてのことは過ぎ去っていきます。
特にいま、困難のさなかにいる人は、この言葉を忘れないでください。
「これもまた、過ぎ去る」
幸せなときは、いつかこの幸せが消えてしまうような気がしますが
不幸せの時は、いつまでもずっと続く気がしてしまうものです。
でも、どちらも過ぎ去っていきます。
何事も留まることはなく、すべては過ぎ去っていく。
この真実さえ完全に知っていれば、苦しみは半減します。
そしてまた、新しい何かが訪れるのです。
さてさて
さてさてさてさて(^^)
一緒にリーラを支えてくれているリーラー(?)の皆さん。
今日からまた一定期間、ポチっ運動をお願いします。
やり方は簡単。
下の2つのボタンを、それぞれポチっポチっと押してください。
一週間後には、順位が確定します。
またしばらくの間、一緒に協力してください(^^)/

すべてのことは過ぎ去っていきます。
特にいま、困難のさなかにいる人は、この言葉を忘れないでください。
「これもまた、過ぎ去る」
幸せなときは、いつかこの幸せが消えてしまうような気がしますが
不幸せの時は、いつまでもずっと続く気がしてしまうものです。
でも、どちらも過ぎ去っていきます。
何事も留まることはなく、すべては過ぎ去っていく。
この真実さえ完全に知っていれば、苦しみは半減します。
そしてまた、新しい何かが訪れるのです。
さてさて
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Posted by Toshiro Abe at
15:10
│Comments(50)
2015年03月08日
魂の夜明け 〜かんながら〜
「魂の夜明け」のイベントが終了しました。
出演者の皆さん、そして参加してくれた皆さん、ありがとうございました。
いままで主催してきた他のイベントも同じですが、すべてはその場の直感で進行が決まります。
ですから僕も含めて出演者の皆さんにとっては、準備しようにもしようもなく、その場で段取りが決まるので、かなり難易度が高いと思います。
困惑した表情を浮かべながらも、やり切ってくれた仲間たちに敬意を表します(^_^)
さすが才能ある人たちです。
傲慢な言い方になりますが、これが「かんながらの道」です。
やっているのは個ではありません。
事はただ起きています。
いいも悪いもなく、ただ、このようにして事が起きています。
堀澤大僧正も喜んでくれました。
我々みんなが自己の存在の空想を感得し、無の境地で繋がることができたら、地上の問題はすべて消えてしまうことでしょう。
それを知っているからこそ堀澤師は、空(くう)を伝達させることが唯一必要と考えているのです。
今回、実際に参加された皆さんはどんな体験をしてくれましたか。
昨日のコメント欄にも何人かの人が分かち合ってくれましたが、あなたの体験も聞かせてくれたら嬉しいです。
魂の夜は明けています。
僕たちが当たり前になっている今の変化は、人類史上極めて稀な現象だということを付け加えておきます。
世界が平和でありますように。
かんながら
出演者の皆さん、そして参加してくれた皆さん、ありがとうございました。
いままで主催してきた他のイベントも同じですが、すべてはその場の直感で進行が決まります。
ですから僕も含めて出演者の皆さんにとっては、準備しようにもしようもなく、その場で段取りが決まるので、かなり難易度が高いと思います。
困惑した表情を浮かべながらも、やり切ってくれた仲間たちに敬意を表します(^_^)
さすが才能ある人たちです。
傲慢な言い方になりますが、これが「かんながらの道」です。
やっているのは個ではありません。
事はただ起きています。
いいも悪いもなく、ただ、このようにして事が起きています。
堀澤大僧正も喜んでくれました。
我々みんなが自己の存在の空想を感得し、無の境地で繋がることができたら、地上の問題はすべて消えてしまうことでしょう。
それを知っているからこそ堀澤師は、空(くう)を伝達させることが唯一必要と考えているのです。
今回、実際に参加された皆さんはどんな体験をしてくれましたか。
昨日のコメント欄にも何人かの人が分かち合ってくれましたが、あなたの体験も聞かせてくれたら嬉しいです。
魂の夜は明けています。
僕たちが当たり前になっている今の変化は、人類史上極めて稀な現象だということを付け加えておきます。
世界が平和でありますように。
かんながら
Posted by Toshiro Abe at
23:22
│Comments(68)
2015年03月07日
魂の夜明け
ラジオの反響が予想以上に大きくなっています。
今回は創価学会という、誰もが知っているにも関わらず、あまり話題に上らないテーマを選びました。
内部の人はどのように感じているのか。
そして外部の我々は何故いまのような見方をしてしまうようになったのか。
そのことを見ていくことで、社会で起こりがちな傾向が見えてくると思いました。
番組前に寄せられたメッセージ、そして番組後に寄せられた感想、どちらもその半分は現役創価学会員からのものです。
みなさん誠実に真正面から参加してくれたことに、心から敬意を表します。
特に学会2世、3世の人たちからでしたが、自分自身や自分の親が心底、世のため人のためと思いながら、人生の多くの時間を指導通りに費やしてきた様子が印象的でした。
しかも世間の態度は時として残酷で、巷に出回る風評の中には、尾ひれ背びれが付いたものも多く、そのような反発を受けながらの活動は如何程のものであったかと想像に難くありません。
その一方で、そこまで会員を勧誘活動に駆り立ててきた組織のやり方にも違和感を持ちました。
創価学会が日本で一番大きな信徒集団で、しかも政権を担う責任与党の一員であるにも関わらず、タブー視することで問題に蓋をしてしまっている風潮に、ほんの僅かでも一石を投じることが出来たらと思いました。
偏見だけに囚われることなく、創価学会を知る入り口として、この番組を聞いてもらえたらと思います。
と当時に、組織側もその運営方針を根本から見つめ直す時期に来ていることを指摘させてもらいます。
講演会の動画も、予想以上の人たちが見てくれて、とても嬉しく思っています。
そこでも言っていますが、日々の生活の中で、自分の存在をほんの少し違う角度から感じてみる習慣は、真実にダイレクトに向かう道となります。
一度見て終わりにしないで、何度か繰り返すことで、生活に生かしてみてください。
それでは、よい週末をお過ごしください。
・・・・・・・・
今日から比叡山延暦寺会館で、「魂の夜明け」が開催されます。
いまごろ延暦寺に向かっている人も多いでしょう。
北は北海道から南は沖縄まで、300人の人たちと2日間を共にします。
ここは日蓮さんや、多くの宗祖が修行した霊場です。
これからは我々一人ひとりがブッダとなり、周囲を照らしていく時代になったと思います。
参加されるみなさんには、期待以上の体験をお約束します。
道中、お気をつけて。
なおこの模様も動画配信する予定で、音響、照明、カメラの方々は、すでに会場入りしてくれています。
お楽しみに。
今回は創価学会という、誰もが知っているにも関わらず、あまり話題に上らないテーマを選びました。
内部の人はどのように感じているのか。
そして外部の我々は何故いまのような見方をしてしまうようになったのか。
そのことを見ていくことで、社会で起こりがちな傾向が見えてくると思いました。
番組前に寄せられたメッセージ、そして番組後に寄せられた感想、どちらもその半分は現役創価学会員からのものです。
みなさん誠実に真正面から参加してくれたことに、心から敬意を表します。
特に学会2世、3世の人たちからでしたが、自分自身や自分の親が心底、世のため人のためと思いながら、人生の多くの時間を指導通りに費やしてきた様子が印象的でした。
しかも世間の態度は時として残酷で、巷に出回る風評の中には、尾ひれ背びれが付いたものも多く、そのような反発を受けながらの活動は如何程のものであったかと想像に難くありません。
その一方で、そこまで会員を勧誘活動に駆り立ててきた組織のやり方にも違和感を持ちました。
創価学会が日本で一番大きな信徒集団で、しかも政権を担う責任与党の一員であるにも関わらず、タブー視することで問題に蓋をしてしまっている風潮に、ほんの僅かでも一石を投じることが出来たらと思いました。
偏見だけに囚われることなく、創価学会を知る入り口として、この番組を聞いてもらえたらと思います。
