ニュースウオッチ9▽震災4年の祈り▽福島川内村から中継 子どもに学ぶ“希望” 2015.03.11


廃炉に向けた長い道のり。
溶け落ちた核燃料の取り出しについて、新たな方法が検討されていることが分かりました。
国と東京電力がまとめた福島第一原子力発電所の廃炉に向けた工程表です。
廃炉作業の最大の難関とされるのが、デブリと呼ばれる溶け落ちた核燃料の取り出し。
平成32年度から行われる予定です。
これまでの計画では、核燃料から出る放射線は極めて強いことから、格納容器を水で満たして、核燃料を取り出すとされてきました。
水で放射線を遮るためです。
この方法には実績がありました。
1979年に起きたアメリカのスリーマイル島原発事故では、原子炉を水で満たして、溶け落ちた核燃料を取り出したのです。
ところが、福島第一原発は、格納容器を水で満たすことが難しいケースも考えられるというのです。
1号機から3号機では、核燃料が溶け落ち、一部は原子炉を突き破って、格納容器の底に達していると見られています。
これまでの調査では、格納容器が損傷している場所は特定できていないため、修復して水をためることが困難なことも予想されるということです。
このため、廃炉に向けた技術的な戦略をまとめている、原子力損害賠償・廃炉等支援機構は、格納容器を水で満たさずに、直接取り出す方法について、本格的な検討に入りました。
このうち1号機では、ほぼすべての核燃料が、格納容器の底に達している可能性が大きいことから、格納容器の横に穴を開けて、核燃料を取り出す方法が検討されています。
また、2号機と3号機についても、内部の調査を進め、核燃料を取り出す具体的な方法について検討を急いでいます。
しかし、この計画にも困難が。
水で満たさずに格納容器の上部を開放した場合、何も対策を取らなければ、放射線量は1時間もたたずに、人が死に至るレベルになると推定されています。
強烈な放射線は、人の代わりに作業を行うロボットにも、悪影響を及ぼす可能性があります。
これは内視鏡カメラで撮影した格納容器の内部の映像です。
白い斑点は、放射線によるノイズです。
ロボットでも原子炉に近づくと、強烈な放射線によって、誤作動を起こしたり、映像が乱れたりするおそれがあるのです。
専門家は、格納容器を水で満たさずに作業をした場合の懸念について、次のように指摘します。
放射線を遮るための技術や、ロボットの開発は、現在進められています。
作業員の被ばくをどう抑えるか。
廃炉の険しい道のりが、改めて浮き彫りになっています。
こんばんは。
溶け落ちた核燃料の取り出しについて、原子力損害賠償・廃炉等支援機構は、今月中にも新たな方針をまとめることにしています。
原発事故の影響に、今も翻弄され続ける福島。
その福島から、東日本大震災4年の今を見つめます。
福島第一原発事故の避難区域です。
お疲れさまです。
入っていくのは、宅配便のトラックです。
日中の立ち入りができるようになり、営業を始める店や、企業も出てきています。
この地域を担当している荒博之さんです。
避難区域では、おととしから宅配を再開しました。
地元で生まれ育った荒さん。
この地域の復興の様子を、つぶさに見つめてきました。
訪れたのは、かつての結婚式場。
今は除染を請け負う大手建設会社の事務所になっています。
届けたのは、大量のトイレットペーパーです。
除染が本格化するのに伴って、作業員はおよそ1500人に増えました。
避難区域では、これまで放置されてきたがれきが撤去されるなど、復旧事業も始まっています。
一方、思いどおりにいかないこともあります。
町工場に荷物を届けようとしましたが。
こんにちは、ヤマト運輸の荒です。
閉鎖されたままでした。
避難区域の中で、事業を再開した企業は、震災前の1割にとどまっています。
