徹子の部屋 有馬稲子 2015.03.10


山陽新幹線は、1975年のきょう3月10日に新大阪・博多間の全線が開業。
40年間の利用者数は、およそ24億人にのぼります。
(黒柳)さて今日も艶やかなお客様でいらっしゃいますけども今日のお客様はなんか喉にポリープがおできになって去年手術をなすったんですけど今日どういうお声でお話しになるのか楽しみでございます。
有馬稲子さん今日のお客様です。
よくいらしてくださいました。
どうもお久しぶりでございます。
偶然なんですけどあなたが結婚してらした萬屋錦之介さんの今日はご命日で。
そうなんですよ。
偶然なんですってね。
そうなんですってね。
そうなんですよ…。
よろしくお願いいたします。
はいよろしくお願いいたします。
さて有馬稲子さんは大スターでいらしたんですけど今ケア付きマンションにお入りになって8年でいらっしゃるんですって?そうですねはい。
そこでとても楽しい生活をしてらっしゃるそうでございます。
それよりもポリープの手術を?そうなんですよね。
4月にねポリープの手術しましたらねお医者様がね「半年で治る」って言ってたらもうね10か月なんですよ。
そしたらね治らないのね。
それでね「どうしてですか?」って言ったら「他の人はね半年ぐらいで治りますよ」って仰るの。
「どうしてですか?」って言ったらやっぱりね「うーん…あまり若くないからですね」。
そういうことらしいんですよ。
嫌ですねその言い方がね。
そうなの。
そういうの嫌ね。
そんなことってあるんですか?あるんですって。
やっぱり若い人はね早く治るんだそうですよ。
まあね。
だからまあ…。
とにかくね私も66年ぐらい女優やってますからね。
初めてなんですよポリープができたの。
他の人はね何回もできてる人知ってるんですけど私初めてだったんです。
それが意外に治らないんです。
ごめんなさいね皆さんこんな変な声で。
すいません。
それはそれなりに魅力的って言えないことはないんですけど。
病院はしごなすったりなんかしたんですって?その手術のことで。
病院ね。
いや病院はそれは1軒だけなんですが他に色々…漢方薬のお医者様とかそれから足のほうの先生とか。
ですから3軒ぐらいはしごしてるんです。
ですから大変なんですよね。
そうそう。
あなたおみ足がねなんか金属お入れになったってね。
ええ。
片足本当の足じゃないわけですよね。
人工関節を入れちゃったから。
畳の上とかそういうとこには正座できない?正座できないんですよ。
あっそう。
ですから正座の役はやれないんですね。
日本のなんかそういう座ってやるっていう役ができないんですね。
ケア付きマンションにお住まいになって8年っていうことだけど偉いなって…。
あの時も伺いましたけども全部荷物整理してそこにお入りになってね。
そこに看護師さんがいつもついてるから…。
看護師さんがいらっしゃるからね何かの時はベルを押せば来てくださるからそういう意味でそこはいいんですけどね。
食堂があったりして?そうそう。
一人でいるよりはいいんですよね。
そうですよね。
エレベーターに乗ってもそれから廊下歩いても誰かに会うでしょ?そうそう。
だからね寂しくないですね。
そこの方だってわかってるから安心だしね。
でもそこで…荷物整理したって仰りながら素敵なお洋服着てらっしゃるから。
そういうのは…。
お洋服だけは…捨てなかったって変ね。
人に差し上げなかったんですよ。
どういうことがあるかわかんないから。
まだね女優やってるから。
ただ他のものはもう大概整理しました。
あっそう。
でもそこは食堂もあるんだけどご自分でお料理もなさる…。
私好きですからねお料理作るの。
ですから大体朝は自分で作ってますし。
それから食堂のメニューがねやっぱり鶏だとかそういうのある時は私行かないんですね。
好きじゃないものの時は。
メニューを見て。
でもこの頃何でしょう?お食事が…。
なんだかわかんないけど年齢だかなんだかお食事の量が昔より減ったんですって?本当?そうですね。
やはりお肉をめったにいただかなくなっちゃったし。
特にねこの『徹子の部屋』に出ることになってね私もちょっとやっぱり奇麗に映りたいもんだから一生懸命痩せましたこの間から。
だからもうね今日ねすごくお寿司が食べたくてしょうがないの。
これが終わったらお寿司食べようと思ってるんです。
