4年前の3月。
大津波に見舞われ多くの命が奪われた…高台にある中学校の体育館で900人が厳しい避難生活を送っていました。
当時老人保健施設にいた86人の高齢者と共にここに避難した…この避難生活の中で12人が命を落としました。
水や食料暖をとるためのストーブ。
あらゆる物資が不足していたといいます。
津波から難を逃れたあと亡くなった人はひとつきの間に被災地全体で724人に上りました。
なぜ命をつなぐための物資は人々に十分に届かなかったのか。
乗用車や貨物トラックなどGPSによって記録された140万台の走行データから知られざる実態が浮かび上がってきました。
地震発生を機に津波や土砂崩れの影響で鈍くなる車の動き。
3日後には道路の復旧に伴って回復し始めていました。
しかし同じ日物資を運ぶトラックのデータだけを抽出すると被災地へ向かう道路上に動きがほとんど見られない事が分かったのです。
東日本大震災では避難した場所で命を失った人も多くいました。
(鈴の音)こうした悲劇をどう防いでいけばいいのか。
ビッグデータを使った新たな取り組みも始まっています。
1,000の項目を超える膨大な情報から作られている地図。
これに災害にまつわる情報を加える事で新たな防災地図を作り出します。
例えば建物の高さの情報に津波の被害想定を重ねると災害の規模に応じて避難先が細かく浮かび上がってくるのです。
膨大な電子情報から災害列島で生きていくための教訓を探る震災ビッグデータ。
データの一つ一つが未来への鍵を握っています。
巨大災害からどう生き延びるのか。
いのちの地図を紡ぎ出します。
京都大学巨大災害研究センターのトップを務め長年日本の防災をリードしてきた…震災からひとつき避難生活の中で亡くなったのは724人。
避難した人への対応は適切だったのか。
林さんはその検証はまだ十分に行われていないと考えています。
あの時避難生活を強いられた47万人は何に直面したのか。
なぜ命をつなぐ物資は人々に届かなかったのか。
大震災の深い爪痕が今も残る宮城県石巻市です。
石巻では震災後ひとつきで157人が命を落としました。
最大で2,500人が避難生活を送っていた…避難所で支援物資の管理を担当していた…震災から3週間にわたって水や食料薬など深刻な物資の不足に直面し続けたといいます。
震災4日後石巻で避難生活を強いられていたのはおよそ5万人。
200か所以上に避難していました。
赤色で示した135の避難所には水が行き渡っていませんでした。
断水が続いていた渡波小学校もその一つでした。
避難所にあった支援物資はこの2日前に自衛隊が一度運んできたものだけ。
一日に1人当たり500ミリリットル以下の水しかありませんでした。
当時の避難所の映像が残されていました。
おう吐や発熱などに苦しむ人が続出。
薬も不足する中命の危険にさらされる高齢者も少なくなかったといいます。
深刻な物資の不足を解消しようと国は動き出していました。
震災直後から超法規的措置をとり自治体からの要請を待たずに支援物資を送り込もうとしていたのです。
しかしその物資は人々には十分には届きませんでした。
それはなぜか。
災害時の物流を研究している東洋大学の小嶌正稔教授はビッグデータを使って検証を試みています。
利用するのは4年前の3月に走行していた全国140万台の車。
搭載されていたGPSから発信された8,500万キロに及ぶ走行記録です。
データには当時さまざまな支援物資を運んだトラックなどの情報も含まれています。
このビッグデータを解析し当時の被災地へと向かう物流を検証します。
震災の前の東北地方です。
内陸を縦に貫く幹線道路を中心に車が活発に行き来している様子が分かります。
3月11日。
地震を境に津波の被害を受けた沿岸部だけでなく内陸と沿岸部を結ぶ車の動きも少なくなりました。
津波やがれき土砂崩れなどで道路が寸断されたためでした。
石巻のスーパーマーケットに商品を配送しようとしていた中川博さんの貨物トラックも動きを止めた一台でした。
翌12日東北地方を走行する貨物トラックの輸送距離は震災前に比べ12.5%にまで減っていました。
このころ被災地では自衛隊や民間の事業者が沿岸部のルートそして沿岸部と内陸部を結ぶルートを確保しようとがれきの撤去や道路の整備を急いでいました。
そして3月14日。
