おととしの1月から始まった「こころフォト」。
東日本大震災で亡くなった一人一人の命の尊さを忘れないために亡くなった方や行方の分からない方の「写真」と家族の「メッセージ」をお伝えしてきました。
ホームページに寄せられた写真とメッセージは300以上。
そこには歳月を経てなお募る家族への思いがつづられています。
「町で父に似た感じの人を見かけると」…大切な家族を亡くされた方たちの5回目の春を見つめます。
(大沢たかお)「あれから4年が経とうとしています。
あの日から弟のことを一度たりとも忘れたことはありません」。
メッセージを寄せてくれたのは…去年4月消防士になりました。
伸てい確保!確保よし!
(一同)13!14!消防士になったきっかけそれは4年前津波で大切な弟を失った事でした。
利英さんが暮らすのは宮城県石巻市。
4年前のあの日。
当時中学3年生だった利英さんは大きな揺れを感じ弟の秀和さんを小学校へ迎えにいきました。
そのあと兄弟は大切にしていた野球道具を取りに自宅へ。
そして知り合いの車で一緒に避難する途中津波に襲われました。
兄弟が津波にのまれた場所です。
この辺ですね。
車の中で利英さんは弟の手を固く握り締めていました。
それ少しでも落ち着かせようと安心させようと思って…気付いて流された家にたどりついた時に改めて…弟は2日後50メートル離れた場所で遺体で見つかりました。
なぜすぐ逃げなかったのか。
なぜ手を離してしまったのか。
自分を責め続ける日々が続きました。
秀和さんは3つ年上の利英さんを慕いいつもその背中を追いかけていました。
兄が打ち込んでいた野球をまねして始めるようになり時間を見つけては2人でよくキャッチボールをしていました。
兄弟にとって思い出の場所。
利英さんが当時所属していた野球チームです。
弟は兄の練習をよく見に来ていました。
そして震災の翌日このチームに加わる予定でした。
(利英)危ねえ!大丈夫か?「これはどうかな?」みたいな感じに思ってました。
(利英)そう考えればやっぱり残念ですね。
(選手一同)アウト!利英さんは今親戚に借りた家で母と暮らしています。
(利英)ただいま。
(由美子)お帰り。
お疲れさま。
マジ疲れました。
もうすぐ出来るよ。
はい。
女手一つで息子たちを育ててきました。
召し上がれ。
(2人)いただきます。
食卓には亡くなった弟の食事も並びます。
由美子さんは震災後一日も欠かす事なく秀和さんの食事を作り続けています。
由美子さんは秀和さんが津波で行方不明になったと知った時避難所で人目もはばからず泣き叫びました。
自宅があった場所には今でも行く事ができません。
利英さんが消防士を目指すと聞いた時由美子さんは戸惑いました。
もう二度と息子を危険な目に遭わせたくない。
利英は自分の身に何かあった時に私がどんなになっちゃうかっていう事は重々承知なので。
ちゃんと…それも全部全部ひっくるめてそれでも…母の気持ちは分かっている。
でも救える命はこの手で救いたい…。
弟の事が頭から離れる事はありません。
分かりますか?分かりますか?意識あるよ!要救!意識あるよ!利英さんは来月から初めての現場に立ちます。
同じ失敗繰り返したら消防士になった意味がないので…利英さんが寄せてくれたメッセージには続きがあります。
「こころフォト」に幼い子供が描いた似顔絵が寄せられました。
今も行方の分からない兄の顔。
メッセージには母の思いがつづられています。
「震災後に生まれた娘が雅人を描いてくれました。
雅人と会えない時間が増える中妹は話ができる様に絵が描ける様にどんどん成長していく」。
・「たんたんたんたんたんじょうび」・「たんたんたんたんたんじょうび」
(一同)おめでとう〜!
