東日本大震災と福島第一原発の事故から丸4年が経った。政府は26兆円に及ぶ復興予算を組み、今月1日には首都圏と被災地を結ぶ常磐自動車道が全線開通した。インフラの復旧は着実に進んでいる。

 しかし、原発事故収束のめどはたたず、福島県では今も約12万人が県内外に避難している。約2万4千人が暮らす県内の仮設住宅は、避難の長期化で傷みも目立ち始めた。復興公営住宅は用地の造成などに手間取り、建設が遅れている。5万人近くは県外で暮らす。

 原発から20キロ圏内では昨年から、線量の比較的低い地域で避難指定の解除が進む。約7500人の町民ほぼ全員が避難した楢葉町も、近々、解除を決める見通しだ。

 だが、住民の帰還は進まない。復興庁が3月に発表した調査でも、原発の立地・周辺4町の住民で「戻りたい」という世帯は、1~2割にとどまる。反対に「戻らない」は半数前後を占める。避難区域外に住宅を買い、移住を決める人も増えた。

■人々をつなぐ機能

 戻らないことが故郷との絶縁を意味するわけではない。

 全町避難が続く浪江町は今年1月から全国に散った住民に無償でタブレットを配り始めた。町からの情報発信に加え、町民同士で近況をやりとりできる。町内の放射線量が詳しくわかるアプリも載せる予定だ。

 3月初めに東京都内で開いたタブレット講習会には、100人を超える人が集まった。千葉、神奈川、埼玉、栃木と現住所は様々。見知った顔を会場で見つけては笑みがこぼれ、おしゃべりがはずんだ。

 江東区の仮住まいから夫婦で参加した女性(42)は、津波で家を失ったこともあって「もう浪江には戻らない」と決めている。それでも、タブレットを通じて町の様子や知り合いの近況が知りたいという。

 あなたにとって町は? そう問うと、しばらく考えてから、

こう答えた。「生まれ育った景色、近所の人との関係、自分の日常、中心にあるもの。別の土地に移り住んだとしても、ずっと関わっていたい」

 復興は、町村を元の姿にもどすことではない。

 福島県立「ふたば未来学園高校」が4月に浪江や楢葉と同じ双葉郡の広野町に開校する。寮を完備し、県内外に避難する子供たちも通える学校になる。自宅生だけでは存立が難しくても、こういう形なら学びの場を新設できる。これも一つの復興の形だろう。

■早期帰還に焦りも

 一方、自治体側には早期帰還への焦りも生まれている。

 大熊町は、町内の復興拠点とする大川原地区での居住再開を2018年度中とする方針を固めた。これまで帰還のめどは必ずしも明確にしてこなかったが、具体的な時期を示さないと帰還をあきらめる人が増えるとの危機感からだ。

 別の町の幹部は「周辺で避難解除が進むと『うちだけ遅れている』と見られる」とこぼす。

 たとえ少なくても「戻りたい」住民のために行政が手を尽くすのは当然だ。除染はもちろん、インフラ整備や商業施設、雇用先の確保など、国の支援も含めて急ぐ必要がある。

 一方で、戻らないと決めても元の町とつながっていたいと考える人や、迷っている人もいる。帰還だけを優先させれば、そうした人たちへの支援がおろそかになりかねない。

 住民本位の復興は、柔軟でいい。住民が避難先で新生活を築きながら、故郷の町とも関わり続ける。そんな仕組みができないか。

■自治の形を柔軟に

 日本学術会議が昨年9月に発表した提言は、一つのヒントになるだろう。

 帰還か移住かの選択肢に加えて「避難継続」という第三の道を用意し、「二重の住民登録」制度の導入を検討するよう言及したのだ。

 早くから二重住民登録の必要性を提唱してきた福島大学の今井照教授によれば、国土のすべてがどこかの自治体に属し、市町村が土地の線引きによって人を管理するようになったのは明治以降だという。

 「もともとは人の集合体が村の原点。飢饉(ききん)などがあると土地を移動した」。土地に縛られない、つながり重視の発想だ。

 震災と原発事故があった福島には課題が山積している。第一原発は雨が降れば汚染水が流れ、壊れた核燃料の取り出しもこれからだ。避難元の町は、放射線量が高くて数十年戻れないところもある。復興は、世代にまたがる取り組みになる。

 この4年間、賠償や放射線問題を巡って住民の意見が割れることもあった。再生は容易ではない。それでも、政府や自治体は住民ニーズに目をこらし、柔軟に応じてほしい。事故が真に収束するまで、行政全体に課せられた責務である。