余録:首相時代の吉田茂は月に1度…
毎日新聞 2015年03月09日 00時27分(最終更新 03月09日 00時28分)
首相時代の吉田茂(よしだ・しげる)は月に1度、神奈川県大磯(おおいそ)町の私邸で側近と食事をするのが習わしだった。「吉田13人衆の政治家が東京から3時間かけて大磯に向かったのよ」と益谷秀次(ますたに・しゅうじ)元衆院議長の秘書だった辻(つじ)トシ子さん(97)は振り返る。相模湾を見渡せる大広間に、和服の吉田がでんと座っていた▲のべ床面積900平方メートル超を誇った旧吉田邸は、6年前の3月22日に焼失した。戦後政治史の舞台が姿を消した衝撃は大きく、大磯町は火事の翌月に早くも再建構想を打ち出している。町内に募金箱を置き、全国に寄付を呼びかけた▲何しろぜいたくな建物である。総工費は5.4億円。険しい目標だったが、ふるさと納税などを利用して全国の約1300人から申し出があり、9000万円が集まった。これに財団の寄付2億円と国の補助金2.5億円を足して賄うめどが立った▲おととい、現地で工事開始の報告会があった。火事の前年までに詳細な実測調査を済ませていたのが不幸中の幸い。吉田自慢の応接間や地下室なども当時の材質で復元するという。完成は1年後だ▲吉田をめぐっては、占領期から独立回復までを取り仕切った政治手腕が評価される一方、貴族趣味や好き嫌いの激しさには悪評がついてまわる。ただ、その存在感の大きさは誰しも認めるところだ▲大磯の老舗かまぼこ店主、井上浩吉(いのうえ・こうきち)さん(81)が、吉田から「はんぺんのようで、はんぺんでないかまぼこ」の注文を受けた昔話を地元の小冊子に書いている。それらしき品を届けたが、吉田の要望は高級原料の沖ギス製だったため「注文と違う」と言われたという。いかにも吉田らしい。