荒さんは、建築資材のメーカーへ、荷物の受け取りに向かいました。
お世話になっております。
ヤマト運輸の荒です。
依頼されたのは、検査機関に送る製品のサンプルでした。
必要な検査を受け、本格的な生産を軌道に乗せたいと考えています。
避難区域でも、一歩ずつ前へ進んでいると、荒さんは感じています。
そしてきょう。
向かった先は、おととし、避難区域の宅配が再開されて、最初に荷物を届けた家でした。
ご苦労さまです。
どうもありがとうございました。
失礼します。
こんばんは。
私は福島県川内村の小学校に来ています。
震災の被災地と呼ばれる地域の中でも、原発事故の影響を受けた地域の苦難というのは、また特別の深刻さを持ち合わせています。
リポートでお伝えした浪江町の宅配ドライバーが目にしたものは、確かな一歩とはいえ、非常にゆっくりとした一歩にすぎないのもまた事実です。
ここ、川内村も原発事故によって、一時、村民全員が避難を余儀なくされました。
その後、避難指示が解除された地域から、徐々に住民が戻り始め、今はおよそ1600人。
原発事故前の半数余りが村で暮らしています。
原発事故を挟んで、村が置かれる状況が目まぐるしく変わってきた中で、変わることなく、人々の希望の光になっているのが、子どもたちの存在です。
役場が見えてきました。
運転手さん、ちょっと止めていただけますか。
役場に掲げられている看板が、前は、負けないぞってなっていたはずなんですが、今、お帰りなさい!っていうふうに変わっています。
ああ、工事をしていらっしゃいますね、こちら。
川内村では、災害公営住宅がまもなく完成を迎えます。
こちらは村で唯一の小学校です。
ちょうどホールに子どもたちが集まってます。
給食ですね。
川内小学校には、震災前、114人の児童がいました。
3年前に学校を再開したときには、僅か16人でしたが、今は29人まで増えています。
学校職員の菅波くるみさん。
生まれも育ちも川内村です。
4年前にいた教員は、異動ですべて入れ代わり、震災前から学校の状況を見続けているのは、菅波さんだけです。
ただ、以前の環境をすべて取り戻せているわけではありません。
川内村によりますと、住宅地の除染は終わりましたが、森林の大部分は除染の対象にはなっていません。
学校では、放射線量に問題がないかを慎重に確認しながら、野外活動を行っています。
そして昨年度からは、新たな授業も始めました。
村の復興について学ぶ時間を設けたのです。
村のいいところを探ったり、地元の企業や福祉施設などに今、何が必要かを聞いたりして、村の魅力や課題について考える内容です。
この授業を通じて、子どもたちの意識が、少しずつ変わってきたといいます。
4月には児童の数がさらに6人増えて、35人になるという川内小学校。
しかし、震災前の114人に比べると、まだ3割です。
きょうは、今月23日に予定されている卒業式の準備が行われました。
震災前から子どもたちを見続けてきた菅波さん。
屈託なく笑う子どもたちの姿に、これからの小学校、そして、村の未来への希望を感じています。
川内小学校の1年生の教室にお邪魔をしています。
1年生は全部で4人。
こんなふうに小さな机を4つ並べて、いつも授業を受けているそうです。
きょうはゲストに来ていただいています。
映画監督の岩井俊二さんです。
岩井さん、きょうはよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
どうぞおかけください。
ご存じのように岩井さんは、映画、ラブレターなどの代表作で知られていますが、仙台の出身でいらっしゃって、そしてきょうは、飯舘村などを、この番組に先立ってご覧になったそうですが、福島県内、どんな印象を持たれましたか?
