NHKスペシャル「もう一度“ふるさと”を〜岩手・陸前高田の4年間〜」 2015.03.09


本当に荒れた天気が続きます。
あすは広い範囲で風が強まって、猛吹雪の所もあるようですが。
山から切り出した土砂を運び出す総延長3キロの巨大ベルトコンベヤー。
東日本大震災の被災地岩手県陸前高田市で今被災地最大の復興事業が進んでいます。
総事業費は1,600億円。
かつて市街地があった平地部に高さ12メートルの土を盛り新たな町をつくろうという壮大な計画です。
あの日陸前高田市は津波で市街地のほぼ全域が壊滅。
1,800人近くが犠牲となりました。
震災後始まった復興事業です。
津波にのまれた市街地。
そこに広大なかさ上げ地を造成します。
その上に住宅地や商店街など新たな町をつくります。
去年の夏そのかさ上げ地の一部が姿を現しました。
復興の先頭に立ってきた地元商店街の店主たちです。
この4年間さまざまな壁にぶつかりながらここまでたどりつきました。
コンパクトシティーを目指してるけども…一度は町を去ろうとした人もいました。
大きな借金の決断をした人もいます。
それぞれの思いを抱えて新たな町づくりに挑み続けています。
津波にのみ込まれたふるさと。
その町に刻まれてきた4年という歳月。
陸前高田をよみがえらせようと前に進み続けた商店主たちの記録です。
震災前の陸前高田市です。
人口2万4,000。
古くから街道沿いの商人の町として発展してきました。
この町の中心部にあったのが…200年以上続いた町で最も古い商店街でした。
魚屋薬屋靴屋呉服屋。
軒を連ねるのは代々続く老舗の店。
祭りの時は総出で自慢の山車を引く絆の強い町でした。
商店街で味噌屋を営んでいた…皆家族のようだったと言います。
(井筒)これだね。
(取材者)どんな所だったんですか?大町?大町はね私が嫁に来た頃は道幅こんなに広くなかったのさ。
あの日最大17メートルを超える大津波が陸前高田の町に押し寄せてきました。
市街地の全域3,000戸を超える家々が流されました。
震災5日後の大町商店街です。
市街地の中でも特に壊滅的な被害を受け町内会169人のうちおよそ4割が犠牲になりました。
当時行方不明者の捜索に奔走した商店街の若手リーダー老舗菓子店の菅野秀一郎さんです。
50軒ほどの店が集まっていた大町商店街。
ほぼ全ての店で家族や親戚が亡くなりました。
津波を免れた人たちはある人は避難所に身を寄せある人は町を去り商店街はバラバラになりました。
壊滅的な状況となった陸前高田市。
復興に向けた歩みが手探りの中始まります。
8月新しい町をどうつくるか市が中心となって検討が始まりました。
当時住民たちの間では津波への恐怖から高台に住みたいという意見が半数以上を占めていました。
検討されていたのが山を切り開き高台に全ての町を移転する計画。
しかし現実的ではありませんでした。
3か月に及ぶ検討の末作成された復興計画の素案です。
あの日の津波は市街地があった平地部の全てをのみ込みました。
そこで海沿いには高さ12.5メートルの防潮堤を整備。
住民の声に応え山を切り崩し高台に住宅地の一部をつくります。
高台だけでは十分な土地を確保できないため平地部にはかさ上げ地を造成。
東日本大震災と同じ規模の津波が来ても町を守れる高さまで土を盛ります。
残りの平地部は緑地や公園として整備。
完成するまで8年を要する前代未聞の復興計画です。
この長期計画に対し住民からは戸惑いと不安の声が上がりました。
そんな中この計画に希望を見いだす人たちもいました。
大町商店街の若手リーダーだった…当時この町でまた店を開く事は難しいと思っていました。
しかし計画案の中の方針に目を留めます。
商店街のあった場所に造られる広大なかさ上げ地。
そこにかつての店を集め町の中心に据えると示されていたのです。
町が出来るまでの8年間資金をため店を再び開く。
