NHKニュース7 2015.03.11


被災地を縦断する常磐自動車道を走っています。
今月1日に全線開通しました。
きょうは夕方から雪が舞っています。
道路のほかは暗く、車のヘッドライトがはっきりと見えます。
今、私が走っているのは、こちら、福島県の南相馬市付近です。
東京電力福島第一原子力発電所は、こちらです。
この先、その近くの帰還困難区域を通り抜けていきます。
まもなく、今回、新たに開通した、浪江インターチェンジから常磐富岡インターチェンジまでの区間に入ります。
今夜はこの常磐道を走りながら、中継でお伝えします。
こちらは震災から4年を迎えた、宮城県女川町の今の様子です。
先ほどまで、あの日と同じように、雪が降っていました。
明かりがともっているのは、10日後に、全線で運転を再開する、JR石巻線の女川駅です。
女川駅は津波で大きな被害を受け、かさ上げされたこの場所に、新しく再建されました。
被災地はどう復興への歩みを進めようとしているのか、後ほど中継でお伝えします。
あの日から4年がたちました。
ニュース7、きょうは番組を1時間に拡大してお伝えします。
巨大地震と大津波、そして東京電力福島第一原子力発電所の事故。
東日本大震災では、避難生活などで亡くなった人も含め、2万人以上が犠牲になりました。
新たな市街地の造成や、鉄道、道路の復旧などが進む一方、4年たった今も、まだ先が見通せないという方もいます。
復興はどこまで進んだのか。
今、何が課題なのか。
まずはきょうの被災地です。
それぞれの思いを胸に、各地で祈りがささげられました。
風が強く、冷え込んだ被災地。
4年前の寒い日でした。
これまでに死亡が確認された人は、1万5891人、行方不明者は2584人。
実家の跡地を訪れたこちらの男性も、母親の行方が分かっていません。
黙とう。
地震が発生した午後2時46分、目を閉じ、手を合わせます。
14人の生徒が犠牲になった閖上中学校。
区画整理と土地のかさ上げのため、元の校舎がある、この場所での追悼式は、ことしが最後です。
祈りは各地でも。
黙とう。
震災直後、救助活動に当たった消防隊員。
3・11の形に並べられた、竹の灯籠。
阪神・淡路大震災の被災地、神戸です。
復興を願って、およそ300本の灯籠に火がともされました。
そして今、この時間も明かりに照らされている東京電力福島第一原子力発電所です。
原子炉を解体する廃炉に向けた作業が、この時間も進められています。
この福島第一原発の最新の状況を、こちらに立体映像で再現しました。
敷地内には、無数にタンクが並んでいます。
放射性物質の濃度が高い汚染水などを保管しています。
その数は800基余りで、量は60万トンに達しています。
見えてきたのは、4号機の原子炉建屋です。
廃炉に向けた作業が最も進んでいて、使用済み核燃料の取り出しが、去年、すべて終わりました。
一方、ほかの3基は、作業の遅れが懸念されています。
3号機は建屋が爆発し、現在、がれきの撤去や、燃料から放出された放射性物質を取り除く除染が進められています。
2号機は爆発しなかったので、外見は事故の前と同じように見えますが、内部の汚染はひどいと見られています。
1号機では、覆っているカバーを解体して、中の大量のがれきを取り除く必要がありますが、時間がかかっています。
これら3基の廃炉に向けた作業、最大の難関は、溶け落ちた燃料の取り出しです。
その方法の大幅な見直しにつながる検討が進められていることが、分かりました。
きょう、福島第一原発を訪れた、東京電力の廣瀬社長。
社員に訓示しました。
今後、計画されている溶け落ちた核燃料の取り出し。
ところが、廃炉の技術的な戦略をまとめる、原子力損害賠償・廃炉等支援機構が、計画の大きな見直しにつながる検討を、本格的に進めていることが分かりました。
福島第一原発では、3基の原子炉がメルトダウン。
溶けた核燃料は、原子炉を突き破って、格納容器の底まで達し、強い放射線を出し続けていると見られています。