(拍手)
(さおり)何歳になりましたか?3歳。
(さおり)よくできました〜。
電気つけます。
似顔絵を描いてくれた妹はこの冬3歳になりました。
その誕生会の席に置かれていたのは長男雅人ちゃんの写真です。
生後8か月になる頃津波の被害に遭い今も行方が分かっていません。
(さおり)「どうぞ」してちゃんと。
食べたって?早いね〜。
もうちょっと食べさせてあげて。
(守雅)パクパクパクパク。
食べたの?じゃあいいよ食べて。
どうぞ。
雅人ちゃんの誕生日は一度も祝ってあげる事ができませんでした。
(さおり)どうしたらいいか分からないというか…そのつどそのつど思うっていうのはありましたね。
最初の頃は特に。
雅人ちゃんは結婚6年目に生まれた初めての子供でした。
ようやくおすわりができるようになりママを見るとにこにこと笑うようになり…。
その表情やしぐさがいとおしくてさおりさんは一日に何度も何度も抱き締めました。
あの日。
夫婦は働きに出かけ雅人ちゃんをいつものように名取市閖上地区にあるさおりさんの実家に預けました。
そこで津波に襲われ雅人ちゃんは行方不明に。
夫婦で避難所を駆けずり回って捜しましたが見つかりませんでした。
さおりさんはその時のやり場のない苦しい気持ちをブログにつづっています。
「泣いて泣いて泣いて泣いて」。
「あと一度でいいから雅人に」…これから先夫婦2人でどうやって生きていけばいいのか。
苦しい日々の中で転機が訪れました。
娘の誕生です。
娘はさおりさんの生きる希望になりました。
その笑顔を見てまた笑う事もできました。
娘の成長に感動する毎日。
ぬりぬりぬり…。
それと同時に雅人ちゃんの不在をこれほど感じる事になるとは思ってもいませんでした。
(さおり)だから減るって事は…月日がたつほど大きくなる悲しみ。
さおりさんたちは毎月11日に合わせて行く所があります。
おはようございます。
ボランティアによる浜辺の捜索です。
その輪から少し離れた所にさおりさんはいました。
さおりさんはこの日捜索に参加できませんでした。
そういうものを見た時に自分がどう思うのかとかはちょっと想像がつかない。
どうしてもいろいろ考えてしまうと…ボランティアの方には心から感謝している。
でもどうしてもつらくて立ち会えません。
夫の守雅さんは妻の思いがよく分かるといいます。
とりあえず何か出てくるっていうのを…思いで。
そういう何か捜そうという気持ちですね。
今閖上地区では新しい町づくりに向けた工事が始まっています。
かつて雅人ちゃんが過ごした実家の跡地…。
気持ちの面が復興するという事は元気な雅人に会えるかぎり…会えないかぎりはないかなって思ってるんでもし…どれだけ時間がたってもそういうふうになってそういう返事しかできないかなっていうふうには思います。
さおりさんたちは元気に成長する娘を見守りながら雅人ちゃんの帰りを待ち続けています。
あの日から4年。
「こころフォト」に寄せられたメッセージにはやりきれない寂しさがつづられています。
宮城県石巻市の志村信太郎さんへ。
娘の美穂さんからのメッセージです。
信太郎さんは孫の成長を楽しみにしていました。
岩手県釜石市の磯咲子さんへ。
娘の井三千子さんからのメッセージです。
毎日のように電話で話をする仲の良い親子でした。
福島県南相馬市から神奈川県へ避難している中島眞一さん。
母久子さんへのメッセージです。
生まれ育ったふるさとを離れ慣れない地で懸命に生きてる方たちがたくさんいます。
避難生活を送る中母親を亡くした女性の今を見つめました。
先月20日。
ふるさとの福島県富岡町に向かう…自宅は事故を起こした原発から僅か10kmにあり今も住む事ができません。
この日は祖母と2年ぶりに自宅を訪れました。
(明日香)あっ自転車ある。
(祖母)自転車真っ黒になって…。
(明日香)靴履いてるから…。
(祖母)制服だ。
ほんとだ。
部屋はほとんどあの日のままでした。
(明日香)あっ!あっ!
(祖母)何?私の小学校の時かな?原発事故のあと着のみ着のままで避難生活を始めました。
その間明日香さんを支えてくれたのが母でした。
あっお母さん。
ありましたいっぱい…。
お母さんと写ってるのもありました。
これお母さんと私です。
母輝美さんは1人で明日香さんを育ててくれました。
ところが震災前から患っていたがんが避難生活を送る中で悪化し亡くなりました。
明日香さんと輝美さんは富岡町に避難指示が出たあと僅か1か月の間に川内村郡山親戚を頼って千葉山梨と各地を転々としました。
明日香さんは震災の翌月から山梨の高校に通う事に。
しかし母は家族を養うため仕事のあった福島へ。
親子は離れて暮らす事になりました。
山梨のクラスメートは優しく迎え入れてくれました。
それでも明日香さんは原発事故の避難者である事に居心地の悪さを感じた事もありました。
ニュースでやっぱり震災の事当時は結構取り上げられていてなんか学校で…そんな明日香さんを心配した母輝美さん。
福島でがんの治療をしながら週末には必ず車で5時間かけて会いに来てくれました。
ところが震災から1年半後輝美さんは息を引き取ります。
46歳でした。
ふるさとを離れ唯一の心のよりどころだった母親を亡くした明日香さん。
やりきれない気持ちを書き留めました。
「どうしてこんな目にあうの?どうしてこんな想いをしなくてはならないの?」。
「仲良しだった友達も大切な家族も大好きなお母さんもみんな私の側から居なくなって本当にひとりぼっちになってしまった」。
一人部屋に閉じ籠もるようになった明日香さん。
そんな中何度も読み返した手紙があります。