そういうのっていいですよね。
なんかこのあとねお寿司食べようと…。
はい。
この間いつかいらっしゃった時にノーベル賞の…。
ええ。
山中先生。
そう。
私がね有馬稲子流の「いい男」っていうのを「山中先生がいい」って言ったら徹子さんも「私もそうだ!」って仰って。
この間お会いになったじゃありませんか。
あなた悔しいでしょ?悔しい。
どこ…素敵でした?『徹子の部屋』においでになった…。
これはご覧になった?見ました見ました。
素敵だったでしょ?すごくね。
素敵だったです。
だってあんなに弱い人たちの…困難な病気になってる人たちを助けるためにね。
「ノーベル賞をおもらいになったのはその後ご覧になったんですか?」って言ったら「みんながそういうiPSを使って治療ができてそれがしかも保険でできるようになった頃もしかしたらノーベル賞を見るかもしれない」と仰ってましたよ。
そうですよね。
素敵でしょ。
ご覧になるのを待ってらっしゃるわけで…。
素敵な先生でしたね。
肌が奇麗で。
どうしてあんな男の人で奇麗なの?それで私も伺いました。
どうしてそんなに清潔でお奇麗なのかって。
52歳でいらっしゃるんですってね。
そしたらねすごいスポーツ。
スポーツやってらっしゃる?それが私びっくりしました。
あの方がスポーツをおやりになると思わなかったの。
スポーツやってらっしゃる割にはなんか顔に染みも何にもないですね。
それでねしかもマラソンですよ。
昔はね柔道をおやりになったんですって。
若い時。
中学高校と。
だけどもねマラソンをおやりに…。
ちょっと『徹子の部屋』にお出になった時の山中先生を…。
「先生は本当に清潔なお顔をしてらっしゃるのでいつも私ねどうしたらあんなふうに清潔な大人であんなふうに…。
52歳でいらっしゃる?」「52歳です」「52歳の大人でこんな清潔な顔をしてらっしゃる方少ないなと思って私拝見してたんですけど」「ありがとうございます」「それはやっぱり運動をやってらっしゃるから?」「やっぱり運動は非常に…心身ともにプラスに働いていると思います」「毎日走ってらっしゃるんですか?」「ほぼ毎日ですね。
大体大学のすぐ横に鴨川という奇麗な川が流れておりますので昼休みに抜け出してそこを30分ぐらい走って帰ってきてご飯を5分ぐらいで食べてという毎日」「そうでいらっしゃるんですか」でマラソンありました。
京都マラソン。
ええええええ。
私ね先生ここにお出になって今日は出てどうとかっていうお手紙をいただいたんですぐね「マラソン応援に行きます」って私お返事をしたんですよ。
申し上げたからには本当に行かないと。
あらいらしたの?すごい!それでね三十何キロぐらいのところでまず待っていて。
先生いらっしゃって。
向こうのほうから。
それでうわー!なんて拍手をしたの。
先生はね3分短くしたいって仰ってらしたの。
4時間3分だったのを3分短くしたいって仰ってたんだけど。
その時相当早かったんですよ。
「すごいすごい」って。
それでねそのあと今度スタート…じゃないや。
フィニッシュのとこでまた待ってたらね随分…。
そこに時計が出てるんですよずっと。
随分お早いの。
すごくうれしかったんですけどちょっとそれをね…。
だけど徹子さんが応援したから早かったんですよきっとそれは。
そんなすごい…。
先生そう仰ってくださいました。
こんなふうにね割と…。
あっ先生…。
そうそうそう。
先生こんな。
うわー!なんて…。
だけどこれじゃなんだかわかんない。
でもまあないよりはいいっていう…。
これフィニッシュです。
フィニッシュですね。
ほらすごいでしょ?先生。
そうですね。
手上げてらっしゃるからフィニッシュですね。
握手してくださって。
ここのとこね平安神宮のところがフィニッシュだったのよ。
すごい素敵でした。
いっぱい…人がいっぱいいて。
私山中先生ね本当にあの研究をずっとやってくださることはとてもいいことだと思うんです。
今ね日本がすごくさ怖いじゃありませんか。
なんか今とても難しくなってるからやっぱりああいう方が旗手として日本をリードしてくださるとねいいと思うんですよね。
それでね私「有馬稲子さんがね私がね今日まいりましたことを悔しがってらっしゃると思いますよ」って言ったら「くれぐれもよろしく」と。
仰いましたよ。
ありがとうございます。
「お伝えいたします」って。