と当時に、組織側もその運営方針を根本から見つめ直す時期に来ていることを指摘させてもらいます。
講演会の動画も、予想以上の人たちが見てくれて、とても嬉しく思っています。
そこでも言っていますが、日々の生活の中で、自分の存在をほんの少し違う角度から感じてみる習慣は、真実にダイレクトに向かう道となります。
一度見て終わりにしないで、何度か繰り返すことで、生活に生かしてみてください。
それでは、よい週末をお過ごしください。
・・・・・・・・
今日から比叡山延暦寺会館で、「魂の夜明け」が開催されます。
いまごろ延暦寺に向かっている人も多いでしょう。
北は北海道から南は沖縄まで、300人の人たちと2日間を共にします。
ここは日蓮さんや、多くの宗祖が修行した霊場です。
これからは我々一人ひとりがブッダとなり、周囲を照らしていく時代になったと思います。
参加されるみなさんには、期待以上の体験をお約束します。
道中、お気をつけて。
なおこの模様も動画配信する予定で、音響、照明、カメラの方々は、すでに会場入りしてくれています。
お楽しみに。
Posted by Toshiro Abe at
09:21
│Comments(39)
2015年03月05日
ああも、こうも、ありゃしない
この世の最も大きな錯覚は、真理を神聖なものにしすぎたこと。
それが、
真理体現者=聖なる人
という間違ったイメージに繋がります。
更には
真理体現者=覚者=高徳者
となり、覚者とは、これこれこういう人だというイメージが出来上がっています。
言うまでもなく僕は覚者なんかじゃありません。
普通の人間です。
もしかしたら、普通以下です。
いや、ちょっと謙遜しすぎました。
普通です。
さて、僕は生まれてこのかた、いわゆる覚者なる人物に会ったことがありません。
真理を見抜いた者とは数人会っています。
真理を体現した経験を持つ者です。
僕も及ばずながらその末端に入れてもらってはいます。
でも普段は、僕を含めて全員、普通の人です。
なんですか?その覚者とやらは。
いたら連れて来てください。
もし「私は覚者だ」とか血迷ったことを言ったら、その場で4の字固め(知らないだろうけど)です。
僕が正気に戻してあげます。
超能力者も笑えるけど、覚者も同じくらい笑えます。
どんな自己も存在していない。
ただ肉体と精神を持ったこの世の乗り物があって、そこに大いなる意識がまさにいま、思召すまま表現しているだけで、固定化したあんな人も、こんな人もいやしない。
みんな同じです。
上も下もありゃしない。
ただ、まさにいま、このように事が起きている。
みんな同じ。
ただ自分が勝手に「私とはこういう人間だ」と決めつけているだけ。
中空の竹に、想念をパンパンに詰め込んでいるだけ。
そういう人は自分だけでは収まらず、他者に対しても決めつけます。
「あの人はこういう人間だ」
スゴイ人だったり、ヒドイ人だったり。
ああもこうもありません。
誰ひとり誰でもないのだから。
ただ、いまの現象があるだけ。
「ただ、いま」
「おかえり」(^^)
自分などいないことを見抜くことが人生で唯一の仕事です。
すると突然、「いま」の中に放り出されます。
それが悟りです。
でも悟っているからって、なんだと言うんでしょう。
そのことに気づいているかどうかの違いだけで、存在自体は誰ひとり何も変わりません。
極悪人も、あなたも、僕も、キリストも、釈迦も、何も変わりません。
いつも思います。
こんな簡単なことが、なんで解らないんだろうって。
みんなが探している真実って、じれったいくらいに簡単なことなのに。
これからもずっと、わからないままでいてね。
僕がやることが無くなっちゃうから。
あはは、ウソだピョン(^^)/
オイちゃんが出口の方向を示してあげるよ。
・・・・・・・
ラジオを聴いてくれてありがとう。
第二回目「あ、そうか!!ガッカイ」の感想文を募集しています。
毎回、頂いたご感想の中から抽選で3名様にOSHOの本を差し上げます。
賞品は、いまここ塾発行の「究極の旅」か「TAO」4部作の中のどれかです。
欲しい本がある人は、タイトルも書いてください。
宛先
abetshabadabada@supitame.com
締め切りは3月10日まで。
それが、
真理体現者=聖なる人
という間違ったイメージに繋がります。
更には
真理体現者=覚者=高徳者
となり、覚者とは、これこれこういう人だというイメージが出来上がっています。
言うまでもなく僕は覚者なんかじゃありません。
普通の人間です。
もしかしたら、普通以下です。
いや、ちょっと謙遜しすぎました。
普通です。
さて、僕は生まれてこのかた、いわゆる覚者なる人物に会ったことがありません。
真理を見抜いた者とは数人会っています。
真理を体現した経験を持つ者です。
僕も及ばずながらその末端に入れてもらってはいます。
でも普段は、僕を含めて全員、普通の人です。
なんですか?その覚者とやらは。
いたら連れて来てください。
もし「私は覚者だ」とか血迷ったことを言ったら、その場で4の字固め(知らないだろうけど)です。
僕が正気に戻してあげます。
超能力者も笑えるけど、覚者も同じくらい笑えます。
どんな自己も存在していない。
ただ肉体と精神を持ったこの世の乗り物があって、そこに大いなる意識がまさにいま、思召すまま表現しているだけで、固定化したあんな人も、こんな人もいやしない。
みんな同じです。
上も下もありゃしない。
ただ、まさにいま、このように事が起きている。
みんな同じ。
ただ自分が勝手に「私とはこういう人間だ」と決めつけているだけ。
中空の竹に、想念をパンパンに詰め込んでいるだけ。
そういう人は自分だけでは収まらず、他者に対しても決めつけます。
「あの人はこういう人間だ」
スゴイ人だったり、ヒドイ人だったり。
ああもこうもありません。
誰ひとり誰でもないのだから。
ただ、いまの現象があるだけ。
「ただ、いま」
「おかえり」(^^)
自分などいないことを見抜くことが人生で唯一の仕事です。
すると突然、「いま」の中に放り出されます。
それが悟りです。
でも悟っているからって、なんだと言うんでしょう。
そのことに気づいているかどうかの違いだけで、存在自体は誰ひとり何も変わりません。
極悪人も、あなたも、僕も、キリストも、釈迦も、何も変わりません。
いつも思います。
こんな簡単なことが、なんで解らないんだろうって。
みんなが探している真実って、じれったいくらいに簡単なことなのに。
これからもずっと、わからないままでいてね。
僕がやることが無くなっちゃうから。
あはは、ウソだピョン(^^)/
オイちゃんが出口の方向を示してあげるよ。
・・・・・・・
ラジオを聴いてくれてありがとう。
第二回目「あ、そうか!!ガッカイ」の感想文を募集しています。
毎回、頂いたご感想の中から抽選で3名様にOSHOの本を差し上げます。
賞品は、いまここ塾発行の「究極の旅」か「TAO」4部作の中のどれかです。
欲しい本がある人は、タイトルも書いてください。
宛先
abetshabadabada@supitame.com
締め切りは3月10日まで。
Posted by Toshiro Abe at
09:13
│Comments(105)
2015年03月04日
誰でもないから誰にでもなれる
深刻になってないですか?
力入りすぎてないですか?
そんな人は
大空を仰いで、両手を広げて、思い切り深呼吸。
は~~っ!!
頭の中の世界のなんと小さなことか。
なんだっていいじゃない。
今日も気楽にいこうね。
お昼くらいから、新入社員がネットラジオをアップします。
かなりボリュームのある内容なので、時間がある時にゆっくり聴いてください。
https://toshiro.socialcast.jp/
講演会動画も公開中。
喜んでもらえてよかったです。
ラジオを聴いた人は分かると思うけど、僕のキャラはブログのトーンと全く違うでしょ。
講演会も違うし普段も違う。
僕には固定されたキャラなどありません。
その気になれば何にでもなれます。
ネット上で聖者や覚者を演じるのも簡単だけど、バリバリのエゴを振りまきながら、真理を語るのが性に合ってるみたいです。
その中でもネットラジオが一番好きかもしれない。
やってみて一番面白いです。
こういう内容は公共電波では絶対無理なので、だから聴いた人は新鮮な感じだと言ってくれるのでしょう。
今回の番組タイトルは
「あ、そうか!!!ガッカイ」
お楽しみに。
力入りすぎてないですか?
そんな人は
大空を仰いで、両手を広げて、思い切り深呼吸。
は~~っ!!
