当番組は同時入力の為、誤字脱字が発生する場合があります。
≫宮城県南三陸町です。
甚大な津波被害を受けたこの町の象徴とも言うべき骨組みだけを残した防災対策庁舎には今日も大勢の方が犠牲になった方々への追悼に訪れています。
この場所で、43人の方が犠牲になりました。
あの日、建物2階の放送室から役場の職員はこの町の人々に対して津波からの避難を懸命に呼びかけました。
機材の一部が当時のまま残されています。
庁舎の高さを上回る15mもの大津波。
この建物は津波の恐ろしさを今も伝え続けています。
こんにちは。
再び3月11日がめぐってきました。
震災から4年。
こうして変わらないものがある一方で被災地は今、かさ上げが進んで海には巨大な防潮堤が建設され目に映る光景が大きく様変わりしているところもあります。
≫被災地で進んだことと変わらないこと。
今日は、東日本大震災から4年後の姿を報道特別番組としてお伝えしていきます。
≫いつものようにジャーナリストの大谷昭宏さんです。
よろしくお願いします。
≫よろしくお願いします。
被災地は今、胸突き八丁というかなかなか頂上が見えない。
4合目まで登ったけれどなかなか見えてこない。
一番苦しい一番支援が必要なとき。
そんな感じがいたします。
≫変わらないものがある。
そして、あの震災の記憶を忘れたいと思ってらっしゃる方も大勢いる。
≫防災庁舎もその1つだと思うんですね。
早く壊したいという方もいるしやっぱり記憶にとどめたいと。
長く議論して決めなきゃいけないことも私は、あるような思いがするんですね。
≫やっぱり4年たちますと残したいという思いとそしてやっぱり…。
≫忘れたいという思いが交錯しますよね。
≫20年かけて広島の原爆ドームは結論が出たわけですからそういう思いでじっくり議論していいこともあると思うんですね。
≫そんな中、目に見える変化は被災地全体に広がっています。
宮城県南部の沿岸には長さおよそ30kmもの巨大な防潮堤を建設。
岩手ではかさ上げをするための土を山から運ぶベルトコンベヤーがフル稼働し8年はかかるといわれた作業がわずか1年半で終わるほどの急ピッチで進められています。
そして、沿岸部の観光地ではかつての活気を取り戻し始めています。
岩手や福島では週末になると大行列のスポットが。
ここ、宮城県南三陸町でも名物のグルメに連日、お客さんが詰めかけています。
≫前向きに歩み始めているとはいえその一方で、復興に向かってなかなか進まないというもどかしい現実もあります。
今日はこの辺りも詳しく掘り下げて4年後の姿をお伝えしていこうと思っています。
≫まずは、4年を迎えた今特にこの1年で大きくその表情を変えた場所を空からのリポートでお伝えします。
≫震災から4年を迎えた今大きく景色を変えた場所があります。
こちらをご覧ください。
今、光っている海岸線の部分は被災した岩手、宮城、福島の3県で防潮堤の工事が始まっているかまたは予定されているところです。
被害を受けた多くの海岸線で計画が立てられていることがわかります。
この防潮堤によって大きく姿を変えたのが宮城県南部に位置する沿岸部です。
宮城県の南の端山元町から仙台市宮城野区の海岸線を空から見てみます。
≫海岸線に沿って画面上側福島県側にまっすぐと伸びているのがわかります。
≫宮城県の南端、山元町から仙台市宮城野区の海岸線には震災前より1m高い7.2mのコンクリートの壁がおよそ30kmにわたって走ります。
この海岸線のほぼ全域で防潮堤が完成しています。
あの日、津波が襲った仙台湾南部海岸は今、被災3県の中で最も早く防潮堤工事が進む地域となっています。
しかし、4年がたち急ピッチで進むこの計画には疑問の声も多く上がってきています。
海とともに暮らしてきた人々にとって環境を大きく変えてしまう巨大防潮堤の建設はまさに死活問題でもあるのです。
≫先月の時点で、防潮堤の計画は岩手県で92%宮城県で93%がすでに着工しています。
福島県でも85%が着工しているんですがこの数字には、居住制限区域や帰還困難区域が含まれていません。
さらに宮城県と福島県の県境ではこんな現象も起きているんです。
巨大防潮堤が完成した宮城県の山元町から福島県の新地町に入るとコンクリートの壁が突如、途切れます。
代わりに今まさに工事が続けられている海岸が現れました。
原発事故の避難区域を抱える福島県では防潮堤建設のための地権者との交渉や用地の取得が難航しているところもあります。
さらに、居住制限区域及び帰還困難区域ではいまだ災害査定が終了していないため引き続き除染の状況などとの調整を図りながら、計画が進められるということです。
≫様々な問題を抱えながら≫防潮堤を造らない。
住民たちが、そう決断したのは岩手県釜石市の花露辺地区だ。
防潮堤なくして命は守れるのか。
今も全国から視察が相次いでいる。
≫あの日生活していた68世帯のうち3割の家が津波で流された。
花露辺地区には防潮堤がなかった。
≫しかし話し合いを重ねるにつれ生活への影響を心配する声が相次ぐ。
≫花露辺地区は山あいの狭い土地にある。
住民のおよそ9割が漁業関係者だ。
防潮堤を建てると魚などの加工施設を作る場所がなくなってしまう。
加工こそが住民の収入源。
その場所の確保は死活問題だ。
≫4年前、海が見えたことで津波に気付き避難した人も多い。
≫住民は、自分たちの声を取り込んだ町づくりを市に提案。
いち早く、国にも事業として認められた。
これが花露辺地区の町づくりの計画だ。
家を囲うように高さ16mの道路を作り道路に上がるための避難道も設けるという。
合意にたどり着けたのにはこの地区ならではの強みもある。
≫今も避難訓練に7割以上の住民が参加し町内会の出席率も9割を超える。
≫住民たちは今も海が見える生活を続けている。
≫今、ご覧いただきました岩手県釜石市の花露辺地区の住民の皆さんは防潮堤を造らないという意見を通しました。
一方、同じ漁師町でもこれまで住民の皆さんが堤防の高さを低くするよう求めていたために工事の開始が遅れていた宮城県の気仙沼市の漁港鮪立地区では当初の計画よりも1m以上低い8.1mの高さで建設することで去年の9月ですが県と住民側がようやく合意しました。
その結果、来年3月までの工事の開始を目指しております。
≫一方で土地のかさ上げ工事のために風景が一変した場所もあります。
