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クリスマスローズにスズランを 作者:凛桜

1

 夜半に降り出した雪は眠るように横たわる一人の女の上へ、まるで薄衣を掛けたようにうっすらと積もった。
 一面の白に反射した光が彼女の黒髪を照らしている。
 音すらも包み込む静かな雪の中、一人の男が近づきそのまま彼女の脇に屈み込んだ。それに合わせ装身具が冷たい音をかすかに鳴らす。
 男は剣をしまうと目を閉じたままの女の息を確認し、彼女を抱え上げた。青白い頬に血の気はないが、少なくとも生きている。急がなければ――。
 力強く雪を踏みしめ、男は足早に来た道を戻っていった。 


***


男は人里離れた辺境の地で一人暮らしをしていて、女の世話をすることには不安があったが、あのまま見過ごすことは男にはできなかった。
それに男の住まいは狭いが、普段からきちんとした生活をしているため、女を連れ帰ることに躊躇いはしなかった。

外套を脱ぎ剣を置いた後、なるべく肌を見ないようにしながら、女の着ているものをなんとか脱がせた。
本当なら体を拭いた方がいいのは分かっているが、気恥ずかしさから男には無理だった。
寝台に横たわらせ毛布で包むと、暖炉で薪を燃やし部屋を温める。

脱がした女の衣服を乾かすために広げると、女性用の衣服には縁のない男でも、随分旧いような印象を受けた。
薪が燃えるパチパチと音が静寂に木霊する。
男は女の枕元に座り、未だ血の気が戻らない顔を見つめた。
まるで精巧な人形のようなその顔は、確かめたはずの呼吸を再度確認したいという衝動にかられる。

男の疑念とは裏腹に部屋の中が温まっていくと、女の顔にも徐々に赤みがさしてきた。
年の頃はおよそ十七、八歳だと思われる。
何処から来て、何故あのような場所に倒れていたのか。疑問は尽きない。それに加え、男は黒い髪を持つ人間を見たのは初めてだった。
とにもかくにも、先ずは女が意識を取り戻さなければどうにもならない。

このまま女の顔を見つめていても仕方がないので、男は日の始末をし自分も休む仕度をする。唯一ある寝具は女に与えたから、適当な布をいくつか用いて簡易の寝床を用意した。完全な防寒には程遠いが、なんとかなるだろう。
目が覚めてからは、いつもと違う日々になりそうだった。




明くる日、男は自宅の屋根から雪が滑り落ちる音で目が覚めた。薪は既に灰になっていて部屋の中は冷たくなっていたが、朝特有の清涼な空気に満たされていた。
いつもより寒さを感じ、そのことに寝ぼけた頭が違和感を覚えた。そして昨夜女を連れて帰ったことを思い出し、ハッとして体を起こした。
慌てて女の様子を窺うが、未だに眠ったままだった。そのことに男は妙に安堵を感じた。

男は女の傍に行き、口元に手のひらをかざし呼吸をしてることを確認した後、寝具の代わりにした布を片付け室内を温め、お湯を沸かした。
お茶を飲み一息つく。女の分も用意したが、それらの物音がしたにも関わらず、女が目を覚ます事はなかった。

男は一向に目覚める気配のない女のことが気になったが、日々の糧のためにも仕事を休む訳にもいかず、後ろ髪引かれながらも仕度をして出かけた。


***


男の生きるこの国は偏見と差別に満ち溢れていた。その中で男は身分ある立場の二人の間に生まれたが、直後に手放され孤児として育った。凶兆として忌み嫌われる双子であり、母親の腹から二番目に取り上げられた。それが理由だった。

貴族の落胤らが集められた孤児院で男は育ち、後に働ける年齢になると直ぐにそこを去った。
この国の綻びは、子供だった男の目にも隠しようがないほど、目に見えて顕著だった。

王族の王位継承権争いや、繰り返される貴族たちの覇権闘争で、多くの血が流れ過ぎた。
そんな弱体化した国を他国が放っておくはずもなく、更に多くの国民の血が流れ、生命が奪われた。
人々は疲弊し、目からは光が失われ常に悲哀の色が見え隠れしていた。
それは男が成長した現在、尚更顕著になっていて、最低限の秩序すら危うくなっていた。そしてそれらを嫌ったが故に、男は人里を遠く離れ辺境の地で暮らすことを決めた。
最初は慣れるのに多少苦労はしたが、人々のあの様を見続けることに比べれば、ましだった。

