Commentary Vol. 029 「国際法から見たロシアによるクリミア編入と国際社会およびEUの対応」 川﨑恭治 (一橋大学国際・公共政策大学院長、EUSI執行委員)
【EUSI Commentary Vol. 029】
ウクライナ情勢の緊迫が続いている。本稿では、ウクライナのクリミア自治共和国内でのロシア軍の軍事展開から、住民投票、独立宣言、ロシアによるクリミアの国家承認、編入条約の締結へと至った2月から3月にかけての動きを踏まえて、ロシアによるクリミア編入を国際法の観点から分析してみたい。
国際法は、国々にあることをすべきだ、あるいはすべきでない、という作為・不作為の義務を課すことで国々の行動を規律している。本事案に対して適用可能な国際法の規則としては、1. 他国の領土保全に対する武力による威嚇又は武力の行使を禁止する、国連憲章2条4項がまず挙げられる。またそれを敷衍するものとして、2. 「国の領域は、憲章に違反する武力の行使から生ずる軍事占領の対象としてはならない。国の領域は、武力による威嚇又は武力の行使から生ずる他国による取得の対象としてはならない」という1970年の国連総会による友好関係原則宣言の一節が想起される。3. さらにはロシアの先行国であるソ連も参加していた欧州安全保障協力会議(CSCE)の最終議定書(1975年)は、「参加国は、他の参加国の領土を軍事占領若しくはその他国際法に違反する、直接、または間接の武力措置の対象とし、又はこのような措置若しくは措置の威嚇によって取得する対象とすることを慎む。このような領土の占領又は取得は合法的とは認められない」と定めている。4. また、1974年の侵略の定義に関する国連総会決議(2010年の改正で国際刑事裁判所ローマ規程に挿入された8条の2も同じ)は、侵略の具体例の第一に「一国の兵力による他国の領域への侵入若しくは攻撃、一時的なものであってもこのような侵入若しくは攻撃の結果として生じた軍事占領又は武力の行使による他国の領域の全部若しくは一部の併合」を挙げている。2・3・4は、それ自体は法的拘束力はないが、一般慣習国際法の内容を反映したものと考えられる。
さて一般に、ある国のある行為と、その国を拘束しているある国際義務とを照らし合わせて、両者が合致していない時には、その国の国際義務違反が発生する。ロシアが本事案において、1. そもそも軍事展開はしていない、2. 仮にしていたとしてもそれはロシア軍ではない、という主張をしていたとすると、それは、1. 事実の不存在、2. ある人間集団の行為の国家への帰属の否定、を試みたということになる。
上の主張が難しいとなると、義務違反だと非難されている国が次に持ち出すのが「違法性阻却事由」である。これは、見かけ上義務違反に見える行為だが、やむを得ない事情が存在する場合にはそれを正当化できる、というもので、国連国際法委員会が作成した2001年の国家責任条文は、(相手国の)同意、自衛、対抗措置、不可抗力、遭難、緊急避難の6つの事由を出し並べている。このうちロシアが援用可能なのは、不可抗力と遭難を除いた4つだが、1. ウクライナ政府の同意はなかった、2. 自衛は、相手国からの武力攻撃の発生が前提、3. 対抗措置は、相手国の義務違反行為が前提、仮にそれがあったとしても武力による威嚇又は武力の行使を対抗措置として使うことは許されない、4. 緊急避難は、ロシアにとっての重大かつ差し迫った危険に対する唯一の方法であることが前提、しかも相手国あるいは国際社会全体の根本的利益を損なってはいけない、ということで、ロシアがこれらの阻却事由を援用するにはいずれも前提条件が欠けているように思われる。
国際社会およびEUの対応の検討に移る前に、ロシアが違反しているように見える義務の「性質」に言及しておく必要がある。一般に国際法上、国に課される義務は、A国の軍用機がB国領空を侵犯した、A国内のB国大使館の不可侵をA国の官吏が侵害した、というようなA国の義務にB国の権利が対応している、という一国の義務に他の一国の権利が対応している場合が多い。しかし他方、1970年のバルセロナ・トラクション事件(第2段階)判決において国際司法裁判所は、国際社会全体に対する国家の義務に言及した。裁判所によれば、それは、すべての国家の関心事であり、すべての国家が当該権利が保障されることに法的権利を有する「対世的義務」であるとし、その例として、侵略行為やジェノサイドの違法化、奴隷制度や人種差別からの保護をふくむ人間の基本的権利に関する原則や規則、を挙げた。ロシアによるクリミア編入が、侵略行為の結果であるとすると、それは対世的義務の違反ということになり、その法的結果としては、1. 他のすべての国が、違法行為の中止、原状の回復を求めることができる、2. 違反が重大な場合には、他のすべての国が、違法性阻却事由としての対抗措置をとることができる(2005年万国国際法学会決議)、ということが考えられる。
