今日の朝、こんな記事をアップしました。
今日はあの東日本大震災から4年が経過した日。ぼくは当時、特に被害が深刻だった場所にいました。その時の体験を綴った記事になります。よかったら読んでね。
3月11日の地震はもちろん大きかったです。被害も甚大でしたし、世界的にも五本の指に入るレベルの大きさだったと言います。
しかし、その1ヶ月後にもとても大きな地震が福島県では発生していたことは、正直あまり知られていないと思います。あの日も大変だったよ…。
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福島県浜通り地震
当時、ぼくは福島県いわき市の某パチンコ店で働いていました。3月11日の地震の影響で一時閉店を余儀なくされた店でしたが、その後4月から営業再開を無事にすることができ、みんなホッとしていました。ぼくも避難していた新潟市からいわき市に戻り、震災前と同じように働き始めました。
しかし、東日本大震災から1ヶ月後の4月11日、再度福島県を大地震が襲いました。それが「福島県浜通り地震」でした。
福島県浜通りの北緯36度56分42秒、東経140度40分18秒、深さ約6kmを震源とする地震。規模は気象庁マグニチュードはMj7.0、モーメントマグニチュードはUSGSではMw6.6、CMT解からはMw6.6あるいはMw6.7[3]と推定されている。近地強震波形による震源過程解析ではMw6.8の推定値もある。福島県浜通り、同県中通り、茨城県南部で最大震度6弱を観測した。
福島県の太平洋側沿岸部を震源地とするもので、この地震によって福島県いわき市と茨城県鉾田市で6弱を観測しました。
3月11日の地震の震源地は宮城県沿岸部でしたが、今回はかなり近くでの地震。しかもまたもや震度6クラス。この地震が起きた時もぼくは働いている最中でして、正直「またかよ!」という気持ちでした。
マグニチュードや震度の大きさでは3月11日ほどではなかったものの、ある意味3月11日より困ったことが起きました。それは何かというと、
電気が使えなくなったことでした。前回の記事にも書いてありますが、3月11日は水道とガスは死にましたが奇跡的に電気が生きていたのです。しかし、この地震では電気までもが使えなくなるという最悪の状態になりました。
電気が使えなくなるというのは、もう1つ大きな問題があります。それは、
パチンコ台全てが動かなくなるということ。3月11日は台自体は動いていたので、パチンコを打つことに対するクレームはほとんどありませんでした。
しかし、今回は台が動かない。交換したい人も、ジェットカウンターが使えない。この部分で、3月11日よりも辛い状況になっていったのです。時間が経つにつれて大きくなっていくクレーム。しかし電源は復旧しない。
地震は天災なので、補償はできないと明記はしてあります。しかし、それを説明して収拾がつくお客さんばかりだったら、ぼくはまだパチンコ業界で働いていたかもしれません。もちろん大なり小なりのお金を使っているわけですから、クレームになるのはしょうがないことなのかもしれませんが…。
「いつ復旧するんだ!」←分かる
「もう交換して帰らせろ!」←まあ分かる
「今まで使った金を返せ!」←は?
というような押し問答を小一時間ほど繰り返しているうちに、なんとか電源は復旧し、その場は何とか収まりました。
また避難なのか?
4月12日。昨夜は何とか収拾がつき、今回は店の天井が落ちるとか設備にヒビが入るなどの被害はありませんでした。しかし、断水している今の状況では、トイレが使えない。
「店は通常どおり営業しています!ただしトイレはありません!!」
というわけにはさすがに行かない。というわけで、この日はお店を休みにして、店長陣が再度新潟へ避難する相談を本部と行っていました。
ぼくは正直「またかよ…」と思っていましたが、午後2時ごろに水とガスが復旧したため、再度新潟に行く話は無くなりました。こういう時にライフラインを直してくれる人々がいるというのが、とてもありがたく思えますね。
その後は格段に大きな地震が起きることはなく、今に至ります。ぼくは5月11日も確実に地震が来る!と思っていまいたが、それは杞憂に終わりました(笑)
3月11日の地震はかなりのインパクトがあるものだったのでしょうがないことかもしれませんが、4月11日にも、非常に大きな地震が来ていたことも、今回この記事を読んでくださった方々には覚えておいてほしいと思い、書きました。
3月11日同様、4月11日の地震も覚えておいていただけると幸いです。
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