そして商店街をよみがえらせる。
そう心に決めました。
一方なかなか前を向く気持ちになれない人もいました。
大町商店街で夫婦で居酒屋を営んでいた…阿部さんは津波で両親を亡くしました。
しばらく行方が分からず捜し続けたといいます。
夫と営んでいた小さな居酒屋は店の跡すら残っていませんでした。
そして丸ごと無くなってしまったふるさと。
気持ちの整理が全くできませんでした。
なんとか前に進もうと阿部さんは新たな仕事を始めます。
復興の情報を届ける臨時のラジオ局でお知らせを読む仕事でした。
次は住まいに関する電話相談についてお知らせ致します。
岩手県では住まいに関する電話相談窓口を設置しています。
応急仮設住宅の不具合…。
夫は別の町で仕事を始めましたが阿部さんは陸前高田に残りました。
傷ついたふるさとを離れる気持ちになれなかったのです。
2012年はがれき撤去の工事と共に始まりました。
このころ2万4,000だった人口は2万1,000になっていました。
大町商店街の人々も既に半数が陸前高田を離れていました。
残りの半数の人々は仮設住宅などでの暮らしを続けていました。
時には集まり励まし合っていた大町の人たち。
こうした中から再起の動きが始まります。
菓子店を営んでいた菅野秀一郎さん。
店の再開に向け動き出していました。
店舗はもちろん菓子作りの道具もレシピも全て流されてしまったため再建には数千万円の資金が必要でした。
妻と3人の子どもは仙台。
その生活費を稼ぎながら資金を工面していかなければなりません。
菅野さんが望みを懸けたのは国が作った支援制度グループ補助金でした。
被災した事業者がグループを組んで事業の再建を申請。
認められれば再建資金の1/4が補助されるのです。
しかしそのためには仲間を見つけ緻密な事業計画を立て膨大な手続きをこなさなければなりません。
そして何より3/3の自己資金を用意する必要がありました。
菅野さんは出張で菓子を焼く仕事などで食いつなぎながら準備に打ち込みました。
このころ町では残った建物の取り壊しが急ピッチで進められていました。
どの建物でも多くの方が亡くなっており遺族にとっては故人をしのぶ大切な場となっていました。
多くの人が複雑な思いで見つめていました。
居酒屋を流され災害FMの仕事に就いた阿部裕美さん。
両親が亡くなった体育館が壊された時の事を今も鮮明に覚えていると言います。
そして2013年陸前高田の町は更地となりました。
人々の暮らしがあった事を示すものはほとんど無くなりました。
このころ新たな動きが始まっていました。
プレハブで造られた仮設の商店の再開です。
大町商店街50軒のうち10軒ほどが再開にこぎ着けました。
4月菅野秀一郎さんも大きな一歩を踏み出します。
仮設の店舗で菓子店を再開しました。
準備してきた補助金の申請が認められたのです。
道具はほとんどが中古。
内装は仲間の工務店に助けてもらいました。
それでも補助金以外に自分で数百万円を工面する必要がありました。
どうぞ。
(拍手と歓声)駆けつけてくれたのはかつての常連客。
おはようございます。
(店員)おはようございます。
いらっしゃいませ。
いらっしゃいませ。
いらっしゃいませ。
2年ぶりに作った自慢のシュークリームです。
この日用意した700個はすぐに完売しました。
でも本当の挑戦はこれからです。
このころ菅野さんたちの前に復興のイメージ図が示されました。
広大なかさ上げ地に生まれる新たな市街地。
電車の駅が配置されその前が商店街。
大きなショッピングセンターもあります。
かつて店を構えていた商店主には元の土地の評価額に応じて等価交換で場所が与えられます。
大町商店街に加え被災した3つの商店街が一つになって新たな中心街をつくるのです。
そして明けた2014年ついに本格的な造成工事がスタートしました。
山から切り出した土砂を運び出す総延長3キロのベルトコンベヤー。