頭の中の世界のなんと小さなことか。
なんだっていいじゃない。
今日も気楽にいこうね。
お昼くらいから、新入社員がネットラジオをアップします。
かなりボリュームのある内容なので、時間がある時にゆっくり聴いてください。
https://toshiro.socialcast.jp/
講演会動画も公開中。
喜んでもらえてよかったです。
ラジオを聴いた人は分かると思うけど、僕のキャラはブログのトーンと全く違うでしょ。
講演会も違うし普段も違う。
僕には固定されたキャラなどありません。
その気になれば何にでもなれます。
ネット上で聖者や覚者を演じるのも簡単だけど、バリバリのエゴを振りまきながら、真理を語るのが性に合ってるみたいです。
その中でもネットラジオが一番好きかもしれない。
やってみて一番面白いです。
こういう内容は公共電波では絶対無理なので、だから聴いた人は新鮮な感じだと言ってくれるのでしょう。
今回の番組タイトルは
「あ、そうか!!!ガッカイ」
お楽しみに。
Posted by Toshiro Abe at
11:24
│Comments(39)
2015年03月03日
3月3日の日記
今日はラジオ番組を作っていました。
頂いたメールも大変興味深いものばかりで、その半数が現役創価学会員からのものでした。
ところが、ただの一通として、このようなテーマを扱う僕に対する攻撃や非難はなく、どれも真正面から自分たちの問題や、経験を書いてくれていました。
それってテーマがテーマなだけに、すごいことだと思います。
僕らはすぐに、「あの人○○だってよ」というように決めつけますが、そこにいる人の中にもいろんな人がいて、さらにはそういう個人個人でさえ、いろんな時があるわけで、軽々に決めつけようとする傾向を自重しなければいけません。
今日はとても有意義な一日でした。
さとうみつろう君も家に来てくれました。
完成後のいま、とても充実した気分です。
たぶん、あまり聞いたことがないような内容なので、公開を楽しみにしていてください。
早ければ明日にはお届けできる予定です。
お楽しみに。
今日はひな祭り。
我が家もお雛様が飾られて、これからささやかな家族パーティです。
甘酒をいただいてきます(^^)
頂いたメールも大変興味深いものばかりで、その半数が現役創価学会員からのものでした。
ところが、ただの一通として、このようなテーマを扱う僕に対する攻撃や非難はなく、どれも真正面から自分たちの問題や、経験を書いてくれていました。
それってテーマがテーマなだけに、すごいことだと思います。
僕らはすぐに、「あの人○○だってよ」というように決めつけますが、そこにいる人の中にもいろんな人がいて、さらにはそういう個人個人でさえ、いろんな時があるわけで、軽々に決めつけようとする傾向を自重しなければいけません。
今日はとても有意義な一日でした。
さとうみつろう君も家に来てくれました。
完成後のいま、とても充実した気分です。
たぶん、あまり聞いたことがないような内容なので、公開を楽しみにしていてください。
早ければ明日にはお届けできる予定です。
お楽しみに。
今日はひな祭り。
我が家もお雛様が飾られて、これからささやかな家族パーティです。
甘酒をいただいてきます(^^)
Posted by Toshiro Abe at
19:25
│Comments(23)
2015年03月02日
とてもとても大切な話
堀澤祖門師がまとめてくれた昨日の文中に
「悟前の修業」はいらない。
「悟後の修業」が大切だとあります。
本当のことを知りたい人は、面倒くさがらずに、まずは昨日の記事を読んでみてください。
「悟前の修業」とは、悟るための修業のことです。
一般に修業とは悟りを目的にしていると信じられていますが、そんなものはあり得ません。
なぜなら、厳密に言えば「悟り」そのものが存在していないからです。
このことも何度か指摘してきましたが、今日はもう少し詳しく書いてみます。
なぜ悟りが存在しないか。
それは、悟りとは自我側から見た自我からの解放であり、そもそも自我そのものが錯覚だからです。
自我とは意識の影です。
影が影を消し去ろうというのが「悟前の修業」(悟りを目的にした修業)です。
僕の話を理解すれば、大方の修行者や修行僧たちは時間を短縮できます。
できたら日本中の禅寺を回って講演したいくらいですが、それは僕の役目ではないし、彼らも聞く耳を持たないから止めておきます。
いままでも、いまも、そしてこれからも、開かれた意識だけが存在します。
例外なくすべての人の存在の実相は、開かれた意識です。
マインド(思考)が何を言おうが、究極のリアリティは変わりません。
あなたは最初から救われているし、これからもそうです。
誰かが添付してくれたネット上の記事に、僕が悟りを売り物にして瞑想を斡旋していると書いてありましたが、何もわかっていないバカの戯言です。
そういう輩は無視してきましたが、中には影響された人もいたようです。
それも起きることが起きているのでいいのですが、僕の話に関心を持っているあなたには真実を伝えておきます。
「悟後の修業」は極めて重要です。
人生でやるべきことは、これしかないというくらい重要です。
その基本レッスンが瞑想であり、坐禅です。
現代人に一番適した瞑想は、この数年間奨励し続けてきましたし、さらには坐禅を加えることの効果性も説いてきました。
この活動は、この先も変わりようがありません。
さてここに問題が残ります。
というのも、多くの人は自分は悟っていないと本気で信じているので、「悟後の修業」は悟ってから始まると思っているのです。
僕が口を酸っぱくして、「あなたはすでに悟っている」と言っても、こんな自分が悟っているわけがないと感じています。
まずはこんな酷い自分を改善するのが先決だというわけです。
そのような人は、悟りとは瞬間的な光の体験であり、一切の苦悩から解放されて、自我の影響を受けなくなることだと想像しています。
確かに、何気ない瞬間に、いきなり自我(影)が消えて、真の実相を垣間見ることはあります。
影から見ればそれが悟りのように見えますが、何度も言うように影は実体ではないので、影があろうとなかろうと、あなたは悟っているのです。
瞬間的な体験は、あってもなくても本質には影響ありません。
ですから、そんな期待は早く捨てましょう。
期待は自我(影)を強化します。
期待は「いまここ」から離れて、未来という幻想にあなたを連れていきます。
もうすでにあなたは「いまここ」にいることを知ってください。
そして瞑想習慣を持ちましょう。
もちろん僕が奨励する瞑想が全てではありません。
あなたが気に入ったものがあればそれでいいです。
「悟前の修業」と「悟後の修業」の違いは分かりましたか?
前者は目的志向であり、後者はあるがままの自分に寛いでいます。
やることは同じでも、この違いは極めて大きいのです。
今日話したことは、実際にその目で見て聴くことのほうが理解が早まります。
だから何百回も講演をしてきました。
今月は二か所で開催します。
3月22日 博多
3月29日 東京
スピリチュアル世界のファンタジーは卒業して、実際的な道を歩んでください。
ずいぶん傲慢な言い方になってしまいましたが、本心をそのまま書きました。
講演会に来られない人や、繰り返し学びたい人には講演会ビデオがあります。
サンプルもあるし、他では聞けないラジオもあります。
コチラからどうぞ。
ブログはいろんな人が見に来て、中には最初から歪んだ見方をする人もいるので気を使いながら書いてきましたが、疲れるから止めます。
響いた人だけが読めばいいだけの話だと、最近特に思うようになりました。
そういう人を待っているのではなく、またこちらから打って出る時かもしれません。
人気ランキングは問題もあるけれど、新しい人に出会っていくには効果的です。
この8年間は半年周期くらいで、ランキングに参加したり止めたりを繰り返してきました。
また一緒に遊んでくれますか。
再度スピリテュアル界に殴り込みです(笑)
最後まで読んでくれてありがとう。
単刀直入に一直線で生きたいと思う今日この頃です。
堀澤祖門師と向令孝老師に肩車してもらって、思う存分活動してみます。
「悟前の修業」はいらない。
「悟後の修業」が大切だとあります。
本当のことを知りたい人は、面倒くさがらずに、まずは昨日の記事を読んでみてください。
「悟前の修業」とは、悟るための修業のことです。
一般に修業とは悟りを目的にしていると信じられていますが、そんなものはあり得ません。
なぜなら、厳密に言えば「悟り」そのものが存在していないからです。
このことも何度か指摘してきましたが、今日はもう少し詳しく書いてみます。
なぜ悟りが存在しないか。
それは、悟りとは自我側から見た自我からの解放であり、そもそも自我そのものが錯覚だからです。
自我とは意識の影です。
影が影を消し去ろうというのが「悟前の修業」(悟りを目的にした修業)です。
僕の話を理解すれば、大方の修行者や修行僧たちは時間を短縮できます。
できたら日本中の禅寺を回って講演したいくらいですが、それは僕の役目ではないし、彼らも聞く耳を持たないから止めておきます。
いままでも、いまも、そしてこれからも、開かれた意識だけが存在します。
例外なくすべての人の存在の実相は、開かれた意識です。
マインド(思考)が何を言おうが、究極のリアリティは変わりません。
あなたは最初から救われているし、これからもそうです。
誰かが添付してくれたネット上の記事に、僕が悟りを売り物にして瞑想を斡旋していると書いてありましたが、何もわかっていないバカの戯言です。
そういう輩は無視してきましたが、中には影響された人もいたようです。
それも起きることが起きているのでいいのですが、僕の話に関心を持っているあなたには真実を伝えておきます。
「悟後の修業」は極めて重要です。
人生でやるべきことは、これしかないというくらい重要です。
その基本レッスンが瞑想であり、坐禅です。
現代人に一番適した瞑想は、この数年間奨励し続けてきましたし、さらには坐禅を加えることの効果性も説いてきました。
この活動は、この先も変わりようがありません。
さてここに問題が残ります。
というのも、多くの人は自分は悟っていないと本気で信じているので、「悟後の修業」は悟ってから始まると思っているのです。
僕が口を酸っぱくして、「あなたはすでに悟っている」と言っても、こんな自分が悟っているわけがないと感じています。
まずはこんな酷い自分を改善するのが先決だというわけです。
そのような人は、悟りとは瞬間的な光の体験であり、一切の苦悩から解放されて、自我の影響を受けなくなることだと想像しています。
確かに、何気ない瞬間に、いきなり自我(影)が消えて、真の実相を垣間見ることはあります。
影から見ればそれが悟りのように見えますが、何度も言うように影は実体ではないので、影があろうとなかろうと、あなたは悟っているのです。
瞬間的な体験は、あってもなくても本質には影響ありません。
ですから、そんな期待は早く捨てましょう。
期待は自我(影)を強化します。
期待は「いまここ」から離れて、未来という幻想にあなたを連れていきます。
もうすでにあなたは「いまここ」にいることを知ってください。
そして瞑想習慣を持ちましょう。
もちろん僕が奨励する瞑想が全てではありません。
あなたが気に入ったものがあればそれでいいです。
「悟前の修業」と「悟後の修業」の違いは分かりましたか?