独りで居ることが男にとっての普通だった。
それが……。




男が家に帰ると、未だに女は眠ったままだった。
そしてそのまま数日が経過しても、女が眠りから目覚めることはなかった。

想像だにしなかったことが起こったのは、身じろぎすらせず眠ったままの状態に、流石に違和感を感じた五日目のことだった。

その日は朝から吹雪いていて、男は外出を止めて未だ目覚めない様子の女を眺めていた。

ひとつ息を吐き女から視線を外し、他のことをやろうと踵を返した時、揺らめく光りを視界の片隅で見た気がした。
振り返ると女の身体の上空に女と瓜二つの容貌と、男が脱がした衣服と同じものを着た半透明の存在が浮かんでいた。

男は暫くの間身動きもできず、茫然自失状態だった。それもそのはずで、黒髪の人を見たのも異様なら、男にとって今目にしていることは、正に非現実的であり得ないことだった。

しかし男の意に反し、これは紛れもなく現実だった。

空中に浮かんだ人物が男をじっと見つめていた。

その、もの問いたげな視線を無下にはできず、男は深く息を吐いてからその存在に声をかけた。

「君は、なんだ?」
「……」

問いかけてもただ男を見つめ返すだけで、表情ひとつ動かない。
どう考えても、眠っている女と同一人物としか思えなかったが、どういう原理でこうなっているのかは当然全く分からない。

「俺の名はケインだ。……君の名は?」

今一度問いかけてみると、今度は首をかしげるという反応があった。

確かに反応はあった。だがしかし、これは……。
言葉が通じないのか、あるいは口がきけないのか。どちらかは分からないが、この反応を見て益々厄介なことになった。そう思わざるをえなかった。


***


あの日半透明な人物が現れてから、数日が経っていた。その間男、ケインはその奇妙な存在と生活を共にしていた。
結果としてケインの予想は当たった。
それももっと悪い方に。

女は相変わらず眠ったままだったが、半透明の人物はまず間違いなく、女と同一人物という結論に至った。
外見もそうだが、どちらもこの世界にはあり得ない人としての存在。それにつきた。
そしてやはり口をきくことはできないみたいだが言葉は理解できるようで、それに関しては不幸中の幸いと言えた。

完全に断定ができないのは、この人物どうやら記憶を失っているらしい。何を問いかけても首をかしげる仕草で、当初は意思の疎通もできないのか、と途方にくれた。だが問いかけを繰返していくうちにある共通点、名前やどこから来たのか、何故こんなことになっているのか、という問い以外には他の仕草もするようになり、それが問いかけへの答えにもなっていた。

どうりで反応がおかしかったはずだ。
仮にでもこれから共にいる存在に名前が無いと不便だから、とりあえず昔孤児院で生活を共にし、大人びた様子でケインのことを見ていたリサの名前を借りることにした。


半透明だからか、伸ばした手もすり抜けてしまい、リサには触れることもできなかった。だが何故かリサはいつもケインの傍らに付きまとうようにしていた。それもあって扱いにもとても困惑したが、リサには食事や湯浴み等人間が生活する上で欠かせないことが必要なかった事もあって、現状ケインでもなんとかなっている。
記憶を失っている所為か不思議そうに首をかしげたり指で差し示す事が多く、その度に説明する、という感じで日々をやり過ごしていた。

本当はもっと色々な事を深く考え、調査して動かなければならないと思うのだが、事象が既にケインの許容量を越えている所為か、はたまた一種の異常な心理状態だからか。
〝普通ではない〟リサという存在が、ずっと一人だったケインの心にピタリとはまったかのような、ある種の錯覚さえ覚えていた。
それ故に割りと安穏とした毎日だった。
リサの実体が未だに目覚めない事以外は。

毎日呼吸や体温を確認していたり、リサの肉体を決して疎かに思っているつもりはないが、その事以上にこの半透明なリサの事が衝撃的だった所為か、二の次になってしまったのは否めなかった。
肉体の頬に赤みもあり呼吸や鼓動等に異常がなく、ただ眠り続けているだけだと判断できる状態なのもある。
ただ、本来であればその状態ももちろん特殊な異常事態ではあるのだが。



***



朝起きて糧を得るために出掛け、家の中のことをやる。
言葉で表すと一見今までと同じ単調な日々だった。
だが寝台にはリサの実体が眠り続けたままで、ケインは新たに手に入れた寝具で休むようになった。そして傍らには半透明だがリサが居る。言葉を交わすことこそできないが、その存在をいつも身近に感じている。
ケインはそのことに言葉にできない充足感を覚えていた。