前代未聞の工事を実現させるため導入された切り札です。
高さ12メートル4階建てのビルに匹敵するかさ上げ地を築き上げていきます。
しかしそれは町の人々にとってかつて暮らした場所が土の下に消える事でもありました。
この日更地の一角に大町商店街の店主たちが集まりました。
ここはかつて商店街があった場所。
間もなく土砂の下に埋もれます。
これの市神様の…。
唯一当時のまま残っている商売繁盛の市神様の石。
(祝詞)はいご苦労さんでした。
ありがとうございました。
営んでいた居酒屋を流され災害FMで働く阿部裕美さん。
工事が始まってから毎日のように更地に足を運ぶようになったといいます。
確実に変わり始めた陸前高田の姿。
生まれ育った大切な場所が消えていこうとしていました。
このころ阿部さんは一つの番組に力を入れていました。
私と普通にお茶飲み話をしてるつもりで…。
震災前の陸前高田の歴史や文化をお年寄りに語ってもらう番組です。
町民運動会がありました時に応援歌練習するからどけ様に集まって下さいと。
へえ〜。
五本松じゃなく。
五本松に来て下さいっていう方もあるしどけ様に集まろうっていう方もある訳です。
へえ〜。
阿部さんは仮設住宅を回りながら人々が語る陸前高田の営みを記録しラジオで伝え続けました。
商店街復活に向けた取り組みは加速していました。
どんな商店街にしていくのか。
毎週のように話し合いが行われました。
ところが具体的な動きが始まる中さまざまな問題が浮かび上がってきました。
大町商店街で味噌屋を営んでいた井筒さん一家。
この日復興事業の担当者のもとへ足を運びました。
井筒さんたちは以前と同じ規模で店を復活させようと考えていました。
しかし思いも寄らぬ事を告げられました。
新たに渡される土地は30%減らされるというのです。
え〜!いや〜ちょっと…。
行政の説明はこうです。
今回の仕組みは震災前の土地の価値を当時の評価額で計算し同じ価値の土地を渡すというものです。
新たな町では多額の費用を投資し整備を進めるため震災前の土地より…そのため代わりの土地は元の広さより小さくなります。
自宅兼店舗での再開を望んでいた井筒さん。
30%減らされた面積ではかつてのような規模で商売はできません。
家に戻るとすぐに家族会議が開かれました。
えっ!?…なんだって。
なんと驚きの。
倒れるなよ。
何で?38坪ぐらい…。
ひどい話だ。
せっかくなあ…。
かさ上げ地の中心を担う事になる新たな商店街。
店が集まらなければ町づくりの根幹が揺らぎます。
仮設店舗で菓子店を再開した菅野秀一郎さん。
知り合いの店を回り始めていました。
訪ねたのは町で一番人気のそば屋。
店主の…店を切り盛りしていた父を津波で失いましたが店の看板を守り仮設店舗での再開にこぎ着けました。
及川さんもまた大きな問題に直面していました。
国の補助金が使えないというのです。
グループ補助金の対象は店舗などを自前で持っていた人。
及川さんは貸店舗で商売を営んでいたため建設費の補助を受ける事ができないのです。
だってねえ…。
菅野さんは一緒に知恵を絞っていこうと繰り返しました。
震災から3年半。
商店主たちの前に立ちはだかる壁。
仮設店舗での再開を果たしながらも新たな町への出店を諦める人も出てきました。
大町商店街で老舗の布団屋を営んでいた菅野幾夫さん。
震災の翌年には仮設店舗で商売を再開し布団のレンタル事業を始めていました。
菅野さんは新たな町での出店はしないと決断していました。
その理由は年齢でした。
菓子店の菅野秀一郎さんも店の売り上げは厳しい状態が続いていました。
震災から3年が過ぎ陸前高田の人口は更に減り2万を割ろうとしていました。
じゃあどうも。
ありがとうございます。
気を付けてね。
はい。
売り上げアップを図ろうにも機材が限られており商品の種類を増やす事もままなりません。