どうもお忘れなく言ってくださって。
iPSの研究所の中もね生徒さんがずっと…先生もいらっしゃって見せてくださってね。
とてもオープンなね感じのいいところで。
あっここのとこ。
iPS細胞研究所っていうとこ…。
あっ本当。
「京都大学iPS」って書いてある。
うわーすごい。
これはね先生のお部屋ですね。
「人間萬事塞翁が馬」あれ先生お好きなんですって。
先生すごい勢いでシャワーに入ってらしてね。
私もちょっとみんな…人がいるから帽子かぶってて変なんですけど。
でもまあいずれにしましてもうれしかったです。
よかったですね素晴らしい…。
奥様もいらっしゃってまた奥様皮膚科の先生でお嬢様もいらっしゃって。
2人いらっしゃるほうの小さいほうのお嬢様やっぱり医学を志していらしてね。
今学生さん。
いい一家ですね。
いい家ですね。
本当に羨ましいそういう点では。
そういう点ではね。
私は独身あなたは?私も独身ですしね。
錦之介さんよかったじゃないですか。
錦之介さんの命日ってどんな感じなさいます?私ねもう…錦之介さんに色々思い出はあるんですけれども。
たまたまね私の書いた『バラと痛恨の日々』という本をね2〜3日前に読んでたんですね。
そしたらね自分でちゃんと書いてんですね。
今だから言えるって錦之介さんの…。
その3月10日に錦之介さんの亡くなった時のことが書いてありましてね。
あの時私病院に入ってて…。
ご自分の?そうなんです。
病院に色々電話がかかってきて。
それで錦之介さんがとてもねいい方だったっていうことは全部わかったんですけどね錦之介さんのことをね暗い俳優だとかなんとか色々仰るんです。
私そうじゃないんですね。
私が知ってる錦ちゃんっていうのはものすごくやんちゃ坊主でもう子供がそのまま大きくなったような人だったし。
テレ朝かなんかでね新婚旅行をずっと撮ったことがありましてね。
ベルリン行ったんですね。
あなたと一緒に?ベルリン錦之介さんと。
新婚旅行はそれもう結婚してから2年目だったんです。
そこのところでねベルリンにたまたま彼の映画が出たんで行ったんですけれどケネディがねちょうどベルリンに来たんですよ。
ええ。
それでケネディがね来るっていうんで…。
JFK?うん。
見に行ったらね街道にずっと見に行ったんですね。
1時間ぐらい走ったところ行ったらね後ろのドイツの人たちがね私たちが日本からケネディを見に来たっていうんで前へ前へってこうやってくれて見てたんですね。
本当にケネディがねオープンカーにこうねつかまって来たんですね。
そしたらね錦ちゃんが何て言ったと…。
「おおこれこそね“よっ!大統領”だ」って言うんですよ。
そうよね。
歌舞伎では大統領…。
歌舞伎の人はね裏の人たちがよく「よっ!大統領」とか言うじゃありませんか大向こうさんが。
「これこそ本当の“よっ!大統領”だね」って言ったんで笑っちゃいましたけどね。
そういう人。
面白い人だった…。
面白い方。
あのね『徹子の部屋』でも面白かった。
何回も出ていただいたんですけどねその中のね36年前の当時46歳の時の錦之介さんのビデオちょっといいですか?見ていただいて。
お懐かしいと思います。
はい。
「京都は…私青春時代全部京都でしょ」「ああそうですね」「どうしてもねこう…」「遊ぶところなんですねあそこは」「食べ物もおいしい」「食べ物は?召し上がるものはどうなんですか?」「お酒は?」「酒があればいいですよ」「私も随分お茶屋遊びもしましたしね色々しましたけども」「うちの母なんかやっぱり役者は遊ばなきゃいけないというふうによく母なんか言いますけども」「錦之介はちょっと遊び過ぎだってねよく言われましたけどもね」「何ていうんですかね?やっぱりそういう余裕っていうのかな?気持ちの余裕」「それからそういう遊びの艶っていうのかな?色気っていうのかな?」「なんかそういう雰囲気をね知らなきゃまずいですよね」「ただ撮影所行って帰ってきたと…」「それだけじゃなくてねそういう遊びっていうのはやっぱり必要なんじゃないでしょうかね」「今はどうですか?」「やっぱり京都行きますとねやはり昔行ったところあるでしょ」「真っすぐ帰らないんですよ宿屋にね」「真っすぐ帰る道知らないもんですからね」「こう行ってこう行って何軒目かに帰らないとね…」「お茶屋さんのほうを通らないとお家へ帰る道が…」「知らないんですよ。
