≫5時54分になりました。
ここからは福島からお伝えをしてまいります。
震災から4年。
現在も廃炉に向けた作業が続けられています福島第1原発の作業員たちの最前線の拠点となっているのがこちらのJヴィレッジです。
ここでおよそ7000人の方たちが24時間態勢で福島第1原発の廃炉作業を行っているんです。
今日の2時46分にはこの福島第1原発も含めて各地で祈りがささげられました。
被災地では明らかに復興が進んでいるとみられる地域もある一方で取り残されたり地域の消滅という危機にさらされている地域もあるんです。
なお、これから流れるVTRの中には当時の津波の映像が含まれることを、あらかじめお伝えしておきたいと思います。
≫あれから4年。
≫黙祷。
≫死者1万5891人。
今も2584人が行方不明になっている未曽有の大災害。
全国各地で鎮魂と復興の祈りが捧げられる中東京都内では天皇・皇后両陛下ご出席のもと政府主催の追悼式が開かれました。
≫4年の月日を経て進められてきた復興への歩み。
その歩みは、一様ではありません。
人口減少率が全国で最も高い宮城県女川町。
震災前、1万人以上だった人口はおよそ7000人まで減少しました。
そんな町に、震災から4年を経て新たなシンボルとなる駅舎が完成。
復興へ向けて一歩ずつ前進しています。
しかし、同じ女川町でも復興から取り残された場所があります。
≫あちら、左手側が出島の先端で右手が女川町の本土なんです。
≫女川の本土から目と鼻の先にある出島。
4年前、この島を津波が襲いました。
死者・行方不明者は25人。
島は壊滅的な被害を受け診療所や商店も閉鎖されました。
震災前、500人いた島民は今ではわずか100人に。
学校も全て閉校し、子どもたちは島から姿を消しました。
去年できた復興住宅に住んでいるのは高齢者ばかりです。
そこに住む阿部七郎さん幸子さん夫婦。
震災後、しばらくは息子夫婦と孫と一緒に島の仮設住宅で暮らしていましたが学校の閉校をきっかけに息子夫婦は島を去りました。
≫このままでは島から誰もいなくなってしまう。
危機感を募らせる島民の多くが望むのが出島と本土を結ぶ橋です。
≫しかし、橋を架けるためにはおよそ100億円が必要で震災から4年が経った今もそのめどは立っていません。
島を離れる選択をした人も少なくありません。
漁師の阿部誠さん。
震災前はこの出島の養殖場の目の前に自宅がありましたが津波で全壊しました。
≫阿部さんは去年7月に橋の建設を待ちきれず本土に一軒家を購入。
島を離れ息子夫婦や孫たちと一緒に本土に暮らすことを決めました。
これまで女川町は宮城県に橋の建設を求めてきましたが進展はありませんでした。
そこで町は、直接国に建設予算の働きかけをしていますが結論は、まだ出ていません。
橋が完成するまでには着工から8年以上かかります。
島民からは諦めに近い声も聞こえてきます。
≫被災地で進む過疎化と高齢化。
復興から取り残されたこの島に笑顔が戻る日はくるのでしょうか。
≫今ご覧いただいた出島なんですが。
これは出島だけの問題ではもちろんないんですね。
この被災地の復興に1つ、大きな陰を落としているのは今ご覧いただいた高齢化そして、過疎化なんです。
やはり、高齢の方たちにとって1年というのは大変、長い時間の推移なんですね。
今、考えられている復興プロジェクト。
例えば4年前に立てられた復興プロジェクトが4年後にその土地の被災地の現状に見合っているかどうかということ。
これもう一度考え直さなくてはいけないときにきているのではないでしょうか。
つまり、高齢化ゆえにたとえ、宅地造成が間に合ったとしてももうそのときすでに高齢化に伴ってそこに住むような力が残っていない、状況にないといった方たちが出てきているのが現状なんです。
