「これまでの支援に感謝します。これからは事業のパートナーになってほしいんです」

 岩手県陸前高田市の佐々木信秋さん(32)が訴えた。県が地元のNPOと首都圏の企業を結ぼうと昨年12月、東京で開いた交流会でのことだ。

 佐々木さんは一般社団法人「SAVE TAKATA」の代表理事だ。東日本大震災で津波に直撃され、市街地が壊滅したふるさと。被災者支援から始めた佐々木さんの活動は今、街づくりを見すえる。

 市内で栽培されているリンゴの生産を増やし、ジャムやジュースにして販売する事業を本格的に展開したい。

 ユニークなのは、その担い手として市外の若者、とりわけニート(働いたり通学したりしていない人)を呼び込んで再出発を助けつつ、震災で人口減と高齢化が加速する街に若者を増やそうとする点だ。

■支援頼みには限界も

 助けを頼むだけでは、もう企業には振り向いてもらえない。活性化という地域の課題に、ニート支援という日本社会の課題を組み合わせれば、陸前高田と縁がない会社にも力を貸してもらえるのでは。そんな思いも込めた提案だった。

 東日本大震災から4年。岩手、宮城両県を中心とする沿岸部では、海沿いの低地をかさ上げし、高台に住宅を造る土木工事が進む。その中心となる土地区画整理事業は、50地区で1400ヘクタール余、東京ドーム300個分に及ぶ。が、それは街づくりへの第一歩にすぎない。

 大震災で1万8千人を超える死者・行方不明者を出した後、被害が大きかった40余の市町村の大半で住民の流出が加速している。被災前と比べた人口減は全体で7%に迫り、10市町では減少率がふたけたに達する。

 そんな状況下で地域を再生させるには、新しい産業が要る。収益に目配りしつつ事業を継続・拡大していくノウハウがある企業の力が欠かせない。

 経済界は、大手を中心に寄付やボランティア派遣、被災地産品の購入など、企業の社会的責任(CSR)活動の一環としてさまざまな取り組みを続けてきた。が、丸4年が経ち、関心の低下は否めない。出費がかさむ純粋な社会貢献ほど、株主を意識すると続けるのは難しい。

 ここは考えを進めて、自社もメリットを得られる事業を工夫できないだろうか。過疎化が進む被災地は、魅力がある市場とは言い難いかもしれない。それでも、あえて飛び込む。自治体や地元の事業者、NPOとひざを交え、具体的な活性化策を話し合い、新たな発想を取り込む。安定志向に傾きがちな社員の意識を揺さぶって、新規事業のヒントを得る。そんな投資事業と位置づけられないか。

■CSR発で商品開発

 実践例は皆無ではない。

 資生堂は震災翌年の12年、創業140周年を機に自社のトレードマークのツバキとからめた支援を検討した。「市の花」がツバキの岩手県大船渡市には、ツバキの実から搾った油を使う文化が残り、震災前からツバキを生かした街づくりを目指していたことを知った。

 街にツバキを増やし、観光地としての魅力を増す。ツバキ油を多く確保し、産業化への土台を整える。「10年先を見すえた街づくり」を掲げて始めた支援活動は、植樹、ツバキを身近に感じてもらうイベントの開催など、地道な試みが続いた。

 CSRから具体的な事業へと、歩を進めたのは昨年秋だ。大船渡市に残るわが国最古ともいうヤブツバキの花の香気を採取し、それを自社の研究所で再現して、香水として発売した。売り上げの一部を寄付に回す。仮設住宅での聞き取りで「なかなか寝付けない」と訴えられ、リラックスできる香料の開発を目指したことがきっかけだったが、予定の5千本を完売して追加販売に追われている。

 資生堂のような取り組みがもっとあっていい。

 宮城県の東部、太平洋に突き出た牡鹿半島の付け根に広がる女川町は、「女川を実験場に」と企業に呼びかけている。

■工場誘致よりも知恵

 この4年間の人口減は3割に迫り、被災市町村の中で最悪だ。かさ上げなど基盤整備では先行し、今月下旬にはJRと女川駅の再開に合わせて「まちびらき」を宣言するものの、危機感は強い。

 駅前商店街の再開に先んじて、近く「フューチャーセンター」を開く。町内外の誰もが集い、意見を交わしつつ、事業を生んでいく拠点だ。官民のつなぎ役としてセンターを運営するNPO法人「アスヘノキボウ」代表理事の小松洋介さん(32)は「企業には、もうける種を探しに来てほしい。工場誘致よりも知恵です」と訴える。

 被災地の街づくりはこれから本格化する。企業にできること、企業にしかできないことが、被災地にはある。