「モテたい」ー古今東西、時空を越えて"男"が考えてきたことだ。世之介からカサノヴァ、ド田舎の中坊まで。ちょっと今回は男性のモテを語りたいので女性のことは横に置かせてほしい。
モテる。モテない。
ーこの世界を真っ二つに切り裂く言葉はすごく曖昧なもので、これがけっこうな悲劇を生んでいる。女性の評判がすこぶる良い。彼女が途切れない。セックスが好きなときに出来る人。これらは「モテる」として絢爛にラッピングされる。安全圏の下馬評、孤独に耐えられない奴、詐欺行為が上手いだけかもしれないのに。
Advertisements
自分は「モテ」を考えたときに、ひとまず「魅力的に振る舞えること」と同義に捉えている。
漠然と「モテる人」を想像したときに彼らに表面上の共通点は少ない。イケメンもいれば雰囲気フツメンもいる。むちゃくちゃ話し上手もいれば、相槌だけが異常に上手い奴もいる。イカツイ奴もいれば、女の子のように線が細い奴もいる。だけど、「モテそう」というのは何となく厳然と存在する。
それは乱暴に彼らをくくったときの、なんとなく「こいつはモテる」というのはそいつが「魅力的に振る舞っている一面」を見た結果に俺には思えるからだ。自分にはこの定義がしっくりとくる。
そしてその振る舞い方は彼らそれぞれのスタイルがある。"魅力的"には「場」「相手」のふたつの側面がある。男同士では人気者なのに、女に対しては上手くいかないのは、どっちかの要素でその魅力が崩れているケースだ。立てなければいけない同性がその場にいるだけで急にモテなくなるのはあるあるだろ?
では「魅力的とは何か?」だけど、<あるがままでありながら雄弁に語っているもの>をその人が持っていることなんだと思う。これは「ありのままの自分でいい」とはかなりニュアンスがちがう。背伸びもてらいもなく、卑屈さも迷いもなく、ポジティブに相手にぶつけられるもの。それは「世界の捉え方」であったり、「対人への気配りの解像度」であったり、「ダンスがクソ上手い」であったり、単純に「容姿」や「金」であったりするのだろう。
『バキ』というハードボイルド・ギャグ漫画にこんなシーンがある。刑務所No1のオリバさんが、No2のゲバルくんと初めて退治した際に「良い顔つきだ。自分の実力をそれ以上でもそれ以下でもなく、そのままに出している。こんな顔はなかなか出来ない。」と言うんですよ。これはすごく分かりやすい例だと思う。ゲバルはモテる。
少し話を変えると、俺は男向けの恋愛記事を書いてきた関係でクソ凄腕と思われてるんだけど、別にそうではなくて、自分のスタイルを持っているだけだ。口がさけてもすべての人からモテまくるなんて言えない。もう少し具体的に書くと、「好奇心が強い女の子」と「(対人スキルはやわらかくても)自尊心をきっちり持っている女の子」に対して魅力的に振る舞うことに長けている。「気の良いニイチャン」として年下の男女に慕われる振る舞いに長けている。
逆に、自分のスタイルがハマらない相手に歯牙にもかけられない経験はたくさんしている。こっちは同じ人間なのに相手の評価はまるっきり変わってしまうものなのだ。これは異性だけでなく、同性もそう。ゴミクズのようにおもんない相手だと思われることはちょくちょくある。(もちろん社会人的なリスクヘッジ優先の付き合いの範疇で良いのであれば、仕事関係の人に嫌われたことはないけれど。)
まず、何であれば自分は、背伸びもてらいもなく、卑屈さも迷いもなく、相手にポジティブな何かをぶつけられるだろう?ありえないと思うかもしれないけど、俺は6-7年前はイーストウッドの映画がいかに素晴らしいかを熱く語って女の子を口説いてた。目がキラキラしてくれたらこっちのものだ。今ならば今治タオルか吊るし機で編んだTシャツの話で口説くだろう。
「何を語る」かでなく、「どんな風にあなたが語っているか?」を相手は感じ取っている。
逆に、どんな話題であれば素直に相手から聞いてみたいと思えるか?相手を魅力的だなぁと思いながら聞いていられるか?そこに相手が魅力を感じ取ってくれる媒介になるものが存在している。自分の場合は自分が見えていなかった「ゴキゲンな生き方」をしている人の言葉を聞くのがたまらなく好きだ。
まずは自分にとっての魅力のタネを自覚することがモテの始まりに俺は思う。いわゆるモテないタイプの人はそれを見つけられず、他人に表現できず、言い訳をせざるをえない状況に追い込まれてしまっている気がする。背伸びもてらいも卑屈さも迷いも捨てられるようになること。それが出来ないと、ステータスや金銭に寄ってくる蛾のような女性たちに翻弄されて、自分を見失うようなオッサンになりえてしまう。
そして、やっぱり大事なのは<万人から好かれることは不可能>ということを強く実感できるようになることなんだと思う。それがすべての幻想とか妄想を打ち砕く鍵になる。「愛されたい」「嫌われたくない」は多かれ少なかれ、誰にでもある感情だけど、それに振り回されてしまうからおかしなことになる。諦念と中庸の美。
そう思えるようになるための「はじめての異性の承認」が必要な段階の人もいるかもしれない。だけど、自分が魅力的に振る舞えるようになるスタイルを持ったあとでも、それは変わらない事実であること、だからこそ世界は世知辛くて、たまらなく面白いと俺は言っておきたい。
ちょっと今回は触れられなかったけど、最初のステージを抜けたあとには「自分が刺さる相手だけを予めフィルタリングして相手を選ぶ」か「なるべくどんな相手にでも対応できるように自分のスキル・キャパシティを向上させる」かの選択が出てくる。これは最良のマッチングの観点でも、どちらが欠けすぎてもいけない重要な両輪であることは間違いない。
これを読んだ人が自分にとってのスタイルになりえるのは何かを考える一助。もしくは他者から魅力のカケラを盗むときの眼差しの一助になってくれればと思って書いた。