今、4年前に考えられた復興プロジェクトが、今はただ絵に描いた餅に≫ここからは東京・お台場のスタジオからお伝えいたします。
今日も台風並みに発達した低気圧が各地で猛威を振るっています。
≫岩手では強風で倒れた建物の下敷きになり男性が死亡。
福島では雪で100台以上の車が一時立ち往生しました。
≫青森県の五所川原市の郊外に来ています。
猛烈な地吹雪です。
視界が全くありません。
目を開けているのもやっとの状態です。
≫猛烈な風と雪で視界が一面真っ白になるホワイトアウトの状態になったのは青森県五所川原市。
取材中の記者がカメラのレンズについた雪を拭き取ろうとすると…。
≫マイクのカバーが風で飛ばされました。
新潟県佐渡市の海岸では…。
波しぶきが近くの住宅の2倍以上の高さにまで上がりました。
台風並みに発達した低気圧が北海道付近で停滞。
そのため、北日本や北陸を中心に雪や風による被害が相次いでいます。
強風で横倒しになったプレハブ小屋。
午前10時半ごろ岩手県雫石町で工事用のプレハブ小屋が倒れ雪かきをしていた62歳の福士克範さんが下敷きになり死亡しました。
更に、北海道月形町では…。
≫トラックと乗用車が激しく衝突し落ちているのが見えます。
≫午前7時前トレーラーが対向車線にはみ出し軽乗用車と正面衝突。
軽乗用車に乗っていた20代の男性3人が重軽傷を負いました。
現場の路面は凍結し事故当時最大瞬間風速17メートルを超える強風が吹いていました。
一方、新千歳空港では昨日から今朝にかけて降り続いた雪のため2本ある滑走路が閉鎖。
欠航便が相次ぐ事態に。
空港内では足止めされた乗客らおよそ1200人が配られた毛布に包まり床やベンチで一夜を過ごしました。
≫そして、福島県では…。
≫会津若松方面から郡山方面へと車が渋滞していてほとんど動かない状態です。
風が強く、視界が雪にさえぎられてしまうこともあります。
≫雪で動けなくなった車が道路をふさぎおよそ130台の車が一時立ち往生しました。
北日本を中心に明日にかけて引き続き荒れた天気となる見込みで気象庁は警戒を呼びかけています。
≫ロンドンオリンピックのフランスの金メダリストら10人が亡くなったヘリコプター同士の空中衝突事故。
人気アスリートの突然の訃報にフランスのオランド大統領も悲しみの声を寄せています。
≫上空を飛ぶ2機のヘリコプター。
ところが、次の瞬間…。
≫ヘリコプター同士が突然、空中で衝突し2機ともそのまま落下して地上へ激突。
≫激しく炎上するヘリコプター。
アルゼンチン北西部のラリオハ州で現地時間9日に起きたこの事故で10人の尊い命が失われました。
映像を見ると当初、ヘリコプターの距離は離れていましたが次第に距離が縮まり空中衝突したことがわかります。
この犠牲者の中には…。
≫オリンピック初めての金メダル。
フランスのムファ決めました!≫ロンドンオリンピック競泳の金メダリストカミーユ・ムファさん。
更に北京オリンピックのボクシング銅メダリストのアレクシス・バスティンさんが含まれていました。
フランスで絶大な人気を誇るカミーユ・ムファさん。
突然の訃報に父親は…。
≫ムファさんらがこのヘリコプターに乗っていたのはあるテレビ番組に出演するためでした。
その番組とは、「ドロップト」。
もともとはスウェーデンの番組でヘリコプターに乗せられたスポーツ選手が未開の地に放り出されそこからの脱出に密着するもの。
2人のメダリストはこのフランス版の撮影に参加していました。
フランスの一部メディアは片方のヘリコプターはもう片方のヘリコプターが飛行している様子を撮影していたとしてどちらかのヘリコプターが急に進路を変えたことで空中衝突を招いたと伝えています。