前者は目的志向であり、後者はあるがままの自分に寛いでいます。
やることは同じでも、この違いは極めて大きいのです。
今日話したことは、実際にその目で見て聴くことのほうが理解が早まります。
だから何百回も講演をしてきました。
今月は二か所で開催します。
3月22日 博多
3月29日 東京
スピリチュアル世界のファンタジーは卒業して、実際的な道を歩んでください。
ずいぶん傲慢な言い方になってしまいましたが、本心をそのまま書きました。
講演会に来られない人や、繰り返し学びたい人には講演会ビデオがあります。
サンプルもあるし、他では聞けないラジオもあります。
コチラからどうぞ。
ブログはいろんな人が見に来て、中には最初から歪んだ見方をする人もいるので気を使いながら書いてきましたが、疲れるから止めます。
響いた人だけが読めばいいだけの話だと、最近特に思うようになりました。
そういう人を待っているのではなく、またこちらから打って出る時かもしれません。
人気ランキングは問題もあるけれど、新しい人に出会っていくには効果的です。
この8年間は半年周期くらいで、ランキングに参加したり止めたりを繰り返してきました。
また一緒に遊んでくれますか。
再度スピリテュアル界に殴り込みです(笑)
最後まで読んでくれてありがとう。
単刀直入に一直線で生きたいと思う今日この頃です。
堀澤祖門師と向令孝老師に肩車してもらって、思う存分活動してみます。
Posted by Toshiro Abe at
09:18
│Comments(140)
2015年03月01日
人生は風のように
ソロ講演会を動画配信します。
初めての試みになります。
各種クレジットカード、各種スマホ決済などが利用できますが、スマホ決済は、いまはソフトバンクだけが対応していて、近日中にドコモとauが可能になります。
コチラからお入りください。
さて、シンクロする人とはいつもシンクロします。
僕がここに堀澤祖門師のことを書くと、ほとんど同時に堀澤さんからメールが入ります。
昨日も同様で、次号の三千院機関紙に僕のことを載せてくれるそうで、その内容を送ってくれました。
4年前に延暦寺会館で行われた「釈の会」の講演に、僕を講師として招いてくれたのですが、その日の夜、僧侶の皆さんとの質疑応答があり、その模様を書いてくれました。
もう忘れかけていたので、懐かしく思い出しました。
本文の一部をご紹介します。
阿部敏郎さんのこと 堀澤祖門
<夜の討論会>
阿部さんの昼間の講演に対してその夜は自由討議の時間にした。
そのいくつかを紹介しよう。
1. 先生は『さとりの授業』で「いまここ」ということを言います。
「いまここ」がすべてであり、「さとり」とはあるがままの自分のことだ、と言われますが、それでは、これから修行し向上して行こうとするものは目標が無くなってしまい、刹那的で投げやりな生き方になってしまうと思いますが?
答え)それは「いまここ」の理解が十分でないからです。
目標や目的を持つということは、一応、大事なこととされていますが、それだけで終わってしまっていてはいけません。
「いまここ」の意味が本当に解らないと、結局、人生の肝心要めが解らないことになります。
実は、「いまここ」が解ったとき始めて、本当の生きる意味が解り、それこそ、真剣に、大きな喜びをもって生きることができるのです。
2. 先生は、死について、「自殺も他殺も同じだ、悪ではない」という意味のことを言われましたが、私は、最近の三歳の子を殺した事件に衝撃を受けています。
またつねづね「自殺は絶対にしてはいけない」と力説しています。
そういう立場からして、先生の発言は世間の良識に背き、世間に混乱を与えることにならないですか?
答え)あなたの言っていることはよく解ります。
私も一個の人間としては、あなたの感情や考えとまったく同じです。
しかし、私の言っていることは、そういうことではないのです。
次元の違ったところで話しているのです。
そのことだけで終わってしまえば、それは道徳のレベルであって、宗教のレベルではなくなります。
私が本質的には「死と生には区別がない」と言うのは、「永遠の命」に関わる次元でのことです。
私は長いこと「永遠の命」というような表現を毛嫌いして来ました。
しかし、自分が変わったのは、自分が直接「永遠の命」を見たからです。
確かに肉体はいつか朽ちてしまうけれど、魂は永遠に「いまここ」にあり続けます。
「死」は存在していない。
「死」こそが最大の幻想だ。
私はいままでに一度も生まれたことがなかったし、死んだこともなかった。
何時も「いまここ」に在り続けていた・・、と。
私は、「死=忌まわしい」という死に対する偏見やムードを変えたい、という想いを持っています。
「死」と「生」は表裏一体で、二つでセットです。
どちらか一方だけでは成立しません。
もし「死」というものがなければ、私たちは生きているということを知ることもできないでしょう。
これらはコントラストのようなもので、片方が強烈になれば、もう片方も強烈になります。
反対に、片方をあいまいにすれば、もう片方の輪郭もぼけてきます。
その意味で、むしろ死を見つめることが,生の意味を深めていく大きな手段なのです。云々。
◎ 実際は、この問答応酬には激しいものがあった。
みな真剣だったからこそ、妥協のない議論をしたのである。
二時間余り、繰り返し応酬が続いた。
おそらく阿部さんは初めてプロの坊さんたちと一対多数の論戦を挑まれて、全力投球を迫られた思いであっただろう。
それだけに阿部さんは、応答の途中で思わず声を詰まらせ、「今日は、私の人生で最高の日でした」と発言されたのであろう。
しかし、「さとり」を体験した人と、それを未だしていない人との考えの隔たりは大きく、その夜、阿部さんを囲んだ青年僧の数人は、朝まで語り明かしたという。
<総括として>
翌日の総会の総括として私は次のように発言した。
今回は、初めての参加で、また仏教のことについてご存じないお方も居られるから説明しておきますが、じつは、この世には現象界(二元相対の世界)と本分の世界(一元絶対の世界)がある、というのが悟り体験者の話です。
この二つは本来一つであって分けることが出来ないものですが、一般の理解を助けるためにあえて二つに分けて説明するというのです。
そして、現象界の存在しか理解できない人は「迷いの世界」にいるのであり、体験上「本分の世界」を掴んだ人を悟った人というわけです。
昨日の議論がかみ合わなかった根本原因は、質問者が現象界だけをベースにして発想し質問しているのに、阿部さんは「本分の世界」に立って、なんとかそれを理解してもらおうとして応えていたからです。
私たちが迷いを離れるためには、どうしても「本分の世界」を掴むことが必要です。
従来、「さとり」に至るためには永年月の修行が必要だとされていましたが、阿部さんの主張はまったく逆です。
もともと悟っているのに何故修行が必要かと言うのです。
「衆生本来仏なり」は真実だから、その自分の「本来仏」に気づき掴むだけで良いのだ、と。
これは従来の修行の発想とはまったく違って独創的です。
悟った後の修行、いわゆる「悟後の修行」は大事だが、「悟前の修行」は要らない、と。
このことを彼は、「いまここ」をしっかり掴むことが大事だ。「いつか」という未来志向は間違いだ、と目的地を想定して修行することの愚を指摘しているのです。
「さとるのは簡単です。自分がさとっていることを認めるだけですから、自分は映像のなかの出演者ではなく、スクリーンそのものだと思えばいいのです。
そうやって、さとってから修行が始まります。それを「悟後の修行」といい、本来、修行とは悟後の修行以外にありません。
もうわかりましたね。修行とは、自分の意識がいつでも自分の場所(いまここ)にいるように心がけることなのです。」
(『さとりの授業』116頁)
このように『さとりの授業』は極めて奥深い真理を説いているのです。
私はこの本を画期的な本だと高く評価しております。
この機会で阿部さんと知り合ってから、私たちは兄弟のような気持ちでお付き合いをしています。
それも、メールでのやり取りでは、「敏ちゃん」「門ちゃん」というふうに子供同士のような愛称さえ使っているのです。
・・・・・・・・
仏教界にもこのように、我々一般衆生の言葉に耳を傾け、評価してくれる高僧がおられることを、報告したいと思いました。
僕と同じメッセンジャーの皆さんに勇気を与えてくれますね。
・・・・・・・・・
3月7日8日の延暦寺会館でのイベントは、お申し込みを終了しました。
ありがとうございました。
初めての試みになります。
各種クレジットカード、各種スマホ決済などが利用できますが、スマホ決済は、いまはソフトバンクだけが対応していて、近日中にドコモとauが可能になります。
コチラからお入りください。
さて、シンクロする人とはいつもシンクロします。
僕がここに堀澤祖門師のことを書くと、ほとんど同時に堀澤さんからメールが入ります。
昨日も同様で、次号の三千院機関紙に僕のことを載せてくれるそうで、その内容を送ってくれました。
4年前に延暦寺会館で行われた「釈の会」の講演に、僕を講師として招いてくれたのですが、その日の夜、僧侶の皆さんとの質疑応答があり、その模様を書いてくれました。
もう忘れかけていたので、懐かしく思い出しました。
本文の一部をご紹介します。
阿部敏郎さんのこと 堀澤祖門
<夜の討論会>
阿部さんの昼間の講演に対してその夜は自由討議の時間にした。
そのいくつかを紹介しよう。
1. 先生は『さとりの授業』で「いまここ」ということを言います。
「いまここ」がすべてであり、「さとり」とはあるがままの自分のことだ、と言われますが、それでは、これから修行し向上して行こうとするものは目標が無くなってしまい、刹那的で投げやりな生き方になってしまうと思いますが?
答え)それは「いまここ」の理解が十分でないからです。
目標や目的を持つということは、一応、大事なこととされていますが、それだけで終わってしまっていてはいけません。
「いまここ」の意味が本当に解らないと、結局、人生の肝心要めが解らないことになります。
実は、「いまここ」が解ったとき始めて、本当の生きる意味が解り、それこそ、真剣に、大きな喜びをもって生きることができるのです。
2. 先生は、死について、「自殺も他殺も同じだ、悪ではない」という意味のことを言われましたが、私は、最近の三歳の子を殺した事件に衝撃を受けています。
またつねづね「自殺は絶対にしてはいけない」と力説しています。
そういう立場からして、先生の発言は世間の良識に背き、世間に混乱を与えることにならないですか?