岩手県の陸前高田市を空から見ていきます。
あの日、押し寄せた津波で市のおよそ7割が被害を受けた、陸前高田市。
現在は、海岸線に沿って長さ3kmもの巨大なベルトコンベヤーが出現しかさ上げ工事に必要な膨大な量の土砂の運搬を担っています。
その陸前高田市に加藤真輝子アナウンサーがいます。
加藤さん、お願いします。
≫陸前高田市は去年10月から本格的に始まったかさ上げ工事の真っ最中です。
その中で、非常に重要な役割を果たしているのがご覧いただいている巨大なベルトコンベヤーです。
幅1.8m総延長3kmにもおよびこの広大な土地を這うように四方へと広がっています。
ここに、再び商店街を作りその周りに住宅地を整備して新しい町を作ります。
そのために、毎日のようにベルトコンベヤーが動き今も、急ピッチで工事が進められています。
かさ上げに使われる大量の土砂はあちらの山を削って作られています。
山は、元々125mありましたが現在はその半分の60mです。
今、ご覧いただいているのがその現場で最終的には、あと15m削られその場所も住宅地となります。
山を削ってできた土砂はこの希望のかけ橋と呼ばれるつり橋型のベルトコンベヤーを使ってこちらの、かつて町があった場所へと運ばれてきます。
市内を走る道路からはそびえ立つベルトコンベヤーを見ることができその大きさに圧倒されます。
いまや、奇跡の一本松と並び復興のシンボルとなっている巨大ベルトコンベヤー。
≫かさ上げ工事のすべてはここから始まります。
山を切り崩して硬い岩を毎日ダイナマイトで爆破しています。
岩を細かく砕き土と混ぜ合わせてベルトコンベヤーに投入します。
高さはおよそ20m。
雨をよけるためのカバーで覆われています。
こうして、川を横断して3km先にある町の中心部へと流れていきます。
≫土砂は一直線に伸びる800mものベルトコンベヤーをつたってこちらの分岐点にやってきます。
ここから、さらにこの広大な土地へと運ばれていきます。
≫土砂は右へ左へと仮置き場に振り分けられていきます。
ベルトコンベヤー最大の利点はスピード。
ダンプカーなら8年かかる土砂の運び出しを1年半で終えることができるということです。
次から次へと流れ落ちる大量の土砂。
もう1つの利点はこの運搬量です。
1時間でダンプカー600台分もの量を運べるといいます。
被災地の市街地の中で最も壊滅的な被害を受けた陸前高田市。
この場所をかさ上げするためには東京ドーム10杯分の土砂が必要になります。
120億円と費用は膨大ですが町の中心部を1日でも早く再生させて高齢化する住民たちが戻ってこられるようこのベルトコンベヤーを取り入れたのです。
≫こちら見上げるような高さなんですが今、最も工事が進んでいる場所で10mのかさ上げが予定されています。
町の中心部となる場所で早ければ今年の末にも商業施設を建てることができるということです。
≫かさ上げした土地に商店街や公共施設そしておよそ1000戸の住宅を配置する計画です。
海側には12.5mの防潮堤を造り松原を再生します。
奇跡の一本松周辺は公園になる予定です。
≫夜はベルトコンベヤーを照らす明かりだけ。
かつての町の中心部に今人の姿はありません。
内陸側や高台に避難している住民は津波が襲った元の町に戻るのか不安を感じている人も少なくありません。
≫私は、この岩手県で生まれ育ちました。
陸前高田市にも縁があり何度も訪れたことがあります。
そのときに散歩をした美しい高田松原のこともよく覚えています。
震災後にこの場所に来たときには本当に広大な地域が被害を受けたことを実感しました。
今回、取材をしてみてその広大な地域のかさ上げ工事の技術とスピード感に驚かされました。
ベルトコンベヤーでの作業は今年9月には終了する予定でその後は解体されます。
早ければ今年の末には商業施設などを建てることができるということです。
一方で、工事のスピード感と住民の方の意識との間にはギャップがあることもわかりました。
というのも、住宅地が整備されるのは多くが、さらに3〜4年先でまだまだ時間がかかります。
仮設住宅に暮らす皆さんに話を伺いますとこの先の見通しがまったく立っていないという方がほとんどでした。
現在の状況は復興ではなくまだ復旧の状態だと話している方がとても印象に残っています。
その中で、かさ上げした場所に先に店を出すと決めた方々がいます。
そういった皆さんに話を伺いますと不安を抱えている人たちが戻ってきたいと思える場所を作ることが自分たちの役目だと話していました。
店を出すと決めた方々もそれぞれ不安を抱えていると話していましたがその決断には覚悟と町を生まれ変わらせたいという強い思いを感じました。
≫陸前高田からお伝えしました。
続いては、かさ上げによって新たな町を作る選択をした、宮城県女川町です。
こちらも、町は大きく様変わりしています。
≫宮城県女川町の上空です。
手前は水産加工施設そして、女川の港の一部が見えていますがすでに、この辺りは漁業施設が新しくなっています。
ただ、画面の向こう側上のほうには造成した土地が見えるだけです。
かさ上げされた土地が広がっているのが見えますがそのほかは、建物らしい建物は見当たりません。
≫津波で被害を受けた女川の町はすっかりその形を変えました。
市街地周辺の山は切り崩されそこから運ばれた土で低い土地がかさ上げされています。
そのかさ上げされた土地にまもなく駅舎が完成します。
かつて、漁港を取り囲むように広がっていた宅地を高台に移して低い土地には水産加工団地商業施設、公共施設などが整備される予定です。
かさ上げされた広大な敷地に今、まさに新たな町が作られようとしています。
≫忘れられない光景がある。
≫JR石巻線の線路です。
あそこに車両が1台横転しています。
車両はこの丘の上にもあります。
さらには、その右手ここにも1両あります。
≫あの日、駅も商店街もすべてが流された。
あれから4年。
7mかさ上げされた更地の上に建つのは真新しい女川駅。
元の場所から200m内陸へ移動した。
懐かしい警笛も帰ってきた。
町内を駆け抜けるのは試運転を重ねる列車だ。
今月21日、石巻線は女川駅までの運転を再開。
県内にあるJR被災路線の中でトップを切っての全線開通となる。
≫新駅舎には、目玉施設も。
2階に天然温泉施設ゆぽっぽを併設。
旅の疲れを癒してくれる。