東京電力などがまとめた廃炉の工程表では、4基の原子炉を同時に廃炉にするかつてない作業には、最長で40年、かかります。
最大の難関、デブリと呼ばれる、溶け落ちた燃料の取り出しは、平成32年度からとされています。
取り出しの前には、大がかりな準備が必要です。
それが冠水です。
極めて強い放射線を遮るために、格納容器全体を水で満たします。
その後、原子炉の真上からクレーンなどでデブリを取り出します。
作業はすべて、水中で行うため、放射線の影響が少なくなり、人間による作業も、比較的安全にできるとされます。
1979年、アメリカで起きたスリーマイル島原発事故。
冠水が実際に行われました。
デブリをカメラで確認。
原子炉を冠水させたうえで、取り出しました。
しかし、廃炉等支援機構は、福島第一原発の状況は、より深刻だと分析しています。
例えば1号機、燃料が格納容器の底で広がり、金属の壁に直接触れて穴を開ける、シェルアタックが起きた可能性があるというのです。
フラスコ型の格納容器本体に穴が開いてしまうと、修復が非常に困難になります。
水をためる冠水も難しくなります。
さらに1号機では、ほぼすべての燃料が格納容器の底に落ちていると見られています。
そこで検討されている別の方法。
格納容器の横の部分に直接、穴を開けます。
その穴からロボットアームなどで、直接、デブリを回収するというのです。
しかし、この計画にも大きな困難が。
工業用の内視鏡カメラで撮影した、格納容器内部の映像です。
映像に細かなノイズが入ります。
強烈な放射線の影響です。
核燃料が溶け落ちた格納容器に、直接穴を開けた場合、数分で致死量に至るほどの極めて強い放射線が、建屋内に飛び出すおそれがあります。
遮る水はありません。
専門家は、こう指摘します。
現在、放射線を遮る技術や、ロボットの開発が進められています。
冠水か、それとも水で満たさずに取り出す方法か。
廃炉の最重要工程で、今後、選択を迫られることになります。
廃炉への40年の道。
その10分の1が過ぎます。
しかし、その困難さは年を経るごとに、明確な形となって表れています。
ここからは、この4年間で復興がどこまで進んだのかを見ていきます。
こちらは、避難している人たちの推移です。
発生直後は、避難所などで47万人が暮らしていましたが、先月12日のまとめでは、避難先での生活を余儀なくされている人は、およそ22万9000人です。
その大半の方は、仮設住宅や賃貸住宅などで暮らしています。
一方、住宅を自力で再建できない人のための災害公営住宅は、1月末現在で、5582戸が完成しました。
しかし計画では、3万戸近くを整備するとしていますので、完成したのは19%にとどまっています。
被災地では、土地のかさ上げが必要な所が多く、建設に時間がかかっているということです。
では、この4年間で、町の姿はどう変わったんでしょうか。
空から見つめた被災地です。
岩手県宮古市の田老地区です。
巨大津波は、国内最大級の防潮堤さえも乗り越えました。
その防潮堤。
壊れた一部分は、震災の教訓を伝える遺構として残されます。
陸側に残った防潮堤は、地盤沈下した分を、40センチから80センチ高くしました。
海側には、これまでより高い、15メートル近い防潮堤を整備します。
この地区を津波から守る役割を担います。
こちらは、宮城県女川町です。
土地のかさ上げが進められています。
巨大津波で、町の中心部は壊滅的な被害を受けました。
倒れたままの建物がある一方で、町は生まれ変わろうとしています。
使われる土砂は、町の中心部だけで、600万立方メートル。
8メートル、かさ上げされた所には、新しい駅もほぼ出来上がりました。
列車の試運転も行われています。
新しい駅を中心にした町づくりが、急ピッチで進んでいます。
ご覧いただきましたように、復興は徐々に進んでいるように見えますが、被災した方々はどのように感じているんでしょうか。