数年前に来た所と、同じ所を回ったんですけど、かなり除染が進んでいて、袋に入った土が非常に大量に、畑だった場所にありましたけど、道路の周辺に、なんですか、線量計があるんですけど、だいぶ下がっていて、これだけの広い所を、これだけ除染されるのに、どれだけの手がかかったんだろうと思うと、ちょっと、本当すごいことだなと思いましたけどね。
そこにかけられたやっぱり労力と、やっぱりこの事故の影響の大きさも表してるんですよね。
そうですね。
本当、計り知れないことが起きたんだなっていう。
それに地元の皆さんが、計り知れない力で立ち向かわなきゃいけないんだなというのを、改めて実感しましたけど。
この川内村も今、ご覧になった飯舘村も、非常に静かできれいな山村ですよね。
そうですね。
だけど、実際はそこに放射性物質が降り積もって、今、必死に除染が行われている。
見えない被害ですよね、この原発事故の被害っていうのは。
そうですね。
きれいな渓流があって、そっちのほうがやっぱり高いですよね。
たぶん魚とかね、いるんでしょうけど、見た目には何も本当に、久しぶりに都会から来ると、なんか心癒やされるきれいな景色しかないですからね。
本当になんか複雑な思いになりますけどね。
私たちが今、生きている時代っていうのは、そういうある種、見えない、原発っていうのもそうかもしれませんが、ほかの、いろんな文明の利器が、やっぱり見えない中で僕らは寄りかかって生きてるって、そんな印象を持つんですよね。
そうですね、携帯電話とか、僕ら使ってるあらゆる電子聴きにレアメタルっていうのも使われてますけど、これも精製段階で、放射性物質を生んだりするんですよね。
マレーシアの工場周辺でやっぱり、汚染が広がってたりとかして、いろいろ問題になってたりするんですけど、僕ら、子どものころって、おもちゃにしても、なんにしても、ちょっと分解すると、中身が分かったじゃないですか。
でも、最近のものって、開けると、なんかよく分からない状態というか、電子な感じになっていて、こういったものがわりとこう、気持ちよく、僕らの手元に届いて、なんか新しいものとして新しい文明として手に入れて、医療とか、例えばDNAとかヒトゲノムなんていうのもそうですけど、これでがんがん治るとか、いろんな目的のためになされていくわけですけど、僕らが子どものころに比べると、本当に見えない、分からないエンコードされたような、不思議な謎めいたなんかこう、ものになってますよね。
なんか、その上に、われわれは知らぬ間にそれを自分たちのものにして、いろんな恩恵も得ているわけですけれども、なんか一歩つまずいたときに、それがなんだったのか、僕ら自身がよく分かっていないっていう、なんかそういう時代、まるでSFのような時代に入ったなという気がします。
岩井さんと私、ほぼ同い年なんですけども、僕らが生きてる子どものときからこの年代になるまでも、それだけ変わってきているわけで、僕らの子や孫の世代で、もっといろんな複雑なものを受け継いでいくわけですよね。
そうですね、それを考えると、計り知れないですね。
どういう時代になるのか。
そうですね。
では、ここで一つ、仙台からのリポートをお伝えしたいと思います。
被災地、傷ついたこの被災地を、なんとか救いたいという子どもたちも実際いて、ただその子どもたち自身も、この震災によって、傷ついた子が非常に多いんです。
津波で肉親を失った子どもたち、この4年間というのは傷が癒えるには、少し短すぎるのかもしれません。
それでも、一歩を踏み出そうとするある女子高校生を取材しましたので、ご覧ください。
宮城県石巻市に住む、高校3年生の千葉萌さんです。
津波で、母親を亡くしました。
35歳で亡くなった母、あかねさん。
萌さんが生まれてすぐに離婚し、1人で萌さんを育てていました。
あかねさんの両親、久さんと、ふじみさんです。
萌さんは近所に住む2人に引き取られました。
萌さんはこの春、仙台の短大に進学し、久さんたちの元を離れることになりました。
3人にとって、旅立ちの春が訪れています。
震災があったのは、萌さんが中学2年のときでした。
当時、自宅にいた萌さんは、津波が来る直前に避難して、助かりました。
しかし、母のあかねさんは、萌さんから電話をもらい、職場から自宅に車で戻る途中、津波に巻き込まれました。
萌さんはこの4年、そのことをずっと胸に、自分を責め続けてきました。
あかねさんは亡くなる前、車の中から、メールを送っていました。
それを今も大切に残しています。
すっごい混んでるから時間かかるなぁ。
渋滞に巻き込まれ、そのあと、津波に遭ったのです。
母親を失った悲しみ。
そして後悔。
萌さんは、周りの景色が色を失って見えるようになったといいます。
祖父の久さんは今も、あかねさんの遺骨を冷たいお墓の中に入れたくないと、手元に置いています。
しかし、自分の気持ちを萌さんに話したことはありません。
震災を思い出させ、悲しませたくないからです。
震災のよくとし、高校に入学した萌さん。
一つの夢ができました。
保育士や幼稚園の先生など、子どもと関わる仕事に就くという夢です。
学校の保育実習や、同じように親を亡くした子どもとの交流を重ねるうちに、小さいころから抱いていた夢を、現実のものにしたいと思うようになりました。
将来のため、ピアノの練習も始めています。
萌さんは震災前、母のあかねさんと、将来の夢について、よく話をしていました。
今月1日、萌さんは高校卒業の日を迎えました。
おめでとう。
短大では、夢の実現のため、保育を専攻することにしました。
無我夢中で、萌さんの成長を見守ってきた久さんの4年。
一つの区切りを迎えています。
ほら、あかね。
大したもんでしょう。
ね?4月から仙台の大学に行くんだよ。
立派だよ、お前の娘は。
頑張ってるんだから。
きっとうまくいくから。
震災後、色が失って見えていた景色。
今は違って見えるといいます。
再び映画監督の岩井俊二さんです。
ご自身、仙台の出身でいらっしゃって、じっと食い入るようにご覧になってましたけど、どんな思いを抱かれましたか?