答え)あなたの言っていることはよく解ります。
私も一個の人間としては、あなたの感情や考えとまったく同じです。
しかし、私の言っていることは、そういうことではないのです。
次元の違ったところで話しているのです。
そのことだけで終わってしまえば、それは道徳のレベルであって、宗教のレベルではなくなります。
私が本質的には「死と生には区別がない」と言うのは、「永遠の命」に関わる次元でのことです。
私は長いこと「永遠の命」というような表現を毛嫌いして来ました。
しかし、自分が変わったのは、自分が直接「永遠の命」を見たからです。
確かに肉体はいつか朽ちてしまうけれど、魂は永遠に「いまここ」にあり続けます。
「死」は存在していない。
「死」こそが最大の幻想だ。
私はいままでに一度も生まれたことがなかったし、死んだこともなかった。
何時も「いまここ」に在り続けていた・・、と。
私は、「死=忌まわしい」という死に対する偏見やムードを変えたい、という想いを持っています。
「死」と「生」は表裏一体で、二つでセットです。
どちらか一方だけでは成立しません。
もし「死」というものがなければ、私たちは生きているということを知ることもできないでしょう。
これらはコントラストのようなもので、片方が強烈になれば、もう片方も強烈になります。
反対に、片方をあいまいにすれば、もう片方の輪郭もぼけてきます。
その意味で、むしろ死を見つめることが,生の意味を深めていく大きな手段なのです。云々。
◎ 実際は、この問答応酬には激しいものがあった。
みな真剣だったからこそ、妥協のない議論をしたのである。
二時間余り、繰り返し応酬が続いた。
おそらく阿部さんは初めてプロの坊さんたちと一対多数の論戦を挑まれて、全力投球を迫られた思いであっただろう。
それだけに阿部さんは、応答の途中で思わず声を詰まらせ、「今日は、私の人生で最高の日でした」と発言されたのであろう。
しかし、「さとり」を体験した人と、それを未だしていない人との考えの隔たりは大きく、その夜、阿部さんを囲んだ青年僧の数人は、朝まで語り明かしたという。
<総括として>
翌日の総会の総括として私は次のように発言した。
今回は、初めての参加で、また仏教のことについてご存じないお方も居られるから説明しておきますが、じつは、この世には現象界(二元相対の世界)と本分の世界(一元絶対の世界)がある、というのが悟り体験者の話です。
この二つは本来一つであって分けることが出来ないものですが、一般の理解を助けるためにあえて二つに分けて説明するというのです。
そして、現象界の存在しか理解できない人は「迷いの世界」にいるのであり、体験上「本分の世界」を掴んだ人を悟った人というわけです。
昨日の議論がかみ合わなかった根本原因は、質問者が現象界だけをベースにして発想し質問しているのに、阿部さんは「本分の世界」に立って、なんとかそれを理解してもらおうとして応えていたからです。
私たちが迷いを離れるためには、どうしても「本分の世界」を掴むことが必要です。
従来、「さとり」に至るためには永年月の修行が必要だとされていましたが、阿部さんの主張はまったく逆です。
もともと悟っているのに何故修行が必要かと言うのです。
「衆生本来仏なり」は真実だから、その自分の「本来仏」に気づき掴むだけで良いのだ、と。
これは従来の修行の発想とはまったく違って独創的です。
悟った後の修行、いわゆる「悟後の修行」は大事だが、「悟前の修行」は要らない、と。
このことを彼は、「いまここ」をしっかり掴むことが大事だ。「いつか」という未来志向は間違いだ、と目的地を想定して修行することの愚を指摘しているのです。
「さとるのは簡単です。自分がさとっていることを認めるだけですから、自分は映像のなかの出演者ではなく、スクリーンそのものだと思えばいいのです。
そうやって、さとってから修行が始まります。それを「悟後の修行」といい、本来、修行とは悟後の修行以外にありません。
もうわかりましたね。修行とは、自分の意識がいつでも自分の場所(いまここ)にいるように心がけることなのです。」
(『さとりの授業』116頁)
このように『さとりの授業』は極めて奥深い真理を説いているのです。
私はこの本を画期的な本だと高く評価しております。
この機会で阿部さんと知り合ってから、私たちは兄弟のような気持ちでお付き合いをしています。
それも、メールでのやり取りでは、「敏ちゃん」「門ちゃん」というふうに子供同士のような愛称さえ使っているのです。
・・・・・・・・
仏教界にもこのように、我々一般衆生の言葉に耳を傾け、評価してくれる高僧がおられることを、報告したいと思いました。
僕と同じメッセンジャーの皆さんに勇気を与えてくれますね。
・・・・・・・・・
3月7日8日の延暦寺会館でのイベントは、お申し込みを終了しました。
ありがとうございました。
Posted by Toshiro Abe at
12:20
│Comments(42)
2015年02月28日
一般人の「さとり」体験とその活動
僕たちは新興宗教のみならず、伝統宗教にも真実の教えに対する期待を持たなくなってしまいました。
それは仏教というものが政治的に利用され、檀家制度としての役割を担いだしたことに帰因します。
いまや葬式と法事と観光を生業とする、単なる商売になってしまいました。
もとより真実は仏教の専売特許ではなく、ありとあらゆる人の存在基盤なので、そのような意味から言えば、仏教の権威が失墜したとしても、真実が損なわれることはありません。
そんな中にあって、実際に命がけで真実を探求し、一切のまやかしなく体現した本物の仏僧もいます。
数は極めて少ないですが、僕は幸運にも2人の真理体現者と出会うことができました。
一人は向老師です。
そして、もうお一人が堀澤祖門師です。
師は京都大学在学中に、導かれるようにして比叡山にのぼり、そのまま出家得度します。
戦後初めてとなる、12年間の山籠もりの行を満行後、さらにインドにわたり何人もの覚者を訪ね歩き、その経験を基にして、本来の大乗仏教の使命である、在家への仏道の学び舎を作ります。
仏教界の異端児ですが、いまは最高位ともいえる三千院門主に就任されています。
師が4年前に、韓国の仏教界に提出した論文があります。
それは仏教が本来の役目を忘れた現代にあって、一般衆生の中から民衆に真理を説く者が現れているという報告です。
その中で不肖阿部のことを紹介してくれました。
来週末に延暦寺会館で行われるイベントは、そんな堀澤師の前で、いまの若きメッセンジャーたちを紹介することが目的の一つです。
即日完売になったイベントですが、若干のキャンセルが出ましたので、3月2日までの期間限定で、再募集させてもらいます。
二度とない機会ですので都合がつく方はいらしてください。
僧侶の皆さんからも、歴史的イベントだと評価を頂いています。
今日は、堀澤師の論文の冒頭を紹介します。
一般人の「さとり」体験とその活動 三千院門主 堀澤祖門
(1)はじめに
今、世界で起きている現象に、一般人が「さとり」体験をしてその体験やメッセージを広く発信し始めているということがある。
もともと佛教は仏陀の「さとり」体験を原点としてスタートしている。
そして仏陀はその「さとり」体験から教えを説き、かつ弟子たちに自分と同じ「さとり」体験をするように指導された。
その意味で、佛教は何よりも「体験」を最重視する。
ある意味で佛教と他の宗教との根本的な違いを言うなら、佛教は「人間による体験の宗教」であり、他の宗教は「神による教えの宗教」であると言えよう。
しかし、その仏陀の「さとり」は余りにも卓越したものと受け取られたので、特に大乗の般若経典では三阿僧祇劫もの長期間にわたって何度でも生まれ変わり修行を繰りかえす必要があると説く。
だから大乗経典における作仏(成仏、仏になる)とはこのように長年月の修行を必要とするものであった。
ところが、その大乗仏教の中で唯一現在のこの肉身で成仏することが出来ると説いたのはいわゆる禅宗である。
禅宗では、仏陀の真の教えは言葉ではなく身体で体得するものとした。
拈華微笑(ねんげみしょう)の話はこの間の消息を伝える。
或るとき仏陀が法を説き終わったが、なお弟子たちに真髄を伝えられない。
これ以上は言葉で伝えることが出来なくて、たまたま卓上にあった一輪の華を取り上げてこれを拈(ひねる)じたという。
それを見ても誰も反応しなかったが、ひとり摩訶迦葉だけがその真意を理解してにっこりと微笑んだという。
仏陀はその摩訶迦葉だけに印可を授けた。
こうして伝えられた正法は転々と伝持されて達摩に伝えられ、その達摩によって中国へ伝えられ、やがて日本にも伝えられた、と。
しかし、その禅宗でも現在では「さとり」体験者は極めて少なく、やはり狭き門として雲の上の出来事のようになってしまっている。
「体験の宗教」が体験を失ってしまうとともに、佛教の力は急激に衰え、世間における存在感も、はなはだ希薄なものとなってしまっている。
そんなとき、仏教僧でもなく禪の体験もないのに、ズブの素人、一般人の中から「さとり」体験をした上で、敢然と世間に法を説く者が次々と現れてきたのである。
これは一体どういうことなのか。
その実態をしっかりと知っておく必要がある。
そこでまず、その一人である阿部敏郎という人のケースをここに紹介してみよう。
・・・・・
このあと、僕とその活動を詳しく紹介してくれています。
長くなるので、続きはまたの機会に紹介します。
このような変化は時代の必然であり、あなた自身もその流れの中にいることを知ってください。