NHKが行ったアンケートから見てみます。
震災時に暮らしていた地域の復興について尋ねたところ、想定より早く進んでいる、それなりに進んでいると答えた人は、この赤と黄色の部分ですが、合わせて35%でした。
このアンケートは、3年前から毎年行っています。
比べてみますと、復興が進んでいると感じている人は、増えてきているようです。
しかし、今回の調査でも、想定より遅れている、進んでいる実感が持てないと答えた人、この水色と青の部分ですが、合わせて65%いて、依然として復興に遅れを感じている人が多いことがうかがえます。
4年目の復興の現状を、人々はどのように受け止めているんでしょうか。
岩手県大船渡市です。
地震の発生時刻、工事関係者は作業を止め、黙とうをささげました。
ここでは今、津波で被害を受けた中心市街地の再生事業が進んでいます。
大船渡駅周辺のおよそ10ヘクタールをかさ上げして、商業地域にする計画で、すでに2.3ヘクタールは、建物が着工できる状態です。
共同店舗を建設し、店が家賃を払う方式で再建を目指しています。
復興は進みつつあります。
しかし、その中で具体的な課題も出ています。
永澤真樹さんです。
父親の代から続く理容店は、今、仮設の店舗。
先月、新たな市街地での家賃の目安が示されましたが、希望とは大きな開きがありました。
現在の売り上げでは賄いきれないと言い、出店するかどうか悩んでいます。
市は、家賃の負担を抑えるため、商業地域の再生事業に充てられる新たな補助金の適用を検討していますが、それには、町づくりの計画を新たに作る必要があります。
建物の着工が、さらに遅れることになるのです。
思うように進まない現状に、去年5月には、いっぽ…、81あった地元の商店からの出店希望は、半年間で14件も減りました。
さらに減るおそれもあります。
仮設商店街で釣り具店を営む齊藤晴雄さんは、事業の遅れにしびれを切らし、今は自力で土地を探して、ほかの場所で店を建てようと考えています。
町の再建が進みつつある今、具体的な課題への対処が必要になっています。
東日本大震災では、鉄道や道路も大きな被害を受けましたが、この4年で大幅に復旧が進んでいます。
鉄道は地震の直後、東北地方の全線で運転を見合わせましたが、今も運転できないのは、岩手県沿岸のJR山田線など、この赤で示した、6つの路線にまで減りました。
このうち、JR石巻線は、今月21日に運転を再開します。
高速道路も、広い範囲で通行止めになりましたが、その後、復旧に加え、新たに開通した区間も加わりました。
その一つが、常磐道です。
今月1日、全線が開通しました。
常磐道を走っている、中山アナウンサーが、新たに開通した区間に着きました。
中山さん。
今、私たちは冒頭、お伝えした、南相馬市から浪江町に入りました。
場所はこちらです。
常磐自動車道の浪江インターチェンジの入り口です。
今月1日、ここから南におよそ14キロの区間が開通しました。
今、こちらのインターチェンジの入り口を見ますと、毎時0.2マイクロシーベルトから、5.3マイクロシーベルトという表示が見えます。
これは常磐道沿いで測定された屋外の放射線量の値です。
一方、私もきょう、線量計を持ってきていますが、この7時間ほど、車の中にいた積算の数値で、1マイクロシーベルトを示しています。
これから新たに開通した区間に入ります。
ここは震災で、建設工事が中断しました。
工事中だった道は、雨風にさらされるうちに、このように崩れてしまいました。
その後、工事は再開され、放射線量の管理をしながら、限られた時間の中で進められました。
そして、ようやく全線開通に至ったのです。
きょうは日中、行き交う車の中に、土木資材を載せた車もありました。
こうして走っていて気付くのは、車の明かりのほかは、ほとんど暗闇に包まれているということです。
この周辺には、原発事故の影響で、長期間、住民が戻ることが難しいとされる帰還困難区域があるため、住宅の明かりも見えません。