そうですね、本当にこの萌さんのような方がどれほどたくさん、あのときにね、津波にのまれて、多くの方が亡くなって、こういう方がたくさん本当にいらっしゃるのかと思うと、なんとも、胸が苦しいですけど。
岩井さんの作品世界のモチーフにもつながるかと思うんですけど、亡くなったお母さん、お母さん、亡くなったんですけれども、萌さんや、そのご両親、おじいさん、おばあさん、つなげて、生きている人を、僕はある意味、動かしているのかなというふうにも見えたんですけどね。
そうですね、僕も石巻に、震災後、行ったんですけど、いろんな方から話を聞いて、やっぱり急に突然、身の回りの方が亡くなってしまったという状況で、そんなお話聞いてると、なんか聞いてる僕からすると、ずっとなんかその亡くなった方がいるような、なんか不思議な感覚に陥ったんですけど、それからなんかよくよく考えてみると、僕ら自身、生きてるわけですけど、考えてみると、お互い、お互いの声を聞き、姿を見て、それを記憶にとどめることで、お互いを認識している関係があって、これっていうのは、相手が亡くなっても、消えないですよね。
そう考えると、生きてることと死んでることっていうのは、それほどの違いがあるんだろうかっていうふうに、なんか思えてきて、むしろ亡くなった、失ったことによって、より強く、記憶として残ることもあるわけだと考えると、僕らでも近しい人を亡くしたりするわけですけど、亡くすことによって、また亡くなった相手と再会して、そして、その人とまた生き続けるという、第2の人生があるのかなっていうふうに思えたりすることもあるんですね。
岩井さんが作られたこの花は咲く。
今の話に通じるのかなと思ったんですが、この歌詞の中で、最後に、私は何を残しただろうというくだりがありますよね。
これ、この歌詞を、主語は誰かって、考えたときに、今、生きている人と助かった人という読み方もできるし、要は私って、亡くなった人が私と言っている、そういうふうに聞こえるんですよ。
岩井さん、どういうふうな思いで作られたんでしょうか?