町は今月21日まちびらきと銘打って大々的に復興をアピールする。
≫町の復興計画は8年。
中心部は、商業エリアと居住エリアを分けて再生することを決めた。
商業エリアはおよそ4m居住エリアはおよそ10mかさ上げをする。
町が描く復興の青写真。
しかし、町民には厳しい現実も。
木村好子さんは仮設の店舗で電器店を営む。
≫まさか夢にも思わなかったな。
≫これは震災前の映像。
木村さんの電器店は海に面した商業ビルに入っていた。
≫女川町では、木村さんのように自宅を兼ねている店が多かった。
しかし、津波が襲い状況が変わる。
商業エリアは災害危険区域となり自宅兼店舗を建てることができなくなったのだ。
≫木村さんは、将来的には駅前に店を構えたい考えだ。
しかし、経済的負担が重くのしかかる。
今後、移り住む予定の公営住宅の家賃に加え新しい店を開くため300万円ほどの資金が必要だという。
≫中には自宅を建てる仲間もいる。
その場合、自宅と店舗の2重のローンに悩む可能性があるという。
さらに、気がかりなことが…。
総務省によると女川町の人口減少率は全国1位。
震災前と同じように客が入るとは言い切れない状況なのだ。
そうした中、完成する駅舎。
町は、人口減からの逆転を目指し復興のシンボルにしたい考えだ。
≫明るい兆しもある。
町の基幹産業である漁業。
去年初めて震災前の水揚げを上回ったのだ。
漁業の復活が町の活気につながると期待も膨らむ。
≫この女川の町は私、津波が襲った12日後に現地に入りまして取材をしたんですが駅があった場所のちょっと奥に電車がひっくり返っていたんですよね。
今、改めて新しい駅舎の完成の様子を見て本当に町が変わったなという印象を強く受けましたね。
≫特に、女川は町の方の意見を取り入れて新しい町づくりをしようという非常に画期的な試みがなされているような気がするんですね。
≫それと、今ずっとこうしてかさ上げのケースとそれから防潮堤のケースを見てきたんですけれどこの巨大なインフラを作るためにはやはり政府の国の支援というのが当然、必要になってくる。
≫当然、お金は国が出さなければ各市町村が出せるわけがない。
だから、お金は出すけどもその口を出す部分は市町村がみんなでちょっと待ってくれと最初は、やっぱり、かさ上げそれから防潮堤が必要だと思ったけれどちょっとよく考えたら、もう1回考え直したいことがあるということもあると思うんですね。
そういうときには、もう1回立ち止まってということがあってですから、お金を国が出すけどそれぞれ、もう1回話し合いましょうということがあってもいい。
町づくりというのはそういう形でうちは防潮堤ないですよと。
隣はある。
そういう形でも私は十分いいんじゃないかなと思うんですね。
≫これは、来年度で最初の復興期間の財政支援の5年というのは終わって次の5年ということを考えるわけですけどもきのう安倍総理が…。
≫夏までに新しい策定策を出すと。
≫おっしゃっていますね。
当然、市町村だけでやっていくのは無理だと思うんですね。
ただ、じゃあ例えば一括で交付金を渡して市町村が自分たちでそれぞれの町づくりを考えると。
第2期はそういう形になると。
最初は全部やらなきゃいけないというのがあったと思うんですね。
でも、ここまで来るともうちょっと各町で考えてくださいと。
≫それと、僕もう1つ思うんですが当然、町を作るということは人が集まってこないといけないわけですね。
そうすると、皆さんそれぞれご商売になさってる方などはお店を開店する開くためには、最初にお金が必要なんだということを皆さん、おっしゃるんですよ。
≫移転してきても、またそこでお金がいるわけですね。
≫作ってからお金が下りてくるんじゃなくてやっぱり開店準備資金とかそういうものを先にお渡しできるようなそういう仕組みじゃないと町づくりって本当は成り立たないと思うし人口はどんどん減っていってますからね。
≫まず、始動する。
お金を出していただいてそこを起爆剤にしてドンといくという形が必要かと思うんですね。
≫次の5年を考えるのであればきめ細かい対策をぜひ、考えてもらいたいと思いますし考えていきたいと思います。
さて、時刻は2時41分を回りました。
まもなく、巨大地震が発生した時刻を迎えます。
≫まもなく午後2時46分を迎えます。
東日本一帯をマグニチュード9.0の巨大地震が襲った時刻がまもなくやってきます。
私たちが今日中継させていただいているこの南三陸町の防災対策庁舎前にも大勢の皆様が集まっていらっしゃっています。
2時46分とともに私たちも1分間黙祷をさせていただこうと思います。
今、町内全域に響き渡る放送ではこれまでの思いをお話になっている放送が流れております。
僧侶の皆様が私たちの後ろですが集まっていらっしゃいますしそれから、大勢のご家族の皆さんお知り合いの皆さんこの2時46分まもなく迎えることになるわけですが私たちは、ちょっと今逆向きになっていますから私たちも一緒に恐縮ですが、時間が来たら防災対策庁舎のほうに行こうと思います。
東京の追悼式典そして、全国で追悼の祈りが捧げられる時刻です。
≫黙祷を捧げます。
黙祷。
≫2時46分が過ぎました。
心が震えます。
日本中で今、亡くなった皆さんのことを思って皆様が、手を合わせました。
4年前の今日この時間から、この被災地で何が起きていたのか。
改めて、もう一度向き合うことにいたします。
≫これからご覧いただく映像には東日本大震災の津波などの記録が含まれています。
体調が優れない方や小さなお子様がいる家庭での視聴は注意をお願いいたします。
≫日本中が言葉を失ったあの出来事から4年がたちます。
あの日、私たちは自然の本質的な残酷さを目にしました。
海底の岩盤に蓄積されたひずみが解放された結果として起きた大量の海水の移動。
≫自然はどこまでも人間の営みに無関心でした。
≫想定を超える規模。
無慈悲な破壊。
≫万里の長城に例えられた巨大堤防も…。
≫津波は人間を追いかけるように背後から迫ってきました。
≫あの日、味わった自然の本質的な恐ろしさ。
≫私たちは記憶し続けることができるでしょうか。
あるいは、私たちにできるのは唯一、忘れないことだけなのかもしれません。
≫南三陸の防災庁舎前には長いお焼香の列ができました。
皆様が、本当にこの2時46分を過ぎて亡くなった方々への思いを…。