復興の大きな手助けとなることが期待されています。
今月、全線で開通した常磐自動車道。
その沿線、宮城県山元町にあるイチゴ農園です。
4年前、被災した農家が集まり、設立しました。
大きい、それだ。
イチゴ狩りが人気で、週末は観光客でにぎわいます。
常磐自動車道の開通後は、首都圏からの観光客も目立つようになりました。
農園の社長、岩佐隆さんです。
いっぱい食べてくださいね。
ありがとうございます。
甘い。
そうでしょう。
津波で自宅と農園を失いましたが、イチゴで町の産業を復興させようと、取り組んでいます。
常磐自動車道の開通をきっかけに、首都圏まで販路を広げていきたいと考えています。
傷みやすいイチゴを、新鮮なまま、首都圏へ。
常磐自動車道の開通で、首都圏までの時間は、30分以上短縮されます。
さらに、成田空港から海外への輸出も視野に入ってきました。
先月には、ロシアの輸入業者が農園を訪れ、イチゴを試食。
取り引きの開始に向けて、前向きの反応だったといいます。
宮城県内では、今月、鉄道でも大きな動きがあります。
JR石巻線は、津波で線路が流され、不通になっていた浦宿駅と女川駅の間が復旧し、今月21日、全線で運行が再開されました。
あちらが新しい女川駅です。
JR石巻線では試運転が行われています。
女川駅も新しくなります。
中を彩るのは、タイルアート。
花や樹木が描かれています。
制作には、地元の女性たちが協力しました。
身近な移動手段として、町の復興を支えてほしい。
地元が期待する運行再開は、10日後です。
その石巻線の新しい女川駅から、仙台放送局の小林記者がお伝えします。
明かりがともっているこの建物が、新しい女川駅です。
10日後の石巻線の全線運転再開を控え、内装など、最後の工事作業が行われています。
女川駅は海から400メートルほどの場所に再建されました。
私が立っているこの場所を含めて、駅周辺は最大で8メートルほどかさ上げされています。
この駅を中心にして、周辺の高台には住宅地が造成されます。
震災が発生する前より、コンパクトな町づくりが進められています。
一方で、町の住宅の7割が津波で全半壊し、今もさら地が広がっています。
住宅の再建の遅れで、町の外に移り住む人も多く、震災前に比べて、人口は3000人余り減りました。
ただ、この女川町は、被災地の中でも、早い段階から復興の形が見えてきた地域です。
住民からは、不安とともに、町の新たなふるさとへの期待の声も聞こえています。
復興というレールの先に、未来を見通せるのか、震災の発生から4年、町は鉄道の運転再開とともに、新たな出発を切ります。
東日本大震災に関しては、また後ほど、お伝えします。
荒れた天気のニュースです。
低気圧と寒気の影響で、きょうは北日本や北陸を中心に、風や雪が強い荒れた天気となりました。
北日本では、あすの朝にかけても吹雪になる所がある見込みで、暴風雪などに警戒が必要です。
吹雪の中を歩く人たち。
時折、その姿も見えなくなります。
発達した低気圧と寒気の影響で、きょうは北日本や北陸を中心に風が強く、各地で吹雪となりました。
北海道江差町では、けさ早く、ミキサー車が横転しました。
山形県小国町では、午後6時半ごろに、30.2メートルの最大瞬間風速を観測しています。
岩手県雫石町では、きょう午前10時過ぎ、プレハブ小屋が強い風で横倒しになり、下敷きになった62歳の男性が死亡しました。
また秋田県由利本荘市の沖合では、きょう午後、台湾の船員など、20人が乗った貨物船が、強い風にあおられて、浅瀬に座礁しました。
現場付近は、波の高さが8メートルと、大しけだったということです。
北日本や東海、北陸の山沿いを中心にまとまった雪が降り、午後7時の積雪は、福島県会津若松市で51センチ、盛岡市で21センチなどとなっています。
北日本では、あすの朝にかけて荒れた天気が続き、吹雪になる所がある見込みです。