そうですね、最初、復興応援ソングということで、どういう歌詞にしようかって話してたときに、僕、やっぱり東北人でもあるので、なんか東北のメンタリティが分かるものですから、やっぱり亡くなった人たちを忘れて、生きてる人たちだけで作る復興ソングでは、意味がないだろうと思ったので、亡くなった方の目線というのから詞を書いてみようと思ったんですけど。
実際、書いてみると、自分で気付いたんですけど、亡くなった目線と言いながら、実は僕自身が非常に個人的な思いで、故郷に向かって書いた詩以外の何ものでもないことに気付いて、つまり、僕も映画を作りたいがばっかりに、ふるさとを離れて、遠くからふるさとを眺めていたその自分のことば、人生そのものが、ここに出てしまったのかなと、僕は書いたあとに気付いたんですけど。
だからそういう意味で、いろんな人、いろんな立場から見ても、なんかこう、感じるものがある歌になったのかなと、作った本人が言うのも変ですけど、そんなふうに思いますけどね。
先ほど、ちょっとおっしゃった、結局、記憶って、人間、人間はやっぱり、いろんな人との記憶で生きていくとすればですね、結局、生死を実は分けているものって、突き詰めていえば、あまりなくて、人間はやっぱり生きている人も、死んでる人もその人とのつながりで生きていく。
岩井さん自身、この詞を作るうちに、そんなお気持ちにもなったのかなと聞いたんですが。
そうですね。
本当に作ってるときは、何か突き動かされて書いたんだと思うんですけど、そのあとやっぱり、皆さんが歌ってる姿を見たり、いまだに耳にするものですから、自分で作っておきながら、何かこの歌が、歌い継がれてるということは、まだ復興も終わっていないし、まだまっすぐ…な時代が、まだ続いてるんだなということを思い知らされるので、非常に複雑な思いで、この歌と向かい合っているところがあるんですが。
でも、人々がこの歌をいつも聴いて、心に響くというのは、逆にいうと、僕ら、いつも震災の記憶を風化させてはいけないということを、判で押したように、言いがちなんですけれども、実は心の中で、みんな、やっぱり持ってるのかもしれないですよね、風化をさせずに。
そうですね。
僕も風化ってことば、ちょっと違和感がやっぱりあって、何かよく風化ってことばが出てくるんですけど、結局、振り返ると、この4年間、いろんなことがあったと思うんですよ。
日本でも世界でもいろいろあると思うんですけど、こと日本人にとってみれば、やっぱりあの3・11からの何かいろんな副作用で、いろんなことが起きていたような気がするので、これからオリンピックに向けて、前を向いていこうということも、どこかやっぱり、3・11を規定にしているというような気がするということを考えると、決して、簡単に忘れられるものじゃないし、風化するものでもないし、自分の中ではあまり風化ということばがぴんと来ていない、まだまだ生々しく残っているものだと思いますけどね。
岩井さん、映画をはじめ、いろんな分野で、表現者でいらっしゃる、その表現者である岩井さんにとって、あの3・11というのは、やっぱり先の世界にこれから何か反映されていくものなんでしょうか?
そうですね。
具体的に、こうなるんですというほど、やっぱり起きた事件があまりにも大きすぎたし、衝撃的だったと思うんですけど、なので、自分の作品にどう反映されていくのかは、僕自身でもまだつかみ切れてはいないですけど、でも、長く時間をかけて、作品の中にも織り込まれていくんだろうし、本当長く、このこととつきあっていかなきゃいけないんだろうなという。
それはただつらいだけではなくて、それをばねにというか、そこでまた、ものすごくたくさんのことを、みんな考えたと思うんですよね。
僕も考えたし、それでまた、みんな一つ成長させてくれるきっかけにもなったと思うので。
ありがとうございました。
きょうは映画監督の岩井俊二さんに来ていただきました。
あの震災、そして原発事故が地域をどう変えたのか、そしてこれからの私たちの社会、生き方というものを、どう変えていくのか。
きょうの丸4年という月日を超えても、やはり私たちはしっかり見続けていかなくてはならないんだと思います。
中継でした。
今なお残る大切な人を亡くした悲しみ。
そして、残された人々の悼む思い。
東京では、政府主催の追悼式が開かれました。
黙とう。
およそ1200人が出席した追悼式。
そして、遺族の代表があいさつし、宮城県の菅原彩加さんは、家族を失った当時を振り返って、次のように述べました。
追悼の祈りは各地で。
阪神・淡路大震災から20年がたった神戸です。