延暦寺会館のイベントの詳細はコチラから。
。。。。。。
今日はつい先日行われた東京講演会の模様の動画サンプルをお届けします。
わずか5分足らずですが、自分なりに真実を言いきっています。
前回ラジオを聞いてくれた人は、トップページ右上の「ログイン」画面から入れます。
初めての人も、同じくトップページ右上の「新規登録」から簡単な手続きで見ることが出来ます。
コチラから
それは仏教というものが政治的に利用され、檀家制度としての役割を担いだしたことに帰因します。
いまや葬式と法事と観光を生業とする、単なる商売になってしまいました。
もとより真実は仏教の専売特許ではなく、ありとあらゆる人の存在基盤なので、そのような意味から言えば、仏教の権威が失墜したとしても、真実が損なわれることはありません。
そんな中にあって、実際に命がけで真実を探求し、一切のまやかしなく体現した本物の仏僧もいます。
数は極めて少ないですが、僕は幸運にも2人の真理体現者と出会うことができました。
一人は向老師です。
そして、もうお一人が堀澤祖門師です。
師は京都大学在学中に、導かれるようにして比叡山にのぼり、そのまま出家得度します。
戦後初めてとなる、12年間の山籠もりの行を満行後、さらにインドにわたり何人もの覚者を訪ね歩き、その経験を基にして、本来の大乗仏教の使命である、在家への仏道の学び舎を作ります。
仏教界の異端児ですが、いまは最高位ともいえる三千院門主に就任されています。
師が4年前に、韓国の仏教界に提出した論文があります。
それは仏教が本来の役目を忘れた現代にあって、一般衆生の中から民衆に真理を説く者が現れているという報告です。
その中で不肖阿部のことを紹介してくれました。
来週末に延暦寺会館で行われるイベントは、そんな堀澤師の前で、いまの若きメッセンジャーたちを紹介することが目的の一つです。
即日完売になったイベントですが、若干のキャンセルが出ましたので、3月2日までの期間限定で、再募集させてもらいます。
二度とない機会ですので都合がつく方はいらしてください。
僧侶の皆さんからも、歴史的イベントだと評価を頂いています。
今日は、堀澤師の論文の冒頭を紹介します。
一般人の「さとり」体験とその活動 三千院門主 堀澤祖門
(1)はじめに
今、世界で起きている現象に、一般人が「さとり」体験をしてその体験やメッセージを広く発信し始めているということがある。
もともと佛教は仏陀の「さとり」体験を原点としてスタートしている。
そして仏陀はその「さとり」体験から教えを説き、かつ弟子たちに自分と同じ「さとり」体験をするように指導された。
その意味で、佛教は何よりも「体験」を最重視する。
ある意味で佛教と他の宗教との根本的な違いを言うなら、佛教は「人間による体験の宗教」であり、他の宗教は「神による教えの宗教」であると言えよう。
しかし、その仏陀の「さとり」は余りにも卓越したものと受け取られたので、特に大乗の般若経典では三阿僧祇劫もの長期間にわたって何度でも生まれ変わり修行を繰りかえす必要があると説く。
だから大乗経典における作仏(成仏、仏になる)とはこのように長年月の修行を必要とするものであった。
ところが、その大乗仏教の中で唯一現在のこの肉身で成仏することが出来ると説いたのはいわゆる禅宗である。
禅宗では、仏陀の真の教えは言葉ではなく身体で体得するものとした。
拈華微笑(ねんげみしょう)の話はこの間の消息を伝える。
或るとき仏陀が法を説き終わったが、なお弟子たちに真髄を伝えられない。
これ以上は言葉で伝えることが出来なくて、たまたま卓上にあった一輪の華を取り上げてこれを拈(ひねる)じたという。
それを見ても誰も反応しなかったが、ひとり摩訶迦葉だけがその真意を理解してにっこりと微笑んだという。
仏陀はその摩訶迦葉だけに印可を授けた。
こうして伝えられた正法は転々と伝持されて達摩に伝えられ、その達摩によって中国へ伝えられ、やがて日本にも伝えられた、と。
しかし、その禅宗でも現在では「さとり」体験者は極めて少なく、やはり狭き門として雲の上の出来事のようになってしまっている。
「体験の宗教」が体験を失ってしまうとともに、佛教の力は急激に衰え、世間における存在感も、はなはだ希薄なものとなってしまっている。
そんなとき、仏教僧でもなく禪の体験もないのに、ズブの素人、一般人の中から「さとり」体験をした上で、敢然と世間に法を説く者が次々と現れてきたのである。
これは一体どういうことなのか。
その実態をしっかりと知っておく必要がある。
そこでまず、その一人である阿部敏郎という人のケースをここに紹介してみよう。
・・・・・
このあと、僕とその活動を詳しく紹介してくれています。
長くなるので、続きはまたの機会に紹介します。
このような変化は時代の必然であり、あなた自身もその流れの中にいることを知ってください。
延暦寺会館のイベントの詳細はコチラから。
。。。。。。
今日はつい先日行われた東京講演会の模様の動画サンプルをお届けします。
わずか5分足らずですが、自分なりに真実を言いきっています。
前回ラジオを聞いてくれた人は、トップページ右上の「ログイン」画面から入れます。
初めての人も、同じくトップページ右上の「新規登録」から簡単な手続きで見ることが出来ます。
コチラから
Posted by Toshiro Abe at
10:12
│Comments(28)
2015年02月27日
エゴだ、エゴだ!
とあるスピ系の教師が、なにかにつけ
「これはエゴだ。またエゴだ。ほらこれもエゴだ」
と連発していました。
エゴとか自我とかいう言葉は、真実の存在を説明するときに欠かせませんが、しかしだからと言って、自分や他人の表れを執拗に観察し、エゴというレッテイルを次々に張っていく姿には呆れます。
そうやってエゴだエゴだと騒いでいる部分こそが、エゴ以外の何物でもないからです。
また、ある教師は言います。
エゴを滅却すること、エゴを消滅させること、そのために努力しなさいと。
まるでエゴという実体があるかのようです。
実体があるのなら闘うこともできますが、そもそもエゴとは意識の影のようなもので、エゴ自体が存在しているわけではありません。
影と闘うことは不可能です。
確かにエゴは、さも自分(エゴ)が存在するかのような顔をして、あれこれと指図しますし、自分がいないことを証明されるのを恐れて、瞑想や静寂の中に入るのを嫌います。
「こんなことをしている場合か。もっと他にやるべきことがあるだろう」
というわけです。
そして支離滅裂な思考をバラマキ、心を分裂させ、苦悩を作りだします。
我々の苦悩のすべては混乱したエゴが作り出していると言ってもいいでしょう。
じゃあ、どうしたらいいのか。
実はどうしようもないのです(笑)
完全にあきらめてリラックスすることです。
起きていることをありのままに認めて、そのことと仲直りすること。
気楽にくつろぐこと。
すると影は消えていきます。
さとりも同じです。
もともと我々はさとった存在です。
誰もが大いなる一元の存在です。
ところが、個としての肉体と精神に同化して、「私という個人が存在している」という感覚を持ってしまいました。
それがエゴです。
そうやって分離したエゴは、こんどは大いなる一元に戻ろうと画策します。
いろんな書物を読み、深遠そうなテクニックを学び、時には苦行までして、さとりの境地に帰ろうというのです。
でもそのことに勤しめば勤しむほど、そのぶんだけエゴが強化されていきます。
先日お話しした、道の二段階。
>実際に真理を探究しだした人への次の教えは、いかに探求を止めるかということになります。
というわけです。
エゴと戦わないこと。
真理を自力で達成しようとしないこと。
エゴなど無いことを理解すること。
最初から真理を達成していたことに気づくこと。
今日はこの辺で。
何があっても気楽にいきましょう。
・・・・・・・・・
こういう話に関心を持っている人は、講演会に来てくれるのが一番ですが、来れない人のために明日から講演会の動画を配信します。
5日前に行われた東京講演会の模様です。
無料サンプルもありますので覗いてみてください。
そして来週には、いよいよネットラジオ「阿部敏郎のシャバダ・バダ」のスタートです。
最初のテーマは「創価学会」
彼らへの批判一辺倒ではなく、むしろ部外者が持つ日本人特有の陰湿な差別意識と、彼らの貢献と弊害、真理と誤謬について整理してみたいと思います。
もちろん笑って聴ける、アノ調子で(^^)
みなさんからのメッセージもお待ちしています。
創価学会員さんの生の声も聞いてみたいです。
最初のゲストは、いま人気絶頂の、さとうみつろう君。
採用させてもらったメールの中から3名様に、阿部の新刊(山川紘矢さんとの共著)、「死の秘密」をプレゼントします。
メッセージの宛先は
abeshabadabada@yahoo.co.jp
明後日(3月1日)締め切りとなります。
「これはエゴだ。またエゴだ。ほらこれもエゴだ」
と連発していました。
エゴとか自我とかいう言葉は、真実の存在を説明するときに欠かせませんが、しかしだからと言って、自分や他人の表れを執拗に観察し、エゴというレッテイルを次々に張っていく姿には呆れます。
そうやってエゴだエゴだと騒いでいる部分こそが、エゴ以外の何物でもないからです。
また、ある教師は言います。
エゴを滅却すること、エゴを消滅させること、そのために努力しなさいと。
まるでエゴという実体があるかのようです。
実体があるのなら闘うこともできますが、そもそもエゴとは意識の影のようなもので、エゴ自体が存在しているわけではありません。