内陸部から沿岸部へのルートが復旧します。
走行記録を見ると車が少しずつ動き出している事が分かります。
しかし物資を運ぶトラックの走行記録だけ抽出して解析するとこうしたルートが十分に利用できていなかった事が分かりました。
なぜ貨物トラックはほとんど動いていないのか。
この日京都から一夜かけて宮城県に水や食料を運ぼうとしていた一台の貨物トラックがありました。
このトラックを運転していた…谷本さんが目にしたのは想像していなかった光景でした。
大量の燃料を必要とする貨物トラック。
しかしこのころ被災を免れたガソリンスタンドの備蓄も尽き被災地では深刻な燃料不足が起きていました。
無くなったんです。
すいません。
申し訳ございません。
長距離トラックは帰りの燃料が確保できなければ走る事はできません。
小嶌教授は深刻な燃料の不足が支援物資の遅れにつながっていたと分析します。
今回の震災では東北の燃料を担っていた仙台塩釜港の製油所や貯蔵施設だけでなく関東の石油関連施設も大きなダメージを受けました。
震災直後日本の原油処理能力は約3割減少。
しかし全国各地の石油関連施設は被災地に供給できる十分な燃料のストックを抱えていました。
なぜそうした燃料は被災地に十分には運ばれなかったのか。
燃料の輸送を担うタンクローリーの震災前の走行記録を抜き出すとその一つの理由が見えてきました。
東日本を縦横に走行しているように見えるタンクローリー。
しかしこれには燃料の輸送の盲点が隠されていました。
あるエリアの中だけを走行しエリアを越える事はほとんどなかったのです。
通常燃料の物流は港の製油所や貯蔵施設を拠点とした一つのエリアの中で行われます。
輸送効率を最大限高めるためです。
そもそも危険な燃料を運ぶタンクローリーは車幅も広いため決められたルートを走る事を前提としています。
そのためほかのエリアへの長距離の燃料の輸送は想定されていなかったのです。
全国に12の燃料の輸送拠点を持つ…震災当時各地に200台のタンクローリーを抱えていました。
大津波で仙台の拠点にあった5台のタンクローリーを失い被災地エリアでの輸送の手段を失いました。
燃料不足の解消に貢献したいと考えていた結城さん。
しかしほかの拠点からの陸路での輸送は難しいと感じていました。
燃料の輸送が滞る中で物資の不足はどこまで深刻だったのか。
震災直後から4月末まで被災地に届けられた1,807種類の支援物資。
その4万回の配送記録から全貌が初めて明らかになりました。
支援物資を送った全国の1,600の組織。
何がどれだけ被災地に運ばれたのか。
支援物資の避難所までの流れをたどる事ができます。
3月16日の記録。
石巻市に届けられた水は11トン。
しかし避難していた5万人に必要だった水は150トンでした。
おにぎりは必要とされた量のの5,800個。
毛布はの6,450枚でした。
震災から6日後の…国は石油会社などに対し燃料をほかのエリアから運ぶよう要請します。
翌日朝6時。
燃料を積んだ4台のタンクローリーが秋田の貯蔵施設から被災地へと向かっていました。
日本海側のエリアをカバーしていたタンクローリーが被災地のエリアを補う態勢が組まれ始めたのです。
秋田の拠点にあった4台のタンクローリーを被災地に向かわせた運輸会社の結城賢進さん。
震災前には一度も行った事がなかった輸送方法でした。
秋田からだけでなく300台を超えるタンクローリーが投入され被災地に燃料が届き始めました。
燃料不足が解消されたのは仙台塩釜港の貯蔵施設が回復したあとの4月上旬。
支援物資が人々に行き渡るようになるまでには震災から1か月がかかりました。
深刻な物資の不足を招いた燃料の輸送という盲点。
東北地方と同じような構造はほかの地域でも見られます。
例えば中国地方もタンクローリーが走行するエリアはつながっていません。
次の巨大災害を前に。
小嶌教授はそれぞれのエリアに燃料を貯蔵できる新たな拠点を設けそこに別のエリアから燃料を搬送する態勢を作っておく事が必要だと指摘します。
巨大災害を生き抜くために何が必要なのか。
東日本大震災の教訓の一つが備蓄の重要性でした。
あらゆる商品がデータで管理されている今そのデータから震災後に人々が何を求めていたのかが浮かび上がってきました。