その思いが変化していっているのを自覚したのは、リサの表情や動作が豊かになり、言葉がなくても意思の疎通に全く問題がなくなって暫くした頃だった。

最初はこの感情を、自分では気づかないうちに一人で居ることに辛さや寂しさを感じていたのか、と思った。だから歪なかたちでも誰かと生活を共にすることで、安堵し満たされたように感じたのだと。
だが違った。

そうではないことがはっきりとわかったのは、暖かくなってきたある雪解けの日のことだった。

その日の朝いつも通り仕度をして出掛けようとしたら、突然リサの表情が曇り玄関を塞ぐようにしてケインの前に立ちふさがった。そして首を横にふり必死の様子で何かを訴えてくる。
ここ最近では珍しく意思の疎通が上手くいかない。しかしリサと違いケインには生活するために糧を得る必要がある。だから気にしつつもそのまま出掛けた。

だがリサの必死のな様子と、辛そうに歪んだ表情が、目的地に向かう間いつまでもケインの心に残っていた。

そして向かった先でいつもと違うことが起こった。

ケインは自分が必要とする最低限のものを、その剣で獲ていた。昔からあの人々の様子を見ていたから、絶対に必要以上に力を行使しない、と決めていた。
だからその時も、必要最低限の動作で獲物を捕獲しようとしていた。だが狙いを定めた瞬間急に暖かくなったことが原因と思われる雪崩が起こった。
ケインは音に気づき振り向いたが、避ける間もなく重い雪の下に埋もれた。

自分はこれまでか、とケインは覚悟をした。
ずっと一人で単調で静かな日々を過ごしてきたから、なんとなくだが漠然と覚悟はしていたはずだった。
女にが現れるまでは。
その時リサのことが走馬灯のように脳裏をよぎった。
最初の頃のなんにでも不思議そうに首をかしげる様子だったり、笑ったり拗ねたり、徐々に豊かになっていった表情や動作。
そしてあの、出掛ける時の最後の辛そうに歪んだ顔が。

リサを残して逝きたくない。
もっとリサの傍らに居て色々な表情を見たい、離れたくない、とケインは強く思った。

その思いが何処ぞに届いたのか、あの日リサが出現した時のような光りを閉じた目蓋の奥に感じた気がした。
果たしてそう感じたのは正しく、身体に温かい熱のようなものを感じたと思ったら、いつの間にか重くのし掛かっていた雪も、体の下に積もっていた雪も溶けいて、うつ伏せ状態のケインの周囲だけぽっかりと空間が空いていた。目を開けるとその場には小さい草花が咲いていて、まるでまだ先のはずの春が、ひと足先にケインの周囲にだけ訪れたようだった。

そして体を起こして視線を向けた先に、今にも泣き出しそうな表情をしたリサが居た。

否、実際に泣いていたのかもしれない。
声という音もなく、涙という雫もないままに。

リサはケインの首に腕を回すようにして抱きつかれ、首筋に顔を埋められた。
感じられないはずの温もりを、確かにその瞬間だけは体で感じた気がして、ケインもそっと実体ではないリサの体を包むように腕を回し、抱きしめるようにした。

何が起きたのか全くわからないままだが、リサが自分の命を救ってくれたのだと、疑う余地もなく自然に受け入れていた。

ケインはこの時に、自分の気持ちをはっきりと自覚し認めた。
この不可思議な存在であるリサが、自分の中でとても大きな位置を占めていて、大切だと。





あの後リサに抱きつかれたままの状態で帰宅したが、最初の頃以上にリサが離れずにそのままの状態で困った。
もちろん、重さや肌の温もり、凹凸を直に感じられないからなんてことはないはずなのだが、自分の気持ちを自覚したケインにとっては、たとえそれらが感じられなくても、何かくるものがあった。

それでも、このことで自分がリサに必要とされているのだと思うことができた。
それがただの刷り込みからくる依存だったとしても、いつの日かまた、光りの中へ消えていなくなってしまう存在だったとしても。
それでもいいから、リサに傍らに居て欲しいと思ってしまった。

やはり自分は人恋しかったのかもしれない。
ケインはそのこともリサに自覚させられたのだった。
だからか、ケインは平常心でいられない時もあるのだが、リサはそんなケインの挙動不審になりがちな様子にも気がつく素振りもなく、それまでと何ら変わりのない日々を送っていた。




諸事情で散々迷ったのですが、企画に参加させて頂く事にしました。他の方々との筆力の差は本当に申し訳ないです。
色々事象が重なり完結まで時間もかかります。
すみません。
+注意+
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