新たな町に店を出すためには1,000万円を超える自己資金を用意する必要があります。
それでも歯を食いしばるのには理由がありました。
更地の一角に折に触れ足を運ぶ場所があります。
かつて町の消防団の詰め所があった場所。
菅野さんは商店街の仲間と作る消防団の一員でした。
あの日多くの仲間たちが避難の呼びかけなどに向かい津波にのまれました。
菅野さんは親戚の様子を見に行ったため出動が遅れ結果的に津波を逃れました。
まあ出遅れたっていうのはちょっと…偶然生き延びた自分。
町がよみがえるまで諦める訳にはいかない。
そう思っていました。
震災から4回目の新しい年を迎えました。
資金問題に悩むそば屋の及川さんのもとを菅野さんは仲間と共に訪ねました。
あるアイデアについて話し合うためです。
例えばここおらいだとすんじゃん。
ここやぶでおらいだとすんじゃん。
それは新しく出来る町に共同で店を再建するという案でした。
市が貸し出す借地を使い4つの店が土地を隣り合わせに借ります。
この時店舗のすぐ前に4店が共同で大型の駐車場を借りるというのがポイントなのです。
買い物に車が不可欠なこの町では目の前に駐車場がある店舗が集客の面で圧倒的に有利です。
その駐車場を共同で確保する事でコストダウンを図ろうというのです。
更に共有のスペースを使って人の集まるサービスや仕掛けも考えていました。
補助金の問題が解決した訳ではありません。
それでも一緒に知恵を出し合い解決策を探っていくつもりです。
この日菅野さんは久しぶりに急ピッチでかさ上げ工事が進む造成現場にいました。
かつて店があった場所は既に土の下です。
災害FMの阿部さんは去年の暮れ特別なゲストを迎えていました。
高校2年生の…震災直後からこのFMの仕事を手伝ってきました。
震災で多くの友人を亡くした美南さん。
今は陸前高田を離れ別の町の高校に通っています。
(阿部)5秒前43…。
お帰り美南ちゃん。
ただいまで…ただいまです。
最初っからかんでるし。
何かかっこいいじゃないですか。
かっこいい!新しい町で主役となっていくのは美南さんたち若い世代。
この子たちにふるさとと呼べる町を手渡すために今があると阿部さんは考えています。
(美南)ちょっと私が思うのは…
(阿部)そうだったよね。
そう…
(美南)いえいえこちらこそ。
(阿部)分かりました。
(美南)お願いしますはい。
(取材者)それはどうしてですか?一から町をつくり直そうという前例のない取り組みが進む岩手県陸前高田市。
前代未聞のかさ上げ工事は今全体のが終わりました。
計画では新たな町の完成は4年後の2019年。
8年に及ぶ復興事業は今ちょうど折り返しを迎えたところです。
2015/03/09(月) 22:00〜22:50
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル「もう一度“ふるさと”を〜岩手・陸前高田の4年間〜」[字]

岩手県陸前高田市で進む総事業費1600億円をかけた被災地最大の復興計画。平地を12mかさ上げし、新たな故郷を築く壮大な計画に将来を託す人々。その4年間の記録。

詳細情報
番組内容
津波で市街地が壊滅した岩手県陸前高田市。いま総事業費1600億円という被災地最大の復興事業が進む。平地に高さ12mのかさ上げ地を造成し、新たな街をつくる計画だ。実は多くの住民は、津波への恐怖から内陸の高台への移転を望んでいた。しかし必要な面積を確保できず、やむなく平地をかさ上げすることになったことから、どれだけの人々が戻ってくるのか先の見えない状態が続く。震災から4年。揺れ動く人々の思いをみつめる
出演者
【語り】的場浩司

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 報道特番

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