このたくさんの棒の連なりは全国のスーパーマーケットやドラッグストアの440万種類の商品人々のおよそ1億回の購買記録を表現したものです。
例えば電池。
横軸は4年前の3月1日から31日までの時間。
棒は平常時を100とした購買率です。
2倍以上売れた商品は赤色で示しています。
手前から奥にかけて商品を1,000の項目に分けて表示しています。
3月11日の巨大地震の発生を境に437項目の商品が一気に買い求められていました。
被災3県で14日に人々が最も買い求めていたのはインスタントカレー。
通常の8倍以上でした。
そして魚の缶詰。
火を使わずしかも保存もきく食料が並んでいます。
更にお茶漬けやのりふりかけ。
少しでも食が進むようにと買われていたと見られます。
震災から1週間たった頃から売れ始めた意外な商品がありました。
子ども用のおもちゃです。
そのほかにもカードゲームや子ども用のパズルも同じように買われていました。
仙台市で避難生活を経験した主婦の…2人も震災から10日たった頃子ども用のおもちゃなどを買い求めました。
テレビやラジオから流れてくる津波の被害の情報から子どもたちを遠ざけるためだったといいます。
ほかにも例えばアルミやビニールのラップ類。
食器を洗う水を節約するための皿としてそして割れた窓ガラスの代用品として利用されました。
制汗防臭剤も求められていました。
断水や停電で水が使えなかったためと見られます。
この購買記録から災害時に物資を日本全体でどう管理するのかを探る研究も始まっています。
東京大学の関谷直也特任准教授が注目したのが全国で水がどのように買われたのかを示すデータでした。
震災翌日の3月12日。
首都圏で通常の7倍以上水が買われます。
その翌日新潟県で9.5倍。
15日愛知県で5.7倍。
データによって初めて正確に捉えられた人々の消費行動です。
人が水を買い求める動きは被災地から同心円状に広がっていきました。
関谷さんは近隣の地域の消費行動が自分の地域でも水が不足するという不安を招きそれが伝播する形で広がったと見ています。
巨大災害を前に何を備えておけばいいのか。
新たなアプローチが始まっています。
うわ〜すごい!想定を超える大津波に見舞われた東日本大震災。
早く上に上がれ!上に上がれ!避難した場所で命を落とした人も数多くいました。
どうすればこうした悲劇を防ぐ事ができるのか。
今最も対策が急がれているのが今後30年以内に60%から70%の確率で起きるとされる南海トラフの巨大地震です。
各地を襲う震度7の激しい揺れと最大34mの津波。
国は地震発生後1週間で東日本大震災の19倍最大で950万人が避難生活を強いられるとしています。
失礼します。
南海トラフの巨大地震への備えの必要性を訴え続けてきた高知大学の岡村眞特任教授です。
20年以上にわたって地域で防災活動を続けてきた岡村さん。
ビッグデータが提示するリアリティーは防災の大きな力になっていくと考えています。
南海トラフの巨大地震では多くの地域で東日本大震災よりも更に厳しい避難行動が求められます。
そうした地域の一つ1万6,000人が暮らす高知市下知地区です。
下知地区の被害のシミュレーションです。
地震発生から30分で津波が到達。
高さは3mから5m。
堤防の破壊などで被害は拡大すると見られています。
1946年の昭和南海地震では地区の大部分がひとつき以上にわたって水没しました。
下知地区では今27の建物が津波避難ビルに指定されています。
しかし30分の間に1万6,000人を避難させる事は容易ではありません。
巨大地震そして大津波からどう逃れ避難するのか。
私たちは高知大学の岡村さんと共に検証しました。
そしてビッグデータを利用する事でこれまでになかった防災地図を作る事を試みました。
1,000の項目から成る膨大な情報で形成されている地図。
この膨大な情報に災害に関するさまざまな情報を重ねると新たな地図が出来上がります。
避難先を探るためにまず行ったのは全国に6,000万棟ある建物に関するデータの抽出。
高知市の中心部に高く表示されている建物は10階以上。
階層別に一瞬で分類できます。
これに津波の被害想定を重ねます。
下知地区で想定される津波は3mから5mです。
下知地区1万6,000人の避難ビルは27棟。
しかし最大想定の5mでシミュレーションした場合でも少なくとも60の建物に避難できる可能性がある事が分かりました。
このデータにはリアルタイムの人の位置情報を加える事も可能です。
するとどの建物に優先的に避難させるのか。
よりこまやかに避難先を検証できるのです。
南海トラフの巨大地震では新たな対策も求められています。
被害が広範囲に及ぶ事が想定されているため国は地域によっては長期的な疎開を検討する必要があるとしているのです。
今下知地区の人々は地区ごと疎開できる場所を探しています。
複合災害が懸念される巨大地震。
地図にさまざまなデータを重ねていきます。
広範囲に及ぶ大津波。
山間部の急傾斜の斜面崩壊。
これらのデータに県が緊急時の輸送道路に指定しているルートを重ねました。
するとある候補地が浮かび上がってきました。
下知地区がある高知市から一本の道は斜面崩壊に阻まれますがもう一本の道はその町へとつながっています。
地区からおよそ40キロ離れた仁淀川町でした。
先月下知地区の人々はそのルートを使って仁淀川町を訪れました。
こんにちは〜。
こんにちはどうも…。
仁淀川町にある集落の代表と面会し巨大災害が起きた際の協力をお願いしました。
宿泊できる施設や商店も見せてもらいました。
今月下旬もう一度この町を訪ね疎開先として具体的に検討していく事にしています。
東日本大震災を上回る被害が想定される南海トラフの巨大地震。
ビッグデータが導き出す究極の防災地図が巨大災害から生き延びるための道しるべになろうとしています。
多くの命が奪われた東日本大震災から明日で4年。
巨大災害のリスクを回避しどう生き延びていくのか。
今ビッグデータを使ったさまざまな取り組みが本格化しています。
大手カーナビメーカーが実用化したのは画像を使った新しいシステムです。
走行中の車に搭載されたカメラが道路の危険箇所を自動的に撮影。
その画像がメーカーの巨大なサーバーに1分間に1,000枚送られます。
危険を伝える画像はその道路の後方を走っているドライバーに送られます。
つまり自分が走行する道の数分先の未来が確認できるシステム。
車で走行中に多くの人々が命を落とした東日本大震災の悲劇を防ごうと開発されました。
大都市での火災による二次災害を食い止めるための備えも進んでいます。
ガスの供給施設に取り付けられているのは地震計。
気象庁が都内に設置する地震計13に対しこの会社は首都圏にある4,000の施設全てに設置しました。
ピンポイントの地震情報はリアルタイムでセンターに送られます。
その詳細な情報を基にこれまで40時間かかっていたガス管の制御が僅か10分で行えるようになったのです。
災害時自治体は地域住民のためにどう安全を確保すればよいのか。
国は人の位置情報や企業の情報などさまざまなデータを搭載した新たなシステムを来月から全国の自治体に配備する事を決めました。
巨大災害から生き残るための総力戦が始まっています。
巨大災害と向き合う事を宿命づけられた日本。
一人一人の命を地震や津波からどう守っていくのか。
ビッグデータが紡ぐ新たな防災地図は私たちの未来のための大きな力になろうとしています。
2015/03/10(火) 20:00〜20:43
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル 震災ビッグデータ File.4「いのちの防災地図」[字]
巨大災害から生き残るための教訓を探る「震災ビッグデータ」。東日本大震災の時、47万人が強いられ亡くなる人もいた避難生活の全貌をさまざまなビッグデータから検証する
詳細情報
番組内容
巨大災害から生き残るための教訓を探るシリーズ「震災ビッグデータ」。東日本大震災のさい避難生活を強いられた人は47万人。生活に必要な物資が不足する中で命を落とした人も少なくない。今回、NHKは避難生活にまつわるさまざまなビッグデータを入手し、その全貌の解明を試みた。物流が断絶した知られざる原因、人々が求めた意外なもの、そして次の巨大災害の時どのように避難先を確保すればよいのか、新たな知見が見えてきた
出演者
【語り】近田雄一,守本奈実
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 報道特番
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