≫フランスのオランド大統領は突然、我々のチャンピオンたちを失うことは大きな悲しみと哀悼の意を述べました。
≫8月に北京で行われる陸上世界選手権のマラソン代表が発表され解説者の増田明美さんが女子の選考についてその場で疑問を呈しました。
代表選考では大阪国際3位の重友梨佐選手が選ばれ選考レースの横浜国際で優勝した田中智美選手が落選する不可解なものとなりました。
≫選考をめぐるトラブルが多いマラソン。
改めてその選考基準が問われます。
では再び関西テレビのスタジオからアンカーを続けます。
5時台に速報でお伝えした、大阪府の中原徹教育長、辞職表明のニュース、本人の声が入ってきました。
中原教育長は、女性委員などに対するパワーハラスメントが認定され、問題となっていました。
私は民間人校長として、3年間、務めまして、そのあと教育長として2年、大阪にいさせていただいて、教育改革がまだ道半ばで。
大阪府の中原徹教育長は、午後5時から始まった臨時の教育委員会の会議で、教育長の辞職を表明し、会議では了承されました。
中原教育長は、去年10月の会議で、立川さおり委員が、認定こども園の定員について、委員会の方針に反対の主張をしたことに対し、誰のおかげで委員でいられるのか、罷免要求を出すなどと、威圧的な発言をしました。
さらに第三者委員会の調査で、立川委員のほかに、4人の部下に対しての言動が、パワーハラスメントに当たると認定されました。
大阪府の松井知事は、中原教育長を続投させる意向を示していましたが、野党3会派は、教育長として不適格と、議会に辞職勧告決議案を提出し、混乱が続いていました。
4名の方に関する事実については、私は大いに真実でないところがあるというふうに思っています。
中原教育長は、大阪市の橋下市長の大学時代の友人で、府立高校の民間人校長を経て、おととし4月から教育長を務めていました。
非常に残念ですね。
辞める必要はないし、ああいう形で職員にやっぱり不適切な発言、組織の長として、不適切な態度、ふるまいをやったこと、これはやっぱり反省しなきゃいけませんけれども。
教育委員会の事務方のトップである中原教育長の辞任で、新年度を前に、教育行政に大きな混乱が生じることも予想されます。
東日本大震災が発生してから、きょうで4年です。
近畿各地でも追悼の祈りがささげられました。
神戸市の東遊園地では、ことし1月に、阪神・淡路大震災の追悼式典でも使われた竹灯籠に明かりがともされました。
黙とう。
3・11の形に並べた竹灯籠の前で、東日本の被災地へ向けて、メッセージが送られました。
東日本大震災を経験された方々も、4年たった今だからこそ抱える課題や不安がたくさんあると思います。
東日本と神戸、距離が遠く、気軽に会うことはできませんが、皆、神戸から東日本の皆様のことを思っています。
復興するまでが、今回の震災は長いので、私が行って、何ができるわけでもないんですけど、やっぱり気持ちだけは崩れないでほしいなとは思いますけどね。
京都市内の神社でも、被災地へ祈りがささげられ、福島県や宮城県などから避難している人たちも訪れました。
近畿では、今も3285人が避難生活を送っています。
一人一人が平安な心、落ち着いた生活ができればと祈りました。
やっぱり見てくると悲惨です。
荒れた、これが、えー日本なのという、その状況は、いくら戻って暮らせるっていっても、全体がならないかぎり、あんな所に帰れるんでしょうかって、私は疑問に思っています。
津波発生!逃げろ!逃げろ!逃げるぞ!車掌、後ろ行って、車掌、後ろ行って。
4年前の教訓を生かすために、南海トラフ巨大地震で、数分で津波が到達するとされる和歌山県串本町では、震度7の地震が発生したという想定で訓練が行われました。
頑張れ!あとちょっと!津波来るぞ!