竹の灯籠に、被災地へのメッセージを書き込みました。
そして、海外でも。
イタリアのローマでは、日本に住んだことがある人などおよそ100人が集まり、歌に追悼の思いを込めました。
ここまで、東日本大震災についてお伝えしました。
次です。
鳩山元総理大臣は、ロシアが一方的に編入した、ウクライナ南部のクリミアを訪問しました。
外務省が事前に中止を要請する中での訪問で、菅官房長官は、政府の立場に著しく反するとして、厳しく批判しました。
10日、モスクワから空路でクリミアに到着した鳩山元総理大臣。
地元行政府の代表者と会談しました。
クリミアを巡って政府は、ロシアによる一方的な編入は認められないという立場を示しています。
ロシアのビザを取得したうえでのクリミアへの渡航は、ロシアの領土であることが前提となるだけに、政府の立場と相いれないとして、外務省は、鳩山氏に訪問中止を要請していました。
クリミアで記者会見した鳩山氏は。
今回の訪問、ロシアの国営テレビは大きく取り上げました。
総理大臣経験者による訪問は、編入の正統性を主張するロシアに利用されかねないという見方も出ていました。
菅官房長官は。
政府の立場と著しく反する行動を取ったなどとして、厳しく批判しました。
トヨタ自動車は、来年春にかけての新たな正社員の採用人数について、前の年より500人以上、率にして30%余り増やす計画を発表しました。
具体的に見ますと、トヨタ自動車では、工場の生産ラインなどを担う技能職を496人増やし、このうち、来年4月入社の定期採用を306人、来年度中の期間従業員から正社員への登用を、190人増やすことにしています。
さらに、車の開発などに当たる大卒中心の技術職も、44人増やすとしています。
好調な業績が続くトヨタは、工場などに優秀な人材を増やして、生産現場の強化を図る計画です。
太平洋戦争末期、フィリピンのレイテ湾に向かう途中に撃沈された戦艦武蔵。
アメリカの資産家、ポール・アレン氏は、海底で発見した武蔵とされる船の映像を、あさって、インターネット上で中継すると発表しました。
無人の探査機に取り付けたカメラで、船を撮影し、午前10時から1時間以上にわたって中継するということで、船の全体が公開されるのは、初めてです。
この船について、日本の専門家は、武蔵であることはほぼ間違いないと指摘しています。
荒れた天気となっています。
気象情報、井田さんです。
こんばんは。
きょうも北日本や北陸地方で、暴風や大雪の続いている所があります。
あすにかけて警戒をしてください。
こちらは午後3時半ごろの青森市です。
風が強まり、雪が巻き上げられています。
午後1時過ぎには、八戸市で、最大瞬間風速34.9メートルを観測しました。
北日本ではあすの朝にかけて、荒れた天気の続く所がありそうです。
暴風雪や大雪、高波に警戒し、電線や樹木への着雪、雪崩など、十分注意をしてください。
この荒れた天気の続く理由ですけれども、低気圧に注目しますと、低気圧の発達のピークは超えていきそうです。
ただ、動きが遅く、あすも北海道のオホーツク海沖に居座る予想です。
詳しく見ていきましょう。
あすも全国的に等圧線の間隔が狭いです。
特に北日本では非常に風が強く、北海道や東北の日本海側では、猛吹雪という所がありそうです。
関東から九州にかけては晴れて、きょうより気温の上がる所が多くなりそうです。
では、気温の変化です。
朝です。
きょうよりは高い所が多いですが、西日本にかけて5度以下で、この時期としては冷えるでしょう。
そして午後3時です。
関東から九州では緑で、10度から15度近くに上がる所もありそうです。
そして夜は、朝と同じくひんやりしそうです。
各地の天気と気温、詳しく見ていきましょう。
スポーツ、廣瀬さんです。
こんばんは。
8月に北京で開かれる陸上の世界選手権。
マラソンの代表に、今井正人選手が選ばれました。
被災地、福島県南相馬市出身。
大会への決意を述べました。
世界選手権のマラソン代表は、男女合わせて6人。
日本選手トップで8位以内に入れば、来年のリオデジャネイロオリンピックの代表に内定します。
このうち、南相馬市出身の今井選手は、震災で実家が津波の被害を受け、両親は今も避難生活を続けています。
今井選手は、先月の東京マラソンで、日本歴代6位となる2時間7分台の好タイムをマーク。
初めて世界選手権の代表に選ばれました。
大相撲春場所です。
十両の双大竜は、福島県出身のただ1人の関取です。
きょうは特別な日という土俵で、力強い相撲を見せました。