いまだにそうなってますけどもね」魅力的。
ねえ。
素敵でしたよ。
それで私ねこの間ね『瞼の母』っていうのをね彼の今日はご命日だっていうんで見たんですまた。
うまいですね。
芝居が?芝居がうまい。
もうねあんなね…。
あの人のね評価がね私低すぎると思うんですよ錦之介さんに対する。
チャンバラがうまいとかそういうことばっかりでね本当に芝居が…。
芝居がうまい人でした。
だからもう少しね彼の評価を高くしてあげたらいいのになと思いましたよつくづく。
もうどれもうまいですよ。
あっそう。
うんうまい。
それで魅力的ね今拝見しててもね。
はい素敵です。
自分の家の帰り方がお茶屋さん通んないとわかんないってね。
そうそうそうそう。
そういうところが面白いでしょ。
すごくね冗談がうまいんですよあの人。
そうなのね。
そうそうそれであなたが…割とそれは最近のことで別れて随分経ってからだけど昔のお家があってそこちょっと通ってみたら昔の物置があったんでそこちょっと見たらボールがあったとかって…。
そうそう。
物置じゃなくて。
私が行った時はまだお家が立っててそして私たちが使ってたバスケットボールがねそのままね転がってたんです。
それで懐かしくてもう何年も経ってるから。
その懐かしいバスケットボールを見たらねもう涙がバーッと出ましたけどね。
それからあとその次行ったらもうね全部なくなってて更地になってたんです。
まだあった時に行ったんです。
あっそうなの。
雨天体操場がありましたから…。
お家の中にね。
でもすごい思い出。
そうですね。
もう悪いことは全部忘れました。
いいことしか今思い出せない。
でもそこに高倉健さんなんかも遊びにいらしてたんだって?高倉健さんもねよく錦之介さんと…。
『宮本武蔵』で佐々木小次郎をやってらしたからいらしてて。
彼は素敵な車にね乗ってくるんですよ。
それで家の前へね玄関の前へでんと置いてねいつもこうね磨いてらっしゃるんですね。
すごいおかしい。
だからねあまり口利かなかったんです健さんに。
「いらっしゃい」とかね何とか言いましたけどねいつも一生懸命磨いてらっしゃるからね。
車を?車を。
だから言えないのね。
面白い方ですね。
うん。
そうでしたよ高倉健さん。
錦ちゃんっていうのは車なんてもう磨きそうもない…。
そんな人じゃありませんけどね。
プールがあったしねだから皆さん遊びにみえてプールで泳いだりなさってました。
でもあれですってね。
あなた本当にその時は主婦業に専念で皆さんのもうなんか色んなこと…。
もう主婦業に専念したからくたびれちゃったんですよ。
それで別れちゃったんですけどね。
なるほどね。
程々にしないといけない。
程々にしなきゃいけないんです。
でもその時はしないわけにはいかなかったでしょ?そういう性格なんですよ私。
何でも一生懸命やる人だから夢中になってやってましたからね。
なんかあの難しいお義母様が私のこと褒めてくれたらしいですよ。
そうそうそう。
有名でしたからね。
あっそうなの。
それじゃあね。
でもまあ病院にいらして足手術なすった時にもう別れて違う方と結婚して違う方と一緒にいらっしゃって亡くなった時…。
そうなの。
それで私はその…色んなところから電話がかかってきたからもうどうしてもそのねお通夜だけ行こうと思って。
その病院が近かったんです。
それでねその日ね松葉杖をね借りてね勉強したって練習したんです。
次の日ねお通夜に行くのにね。
松葉杖の?うん。
松葉杖。
だって手術した次の日だったんです。
次の次の日だったんです。
ですから松葉杖突いていきました。
そしたらみんなマスコミがわーっと来ちゃってね「どうしたんだ」「どうしたんだ」って大変だった…。
松葉杖なんかねうん。
もう忘れられませんけどね。
いい人でした錦之介さん。
本当に。
いいですね。
そういう思い出があるのってね。
お別れになったにしてもね。
もったいなかったですねあんな早く亡くなってね。
早く亡くなり過ぎました。
これからの人だったんですよ。
今ちょうどあのぐらいの歳の方が…。
いい味になってきてね。
もう本当にこれからの人だったから残念でしたね。
でも私有馬稲子さんって私がちょうど拝見した頃もう大スターでいらしてね映画の主役もずっといつもあなたやってらしたんだけど。
