(テーマ音楽)仙台市泉区で助産院を経営する…日頃の備えを生かして妊婦や出産後の母親たちを支えました。
あの日自宅を兼ねた3階建ての助産院は激しい揺れに襲われました。
2階の診察室は医療機器や棚も倒れて物が散乱。
液状化現象で地盤も沈下し電気水道などライフラインは断ち切られました。
揺れが収まったあと伊藤さんがすぐに向かったのは倉庫です。
倉庫には石油ストーブやランタン水を入れる容器などが保管してありました。
災害時にも妊婦の受け入れができるようにと日頃から備えていたものです。
秋田県出身の伊藤さんは小学生だった昭和58年日本海中部地震を経験しています。
その時の記憶が地震への備えにつながったのです。
翌日の夜28歳の妊婦が産気づいてやって来ます。
電気は依然使えずスタッフも被災して来る事ができません。
用意していたランタンや湯たんぽなど昔ながらの道具を使い伊藤さんは1人で赤ちゃんを取り上げる事を決断します。
日頃の備えで出産を切り抜けた伊藤さん。
その後も妊婦や赤ちゃんを連れた母親たちが次々と助産院を訪れます。
震災後の物資不足で粉ミルクの心配をする母親もいました。
伊藤さんは非常時だからこそ母乳で育てる事の大切さを訴えました。
震災から3年半。
毎月助産院で行っている妊婦のための教室で伊藤さんは震災の時に感じた教訓を伝えています。
この日は震災で役に立った布おむつの使い方をアドバイスしました。
2015/03/10(火) 10:50〜10:55
NHK総合1・神戸
あの日 わたしは〜証言記録 東日本大震災〜「宮城県仙台市 伊藤朋子さん」[字]
東日本大震災に遭遇した人々の証言。宮城県仙台市で助産院を経営する伊藤朋子さんは、震災で電気も水道もない中、ランタンや湯たんぽなどを駆使して赤ちゃんを取り上げた。
詳細情報
番組内容
東日本大震災に遭遇した人々の証言。宮城県仙台市で助産院を経営する伊藤朋子さんは、震災で電気も水道もない中、ランタンや湯たんぽなどを駆使して赤ちゃんを取り上げた。
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
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