≫長い行列ができていますね。
≫東京の国立劇場ですがこちらでは天皇・皇后両陛下をお迎えしての追悼式典が行われております。
とにかく、私たちはこの時刻にここにはおりませんでした。
被災地の皆さんがそれぞれの場所で経験なさった本当に怖い思いをお話を…八木さんもきっとそうだと思うんですけどお話を伺い始めて少し踏み込んでお話を伺っていくと、皆さん体験を語ってくださるという…。
涙を流される方多いですよね。
≫あまりお話をしたくないという方も多くいらっしゃいます。
≫4年たってやっと口を開かれる方もまたいらっしゃると。
≫東日本大震災から4年がたちました。
ここに、一同とともに震災によって亡くなった人々とその遺族に対し深く哀悼の意を表します。
4年前の今日東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波により2万人を超す死者、行方不明者が生じました。
テレビに映った津波の映像は決して忘れることのできない本当に恐ろしいものでした。
死者・行方不明者の中には危険を顧みず人々の救助や防災活動に従事した人々があったことが今も痛ましく思い出されます。
被災地で、また避難先で被災者の多くが今日もなお困難な暮らしを続けています。
特に、年々高齢化していく被災者の健康は深く心にかかります。
さらに、この震災により原子力発電所の事故が発生し放射能汚染地域の立ち入りが制限されているため多くの人々が住みなれた地域から離れることを余儀なくされました。
今なお、自らの家に帰還する見通しが立っていない人々が多いことを思うと心が痛みます。
この4年間、被災地においては人々が厳しい状況の中お互いの絆を大切にしつつ幾多の困難を乗り越え復興に向けて努力を続けてきました。
また、こうした努力を支援するため国内外の人々が引き続き色々な形で尽力しています。
この結果、地場産業の発展防災施設の整備安全な居住地域の造成など様々な進展が見られましたが依然として、被災した人々を取り巻く状況は厳しくこれからも国民皆が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います。
この度の大震災においては私どもは災害に関し日ごろの避難訓練と津波防災教育がいかに大切かを学びました。
こうした教訓を決して忘れることなく子孫に伝えより安全な国土を築くべく努力を続けることが重要であると思います。
この14日から宮城県仙台市において第3回国連防災世界会議が開催されますがこの会議において我が国のみならず世界各国においてもこの度の大震災の教訓が分かち合われ、被害の軽減や人々の安全性の確保に意義ある成果が上げられることを願っています。
被災地に一日も早く安らかな日々の戻ることを一同とともに願い御霊への追悼の言葉といたします。
≫天皇陛下のお言葉でした。
≫さて、4年前甚大な被害を受けたこの三陸沿岸の町に今では、全国各地から多くの観光客が殺到しています。
週末には早朝から長蛇の列ができるスポットもあります。
東北の底力を取り戻した行列ができる被災地の町を取材しました。
≫身動きが取れないほどの大混雑。
ここは年の瀬のアメ横…ではない。
宮城県名取市の港で毎週日曜日に開かれる朝市だ。
開催時間は午前6時から午後1時まで。
客足は途切れることがない。
ひと際人だかりができているその先では…。
マグロの解体ショー。
分厚く切り分けられたマグロを手に入れようとそこかしこで千円札が飛び交う。
50ほどが店を構える朝市。
店先に並ぶのは三陸の新鮮な魚介に揚げたてのメンチカツ。
どれもおいしそうなものばかり。
観光客の財布のひもは緩みっぱなしのようだ。
≫震災前の来場者はおよそ8000人。
それが今では震災前を大きく上回る1万人以上に膨れ上がっている。
完全復活。
そのわけは…。
≫店同士が助け合いながらも競い合っていることだという。
≫こちらも、かつてのにぎわいを取り戻していた。
日本三景に数えられる屈指の景勝地・松島。
目抜き通りも観光客でごった返している。
ただ今の待ち時間50分と大盛況なのは…。
焼きガキを思う存分楽しめるカキ小屋。
今が旬のカキが45分2000円で食べ放題。
≫皆さんどこから来たのかというと…。
≫松島の駅前にあるカキ専門店はふっくらしたカキの甘煮にカキのスープをかけて食べる変わり種メニューカキのひつまぶしで客を呼び込む。
≫岩手県陸前高田市。
土ぼこり舞う道を連れ立って歩く一団が。
目指す先にあったのは奇跡の一本松。
≫土砂を運ぶベルトコンベヤーと組み合わせた見学ツアーなども組まれ多くの人が訪れている。
しかし、観光客でにぎわうのはここだけではなかった。
吸い寄せられるように車が入っていくのは営業時間わずか4時間知る人ぞ知る名店。
観光客や地元住民で常に満席状態。
ひっきりなしに入る注文に厨房もご覧のとおりてんやわんや。
この店の名物は…。
ホタテが丸ごと乗った磯ラーメン。
カツオと昆布だしが利いたスープに縮れ麺が、よく絡む。
≫そんな絶品ラーメンを作っているのは店主の金野充雄さん、81歳。
次から次へとホタテを焼いていく。
≫福島県には家族連れに人気のレジャースポットが。
いわき市の小名浜地区にある水族館アクアマリンふくしま。
入館者数もV字回復。
その鍵を握るのが…。
多摩、水戸、宇都宮。
関東からの観光客が戻ってきたのだ。
≫津波により、電源を失い魚はほぼ全滅。
風評被害で県外からの客はほぼゼロになった。
あれから4年。
今では、関東など県外からの客は全体の6割を占めている。
≫茨城県との県境に近いアクアマリンふくしま。
関東からのアクセスの良さはもちろんここでしか見られないのが5万匹のイワシとそれを追い回すカツオの群れ。
巨大水槽では、食物連鎖の世界を再現しているという。
≫観光スポットが密集しているいわき市。
エリア全体が活気を取り戻している。
それぞれの観光地が力強く復活に向かっているがとある港町には客が殺到する幻の貝があった。
≫日本一の貝。
その味を求めて、わざわざ北海道から来たという人も…。
≫おいしい?≫うまい。
≫赤貝の一大産地名取市閖上。
オバマ大統領も訪れた銀座の高級すし店の店主は閖上の赤貝をこう評した。
≫あれだけ身が太ったのはよそにはありません。
すごく肉厚なくせに不思議に思えるほどやわらかい。