そういう方がだんだん色んなことがあってそれでお一人になってそれでもの全部整理してそういうケア付きマンションにお住まいになるっていうそういう決断みたいなものはパッパッとつく方なの?そうですね…一人だからですよそれは。
もしくはこれに子供がいたりなんとかしたらそんなに決断早くつかなかったと思うけど。
夫はいない子供はいないでしょ。
だからもう自分で考えるしかないし。
お友達がゴンッと押してくれましたから。
「早く行きなさい!」って言われましたからね。
それでね自分が思ってたより早く行っちゃったの。
早く行ってよかったと思ったんですよ。
もう片づけだとか引っ越しが大変だったです。
馬力がないとできないあれは。
できないと思う。
本当。
じゃあ今もう…。
本当に整理なさって。
そうですね。
もう今はもう本当に…。
でも時々ねよその家でテレビなんかでものすごい色んなたくさんの部屋のある家見るとねああいいな羨ましいなと思うけど。
「昔ああいうとこにいたわ」なんて。
そう。
「昔ああいうとこにいたわ」ですよね。
絵なんかいっぱい掛かってたりなんかするとね「いたわああいうところに」ってね。
でもまあそういうとこにいらしたんだからね。
まあね。
色んな家に住みましたけどね私も。
でもお散歩はやってらっしゃるんですって?毎日。
散歩はもうね家の裏がもうずっと何ていうか…木がいっぱい生い茂ってまして森林浴みたいなとこなんです。
だからもうずっとねそれこそ次の駅の次の駅ぐらいまで歩けるんですよ。
足さえよければ。
だから歩きます。
あっそう。
それはいいことね。
昨日も7000歩くらい歩いたかな?歩くとね私はね頭がねよくなるんです。
誰でもそうなんじゃないですか?でも。
そうなんです。
フジコ・ヘミングさんってピアノの方。
あの方は大体1時間歩くってねピアノの前に。
あの方も相当のお歳ですよね。
なんだか何歳だかわかんないっていう話ですけど。
でも80はもうとっくに過ぎてらっしゃるっていうんだけど。
1時間はお歩きになるってやっぱり。
歩くといいですよ。
歩くと色んなこと考える…。
そうして歩くことがピアノにそのものにいいらしいねなんか。
だから頭がよくなるのは…。
血流がよくなるから頭はねよくなりますよ。
いいと思いますよね。
皆さん色々…。
あなたは今色んなことがあるんですけど山中先生もだけど良寛さま。
ええ。
今もう良寛さまにすっかりはまってるんですね。
私良寛さまを3月の18日に話すんですね読むんじゃなくて。
話すんですけれども。
でもやっぱり一応読むだけなんですけどね。
1時間半ぐらいですけどね。
もうはまっちゃったんですね。
良寛さまがね今やね山中先生の次にね良寛さまね有馬稲子流「いい男」にしようかと思って。
そうですか。
ちょっとコマーシャル挟んでそこのところちょっと読んでいただこうかと思って…。
それではそういう良寛さまのものをお読みになったりする会があるのでどんなふうな…良寛さまってどういう方…。
ちょっと短くてわからないかもしれないけど読んでいただいていいですか?あまりにも短すぎるから…。
「良寛さまは無類の子供好きで托鉢に出かける時いつもたもとに手毬とおはじきを用意して子供らを見つけるとすぐ仲間に入って一日中でも遊び暮らしたといわれています」「こんな歌があります」「あどけない子供たちとこの毬つきしてると暮れないでいてくれたらいいなっていう歌ですねこれ」「しかし今の日本ではこんな光景は見られなくなりました。
今もし良寛さまのような人がいて“お嬢ちゃんおじいちゃんと遊びましょう”と声をかけたらそれは大変です。
変質者と呼んで近所中の大騒ぎになりますよ」「警察が出てくるかもしれません。
嫌な時代です」「今日は日本がのどかで人の心が優しかった頃のお話をさせていただきます」「良寛さまのお話です」「良寛さまは少年時代の名前は栄蔵君といったそうです」「お父さんは土地の名主さんで神主さんでもありましたからいやいやセレブのボンボンだったわけですね」「お兄さんは早く亡くなりましたからゆくゆくはお父さんの後を継いで名主になるはず」「でもこの栄蔵君少年時代からあまり明るい子供じゃなかったようなんですよ」「ある時寝坊してお父さんにひどく叱られました」「するとお父さんのことを上目遣いにじいっと見たそうです」「昔からこんなことわざがありますね」「“親をにらむと鮃になる”。
お父様は“これ!そんな目をして親を見ると鮃になりますぞ!”と叱りました。
当然です」「すると栄蔵君ぷいっと家を出たっきり戻ってこなくなりました」「夕方になってみんな心配しますよね」「一応お坊ちゃんですから」「で手分けして捜したところ海辺の岩の上にしゃがみ込んでじいっと日本海の波を見つめていたそうです」「“まあ坊ちゃん!こんなとこにいらしたんですか”」「すると栄蔵君はこう言ったそうです」「“ねえ。
僕の顔まだ鮃になってない?”」そういう…。
フフフ…。
可愛い可愛い。
あっそう。
はい。
面白いんです。
それを東京と大阪でなさる?ええ。
それでね良寛さまが最後に恋をなさる…その話をするんですけれど。
あっそう。
貞心尼って仰るんですかね。
はい。
貞心尼さん。
若いの?その方。
その方がね40歳歳が違うんですよ良寛さまと。
若い?ええ。
なかなか素晴らしい恋でね。
だから良寛さまの死ぬ間際まで彼女がずっと見て差し上げるんだけどその時ずっと彼女がいたんで良寛さまの人生もね色んなことがあったけれども最後虹のようなねふあーっと奇麗なものがかかったというお話なんです。
いいですなんか。
大好きな方のことをお読みになるんだからまあ本当にいいでしょ。
良寛さまをね読んでるとね優しくなりますね。
あっそうね。
もう本当に優しいんですよ。
今の世の中がすごくね怖いでしょ。
人が殺したりとかそういう話ばっかりだからね。
これ読んでるとねなんか心がね和むっていうか優しくなるっていうか。
すごくやっぱりいい時代だったんだなと思うんですよね。
この時代ね。
でもまあご自分の理想の男性ってやっぱりあります?こんなような人…。
そうですね。
今度良寛さまの色んなのを読んでて良寛さまみたいな人がいたらよかったのになと思うんですよ本当。
ちょっと時代がね。
ねえ。
ちょっと時代が違いますけどその優しさですよ。
優しさっていうか…。
とてもしっかり哲学的な頭を持っていらしてなおかつ優しいっていうのがね。
優しい人はいるかもしれないけどそこにそういうすごい哲学的なものの考えとかそういうすごい本当に地球的な愛みたいなものをお持ちじゃないと。
そうですね。
そのうちに見つけようと思ってますけどね。
そうですよ。
だってどなたか見つけてお話ししたりお茶飲んだりとか。
そうそうそうそう。
そういうことでいいんです。
いいでしょ?お茶飲んだりお話ししたりでいいんですけどね。
だからなにも結婚しようとかいうんじゃなくて。
本当…。
そういう方がいたらいいなと思いますね。
だから貞心尼さんがね良寛さんに夢中になったのわかりますね。
やっぱりね。
彼女はうんと若いけどねやっぱり真に支えてくれる人っていうのが…。
だから私たち年上のそういうなんか支えてくれて色んなこと教えてくれる人いいなと思うけど今私たちより年上の人少ない…。
もう相当年上ですからね。
ちょっとそこのところがね。
年下でもいいから。
そう下でも…。
そういう人。
あなた探してください。
またご報告祈ってます。
はい。
そうそうそう。
すごくお上手ねそれね。
奇麗ですねこれ。
本当のバラにしか見えません。
そうなの。
素晴らしいですよね。
どうも。
お声をお大事にね。
ありがとうございました。
橋本さん!2015/03/10(火) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 有馬稲子[字]

〜萬屋錦之介さんの命日に明かす秘話…元夫の映像に〜有馬稲子さんが今日のゲストです。

詳細情報
◇ゲスト
女優・有馬稲子さんがゲスト。
◇番組内容
3月10日は、昭和時代劇を代表する大スター萬屋錦之介さんの命日。錦之介さんは18年前に64歳で他界した。有馬さんとの結婚生活は3年8カ月と長くはなかったが「精いっぱい尽くしたので悔いはない」と当時を振り返る。有馬さんと黒柳さんが揃って熱をあげているというノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥教授の話題では、山中教授の魅力を語り合い“ガールズトーク”で大いに盛り上がる。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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