双大竜は毎年、3月11日の取組には、強い思いで望んできました。
しかし、意識し過ぎてしまうと、力を出し切れず、おととし、去年と破れていました。
きょうは勝っても負けても、思い切り行くと土俵に上がりました。
かち上げていきました、双大竜。
双大竜の突っ張り。
あごを上げない里山、そのあごを狙います。
崩した。
左からの押っつけ、押し出しました。
双大竜の勝ちです。
力強く前に出続けた双大竜。
自分の相撲が少しでも希望を与えられれば、うれしいと、ふるさとへ贈る白星です。
横綱・白鵬。
以前、被災地を訪れた際、逆に励まされたと、今も感謝を忘れていません。
きょうは逸ノ城との一番です。
白鵬はことしも、被災した人たちにいい相撲で喜んでもらいたいと、土俵に臨みます。
逸ノ城は、きのう、横綱・日馬富士を破っています。
白鵬、被災地に届けと、万全の相撲です。
立ち合い、得意の左の前まわしを取り、流れをつかみました。
白鵬は30歳の誕生日。
思いを込めた相撲で、4連勝です。
きょうは今場所初めて、横綱、大関、全員が勝ちました。
その中で白鵬は、きょうの白星で、幕内の勝利数が805勝になったんですね。
北の湖を抜いて、歴代3位の成績。
2位の千代の富士までも、あと2勝。
きょう、30歳になったばかりの横綱、どこまで勝利数を重ね続けるのでしょうか。
京大初のプロ野球選手となった、ロッテの田中英祐投手。
卒業論文の発表が終わり、きょう、オープン戦に初登板しました。
田中の出番は6回でした。
17日ぶりの実戦登板で、初球。
145キロのストレートで打ち取ります。
さらに自信を持つスライダー。
0点に抑えます。
続く7回。
3連続ヒットでノーアウト満塁とされます。
初体験という強い風の中、コントロールが乱れました。
押し出しのフォアボール。
田中は2回2失点と、ほろ苦い初登板でした。
ヤクルトの由規。
右肩の手術から復活を目指す仙台出身の右腕が、震災から4年のきょう、志願のマウンドです。
被災地の復興と自分の復活が重なるようにしたいと、2回までランナーを一人も許さない完璧な内容。
3回、ランナー3塁のピンチも、持ち味の速球で切り抜けました。
スピードは最速で150キロをマーク。
特別な思いがある日の好投で、4年ぶりの1軍登板へ前進です。
オープン戦、きょうの結果です。
ロッテの伊東監督は、田中投手について、今までは学業も大変だったと思うし、もう一回、チャンスを与えると話し、今月18日のソフトバンクとのオープン戦に先発させる意向を示しました。
野球の日本代表、侍ジャパン。
ヨーロッパ選抜との強化試合は、第2戦も苦しい戦いとなりました。
日本代表の先発は、オリックスの松葉。
プレッシャーがあったと、2回に捕まり、2点を失います。
3回はピンチでデカスター。
WBCのオランダ代表です。
変化球を完璧に捉えられて、3ラン。
点差が5点に広がります。
打線もオランダやドイツなどでプレーする相手投手陣を捉えきれません。
日本代表は序盤の失点が響き、完敗。
若手が経験を積みましたが、国際試合の難しさも改めて実感しました。
きょうで東日本大震災の発生から、4年。
再び福島県川内村から、大越キャスターです。
村で唯一の小学校、川内小学校です。
今、全校生徒は29人。
震災前は114人でしたから、ずいぶん減りましたけど、それでも少しずつ生徒は戻ってきています。
今、この学校が力を入れてるのが、復興を考えようという教育です。
このように、原爆の被害を受けた長崎を実地に訪れて、勉強しました。
そして、復興への提言を子どもたちなりにまとめて発表し、このように新聞に紹介されたりしたこともありました。
2015/03/11(水) 21:00〜22:00
NHK総合1・神戸
ニュースウオッチ9▽震災4年の祈り▽福島川内村から中継 子どもに学ぶ“希望”[二][字]

東日本大震災4年…追悼式典各地の祈り▽津波で母亡くした娘“景色も色失って…”いま夢を胸に旅立つ春▽福島川内村から中継・大越が見た復興のいま 子どもに学ぶ“希望”

詳細情報
番組内容
【キャスター】大越健介,井上あさひ,【スポーツキャスター】廣瀬智美,【気象キャスター】井田寛子
出演者
【キャスター】大越健介,井上あさひ,【スポーツキャスター】廣瀬智美,【気象キャスター】井田寛子

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ニュース/報道 – 定時・総合
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