母が送ってくれたものでした。
…っていう文がすごいうれしかったです。
母はいつも自分の事を考えてくれていた…。
その事が明日香さんの支えになりました。
母が亡くなって1年後。
明日香さんが元気を取り戻したきっかけがありました。
知人に誘われラジオのパーソナリティーを始めたのです。
各地に避難している富岡町の人へ向けた放送です。
吉野明日香です。
(2人)よろしくお願いします。
ラジオで富岡町の事を話すうちに母との思い出が詰まったふるさとの事が掛けがえのないものに思えてきました。
富岡町の記憶がどんどん忘れていったりあと全然知らないっていう子もいると思うんですけどやっぱり自分の…明日香さんはふるさと富岡町のためにできる事をこれからも探し続けようと決めています。
来月からは仕事で東京へ行く事が決まっている明日香さん。
その前にどうしても行っておきたい場所がありました。
ふるさと富岡町の桜並木です。
そうですね…この桜並木は母が大好きだった場所。
毎年一緒に訪れていました。
明日香さんはいずれはこの町に戻ってきたいと考えています。
明日香さんが「こころフォト」に寄せたメッセージです。
宮城県気仙沼市。
震災後初めて収穫するイチゴ。
農家の…津波で自宅とハウスを流され一時はイチゴ作りを諦めていました。
イチゴ栽培を始めたのは20代の時。
失敗を繰り返しながら40年間妻の才子さんと二人三脚で乗り越えてきました。
その妻はあの日津波に襲われ今も行方不明のままです。
信行さんは今仮設住宅に1人で暮らしています。
震災後台所に立つようになった信行さん。
妻のカレーが大好きでした。
見よう見まねで作ってみますが才子さんの味にはなりません。
(信行)自分で食べるんだからハハッ…。
信行さんと才子さんは幼なじみ。
二十歳で結婚し3人の子供に恵まれました。
子育てと家事は才子さんに任せきり。
信行さんには今になって後悔している事があります。
震災後次男の忍さんがイチゴ作りを手伝うようになりました。
いずれは後を継ぎたいと思っています。
1月の末ハウスにやって来たのは長女の瑠美さんです。
(瑠美)分かる?ここ目で鼻口。
これが目で鼻で口ですかね。
でこういう顔です。
今日の先生おなかの割には…。
瑠美さんは初めての子供をみごもっています。
間もなく予定日を迎えます。
(瑠美)鼻…鼻低い子ねフフフッ。
出産を控えた瑠美さんには心配な事があります。
瑠美さんは19歳の時「再生不良性貧血」という難病を患いました。
1年間の入院生活。
いつもそばにいて看病してくれたのは母親の才子さんでした。
思う日がやっぱり多々あるんですよね。
でも周りの人とかがほんとにいろいろ相談乗ってくれたりした事もあってやっぱりようやくここまで来れたかなとは思うんですけど。
でもほんとの願い言うと……っていうのがいまだに拭えないし。
病気を抱えた娘が初めて妊娠。
男親の信行さんには何をしてあげたらいいか分かりません。
できる事は自分が作った野菜やイチゴを持たせてやる事だけです。
(忍)せ〜の…。
(一同)・「ハッピーバースデ−トゥユー」・「ハッピーバースデ−トゥユー」・「ハッピーバースデ−ディアじいじ」・「ハッピーバースデ−トゥユー」
(笑い声と拍手)先月信行さんは64歳になりました。
(忍)おいやめろっつうの!
(笑い声)誕生会の途中で次男忍さんに電話が入りました。
瑠美さんが病院へ向かったという知らせ。
波があるの?5分置きとか10分置きとか痛み…。
不規則?早くなったり遅くなったり?陣痛の間隔が5分置き。
信行さんにはそれがどういう事か分かりません。
すみませんおかあさん!実はね私の娘今日今陣痛で石巻の方に行ってるんですけど。
(忍)5分置きぐらいだともう生まれる感じですか?
(女性)もう近いですよね。
今早くなったり遅くなったりとは言うんですけど。
(女性)ああそう!初産か…。
人それぞれだからね。
翌朝出産の連絡が入りました。
(瑠美)いいよ。
生まれたのは3,544gの元気な女の子。
信行さんの心配をよそに安産でした。
震災後に生まれた初めての孫。
(シャッター音)信行さんはこの日何枚も何枚も孫の写真を撮り続けました。
才子さんの隣に飾った孫の写真。
なんかかわいいなっていうかねほんとに。
信行さんから才子さんへのメッセージ。
一人一人に大切な家族があり大切な人生がありました。
残された方々は心にさまざまな思いを抱えながらも今を生きています。
2015/03/11(水) 13:05〜13:55
NHK総合1・神戸
こころフォトスペシャル「5回目の春 返らぬ日々を胸に」[字]
大震災から5回目の春。残された家族から、震災で亡くなった方や行方不明の方へメッセージが寄せられた。番組では遺族たちの4年間の軌跡と今を生きる心の葛藤に迫る。
詳細情報
番組内容
一昨年からはじまった「こころフォト」。これまでに300枚を超える写真と家族からのメッセージがNHKに寄せられた。震災後に生まれ成長する娘と生後8か月で行方不明になったままの息子…喜びと悲しみを抱えて生きる母親。福島県富岡町から郡山、千葉、山梨と避難生活を転々とするなか、心の支えとなっていた母親を亡くした20歳の女性。遺族たちの思いに迫る。【キャスター】鈴木京香【ナレーション】大沢たかお
出演者
【キャスター】鈴木京香,【ナレーション】大沢たかお
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
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