あすにかけて、北日本と北陸の最大瞬間風速は、30メートルから35メートルと予想されています。
北日本の日本海側を中心に、あすにかけて断続的に雪が降り、局地的に雪が強まるおそれがあります。
あすの夕方までに降る雪の量は、いずれも山沿いなどの多い所で、東北の日本海側で70センチ、北陸で60センチなどと予想されています。
気象庁は、暴風雪や大雪、高波に警戒するよう呼びかけています。
トヨタ自動車は好調な業績を背景に、生産現場の強化を図るため、正社員の採用人数について、来年の春の定期採用と、来年度の期間従業員からの登用を合わせて、技能職を中心に、前の年より500人以上増やす計画を発表しました。
トヨタ自動車はきょう、来年の春にかけての新たな正社員の採用人数を、前の年の実績より531人、率にして30%余り増やす計画を発表しました。
具体的には、工場の生産ラインなどを担う技能職を496人増やし、このうち来年4月に入社する定期採用を306人増やすほか、来年度中の期間従業員から正社員への登用を190人増やすことにしています。
さらに、車の開発などに当たる、大卒中心の技術職も、今年度より44人増やすとしています。
その結果、新たな正社員の採用人数は、全体で2275人となり、トヨタによりますと、採用が3000人を超えていた平成20年度以来の高い水準となります。
これは、今年度の営業利益が2兆7000億円と、過去最高を更新する見通しになるなど、円安を背景に好調な業績が続いているためで、トヨタは工場などに優秀な人材を増やして、生産現場の強化を図る計画です。
大相撲春場所は4日目。
被災地出身の力士たちが土俵に上がりました。
初土俵の力士たちによる前相撲。
鈴音は16歳。
ふくしまけん浪江町の出身です。
おとといのデビュー戦では敗れ、きょうは2戦目。
初めての白星を手にして、いつか関取になって、ふるさとに戻りたいと、夢を語りました。
十両の双大竜は、福島県出身のただ一人の関取です。
かち上げていきました、双大竜。
双大竜の突っ張り。
あごを上げない里山。
そのあごを狙います。
崩した。
左からのおっつけ、押し出しました。
双大竜の勝ちです。
自分が希望を与えられれば、うれしいと双大竜。
元気な相撲で2勝目です。
横綱・白鵬は、きょうが30歳の誕生日。
相手は逸ノ城。
きのう、横綱・日馬富士を破りました。
逸ノ城、上手。
白鵬、被災地に届けと、鎮魂の万全の相撲です。
白鵬は4連勝。
幕内805勝で、北の湖を抜いて、歴代3位となりました。
東日本大震災の発生から4年。
ここからは、福島の現状についてお伝えしていきます。
原発事故から、およそ1年後の福島県浪江町です。
ようやく放射線量が下がり、事故のあと、初めて上空から撮影しました。
津波の被害を受けたそのままの状態が、今も残されています。
それから3年。
そのままの状態が、今も続いているように見えます。
そんな中、何か音が聞こえてきます。
打ち上げられた船の解体です。
作業は近く終わる予定です。
復興の兆しが、徐々に見えてきています。
大量の黒い袋。
住宅などの除染で出た放射性廃棄物が入っています。
仮置き場に積み上げられています。
その量、富岡町だけでも、およそ19万立方メートル。
ここから中間貯蔵施設への搬出が、ようやく始まります。
いつまでかかるのか。
原発事故の後処理に、終わりは見えません。
福島県の復興。
先ほどもご紹介したNHKのアンケートですが、岩手県、宮城県に比べて、福島県では復興に遅れを感じている人の割合が多くなっています。
この水色と青の部分です。
今も多くの人が自宅へ帰れないままの福島県。
現在の避難区域は、このようになっています。
楢葉町は大部分が早期の帰還を目指す区域で、ことしの春以降の住民の帰還を目指しています。
ただ、元の暮らしを取り戻すには、まだ多くの困難が残っています。
原発事故で楢葉町から避難した、石沢さん夫婦です。
町は今も大部分が、避難指示解除準備区域。
