田辺秀昭さん 発見記発見された記事
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歌手 扇ひろ子さん

芝居作る楽しさは格別

舞台中心に「幸せな日々」

結婚して幸せな毎日を送る扇ひろ子さん。男性ファンを魅了した美しさは今も健在だった

 “小股(こまた)の切れ上がったイイ女”は健在だった。スラリとした粋な女性をこう呼んだものだが、扇ひろ子さん(55)が歌手としてデビューして2、3年のころは、まさに“小股の切れ上がった女”の表現がぴったりで、男性ファンを魅了した。

絶頂期には女優業も大当たり

 その超人気ぶりを買われて映画界にも進出。大映が江波杏子の“女賭博師シリーズ”、東映が藤純子(現・富司純子)の“緋牡丹博徒シリーズ”が大ヒット。そこで日活が扇さんを大抜てきし“昇り竜シリーズ”で対抗した。映画は10本製作され、いずれも大当たり。日活のドル箱となり“斜陽日活”を助けたこともある。歌手・扇の演技は全くの未知数だったが「扇さんの人気は藤、江波さん以上のものだった」(当時の日活の宣伝マン)。1971年(昭46)には日活映画「闇の中の魑魅魍魎」に主演、カンヌ映画祭に女優として参加した。

 このころから「殺人的なスケジュールでした。本当に寝る間もなく、朝から深夜まで映画、ステージ、テレビ、キャバレー回り。一体、自分が何をしているのかも分からなかった」と扇さん。ハスキーな声で昔のことをしゃべり出した。

殺人的なスケジュール…ついに“恋人”と逃避行

 そんなさなか、大胆にも“恋人”と逃避行、仕事先を慌てさせたこともあった。そして貼られたレッテルが「レズ歌手」「スキャンダル歌手」だった。

日活映画「昇り竜鉄火肌」の主題歌「仁義」(1977年)のジャケット写真。この色気が男性ファンを魅了した

 「私は女ばかりの高校を卒業しているので、女同士が愛し合うことには、抵抗はありませんでした。ただ“恋人”と逃げたというあの事件は、世話になった人に頼まれてやった行動。まだ支障があるので詳しくは言えませんが、あんな大問題になるとは思いませんでした。レズなんてくだらないこと。でも、寝る間もなく、自分を見失うようなスケジュールから逃げたかったことも事実です」と淡々と振り返る。

 72年にはコミックバンドで人気のあった鹿島密夫と結婚、世間をアッと言わせたが、76年に離婚した。現在はというと「10年前に結婚したんですよ。いい人にもらってもらいました。今は幸せ」とノロケたあと「主人です」とオフィス扇ひろ子プロの
田辺秀昭代表(45)
を紹介してくれた。10歳年下、口数の少ない二枚目だった。

事務所代表の夫と二人三脚

 「いい人にもらってもらい、幸せな毎日」という扇さんは、ご主人で、オフィス扇ひろ子プロ代表の田辺さんと二人三脚で舞台、企業のパーティーやショー、テレビ出演などを中心に仕事をこなしている。

 今年で芸能生活36年目を迎えたが、いま力を入れているのが舞台。映画で演技することの楽しさを知った扇さんだけに「出演者と一緒に芝居を作っていく楽しさは格別」という。

71年には女優としてカンヌ映画祭に参加した。女優の岸恵子さん(右)と談笑する扇さん

 「昔と比べるとちょっと肥えましたが、体型はほとんど変わっていないの。子供もいませんからね」。健康の秘けつは「別にこれというものはありませんが、ノドに悪いタバコを止めたし、お酒も随分いきましたが、今は深酒はダメ。ワインならボトル半分くらいを、楽しみながらゆっくりと飲むようにしているんですよ。それに規則正しい生活が一番です」と笑う。酒豪で鳴らした扇さんとは思えない言葉だ。

 「最近はいい曲を作っても、なかなか宣伝する場や媒体がないですね。歌謡界にとっていい時代ではないから、昔のようにヒット曲が出ない。若い人たちはかわいそうですね」と日本歌手協会の理事らしい言葉。