影と闘うことは不可能です。
確かにエゴは、さも自分(エゴ)が存在するかのような顔をして、あれこれと指図しますし、自分がいないことを証明されるのを恐れて、瞑想や静寂の中に入るのを嫌います。
「こんなことをしている場合か。もっと他にやるべきことがあるだろう」
というわけです。
そして支離滅裂な思考をバラマキ、心を分裂させ、苦悩を作りだします。
我々の苦悩のすべては混乱したエゴが作り出していると言ってもいいでしょう。
じゃあ、どうしたらいいのか。
実はどうしようもないのです(笑)
完全にあきらめてリラックスすることです。
起きていることをありのままに認めて、そのことと仲直りすること。
気楽にくつろぐこと。
すると影は消えていきます。
さとりも同じです。
もともと我々はさとった存在です。
誰もが大いなる一元の存在です。
ところが、個としての肉体と精神に同化して、「私という個人が存在している」という感覚を持ってしまいました。
それがエゴです。
そうやって分離したエゴは、こんどは大いなる一元に戻ろうと画策します。
いろんな書物を読み、深遠そうなテクニックを学び、時には苦行までして、さとりの境地に帰ろうというのです。
でもそのことに勤しめば勤しむほど、そのぶんだけエゴが強化されていきます。
先日お話しした、道の二段階。
>実際に真理を探究しだした人への次の教えは、いかに探求を止めるかということになります。
というわけです。
エゴと戦わないこと。
真理を自力で達成しようとしないこと。
エゴなど無いことを理解すること。
最初から真理を達成していたことに気づくこと。
今日はこの辺で。
何があっても気楽にいきましょう。
・・・・・・・・・
こういう話に関心を持っている人は、講演会に来てくれるのが一番ですが、来れない人のために明日から講演会の動画を配信します。
5日前に行われた東京講演会の模様です。
無料サンプルもありますので覗いてみてください。
そして来週には、いよいよネットラジオ「阿部敏郎のシャバダ・バダ」のスタートです。
最初のテーマは「創価学会」
彼らへの批判一辺倒ではなく、むしろ部外者が持つ日本人特有の陰湿な差別意識と、彼らの貢献と弊害、真理と誤謬について整理してみたいと思います。
もちろん笑って聴ける、アノ調子で(^^)
みなさんからのメッセージもお待ちしています。
創価学会員さんの生の声も聞いてみたいです。
最初のゲストは、いま人気絶頂の、さとうみつろう君。
採用させてもらったメールの中から3名様に、阿部の新刊(山川紘矢さんとの共著)、「死の秘密」をプレゼントします。
メッセージの宛先は
abeshabadabada@yahoo.co.jp
明後日(3月1日)締め切りとなります。
Posted by Toshiro Abe at
09:29
│Comments(49)
2015年02月26日
ショートメッセージ
よく言われる話で、親しい人が死んだあとも、残された人の心の中で生き続けるというものがありますね。
あれは事実です。
というよりも、その前から、生きていたのは各々の心の中です。
人は現象が外側に展開しているということを信じて疑いませんが、その大前提がくつがえったとき、存在の実相が明らかになります。
このポイントをいかに理解するか、そのために様々な言い方でメッセージを伝えています。
・・・・・・
数か月前から、究極の話に徹しています。
究極という言い方も分かりにくいかもしれませんが、すべての真実はここに帰結するという意味です。
3月は博多と東京です。
3月22日 博多
3月29日 東京
※3月は開始時間が変わりますのでご注意ください。
詳細は各都市名をクリックしてください。
あれは事実です。
というよりも、その前から、生きていたのは各々の心の中です。
人は現象が外側に展開しているということを信じて疑いませんが、その大前提がくつがえったとき、存在の実相が明らかになります。
このポイントをいかに理解するか、そのために様々な言い方でメッセージを伝えています。
・・・・・・
数か月前から、究極の話に徹しています。
究極という言い方も分かりにくいかもしれませんが、すべての真実はここに帰結するという意味です。
3月は博多と東京です。
3月22日 博多
3月29日 東京
※3月は開始時間が変わりますのでご注意ください。
詳細は各都市名をクリックしてください。
Posted by Toshiro Abe at
10:33
│Comments(53)
2015年02月24日
死の瞬間
数日後に、新刊が発売されます。
翻訳家の山川紘矢さんとの共著です。
誰もにとって必ず訪れる「死」について書いてみました。
人の心の底には、漠然とした死への恐怖が横たわっているような気がします。
死生観という言葉がありますが、死を理解することは生を理解することに繋がります。
生と死は表裏一体、コインの裏表みたいなものだからです。
ですから、生きるために死を理解できたらという思いで書いたのがこの本です。
山川さんとは多くの考えが一致しています。
でも一致していないところもあります。
そんなことも赤裸々に綴った面白さもある本です。
230ページにわたり、死をテーマに展開していきます。
本文の中から僕が書いた一部を抜粋してみました。


<本文より>
(阿部)
これは、知り合いから聞いた話。
彼のお父さんはずっと病気に苦しんでいましたが、いまわの際にカッと目を見開いて、こう言ったそうです。
「よかったぁ――っ!」と
このたったひとことに、死の至福が凝縮されている。ぼくはそう感じます。
今生にはいろいろ苦しいことも、つらいこともあったでしょう。
闘病生活には苦しみしかなかったかもしれません。
と同時に、人生には嬉しいこと、楽しいこともいっぱいあったと思います。
そういった今生で起きたすべてのことを肯定したんじゃないかな。
もっと言えば、死の瞬間に「肉体はなくなっても、自分の存在はある」と実感したのか、大いなる宇宙の様相が見えたのか・・・・・・。
たぶん、他人の目や外側にこだわって生ききた今生の自分を客観視して、「なぁんだ、自作自演の独り芝居だったんだな」と気づく。
そして死の瞬間、本来のあるがままの自分、つまり魂の意識みたいなものがぶわーっと膨張していって、解放感と幸福感に満たされる。
誰もが死の瞬間にそんなふうに感じるんじゃないかと思います。
知り合いのお父さんが「よかったぁ――っ!」って言ったのも、そういう気づきから来ているような気がします。
そんなふうに死ねるのって、いいと思いませんか?
というか、ぼく自身はみんながそうなることを期待している。誰もが死の瞬間、最後の最後に救われると思うのです。
今生を生きていくプロセスがたとえ苦しいものであっても、それが自作自演のお芝居だとわかればおもしろい。
で、死の瞬間に心が解放されるのなら、十分生きた甲斐があるでしょう?
表面的に苦しんで死んでいったように見えても、「ああ、いい人生だった」って言いながら死んでいっても、それは外側から見える違いであって、魂レベルではどちらも同じことが起きていると思います。
99%の人が知らない死の秘密
いま注文すれば発売日(2月27日)には自宅に届くと思います。
興味がある方はどうぞお読みください。
翻訳家の山川紘矢さんとの共著です。
誰もにとって必ず訪れる「死」について書いてみました。
人の心の底には、漠然とした死への恐怖が横たわっているような気がします。
死生観という言葉がありますが、死を理解することは生を理解することに繋がります。
生と死は表裏一体、コインの裏表みたいなものだからです。
ですから、生きるために死を理解できたらという思いで書いたのがこの本です。
山川さんとは多くの考えが一致しています。
でも一致していないところもあります。
そんなことも赤裸々に綴った面白さもある本です。
230ページにわたり、死をテーマに展開していきます。
本文の中から僕が書いた一部を抜粋してみました。
<本文より>
(阿部)
これは、知り合いから聞いた話。
彼のお父さんはずっと病気に苦しんでいましたが、いまわの際にカッと目を見開いて、こう言ったそうです。
「よかったぁ――っ!」と
このたったひとことに、死の至福が凝縮されている。ぼくはそう感じます。
今生にはいろいろ苦しいことも、つらいこともあったでしょう。
闘病生活には苦しみしかなかったかもしれません。
と同時に、人生には嬉しいこと、楽しいこともいっぱいあったと思います。
そういった今生で起きたすべてのことを肯定したんじゃないかな。
もっと言えば、死の瞬間に「肉体はなくなっても、自分の存在はある」と実感したのか、大いなる宇宙の様相が見えたのか・・・・・・。
たぶん、他人の目や外側にこだわって生ききた今生の自分を客観視して、「なぁんだ、自作自演の独り芝居だったんだな」と気づく。
そして死の瞬間、本来のあるがままの自分、つまり魂の意識みたいなものがぶわーっと膨張していって、解放感と幸福感に満たされる。
誰もが死の瞬間にそんなふうに感じるんじゃないかと思います。
知り合いのお父さんが「よかったぁ――っ!」って言ったのも、そういう気づきから来ているような気がします。
そんなふうに死ねるのって、いいと思いませんか?
というか、ぼく自身はみんながそうなることを期待している。誰もが死の瞬間、最後の最後に救われると思うのです。
今生を生きていくプロセスがたとえ苦しいものであっても、それが自作自演のお芝居だとわかればおもしろい。
で、死の瞬間に心が解放されるのなら、十分生きた甲斐があるでしょう?