昼間の立ち入りはできますが、泊まることはできません。
事故のよくとし、初めて戻りましたが、自宅はあちこち傷み、ネズミにも荒らされていました。
石沢さんはおととし11月、もうすぐ帰還できる可能性があるという話が、住民の間で持ち上がったことから、およそ50万円かけてリフォームしました。
しかし、すぐに戻ることはできませんでした。
今、畳には再び、カビが生え、新たな雨漏りも見つかっています。
町では、この春以降の帰還を目指していると説明していますが、石沢さんは、時期がはっきりしない中では、2度目の修繕にためらいがあるといいます。
そして、帰ったあとの生活にも不安を抱えています。
戻るのは高齢者ばかりではないかと考えているのです。
今、周辺の地域では、住宅の修繕が盛んになってきていますが、業者の見方も同じです。
楢葉町から避難し、いわき市で工務店を再開している、南波真さんです。
避難区域の仕事を依頼してくる人に、若い世代はいないといいます。
このままでは、町の復興は果たせないと感じています。
町を再生できるのか。
楢葉町は、住宅環境を整備したあとに、目を向け始めています。
この復興が進まない福島の現状を、まさに表すような場所があります。
福島第一原発から9キロほど、富岡町の対策本部が置かれていた建物です。
4年前の状況が当時のまま、残っています。
福島放送局の本田アナウンサーがいます。
4年前の、この時間、ここには富岡町の方が100人近く避難をして、不安な夜を過ごしていました。
ここは富岡町にある文化交流センターです。
ここには、災害対策本部や避難所が、東日本大震災の当日に設置されました。
こちらが、災害対策本部で使われた机です。
机の上には、メモや地図がそのまま残っています。
例えばこちら、震災の翌日です。
3月12日午前7時55分、バスで川内村に避難と記されています。
この時間から、町の外への避難が始まりました。
このように、町の災害対策本部や避難所が残っているのには、富岡町が置かれている現状に理由があります。
それがこちらです。
富岡町、今も3つの避難指示区域に分かれています。
私がいるのは、黄色の居住制限区域に当たる場所です。
宿泊することができません。
そのため、こうした建物が当時のままで残されているんです。
富岡町では、帰還困難区域以外の地域では、電気が整っています。
さらに、ことしの夏ごろには、上下水道が本格的に復旧する見込みです。
しかし、その一方で、復興庁の調査では、住民の半分が戻らないと回答しています。
それは一体なぜなんでしょうか。
富岡町総務課長のたきざわさんに話を聞きます。
滝沢さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
町の住民の方が半分、戻らないと答えている状況について、原因はどこにあると考えていますか?
町内において本格的な除染、始まったのが、26年の1月になります。
もう震災から、もう2年半以上も過ぎたことになりまして、そこで、やはり子どもたち、学校に行ったり、そこで仕事を見つけたりということで、町内に戻っても、将来が見通せないという状況の中で、こういう結果になったのかなというふうに思っています。
滝沢さん、東京の武田です。
こんばんは。
なかなか戻れないという気持ちを持たれる方がいる一方で、復興庁の調査では、およそ11.9%の人が戻りたいとも答えてらっしゃいます。
その戻りたいという方を増やしていくためには、町としてどんな対応を考えていかれますか?
ことし、ちょうど富岡町、合併60周年を迎えます。
そのためには、やはりいろんなイベント等を通して、あとは情報発信も当然なんですが、そういうものを通して、やはり、少しでも絆って言いますか、町民をつなぎとめておきたいということで、今、町のほうでも一生懸命、頑張っているところでございます。
絆をつなぎとめるということが、今、最大の課題だということですね?