実は、市場に流通している赤貝のほとんどが輸入物で、国産のものは流通量が非常に少ない。
地元の名物、赤貝丼も早々に売り切れてしまう。
≫冬場は特に悪天候で漁に出られなくなる。
わずかなチャンスを逃すまいと漁師たちはこの日夜明けとともに船を沖へと走らせた。
≫殻に線が42本ほど入っているのが赤貝の証し。
そう教えてくれたのは漁師の出雲浩行さん。
4年前、出雲さんのものも含め漁港に止めてあった船はすべて丘に打ち上げられた。
きっと、赤貝もいなくなった。
そう誰もが思っていたという。
≫復活を果たした赤貝漁。
≫現地に行くことはできないが何か支援したい。
当時、そんな人たちから注目を集めたのが全国のアンテナショップ。
売れすぎて、品切れ続出。
棚がスカスカになる店が相次いだ。
そんなアンテナショップでもある変化が。
東京・吉祥寺にある東北物産館を訪ねてみると…。
≫被災地だからではなくおいしいから。
アンテナショップは県の魅力発信にひと役買っているようだ。
にぎわいを取り戻したそれぞれの観光地。
しかし、観光客が戻ってきたからこそ見えてきた次なる不安。
松島海岸から車で5分。
そこでは、避難場所の工事が進んでいた。
しかし、こうした避難場所に逃げるための道路はどこも幅が狭くすれ違うのがやっと。
もし、また地震が起きたらどう高台に逃げればいいのか。
≫こうした避難道路の幅を広げる計画を進めている松島町。
すでに具体的なルートも決まっている。
にもかかわらずいまだどれも完成していない。
一体、なぜなのか。
避難道路の幅を広げる工事は受注を敬遠する業者が多くなかなかはかどらないというのだ。
手間や時間がかかる割に利益が少ないからだという。
≫松島町では工事の受注先を探すのと並行して観光客でもわかりやすいよう避難場所までの案内板を増やすなど対策をとっているという。
また、別の問題を抱えているところも。
駐車場をぎっしりと埋め尽くす車。
まるでテーマパークのような混雑ぶりを見せるのは宮城県南三陸町にあるさんさん商店街。
この日隣接した特設ステージでもイベントが行われていておよそ1万人でにぎわった。
先月、無事3周年を迎えることとなったさんさん商店街。
その立役者が…。
季節ごとに旬の食材を乗せたご当地丼キラキラ丼。
さんさん商店街は多くの客を集める一大観光地として復興をけん引してきた。
しかし、来年11月で閉鎖されることが決まっているのだ。
≫ということでVTRにも出てきましたね。
さんさん商店街にやってまいりました。
大谷さん、ちょっと親父2人散歩。
親父散歩ですね。
こんにちは。
男2人ですいませんね。
さんさん商店街の「さん」というのは三陸の「三」。
それから太陽が光り輝く「サン」というこれで「さんさん」なんですね。
≫キラキラですね。
≫ここをパーッと見ますと明るいでしょ、トーンが。
≫ここがパーッと明るくなった気がしますね。
≫今、ここには仮設の商店街ではあるんですが32店舗入ってるんですね。
見やすい、食べやすい買いやすいというこれがキャッチフレーズですね。
なぜかと言うと例えば何のお店かなと思ったときにあの看板を見てください。
ショートケーキですねあの看板。
≫フォークがあってケーキがあるわけね。
≫ということはこれはケーキ屋さん。
お菓子屋さんです。
そのお隣はおむすび。
のりです。
ちばのり店と。
≫ひと目見たら、ここが何のお店だかわかるようにと。
≫全部看板がついてるんです。
ここに、タイのマーク。
魚屋さんです。
魚屋さんの前には。
タコですよ、タコ。
志津川タコ。
≫志津川はタコが名産ですからね。
≫西の明石、東の志津川って言われてタコも名産地なんです。
ここのロイヤルフィッシュさん…。
≫ゆでたてって書いてある。
≫ゆでたてですよ。
食べたいですね。
≫お邪魔します。
ロイヤルフィッシュさんです。
こんにちは、どうも。
お客さんいらっしゃってますね。
すいません、お邪魔します。
これ、今、一番旬のものは何ですか?≫海藻類ですね。
市場に揚がってるやつで海藻類が多いですね。
ふのり、まつも、ひじきあとはメカブ、ワカメ。
≫うまいんですよ、これが。
≫まつもって何ですか?≫松の葉に似ている海草なんですがさっと湯がいてもらって水切りしてもらってこういうふうにポン酢とかで味付けしてもらって…。
≫お酒のつまみにいいですね。
≫まだ飲むのは…。
≫アイナメがいてマコガレイがいてカニもいますよ。
≫この大きいの何ですか?≫これはスケソウダラですね。
≫こんな大きさなんですね。
≫これがマダラなんですがまだ小さいですけれどね。
≫三陸の志津川のこの魚ですよ。
≫世界3大漁場を抱えてるところですからね。
≫大谷さん、僕、このカキ。
これ取材に伺ったときに買って帰ったんですよ。
発泡スチロールに入れていただいて。
うまかった。
本当。
≫焼きガキにしてもいいしね。
≫どうもありがとうございます。
≫お邪魔しました。
そして、大谷さん次はこちら。
かまぼこ屋さんです。
こちらは創業明治13年という及善蒲鉾さん。
明治13年。
今、6代目です。
ご主人は。
このお店に天皇・皇后両陛下もいらっしゃていましてここのご主人が両陛下をご案内役されたんですよ。
ものすごい緊張したとおっしゃっていました。
≫陛下もあちこちに足を運んでいますね。
≫私のおすすめは笹かまぼこです。
これ、うまいんですよ。
これは大谷さん酒のつまみに…。
実は、今日は今、がらんとしていますけど追悼式が行われていますよね。
土曜日、日曜日それから祝日になりますとものすごい人でここがにぎわうんですよ。
≫私もロケの度に何回ここでお世話になったか。
お昼もいつもここでね。
≫観光バスで来ますし来たお客さんたちはぐるっと回れるような形にこのお店はなっていまして。
≫そういうつくりになっていますね。
≫それから大体プレハブではあるんですが色が、暖色系でできていますでしょ。
≫暖かい感じがね。
≫みんなこっち側向いてるしね。
だからとても買いやすいんです。
≫フードコートになっているんでしょ。
お店じゃなくてここでも食べられる。
≫ここから先が食べ物屋さんがずらっと並んでるんです。
お蕎麦屋さんをはじめとしてずっとあります。
≫ここのお蕎麦屋さんお世話になりましたよ。
≫大谷さん、色々来てるな取材中に。
で、この南三陸さんさん商店街の一番の売りと言いますとキラキラ丼です。