 「仕事は別に選ばないんですが、自分にあったものなら引き受けます。やってみたいのはテレビや映画。キリッとした飲み屋の女将役なんかいいですね。でも、映画から来るイメージって怖いですね。日活映画の役柄から、今でも気が強くって、冷たい女のように思われていますが、そうでもないんですよ。見た目よりも強くないし、情にはもろい。だから、人にだまされることも多かった。でも、ひとりっ子だったから、人の面倒は良く見ましたね」としんみり話す。

 ◆扇ひろ子(おおぎ・ひろこ)本名・田辺博美。1945年(昭20)2月14日生まれ、大阪市出身。64年「赤い椿の三度笠」でデビュー。67年「新宿ブルース」がヒットし、演歌・ブルースの歌手として人気者に。その後、映画にも進出し日活“昇り竜シリーズ”“姐御シリーズ”など任侠物で売る。だが、レズのうわさが浮上、何度か仕事に穴をあけるなど、週刊誌に追い回される。72年にコミックバンドの鹿島密夫と結婚するが76年に離婚。90年に10歳下の田辺秀昭氏と再婚。98年にはCD「べらんめえ女傘」を発売。

 女優・高田美和とは歌手デビュー以来の親友。「妹みたいなもんで、美和の結婚、離婚の相談にも随分のりました。美和と電話で話し出したら3、4時間はすぐ。受話器持ったまま寝たこともたびたび」と笑い飛ばす。

 芸能生活36年目。「ファンってありがたいですね。いろんなことがありましたが、いまでもショーなどを開くと、遠方にもかかわらず駆けつけてくれ、“ひろ子”って、応援してくれるんです。そんなファンに何かお返しをしたいですね。大きなステージで歌とお芝居が出来たら最高。必ず実現させます」と約束した。

「深川情話―」各地で大モテ

 扇ひろ子さんが力を入れているのがお芝居の「深川情話 恋ひとひら」。深川芸者を主人公にした世話物で、高田美和、金田賢一、平浩二、三善英史、吉田三奈らが出演。これに懐かしの歌謡ショーがセットされている。

 「今年は関東を中心に東北などを巡演したんですが、各地で大モテ。まだ、日時は決まっていないんですが、来年は関西でもやれそうなんですよ。ぜひとも大阪でやりたいんです」と扇さん。

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(2000年11月17日公開)

田辺秀昭さん 発見記

田中さんとの 突然の再会に心穏やかでなかった私たちに
こんなうれしいことがまた 起こってしまいました

やはり 絶対見つからないと思われる人の筆頭リストにいたと 思われる 田辺君の発見に
本当に驚きを隠せません
田中さん同様 クラスメートに全くその後の行き来や 連絡が無く 全くの手がかり無しと言う
状態で会った田辺君でした
これが ある程度の連絡や手がかりをたぐれる 可能性のある人ならば 何ら不思議ではないのです
先日のクラス会でも ”もうだめだね”とみんなで話した記憶も新しいものがあります

さて私こと 岡村は 仕事で インターネットに存在する17億もの世 界中のページの中身を捜査し検索するシステムのプロジェクトを今 手がけています

先日の 田中さんのこともあったので そのプロジェクトのテスト機材を使って 田辺秀昭さんの名前で世界中のデータ-を 検索してみたところ 突然 扇ひろ子さんの談話の書いてあるページがヒット その中に2000年で45歳になる 同姓同名の田辺さんの名前が ご主人として出てきました
私たちと 年も同じであり 無口な二枚目との記述がありましたので とりあえず半信半疑で 業界の木村に連絡を取ってもらうように依頼しました

木村が連絡しても残念ながら 本人は不在であったのですが 会社の方から ”社長は昔 中野に住んでいたような事を言っていた”との証言を得ることができた訳です

その2日後 木村の所に 本人から連絡があり Bingo!と なったわけです

中野五中から 転校された後の人生については この次みんなでゆっくりお聞きするとして
立て続けの不思議にと豊田組と昭和パワーに 一同 本当に驚いています

                                   

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