はい。
ありがとうございました。
ここまで富岡町から中継でお伝えしました。
その富岡町にあるインターチェンジで、常磐道の取材班が降りたようです。
中山さん。
向こうには先ほど通ってきた常磐道、車のヘッドライトが、今、見えました。
私がいるのは、常磐富岡インターチェンジを降りて、すぐの場所です。
福島第一原発がある大熊町にやって来ました。
この辺り、4年前までは田んぼでしたが、今は除染作業で出た土を一時的に保管する、仮置き場になっています。
このフェンスの中には、緑色のカバーがかけられた山が、いくつも見えます。
すべてが除染作業で出た土や草木です。
手前にある山の高さは3メートルほど。
奥には、高さ5メートルに上るものもあります。
重さおよそ1トンになる袋が、3万個以上、保管されています。
周辺には、同じような仮置き場が、いくつもあります。
除染作業が進むにつれて、こうした仮置き場が見つからないケースも増えています。
こうした除染で出た大量の土などは、あさってから中間貯蔵施設への搬入が始まります。
しかし、ここでも多くの課題が残されています。
福島県富岡町では、きょうも除染が行われていました。
こうしてたまり続ける汚染された土など。
国の推計で、福島県内だけで、最大2200万立方メートル。
東京ドーム18杯分になるとされています。
中間貯蔵施設の工事は、先月、ようやく始まりました。
除染で出た土などを福島県外で最終処分するまでの間、保管する施設です。
計画では、東京電力福島第一原発周辺の双葉町と大熊町にまたがる、16平方キロメートルの広大な土地に建設します。
しかし、地権者は2300人以上に上り、交渉は難航しています。
これまでに売買の契約ができたのは1件だけで、施設の完成や、搬入完了の時期については、見通しが立っていません。
除染で出た土などは、福島県内の59市町村のうち、54の市町村で一時保管されています。
ここから施設に集められますが、その輸送にも課題があります。
輸送は主に高速道路が使われますが、学校や住宅に近い生活道路の利用も想定されています。
国などの試算では、10トンのダンプカーが多い所で、1時間当たり200台以上通る可能性があります。
すでに被災地では、工事車両が増え、大型車両などが渋滞を抜け出そうと、通学路となっている細い道路などを通ることもあります。
搬入が本格的に始まると、さらに交通量が増えると、不安を感じている人も少なくありません。
子どもたちが事故に巻き込まれるのではないかと、登下校の際は車で送迎しています。
そして住民が最も懸念するのは、中間貯蔵施設が、本当に中間の施設となるのかです。
政府は去年、中間貯蔵施設で保管を始めて30年以内に、福島県外で最終処分を完了することを定めた法案を成立させています。
しかし、その用地や方法も含め、全くメドが立っていないのが実態です。
中間貯蔵施設と、あさってから始まる搬入は、復興への大きな一歩です。
しかし、人々の不安がいつ払拭されるのか、先行きは見通せないままです。
原発事故が突きつけた課題は、時とともに積み重なっていますが、全国の原発は今、どうなっているんでしょうか。
国内には、16か所に48基の原子炉があり、現在はすべて運転を停止しています。
このうち鹿児島県にある川内原発1号機と2号機、福井県にある高浜原発3号機と4号機は、原子力規制委員会が、規制基準に適合していると判断。
このほか、建設中の原発を含む、12か所の17基で、審査が行われています。
規制委員会トップの田中委員長はきょう、規制庁の職員に訓示し、事故の教訓と責任の重さを忘れてはならないと呼びかけました。
世界最高水準の安全規制を目指すとしている、原子力規制委員会。
最初に規制基準を満たしているとしたのが、九州電力の川内原発1号機と2号機です。
鹿児島県と薩摩川内市は、すでに再稼働に同意。
認可や、設備の検査が残されていて、九州電力が目指す再稼働は、早くて5月以降になる見通しです。
また関西電力の高浜原発3号機と4号機も、規制基準を満たしていると判断されました。
地元自治体の同意などは、これからです。
一方、運転開始からおよそ40年がたつ、7基の原子炉のうち、5基は、各電力会社が廃炉を検討しています。
国民は、原発の再稼働をどう考えているんでしょうか。
