2つのアップル(5)
ジョンとポールとジョブズと林檎
ダコタハウスの薄暗いアーチから、ジョブズと、ソフトウエア・プログラミングの魔術師と言われたアンディ・ハーツフィールドは、大理石仕込みのロビーへ抜けていった。
「アンディ」
と興奮気味のジョブズは言った。
「キース・へリングにもウォーホールにも会えるんだぜ、信じられるかい?」
彼は、有名人が集まるヨーコ・オノの開くパーティに出席できる誇らしさでいっぱいだった。
「いや、全然。信じられやしないよ」
ジョブズの意見には同意すべし。決して長くはない付き合いだが、アンディはジョブズとの付き合い方を心得ていた。
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「エイリアン」や「ブラックレイン」で知られるリドリー・スコット監督の演出になるMacintoshのコマーシャルフィルムの一場面。小説「1984年」にインスパイアされたビッグブラザーの管理社会に対して、女性が反旗を翻す、つまり、IBMのようなエスタブリッシュメント会社から、一般市民にデジタル文化を解放する、と主張したこのコマーシャルは、フットボール会場で上映され、大絶賛された。それはもはや伝説的でさえある。全く余談だが、ジャニス・ジョプリンが在籍した「ビッグ・ブラザー&ホールディングカンパニー」は、この小説「1984年」の登場人物からとられたとか。アップルコンピュータってやはりロック文化に浸ってる
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ジョブズが、友人のスティーブ・ウォズニャックと作ったアップルIIに惚れ込んでアップルコンピュータに入社したアンディは、スティーブのお気に入りだった。ジョブズは、丸顔のこのコンピューターの申し子に、マッキントッシュの最も基本的なソフト、「ファームウエア」を作らせた。アンディ自身、一緒にいると途方もない夢を現実にできるという勇気を与えてくれるジョブズに魅せられていた。
「世界を変える」というのが、ジョブズの、ひいてはアップルコンピュータの根底に流れる思想だった。退屈な世界に変革を与えるための海賊なのだ、とジョブズはマッキントッシュの開発チームに語った。60年代のフラワームーブメントを引きずっている彼らの世代には、まだ「変革」「革命」「ヒップ」といった言葉が意味を持っていた。そしてジョブズのもつ、時には嘘や間違いにさえ真実味を与えるカリスマ性が、これから社会を動かそうとしているアンディをして心酔させた。
しかし、そんなアンディさえ、ジョブズの気紛れや強引さ、独裁的とも言えるほどの非情さにはいささか呆れ果てていた。機嫌が悪い時に、自分の気に入らない提案をした、というだけの理由で社員を首にする強引さ。一度言ったら絶対にひかない彼に逆らうなど、自殺行為もいいところだ。そのために、どれだけの人々がアップルコンピュータを不本意にやめさせられてか知れやしない。それはあまりにも愚かで、無駄な行為だ。
ジョブズには何かが欠けている
アンディは、ジョブズのその強引さが、弱さの裏返しでもあることを知っていた。彼は時代を代表するカリスマの一人だった。機嫌の良い時はどんな人でも心をとろかされるような笑顔を浮かべる。冷静に考えればとてもありそうもないことにも説得力を与え、話を聞き入る人々を感銘させる不思議な魔力がある。
そんな能力があるにもかかわらず、ジョブズには何かが欠けていた。米国の代表的な経済雑誌である「フォーチュン」誌に優秀な経営者として讃えられ、ハンサムで、ブルックスブラザースのスーツできめて、メルセデンスベンツを乗り回すほどの身分を得た前途有望なこの男には、時に心の均衡や安定を保つための何かが決定的に欠けていた。それが何なのか、アンディには分からなかった。
2人は、12フィートはあろうかというほどの高いドアのエレベーターに吸い込まれていった。内装が木造で、押しボタンがブロンズのケースに入っている古めかしいエレベーターは、西海岸育ちのジョブズには見なれないものだった。ジョブズはアンディに
「ピアノの音が聞こえなかったか」
と聞いた。エレベーターの中でそんなものが聞こえるわけがない。アンディはそう答えた。もっともだ、と白昼夢でも見たかのような自分の言葉を恥じたジョブズは、それでも言い訳をしたくて、
「幽霊でも出そうだな」
と呟いた。
「まったく」
そうアンディは答えた。
そしてその日、ジョブズはジョン・レノンの亡霊に会った。
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