キラキラ丼を出してらっしゃるお店のキラキラ丼を全部並べていただきました。
すごい!おいしそうでしょ。
≫彩りがいいですね。
≫この目の前の、志のやさんのご主人の高橋さんです。
≫こんにちは。
ありがとうございます。
≫志のやさんのキラキラ丼はどちらですか?≫こちらになっております。
≫アワビ、すごい豪華!≫これ、ぜいたくですね。
≫大谷さん、もう箸を割ってる。
≫これアワビですよね。
≫アワビのほうは1個丸ごと味噌漬けにしておりますのでそのまま食べていただいて。
この丼の中には米も魚も海草も地元産のものを使わせていただいております。
≫さっそくいただきます。
≫これは季節によってだいぶ変わるんですよね?≫4種類変わります。
≫そうか、お店によって中身も全部違ってますものね。
オリジナリティーあふれるキラキラ丼ですね。
今3月1日から春つげ丼って呼んでいるんですよね。
≫いい名前ですね。
≫いい名前ですね。
特に、ほかのおすすめって何ですか?≫どの丼にも入ってます南三陸春告げ野菜ですね。
これは糖度がありましてスイカ、メロンに匹敵するぐらいの甘さがあります。
≫いいなあ。
僕も食べたいんだけどな…。
≫ということで今、本当にここが、この南三陸の元気の象徴でもあるしこの商店街がけん引者なんですよ。
ただ、実はこの商店街来年、ここから直線で数百メートルちょっと海のほうに行った場所に移転することが決まっているんです。
そちらに八木さんが行っていますので呼んでみましょう。
八木さん。
≫こちら、防災対策庁舎のすぐ周りにも至るところでかさ上げ工事が行われています。
川を挟んで対岸にあるあちらの高台がさんさん商店街の移転先となっています。
海面からの高さは10.6mと表示されています。
ここは海からすぐ近くの場所にあるため店の建設はできるんですが人が住む家は建てられないエリアとなっています。
商店街の計画では来年の秋をめどにここに引っ越しを始めるということです。
≫ということでとにかく、このさんさん商店街は被災地の商店街の中でも最も集客力があるということで…。
≫観光バスも次々、来ていますしね。
≫ただ、先行きがこれからどうなるのかという点大変、気になるわけですが移転の問題もあります。
この商店街を引っ張っている及川さん。
さっきのかまぼこ屋さんのご主人ですが事前にお話を伺ってあります。
≫とにかく目線を前にそして、上に向けて歩こうっていうふうに及川さんは今、式典に参加中ですので事前にお話を伺いました。
≫今、及川さんがここはチームワークがいいんでとおっしゃっていたのが心強いですよね。
≫そうですね。
でもね、これ、なぜ移転しなきゃいけないかと言うとここは元々、借地なんですよ。
≫お借りしてるわけですね。
≫土地を借りているので借地の契約の期間が来年、切れるわけですよ。
だから、もちろん高台に移転して安全性という問題の面もあるんですがやっぱり、移転せざるを得ない事情というのがあって移転して新しいところにまたお店を作るということになりますと開店資金が必要になるんですね。
ということは、ひょっとしたら今、32店舗あるんですけどもお金の問題で移転できない方も出てくるのではないかという心配もあってね…。
≫一番いいのは、みんなそろってということですけどね。
≫だから、僕さっき向こうでも話しましたけれど復興資金の使い道ですよ。
つまり商売をする人たちが開店資金、運転資金を先に渡してさしあげるようなそういうきめの細かい復興策っていうのがこれからもっともっと具体的に必要になると思います。
≫移転するとなると必ずお金がかかる。
今までも相当、皆さんお金を使ってらっしゃるわけですね。
そうすると復興資金というのはそのときの起爆剤になる。
ドンとスタートするときのお金がないとあとから少しずつ融資しますよと言っても間に合わないですよね。
そこら辺は、国も自治体も十分考えてほしいなというところですね。
≫それとオリジナリティーあふれると同時に全国、横も商店街のつながりが大きくて神戸の大正筋商店街。
1月17日に行きましたよね。
そことの密接な関係がここはあるんですよ。
≫大正筋の理事長がいつもおっしゃっていたのがとにかく行政は一生懸命やってくれる。
だけど、商売は自分たちで考えなきゃいけない。
大正筋はそういう意味では失敗した面があったんですね。
≫箱物を作ってしまった。
そこら辺は、神戸の教訓を三陸で生かしてほしいという思いがありますね。
≫ぜひ皆さんもこの南三陸へお越しの際はこのさんさん商店街ぜひ、寄っていただきたいと思います。
さんさん商店街からお伝えしました。
では、話を次に進めたいと思います。
次は原発問題です。
原発事故でいまだ手付かずの町を抱える多くの町がある福島の1年の変化についてです。
福島第一原発からおよそ10kmの距離にあります富岡町に板倉朋希アナウンサーが行っています。
板倉さん、お願いします。
≫先ほどから、ひっきりなしに車が通り過ぎていきます。
私が今、立っているのは福島県富岡町の国道6号沿いです。
この道をまっすぐ進んでいきますと福島第一原発からわずか3kmのエリアを通ります。
そのため原発事故から3年以上にわたってあちらの交差点では検問が敷かれていまして原発から最も近いおよそ14kmの区間では線量が高いため通行規制が続いていたんです。
そうした中、周囲を一部除染したうえでついに去年9月この国道6号は全線開通となり道路を車が自由に行き交うそんな当たり前の光景が戻ってきました。
ただ、放射線量は今も決して低いとは言えません。
今も手付かずの町の中を通る国道6号と、その開通を待ち望んでいた人たちの今を取材しました。
≫開通したのは原発の3km圏内を通る道。
≫今、国道6号原発に最も近いところを走行中です。
≫震災で寸断された福島の大動脈。
地元が待ちわびたその道が全線開通しました。
福島県いわき市。
津波で全壊した国道沿いの道の駅です。
≫結構にぎわってます。
大勢のお客さんがこちら、訪れています。
≫震災前と同じ水準に戻りつつある来館者数。
特に、ここ半年間は1年前の同じ時期に比べおよそ5万人増えています。
≫福島沿岸部を南北に貫く国道6号。
去年、ようやく通行規制が解除されたのは放射線量が高かった福島第一原発近くを通る区間です。
全線開通となった国道6号をめぐり様々な影響が出ています。