NHKの世論調査では、国の原子力規制委員会が安全性を確認した原発は、運転再開を進めるという政府の方針に、賛成かどうか尋ねたところ、賛成が23%、反対が41%、どちらともいえないが30%でした。
自然災害への備えや、事故後の対応など、数多くの課題を突きつけた原発事故から4年。
原子力エネルギーとどう向き合うのか、引き続き問われています。
そして今も続く、4年前の巨大地震の余震。
ひずみがたまったままの場所で、特に活発な状態が続いていることが分かりました。
専門家は、注意が必要だとしています。
先月17日、東北地方で相次いだ地震。
いずれも、4年前の巨大地震の余震でした。
体に感じる余震の月ごとの回数です。
巨大地震が起きた3月は3000回を超えましたが、徐々に減少しました。
この1年間で見ますと、月ごとに60回前後です。
しかし、巨大地震の発生前、10年間の平均に比べますと、2倍以上と、依然として多い状態です。
その余震に、地域的な特徴があることが分かってきました。
地震のメカニズムに詳しい、東北大学の遠田晋次教授です。
色が赤に近いほど、地震が起きる頻度が高い所です。
先月までの2年間の地震活動と、巨大地震が起きる前までの10年間とを比べました。
三陸沖の北部や、岩手県の沿岸部と東北の内陸、福島県から千葉県にかけての沿岸や沖合などで、地震が起きる頻度が、数十倍から数百倍に上っていました。
遠田教授は、巨大地震でプレートが大きく動いた宮城県沖の周辺などにひずみがたまり、地震が起きやすくなっていると分析しています。
先月の津波が発生した地震が起きたのも、三陸沖でした。
あの日から4年。
復興に向けた歩みは、少しずつ進んでいますが、被災地では今もその実感を持てず、不安を感じている人が少なくありません。
今後も日本では、南海トラフの巨大地震や首都直下地震など、各地で地震や津波の被害が想定されています。
被災地の現実を自分のこととして受け止めるとともに、新たな災害へ備えることが今、私たちに必要なことだと思います。
気象情報をお伝えします。
北海道の近くにある発達した低気圧は、あすは次第に離れていく見通しです。
ですが、あすもまだ、北日本や北陸では、雪や風が強まる見通しです。
特にあすの朝までは、非常に強い風の吹く所がありそうです。
そして雪の量ですが、上空に寒気があすもまだ残る影響で、日中、さらに増える見通しです。
あすの夕方にかけて多い所、東北では70センチ、新潟県60センチ、北海道などでは50センチと予想されています。
では、時間ごとに見ていきます。
このあと、日付が変わったころは特に北陸付近で紫色の表示、再び雪が強まりそうです。
そしてあすの日中も、日本海側を中心に雪が降ったりやんだりで、あすもまだ、ふぶく所がありそうです。
では、あすの全国の天気です。
地震が起きた日に生まれた男の子は、4歳になりました。
僕の誕生日。
くっついてる。
生まれたときも、看護師さんに手術室で、守っていただいたというのもありますし、みんなにお世話になって大きくなってきた世って言うのを、伝えていきたいかなと思います。
2015/03/11(水) 19:00〜20:00
NHK総合1・神戸
NHKニュース7[二][字]

▽東日本大震災から4年 ▽“復興”の実感は? ▽進まぬ自宅への帰還 ▽原発廃炉計画の現状 ▽常磐道から移動中継 【キャスター】武田真一ほか

詳細情報
番組内容
【サブキャスター】上條倫子,【気象キャスター】寺川奈津美
出演者
【キャスター】武田真一,【サブキャスター】上條倫子,【気象キャスター】寺川奈津美

ジャンル :
ニュース/報道 – 定時・総合
ニュース/報道 – 天気
スポーツ – スポーツニュース

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 1/0+1/0モード(デュアルモノ)
日本語
英語
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32080(0x7D50)
TransportStreamID:32080(0x7D50)
ServiceID:43008(0xA800)
EventID:20756(0x5114)

カテゴリー: 未分類 | 投稿日: | 投稿者: