東野真和
2015年3月11日14時46分
もう4年、そしてまだ4年。心を整理することなどできないまま、東日本大震災の被災者たちは「3・11」を迎えた。
盛岡市の濱田紀子さん(40)は11日、小雪が舞うなか、岩手県大槌町の墓を訪れた。祖母の百合子さん(当時89)、行方不明の母美代子さん(当時62)に祈りを捧げた。
あれから4年。いま、大槌町の人々と向き合っている。
町が昨年始めた「生きた証(あかし)」事業。犠牲になった1284人全員の人となりや震災時の行動を遺族らから聞き取り、記録に残す。そのスタッフの一人だ。
2月、大槌町の仮設商店街。近所の高齢男性を失った洋菓子店主に「悔しい」とぶつけられた。津波から逃げるのが精いっぱいで助ける余裕がなかったという。約1時間、濱田さんはうなずきながら、自分の心境と重ね合わせた。
震災時は盛岡市の国道工事事務所で勤務し、大槌町に足を運べたのは約1週間後。「なぜ2人を助けられなかったのか」。喪失感で働けなくなった。
1年後。生活のため職探しを始め、岩手産業保健推進センターでの面接が転機となった。不採用を伝える通知に「カウンセラーの資格を取ってみては」と手書きで記されていた。
面接で「被災者のために何かしたい」と話していた。被災者の心のケアが大切になる中、センターの川上明副所長が「盛岡の事務作業より、直接向き合う仕事の方がいい」と勧めた。
濱田さんはカウンセラーの資格を取り、事業に参加。これまで約10人の遺族と話した。洋品店を切り盛りした美代子さんや、教師だった百合子さんの生前の姿を耳にすることもある。
ふるさとの街も家族も失った4年前は、「私はどこから来たのだろう」と自分の存在さえあやふやな気がした。それが、亡くなった人が話の中で生き生きしてくると、なくなった街も現れ、自分が生き返った気がした。「自分自身のために、聞き取りをしたかったのかもしれない」
話すことに抵抗がある人もいる。今月訪れた40代女性は不安そうな表情を見せた。「3月11日が近づくと私も不安定になります」。濱田さんがそう話すと、女性は涙を流した。
4年という時間は人によって違う。「震災は乗り越えるものではない。心の整理がつくまで、癒やし合いながら前を向けばいい」(東野真和)
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