≫無理だ、無理だ!灯台倒れた!それどころじゃねえよ。
ここ、やばい。
≫相馬市を襲った津波です。
日本百景の1つに数えられる松川浦があっという間に濁流にのみ込まれました。
津波で被災した食堂、たこ八。
おととし、震災前と同じ場所で営業を再開しました。
≫この食堂を営む小野芳征さんも6号開通の効果を実感しています。
≫通行規制が解除されたこちら、国道6号。
かなり車の往来が激しいんですが中でも、ああいったトラックの数というのがかなり多い印象を受けます。
≫南相馬市の運送会社です。
この開通が燃料費などのコストを削減従業員の勤務時間短縮につながったといいます。
≫そもそも、国が除染をし通行を可能にしたのは復旧・復興を加速させたい周辺自治体からの強い要望があったからだといいます。
全線開通がもたらすメリット。
ただ、規制されていた区間は歩行者や自転車バイクの通行は認められていません。
車で通り過ぎることしかできない道。
その実態はどうなっているのでしょう。
そこから見えるのは、復興とはかけ離れた光景でした。
≫地震で崩れたままの家々であったりお店が立ち並んでいます。
この辺りは、当時のままほとんど手付かずといった状況です。
≫全町避難が続く富岡町大熊町双葉町を通るおよそ14kmの区間。
否応なく目に飛び込んでくるのは復旧・復興が遅々として進まない町の現状です。
≫当然ながら人が住むことは許されていませんので生活の営みというのは、まったく感じることができません。
≫おびただしい数のバリケードがここが隔離された場所だと強烈に印象付けます。
≫国道6号は再開しましたが本当にこの道路というのはあくまで通過するだけ。
通過するだけの道路ですね。
こちら、双葉町の中心部に向かう道路の上には看板があります。
「原子力明るい未来のエネルギー」と書かれています。
≫あの事故が起きるまではその安全性を信じていました。
しかし、今は…。
≫近いところで原発の3km圏内を通る国道6号。
≫この辺りが原発に最も近い場所になると思われます。
この放射線量を測る装置の数値が上がっています。
今、10を超えました。
10マイクロシーベルトを超えました。
≫原子力災害対策本部は避難指示区域を走行するに当たって受ける被ばく線量を1.2マイクロシーベルトと発表。
胸部レントゲン検査のおよそ50分の1だと言います。
この値を、どう取るか。
いわき市の運送業者は開通のメリットを感じる一方でこんな実情があると話してくれました。
≫このようなケースは少なくありません。
原発事故は私たちに放射能の恐怖を植えつけました。
それは、この道が通行できるようになっても震災から4年たっても変わることはありません。
≫地震によってくぼんだ道路。
津波によって傾いた電柱。
≫伸び放題の草木の陰に隠れるようにさび付いたレールがわずかに顔をのぞかせています。
黄色い点字ブロックだけがかつて、ここが駅のホームだったことを教えてくれます。
私は、先ほどの国道6号沿いからJR常磐線の富岡駅前に移動してきました。
再び時を刻み始めた国道6号ですがそこから海側に少し入った駅前の町並みはあの日から時間が止まったままです。
こちらのアパートは1階部分が津波で流され2階が抜け落ちています。
震災発生当時のまま、今もこうして残されているんです。
そして、辺りを見渡しても人の営みを感じることができません。
福島第一原発から南へおよそ10km離れたこの場所は、日中こそ自由に立ち入ることができるんですが4年たった今でも人々が暮らすことは許されていないんです。
津波は、あの日海からおよそ400m離れたこの道路沿いの建物をのみ込んでいきました。
1階部分の窓がすべて割れて中がむき出しになっている住宅もあります。
ここに住んでいた石河さんは津波が来る前に避難したため無事でした。
しかし、部屋の中にはがれきが散乱していて津波に流されてきた軽トラックが部屋の一角を占領しています。
ここは、子どもたちの寝室だったそうです。
石河さんは今も郡山の仮設住宅での生活を余儀なくされています。
そして、この駅前の中華料理店は大きなギョーザがおいしいと地元の方々にとても愛されてきました。
ただ、この店の店主は福島市内で店を再開させ今は、息子さんが店の切り盛りをしているということです。
このように富岡町とは別の地ですでに新たなスタートを切っている方もいます。
こうした町並みがほぼ手付かずに取り残されている中ここにあったはずの富岡駅はつい2か月前に解体が始まりその面影は一切ありません。
震災前には駅舎から、きれいな海岸線が見えていましたが今は、おびただしい数の黒い袋が目に飛び込んできます。
あの中には、除染で出たゴミが詰まっています。
町内でも進められる除染活動。
ここ富岡では今年に入ってから新たに除染されている場所があります。
それは、富岡が全国に誇る夜ノ森の桜並木です。
春になると県外から大勢の観光客が訪れ町内の2.5kmにも及ぶ桜のトンネルは町のシンボルでもあり住民たちの誇りだったと言います。
満開の桜の下にあのにぎわいをもう一度、取り戻したい。
そんな住民たちの願いから今年に入って桜並木の除染作業が始まっています。
しかし、4年という歳月は故郷を思う人々にとってはあまりにも長すぎたのかもしれません。
復興庁が実施している調査では故郷に戻りたいと町に戻りたいという住民も、調査では年々その戻りたいと言っている住民の方の数が減ってきているということです。
そして私の後ろに広がる海でも深刻な事態が起きています。
先月また新たに福島第一原発から港湾の外への汚染水の流出が発覚。
試験操業を行ってきたある漁協では消費者の不安を払しょくするため自主的に検査を行い漁を1週間遅らせることを決断しました。
汚染水の流出が続く中海の魚はどうなっているのか。
翻ろうされる漁師たちを取材しました。
≫再び起きた汚染水の海への流出。
比較的高い濃度に汚染された雨水が排水路に流れ込み直接港の外の海に流出。
去年4月から把握していながらつい先日まで公表していなかった東京電力。
汚染源は2号機建屋付近とみられているが汚染源が、そこだけなのかどうか今後も調査を続けるとしている。
≫あの総理の発言は実現しているといえるのか。
流出発覚から2週間。
相馬市の相馬双葉漁協はおとといから始めるはずだった名産・コウナゴの試験操業を1週間遅らせることにした。