訓練には、地域の子どもや高齢者も参加して、助け合いながら、高さ30メートルの高台まで駆け上がりました。
実際にやってみますと、非常に時間がかかります。
まだまだです。
皆さんを無事にここまでお連れするこれはまだまだ、トレーニングしなければいけません。
訓練しなければいけません。
将来、必ず起きるといわれる巨大地震。
常に備えておくことが必要です。
このあとは特集です。
変わりゆく被災した町と、変わらない遺族の思いです。
すべてを失ったあの日から、息子の姿を追い求める日々が始まりました。
この町は、なんにもなくて、復興するんじゃない、ちゃんとここには町があって、たくさんの命があったんだっていうことを、なんとか忘れないでいてほしいと。
4年という時間は、町の姿を再び大きく変えようとしています。
きょうは特集も、東日本大震災についてお伝えします。
津波で大きな被害を受けた宮城県の港町で、息子を亡くした母親が語り部をしています。
息子の生きた証しが消えてしまわないように。
震災直後はことばにできず、ずっと胸に秘めていた思いを伝え続けています。
復興に向けた工事が進む、宮城県名取市閖上。
この町に震災の記憶を伝える語り部がいます。
目の前にあるのが、閖上中学校。
閖上っていう文字、読めますか?読めたら、漢字検定よっぽど上位の人だと思います。
丹野祐子さん。
ここを訪れた人たちに、あの日の出来事を語り続けています。
生徒の約1割が、残念なことに犠牲になりました。
1年の丹野公太、これが私の息子なんです。
中学1年だった丹野公太君は、あの日、中学校に避難しようとして津波に飲み込まれました。
14人の尊い命が刻まれたこの慰霊碑は、息子の姿を感じることができる特別な場所です。
公太君がたどりつけなかった中学校に、震災のあと、丹野さんは何度となく足を運びました。
掃除しましたね、きれいになりました。
泥がなくなりましたよ。
ここからね、海が見えるんですよ。
震災前、この校舎から海が見えるっていうことを意識したことがね、なかったんです。
今はね、もう本当に、重機の音しかしないですけど。
この校舎には、ちゃんと子どもたちがいたんですよ。
中学生のね、元気な声が響いてたはずだったのに。
ここが息子の教室だった。
もうね、どこが息子のロッカーだったかも、分かんなくなってしまいましたね。
あの日、丹野さんは公太君と一緒に公民館に避難していました。
中学校に逃げたほうがいい、誰かの声に反応した公太君は、一人、中学校を目指してしまったのです。
息子はね、残念なことに、たぶん、がれきに押しつぶされてしまったらしくて、お顔を見ることができませんという貼り紙が貼られてたんですよ。
なので、私は、実は顔を見ていないんです。
主人は顔を確認してるんですけど。
火葬するまで少し時間はあったんですけど、とうとう私は、最後の息子のね、顔を見ることができなかったんです。
今思うとね、どうしてちゃんとお別れしてやらなかったのかと思うんだけど、あのときはね、本当に、自分だけ助かったのに、顔を見れませんって札を貼られてる、それくらい傷ついてる息子を、見る勇気が、私にはなかったんですよ。
丹野さんは、人が集まる場所を避けるようになりました。
息子への思いを誰にも打ち明けることができなかったのです。
一緒にいるよう引き止めていたら…。
中学校にたどりついてさえいれば。
一人で思いを抱え込んだまま、自分を責め続けてきました。
立ち止まったままの丹野さんをよそに、町は大きく姿を変えました。
かつて漁師町として栄えた閖上では、現地で町を立て直すことが決まり、去年10月から土地のかさ上げ工事が始まりました。
閖上では、まだ39人が行方不明のままで、掘り返した土を調べながら、工事が進められています。
町が完成するのは3年後です。
丹野さんが語り部をするようになったのは、震災から1年が過ぎたころでした。
被災地におばけが出るって、おばけでもいいから、おばけでいいから、息子に会いたいって、そう思った私は、夜中にこっそり、ここ、閖上に車を走らせてみました。
かつての閖上の町のこと、襲いかかった津波のこと、子どもたちが生きた証しを、誰かに伝えたいと思うようになりました。
それは自分が前を向いて生きていくためでもありました。
忘れないように、何度も何度も繰り返し、あの日のことを語ることによって、自分が忘れないようにしてるんです。
思いを形にしたいと、丹野さんが中心となって建てたこの慰霊碑は、亡くなった子どもたちと触れ合える唯一の場所です。
ここもまもなく、かさ上げ工事が始まるため、慰霊碑も別の場所へ移されます。
丹野さんの実家の跡には、災害公営住宅が建設される予定です。
もうね、面影がなくなっちゃったので、ここに私の町内会があったんです。
住んでた場所だったんですけども、どこまでがどうかっていうのが、分からなくなりましたね。
町がなくなりましたね。
本当になくなりました。
大丈夫です。
目をつむればね、ちゃんと覚えてますから、大丈夫です、きっと。
忘れないです。
忘れません。
ここに再び戻るのか。
別の場所で暮らすのか。
4年たった今も、丹野さんは答えを出せずにいます。
きょうだけは、静寂が町を包み込みます。
午後2時46分ちょうどをお知らせします。
黙とう。
皆様で、風船を飛ばしたいと思います。
3、2、1、届け!