表面的に苦しんで死んでいったように見えても、「ああ、いい人生だった」って言いながら死んでいっても、それは外側から見える違いであって、魂レベルではどちらも同じことが起きていると思います。
99%の人が知らない死の秘密
いま注文すれば発売日(2月27日)には自宅に届くと思います。
興味がある方はどうぞお読みください。
Posted by Toshiro Abe at
09:34
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2015年02月23日
人生いろいろ
3回の講演が終わり、昨夜はそのまま母の家にやってきました。
母親にとっての息子というのは特別な存在のようで、僕の顔を見ると元気になるのだそうです。
母は戦時中満州に行っていて、そこで終戦を迎えます。
ソ連兵の攻撃から逃れるために、幼子二人を連れての逃避行だったのですが、残念ながらその二人の子は死んでしまいます。
弔うことも許されず、小さな亡骸を鉄道のプラットホームに並べさせられたまま、銃剣につつかれてその場を立ち去らなければならなかった無念を何度も聞かされて育ちました。
僕自身は子供のころから、そんな母を救うために生まれてきたと思ったものです。
その気持ちは成人してからも消えることはなく、母のために生まれてきたことを信じて疑いませんでした。
あるとき、人にその話をしたとき
「馬鹿だな。人生は自分のためにあるんだ」
と言われ、ショックを受けたのを覚えています。
それくらい、母のために生きていることを信じて疑わなかった、そんな子でした。
いまは人生に対する理解が変わり、違う視点で母を捉えていますが、それでも心のどこかにはまだ同じ気持ちが残っています。
人生の意味は人それぞれが作るものですが、若いころの僕の思い込みと生き方は、あれでよかったのではないかと思います。
人生いろいろ
無数のドラマが今日も展開しています。
終わってしまえば、そのどれもが夢のようなもの。
さて、今日も生きるとするか。
・・・・・・・・
捨て猫たちのレスキューに、たくさんのご支援ありがとうございました。
おかげで避妊手術だけでなく、怪我や病気の猫たちの治療費も確保できたと、みなさん喜んでくれています。
母親にとっての息子というのは特別な存在のようで、僕の顔を見ると元気になるのだそうです。
母は戦時中満州に行っていて、そこで終戦を迎えます。
ソ連兵の攻撃から逃れるために、幼子二人を連れての逃避行だったのですが、残念ながらその二人の子は死んでしまいます。
弔うことも許されず、小さな亡骸を鉄道のプラットホームに並べさせられたまま、銃剣につつかれてその場を立ち去らなければならなかった無念を何度も聞かされて育ちました。
僕自身は子供のころから、そんな母を救うために生まれてきたと思ったものです。
その気持ちは成人してからも消えることはなく、母のために生まれてきたことを信じて疑いませんでした。
あるとき、人にその話をしたとき
「馬鹿だな。人生は自分のためにあるんだ」
と言われ、ショックを受けたのを覚えています。
それくらい、母のために生きていることを信じて疑わなかった、そんな子でした。
いまは人生に対する理解が変わり、違う視点で母を捉えていますが、それでも心のどこかにはまだ同じ気持ちが残っています。
人生の意味は人それぞれが作るものですが、若いころの僕の思い込みと生き方は、あれでよかったのではないかと思います。
人生いろいろ
無数のドラマが今日も展開しています。
終わってしまえば、そのどれもが夢のようなもの。
さて、今日も生きるとするか。
・・・・・・・・
捨て猫たちのレスキューに、たくさんのご支援ありがとうございました。
おかげで避妊手術だけでなく、怪我や病気の猫たちの治療費も確保できたと、みなさん喜んでくれています。
Posted by Toshiro Abe at
08:25
│Comments(37)
2015年02月22日
道の二段階
メッセージは大きく2段階に分かれます。
最初は、真理の次元に目覚め始めた人に、どのようにそのことを追及するか、正しい方向性を示すことです。
正しい方向性とは、これから学ぶ真理への道が、新しい自我を強めていくことにならないようにすることへのアドバイスです。
昨日の夜、オウム真理教についてのTV番組をやっていました。
僕は最後しか見れませんでしたが、彼らの最も大きなミスは、修業を通して特別な人になろうとしたことにあります。
オウムについては、決してマスコミや社会が触れない観点からお話しする機会を設けることにします。
しかし、事件を起こさないまでも、新たに自我を強化するスピリチュアルの教えのいかに多いことか。
悪意ではなく、教えている側がその段階にあるので致し方ないことです。
一時は、自分が成長したような気になりますが、また元の木阿弥だということに直面する日が必ず来ます。
そもそも、第一歩目が間違っていたら、その先どこまで進んでも真理から遠ざかるばかりです。
この狭い道をいかに理解するかが学びの第一段階です。
そして、実際に真理を探究しだした人への次の教えは、いかに探求を止めるかということになります。
まったく矛盾するように聞こえますが、これが道の二段階です。
生意気なことを言いましたが、ここはとても重要なポイントです。
話の内容が本質的になってきているのは、自分自身の変化というよりは、時代の変化と、ここに集まる人たちの質的な変化だと思います。
機が熟してきたのだと思います。
今日の昼からは東京講演会。
その後は、向老師とTHE禅アカデミーのサットサン(サンガの集い)があります。
最後は、瞑想のフォローアップの会、すべて同じ会場で行われます。
多くの方たちと時空を共にできることを感謝します。
合掌
最初は、真理の次元に目覚め始めた人に、どのようにそのことを追及するか、正しい方向性を示すことです。
正しい方向性とは、これから学ぶ真理への道が、新しい自我を強めていくことにならないようにすることへのアドバイスです。
昨日の夜、オウム真理教についてのTV番組をやっていました。
僕は最後しか見れませんでしたが、彼らの最も大きなミスは、修業を通して特別な人になろうとしたことにあります。
オウムについては、決してマスコミや社会が触れない観点からお話しする機会を設けることにします。
しかし、事件を起こさないまでも、新たに自我を強化するスピリチュアルの教えのいかに多いことか。
悪意ではなく、教えている側がその段階にあるので致し方ないことです。
一時は、自分が成長したような気になりますが、また元の木阿弥だということに直面する日が必ず来ます。
そもそも、第一歩目が間違っていたら、その先どこまで進んでも真理から遠ざかるばかりです。
この狭い道をいかに理解するかが学びの第一段階です。
そして、実際に真理を探究しだした人への次の教えは、いかに探求を止めるかということになります。
まったく矛盾するように聞こえますが、これが道の二段階です。
生意気なことを言いましたが、ここはとても重要なポイントです。
話の内容が本質的になってきているのは、自分自身の変化というよりは、時代の変化と、ここに集まる人たちの質的な変化だと思います。
機が熟してきたのだと思います。
今日の昼からは東京講演会。
その後は、向老師とTHE禅アカデミーのサットサン(サンガの集い)があります。
最後は、瞑想のフォローアップの会、すべて同じ会場で行われます。
多くの方たちと時空を共にできることを感謝します。
合掌
Posted by Toshiro Abe at
09:20
│Comments(61)
2015年02月21日
無題
何か一言でも書けば乖離してしまう。
あなたはすでにそれそのものであり、大した秘密など何もないのです。
ただ目の前のいまがあるだけ。
それだけです。
あなたはすでにそれそのものであり、大した秘密など何もないのです。
ただ目の前のいまがあるだけ。
それだけです。
Posted by Toshiro Abe at
16:16
│Comments(45)
2015年02月20日
かんながら
今日はTHE禅アカデミーのことで忙しくしていました。
さらには朝から、瞑想伝授を受けに多くの人たちが我が家にやってきてくれて、あっという間にこの時間になってしまい、ブログを書く時間がありませんでした。
いまも別室では、初めてのマントラを受け取る10人が、静かに伝授を待ってくれています。
不思議な力とのご縁を取りもたせてもらえて、とても光栄に思います。
1月31日、THE禅アカデミー発足のご報告に、奈良県の山奥にある天河大辨才天社で奉納演奏させてもらいました。
その時の動画が完成して、今日はそれを会員サイトにアップしました。
北は北海道から南は沖縄まで、会員1000人を代表した100人の仲間と共に捧げた奉納でした。
美しい吉野熊野ヒノキの神殿と、紫色の幕と、真っ白な雪が見事に調和し、まるで異次元のような映像に、我ながらしばし時間を忘れて見入っていました。
そのご神事が終わった後、柿坂宮司と向老師と共に短い講演をさせてもらったのですが、
その動画を改めて見てみると、その中で柿坂宮司が、
清らかで
明るくて
素直で
正しい
これすなわち、かんながら。
と仰っていました。
この心こそが、かんながら。
何も難しくない、元のありのままの心です。
学歴もなく、専門分野もなく、コネもなく、お金もなく、何もなかったにも関わらず、いつも幸運に恵まれてきたのは、完璧ではないにせよ、このような気持ちを少しは持っていられたからだと改めて感謝しました。
天河神社は、空海、最澄をはじめとして、日蓮、法然、道元など、各宗を始められた祖師たちの霊場であり、仏教とも大変縁の深い聖地です。
向老師も、この度のご縁に大層喜んでおられた姿が印象的でした。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
か・ん・な・が・ら
さらには朝から、瞑想伝授を受けに多くの人たちが我が家にやってきてくれて、あっという間にこの時間になってしまい、ブログを書く時間がありませんでした。
いまも別室では、初めてのマントラを受け取る10人が、静かに伝授を待ってくれています。
不思議な力とのご縁を取りもたせてもらえて、とても光栄に思います。
1月31日、THE禅アカデミー発足のご報告に、奈良県の山奥にある天河大辨才天社で奉納演奏させてもらいました。
その時の動画が完成して、今日はそれを会員サイトにアップしました。
北は北海道から南は沖縄まで、会員1000人を代表した100人の仲間と共に捧げた奉納でした。
美しい吉野熊野ヒノキの神殿と、紫色の幕と、真っ白な雪が見事に調和し、まるで異次元のような映像に、我ながらしばし時間を忘れて見入っていました。
そのご神事が終わった後、柿坂宮司と向老師と共に短い講演をさせてもらったのですが、
その動画を改めて見てみると、その中で柿坂宮司が、
清らかで
明るくて
素直で
正しい
これすなわち、かんながら。
と仰っていました。
この心こそが、かんながら。
何も難しくない、元のありのままの心です。
学歴もなく、専門分野もなく、コネもなく、お金もなく、何もなかったにも関わらず、いつも幸運に恵まれてきたのは、完璧ではないにせよ、このような気持ちを少しは持っていられたからだと改めて感謝しました。
天河神社は、空海、最澄をはじめとして、日蓮、法然、道元など、各宗を始められた祖師たちの霊場であり、仏教とも大変縁の深い聖地です。
向老師も、この度のご縁に大層喜んでおられた姿が印象的でした。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
か・ん・な・が・ら
Posted by Toshiro Abe at
16:12
│Comments(25)