≫漁が始まる前に消費者の不安を払しょくするためまず入念な検査に時間を費やすという。
福島では、放射性物質の濃度が極めて低いと判定された魚から順次、限定的な漁販売を行う試験操業の形がとられている。
国が定める基準値が1kg当たり100ベクレルなのに対し福島では半分の50ベクレルと厳しく設定。
それをクリアする魚の種類は今では58種にまで増えた。
だが…。
≫一部のカレイ、ヒラメ類などの海底にすむ魚で依然として基準値を超えるものがある。
これは、イシガレイとマコガレイの調査結果。
震災直後には大半を国の基準値100ベクレル超えが占めていたが徐々にその割合が下がっているのがわかる。
だが、去年10月でもいわき市沖で取れたイシガレイから113ベクレルを検出するなどいまだ国の基準値を超えた個体があるのも事実だ。
さらに、似た種類でもいまだ出荷制限のかかるものと試験操業の対象となるものに分かれている。
≫3代続けて漁師を営む高橋通さん。
週に1度、試験操業で漁に出るが震災前の3割から4割の値段でしか売れない。
≫福島県では漁業を再開した人の数は試験操業を含めてもいまだ3割以下だ。
幾度となく繰り返されてきた汚染水の流出。
≫原発敷地内の汚染水はこの1年で15万トンも増加しました。
去年の映像と比べると汚染水を保管しておくためのタンクが増えていることがひと目でわかります。
タンクは1日1個の割合で増えていてこの新たな置き場所も徐々になくなってきている状況です。
去年10月には汚染水を浄化する新型のALPSが稼働。
処理能力は格段に上がりましたがトリチウムという放射性物質が除去できないため浄化したあとの水も保管を続けなければなりません。
また、地下水の流入を抑える抜本的な対策の見通しもはっきりしません。
東京電力は6月建屋の地下を氷の壁で囲う凍土壁の工事に着手しましたが依然、難航していて稼働のめどは立っていません。
一方、去年5月に始まった建屋より山側で地下水をくみ上げて海に放出する地下水バイパスで東京電力は1日当たり汚染水の増加を100トン減らせたとしているんですがそれでも、汚染水は1日300トンのペースで増え続けています。
そこで、より建屋に近い建屋周辺の地下水をくみ上げて検査し、浄化海に放出するサブドレンを進める予定だったんですが先月、汚染水の流出問題が発覚したことを受けて漁業関係者との交渉は暗礁に乗り上げています。
≫福島第一原発ですが私は去年の3月に4号機それからALPSの中に入って取材をしたんですけどもそのときにとにかく廃炉に向けては30年から40年かかると。
つまり、我々の世代ではなくて我々の子どもであったり孫の世代までかかる作業なんですよ。
ところが、この1年の今、八木さんが説明してくれた部分を一緒に見ていますとほとんど変わってないなという率直な印象でね。
≫被災地全体が非常に復興が遅れている。
例えば、仮設住宅に阪神・淡路大震災のときは4年後には1割しかいなかった。
もう統廃合が進んでいたんですね。
ところが、今の被災地は7割の方が仮設住宅にいらっしゃると。
何周も遅れているという状況なんですね。
その遅れの1つの原因は明らかに福島が非常に他の2つの県に比べて遅れてしまっていると。
その大きな原因というのは間違いなく、原発にあったということは事実だと思うんですね。
≫それと漁業の関係者の皆さんにお話を聞くと海は除染できないんだよといつも言われるんです。
≫水の除染はできない。
≫できないんですよ。
それと、やっぱり放射性物質というのは目に見えないものですからそれがどれくらい広がっているかという言ってみれば福島の魚は怖いっていうような風評被害につながる部分がとても大きくてこれはやっぱり原発から出ていく汚染水などが海に入っていかないようにもっとシビアにここを考えないとね福島の漁業の関係者の皆さんも…。
≫再生はあり得ないと思いますね。
≫それが本当に遅れている問題だと思うんですね。
≫私は昨年、風評と風化が一番怖いと申し上げたと思うんですが風評に関して言うと原発のこの汚染水がまた隠したんじゃないかと。
風評被害とは違うんですと言ってもそうじゃないだろまた隠してるだろということw必ず言われるわけですね。
風評被害を断ち切るにはすべてをオープンにしていますと。
だから、被害はないんですということを明らかにその先々で東電がまた隠したと。
そうすると福島全体が何かを隠しているのではということにつながってしまうと。
この逆のスパイラルは何とか断ち切りたいと思いますね。
≫とにかく、こうやって被災地へうかがって1年ごとに私たち、特別番組を放送させていただいているわけですがこの表面に見えるいわゆるインフラ部分というのはどんどん変わりつつあるんですね。
≫高台がどんどんできてくるしね。
≫だけど、そういうこととそれから実際に暮らしていくお金を稼いでいく漁業や林業や農業全部そうなんですけどもっと、インフラ整備はもちろん必要なんですけどそうじゃないところへどれだけ目を配れるかというのが私は、これからの大きなテーマだと思ってるんですけど。
≫いわゆる生業。
何で仕事をしていくのか。
何で生活をしていくのか。
2015/03/11(水) 14:00〜15:56
ABCテレビ1
ANNスーパーJチャンネル 東日本大震災から4年[字]
視聴者が知りたいニュース・情報をズバリお伝えします!テレビ朝日の系列局26局(ANN)が総力取材!いち早く正確な情報を届けます。
詳細情報
◇出演者
【メインキャスター】
渡辺宜嗣、八木麻紗子
◇おしらせ
☆番組HP
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※放送内容が変更になる場合があります、予めご了承ください。
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ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
情報/ワイドショー – グルメ・料理
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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