さらに、ロシアによるクリミア編入が、他国の領域への侵入若しくは攻撃の結果として生じた軍事占領又は武力の行使による他国の領域の一部の併合であるとすると、それは一般国際法上の「強行規範」に違反することになり、その法的結果としては、1. 編入条約の無効(条約法条約53条)、2. そのような行為の違法性はいかなる場合でも阻却されない(国家責任条文26条)、3. いかなる国も、強行規範の重大な違反によってもたらされた状態を合法的なものとして承認してはならず、当該状態を維持するための支援又は援助を与えてはならない(国家責任条文41条)、ということが考えられる。
国際社会の対応としては、まず国連の動きが注目される。安保理は3月15日に、ウクライナの領土保全を確認し、すべての当事者に紛争の平和的解決を求め、ウクライナに少数民族の保護に関する義務の尊重を求め、ウクライナが住民投票をオーソライズしていないことに留意し、住民投票が有効ではなく、したがってクリミアの地位の変更の基礎とはならず、いかなる地位の変更をも承認しないようにとすべての国に求める、ことをその内容とする決議案(S/2014/189)が上程されたが、投票結果は、賛成13、反対1(ロシア)、棄権1(中国)となり、ロシアによる拒否権の行使により採択されなかった。他方国連総会は3月27日に、ほぼ同じ内容の決議を、賛成100、反対11、棄権58(欠席24)の賛成多数で採択した(A/RES/68/262)。ロシアが安保理の常任理事国であることから、国連憲章第VII章に基づく、軍事的、非軍事的措置がとられるはずもなかったが、他方で、総会での投票では、反対、棄権(それから滞納による投票権停止国以外の欠席)の数がかなり多かったことが注目される。
国連がこれ以上の動きをとれないとなると、残るのは個別国家の対応であるが、まず、ウクライナおよびそれ以外の国による、個別的・集団的自衛権に基づく武力の行使は、理論的可能性としてはともかく、現実的な選択肢とは言えない。残るのは、非軍事的措置で、それ自体は違法ではない「報復」と、それ自体は違法だが違法性が阻却される「対抗措置」に分けられる。日本によるロシアとの条約交渉の凍結や、各国の(ロシアとの)首脳会談の中止などは前者に該当する。他方、既存の2国間あるいは多数国間の(通商関係)条約に違反するような形での経済制裁措置をとった場合には、対抗措置として正当化しうる(対世的義務の法的結果2.)が、経済制裁は、制裁実施国の国民の経済生活にも大きく関係してくるものであり、その実施には慎重にならざるを得ない。
EUは、理事会決定2014/145/CFSPや理事会規則(EU) No 269/2014などで、ロシアやクリミアの特定個人をリストアップしたうえで、それらの個人に対する渡航制限、資産凍結の措置をとっている。これらの措置が、対象個人に対してどの程度脅威になっているのかは不分明だが、国際法的には、たとえばこの理事会決定は、EU加盟国を名宛人にして、そのような措置をとることを加盟国に義務付けている点が注目される。安保理による義務的制裁決議というような言い方がされるが、その場合にも、義務付けられているのは、(制裁対象国ではなく)それ以外のすべての加盟国である。
以上みてきたように、ロシアによるクリミア編入とそれに至るまでの経緯は、国際社会全体の根本的利益を侵害する重大な国際法違反であるといわざるを得ないが、他方で、それに対する国際社会およびEUの対応は、今までのところ非常に限られたものにとどまっている。国際法上、義務違反国に求められるのは、1. (継続している)違法行為の停止(現在にかかわる)、2. 原状回復を含む損害賠償(過去にかかわる)、3. 再発防止の確約・保証(未来にかかわる)の3つであるが、国際社会およびEUとしては、1・2の実現のめどが立たない以上、当面は、安保理決議案および総会決議にいう、クリミアの地位の変更の不承認(強行規範の法的結果3.)を堅持しつつ、ウクライナ東部地域での同様の事態の再発の防止の確約・保証(3.)をロシアからどう取り付けるかが焦点になると思われる。