届け!
東日本大震災から4年。
バイバイ。
いってらっしゃい。
町の姿は変わっても、人々の生きた証しが、ここにはあります。
津波に飲まれる直前まで一緒にいて、息子の公太君だけ犠牲になるっていう、この無念さとか、悲しみっていうのは、もう本当に、想像を絶すると思うんですよね。
特にきょう3月11日っていうのは、どれほどつらいかと思うんですが、語り部として語り続けるっていうのも、なかなか思い出すことにつらさもあると思うんですけれども、慰霊碑が別の場所に移ったとしても、この公太君が生きていた証し、これを消えてしまわないように、本当につらいとは思うんですけれども、丹野祐子さんはこれからも語り続けます。
特集でした。
このあともニュースを続けます。
兜町の風雲児と呼ばれた大物投資家らが、株価を操作するため、インターネット上に、根拠のない情報を流したとして、証券取引等監視委員会は、強制調査に乗り出しました。
投資家らは、巨額の利益を得ていたと見られます。
強制調査は、1980年代に、1000億円ともいわれる莫大な資金で株取り引きを行い、兜町の風雲児と呼ばれた大物投資家と親族4人を対象にしています。
関係者によると、投資家らは2011年、当時、大阪証券取引所の一部に上場する、新日本理化の株価をつり上げるため、ブログに根拠のない情報を書き込んだ疑いが持たれています。
ブログに書き込む前日に、274円だった株価は、3回にわたるブログの更新で値上がりを続け、一時は1297円にまで暴騰しました。
投資家らは、およそ1億3000万円の利益を得たと見られ、証券取引等監視委員会が調査を進めています。
大阪大学歯学部の元助教と妻が、母親を暴行して死なせたとして、傷害致死の罪に問われた裁判の控訴審で、大阪高等裁判所は、1審の懲役8年を破棄し、罰金20万円を言い渡しました。
大阪大学歯学部の元助教、佐保輝之被告と妻のひかる被告は、4年前に、同居していた母親の重子さんを、殴るなどして死なせたとして、1審の大阪地方裁判所は、2人に懲役8年を言い渡していました。
きょうの判決で大阪高等裁判所は、認知症を発症していたと見られる重子さんは、手に負えないような力で暴れた可能性を否定できず、胸の致命傷についても、2人の故意によると断定できないとして、1審判決を破棄しました。
その上で、体を押さえつけるなどの暴行はあったと認定し、罰金20万円を言い渡しました。
はいかいをするとか、物忘れをするとかっていうことは、かなり広まっていますけれども、暴れるということに関しては、ほとんど、ニュースとかでも、出てないので、もっと世間の人たちに知っていただく必要があるんじゃないかなと思います。
2人は、認知症で暴れる母の体を押さえたことはあるが、暴行はしていない。
大筋で主張が認められたことについては、ほっとしたと話しています。
このあとはスポらばです。
京都大学出身の千葉ロッテ、田中英祐投手が、オープン戦に初登板。
1軍入りをアピールできたのでしょうか。
スポらば、中島キャスターです。
こんばんは。
京都大学初のプロ野球選手、千葉ロッテの田中英祐投手が、オープン戦デビューです。
開幕1軍に向け、アピールできたのでしょうか。
田中!
ファンも大注目の中、オープンカーで登場したのは、京大初のプロ野球選手、田中英祐。
初球は力強いストレート。
1人目を外野フライに打ち取ると。
続くバッターには、この変化球。
この回を無失点で抑えます。
しかし続く7回、連続ヒットを浴び、ノーアウト満塁のピンチに。
ここで田中は。
なんとフォアボールで押し出し。
さらに犠牲フライでこの回、2点を失います。
それでも帽子を飛ばし、気迫のピッチングを続ける田中。
最後は。
味方のファインプレーにも助けられ、2回を投げ、3安打2失点。
ほろ苦いデビューとなりました。
次です。
プロ野球の開幕を新たな決意で迎える選手がいます。
オリックスの谷佳知選手です。
けがからの復活、そして、大記録達成へ。
ベテランの思いに迫ります。
観客もまばらなオリックス2軍キャンプ。
ここに、プロ19年目のベテランがいました。
谷佳知選手42歳。
大記録達成を目指し、今シーズンに挑みます。
早く2000本達成するのが一番ですし、その先もまだまだ打っていきたいなと自分の中では、思っているんで。
ことしやっぱ達成できれば一番いいなと思いますけどね。
プロ18年で、積み上げたヒットの数は1923本。
大学、社会人を経験してのプロ入りで、2000本安打を達成すれば、プロ野球史上3人目の偉業となります。
プロ1年目の1997年、宮古島キャンプで、イチロー、田口らと練習に励み、プロ野球選手としての基礎を作りました。
173センチと小柄ながら、たぐいまれなバッティングセンスは、イチローが天才と呼びました。
2007年に巨人に移籍。
主力として、7年間で5度のリーグ優勝に貢献しました。
そして去年。
数多くの経験をし、8年ぶりにオリックスに帰ってきました。
ご無沙汰してます。
帰ってきました。
しかし、開幕こそ1軍で迎えましたが、足や肩のけがもあり、出場は僅か9試合。
放ったヒットは、たったの2本でした。
4月に2軍へ落ちて以降、1軍に上がることはありませんでした。
こういう世界は結果なんで、結果がすべてなんで、結果を出していかないと。
1軍で戦うために。
かつて天才と呼ばれた男が、地道な努力を重ねます。
去年のけがも治り、不安なく挑める今シーズン。
ライバルでもある若い選手に積極的に声をかけ、自分の経験を惜しみなく伝えています。
それは、チームが強くなってほしい一心からです。
オリックスの選手から育ってほしいなと思う気持ちもすごいありますし、若い選手なんで、これからどんどん上を目指してやっていかないといけないんで、それの、ちょっとでも助けになればなと思ってやってますけど。
チーム最年長となった谷選手。
経験を伝え、そして己を磨く。
勝つ喜びを誰よりも知るベテランが、19年間、優勝から遠ざかったチームに、経験を伝えます。
チームが勝つのがやっぱ、まず大事に置いてほしいなと思いますし、その中に自分の目標としては、2000本安打を打つことが目標なんで、1軍に行って、活躍する。
試合に出る、レギュラーになるというのを目標に、1年間をやっていきたいなと思ってますけど。
以上、スポらばでした。
このあとは片平さんのお天気です。
あすのポイントはこちら。
寒さ続く。
冬の寒さはあすで3日目。
あしたもあったかくしてお過ごしください。
ではお天気ナビの時間です。
片平さん、お願いします。
徳島市の武家屋敷では、樹齢およそ250年のカンザクラが、ことしも満開となっています。
この桜は、阿波藩主、蜂須賀もちあきが愛したことから、蜂須賀桜と呼ばれているんですね。
地元の人たちによって、大切に守られています。
ピンク色の花びらが鮮やかに咲き誇り、蜜を求めて鳥たちも飛び交っていました。
あったかくなると、一斉に花が散ってしまうということで、今、寒いですけど、この寒いうちが見頃だということです。
もう少しで春ですね。
そうなんですね。
ただ冷たい空気があるときはまだ散らずにいるということなんです。
また冷えた所が多くて、けさの最低気温は、舞鶴で氷点下3.7度、3月になったのに、舞鶴では今シーズン一番冷え込んだのが、けさだったわけですね。
今シーズン1だったわけですか。
昼間の気温も、舞鶴では4.8度ということで、雪が降ったりやんだり、寒かったわけですね。
寒さが、あしたぐらいまではまだ続く見通しなんですが、来週はあったかくなりそうですからね、もう少しの辛抱かなと思います。
雪雲や雨雲の様子を見ていただくと、だんだん南のほう、太平洋側辺りの、雪雲も、ちょっと画面、見えにくいですけれども、きょうの日中、雪雲がかかった時間帯もあったんですが、この雪雲はだいぶ弱まってきました。
日本海側の雪雲も、だんだんだんだん姿を消していっているというところなんですね。
あすはまだ西高東低の冬型の気圧配置なんですが、この線の幅、この間隔に注目しておいて、あさっての天気図を見ると、若干開いてきますし、南のほうに高気圧が進んできて、この状況はもう、西高東低とは言えない形なんですよね。
どうやら、今回の厳しい寒さは、あしたで一段落かなといったところ。
来週になると、あったかくなってくると見ています。
よかったです。
詳しくお願いします。
本当に来週はあったかくなるのか、上空の気温を予想を見ていただくと、このあと、あしたにかけては冷たい紫色の表示の所に入っていますが、南のほうに注目してくださいね。
黄色やオレンジのあったかい空気が、空気が、特に週明け月曜日以降、ぐっと近畿地方にも流れ込んでくる見通しなんです。
大体、上空の気温としてはこれ、4月の終わりぐらいに流れ込むような、あったかい空気がやって来るということで、週間予報を見ていただいても、今週末までは、まだ寒い日もありそうなんですが、来週の週明け以降、一気に気温が高くなります。
火曜日は、なんと大阪で20度という予想も出ているくらいなんですね。
こうなってくると、桜の開花の予想も気になりますが、最新の予想では、大阪では3月26日、もう再来週のことなんですよね。
早い所では、高知では3月21日、これ、来週の土曜日です。
もう2週間を切っているということで、春は本当に、もうすぐそこまで迫っていますので、今回の寒波、かぜなどをひかずに、やり過ごしていただきたいなと思います。
では全国のあすのお天気です。
あすはまだ冬のお天気の所が多いでしょう。
北日本の日本海側ではふぶいて、雷を伴う所もありそうです。
近畿地方もきょうよりましにはなりますが、まだ冬のお天気と冬の寒さ、日本海側はマークにはないんですが、降水確率で見ていただくと、20%ぐらいと、少し高めなんですね。
日本海側ではにわか雪の可能性が、あしたもまだ若干あります。
そして、あしたはきょうより、気温が高め、朝の気温は2度前後で、寒いんですが、きょうよりは高めです。
昼間の気温もきょうより高めですが、10度に届くかどうか、あしたもまだ寒いと思っておいてください。
スギの花粉の飛散は最盛期を迎えています。
近畿の南部を中心に、非常に多く飛ぶでしょう。
おしまいに週間予報をもう一度。
このあと月曜日以降、来週はあったかくなってくると見ています。
東日本大震災からきょうで4年です。
あの日、あのとき何をしていたかって、たぶん、ここにいる皆さんね、全員覚えてる、それぐらい特別な一日なんで2015/03/11(水) 17:54〜19:00
関西テレビ1
FNNスーパーニュース アンカー[字]【息子の生きた証しを…震災語り部を続ける母】
息子の生きた証しを震災語り部を続ける母▽2000本安打達成へ!オリックス谷の決意
詳細情報
番組内容
新アンカーマン岡安譲が全国と関西のニュースを「わかりやすく」「現場からの視点」にこだわって伝える大型ニュース番組です。5時台では、個性豊かなコメンテーターが独自取材に基づきニュースをじっくり解説。6時台では、全国ニュースと関西の地元に密着したニュース、徹底取材した特集を伝えます。スポーツコーナーでは、プロだけでなくアマチュアも取材。天気予報は、ユーモアたっぷりの気象予報士片平敦さんの解説です。
出演者
【キャスター】
(関西テレビアナウンサー)
岡安譲
村西利恵
堀田篤
中島めぐみ
スタッフ
【音楽】
PRECIOUS TIME
【演奏】
柏木広樹
【作曲】
葉加瀬太郎
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