川内淳史
あの角をまがった先にある「震災・まちのアーカイブ」に足を運びながら、何がどう変わったのか、何が変わっていないのか、そのことを確かめながら歩みを刻む。目をこらし、立ち止まり、息を整える。その先に、「震災・まちのアーカイブ」はある。
(大門正克「あの角をまがった先にある小さな場所」
震災・まちのアーカイブ編『サザエさんたちの呼びかけ』)
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今から20年前の阪神・淡路大震災、「資料」をめぐるふたつの画期的な出来事があった。ひとつは、災害で危機に瀕した地域の歴史資料や文化財を救う活動が、研究者・専門家と市民との協同で行われたことである。もうひとつは、被災地で暮らす人々の営みを、資料――後にそれは「震災資料」と呼ばれるようになった――を通じて後世へ残そうという取り組みが始まったことである。「震災・まちのアーカイブ」は、神戸で震災資料の保存を続けている、市民ボランティアグループである。
20年前の資料をめぐる画期の中で、神戸に「歴史資料ネットワーク」が生まれた。以来、自然災害の頻発する日本列島では、同様のネットワークが生まれ続け、現在、全国には20を超えるネットワークが存在している。今年2月には、歴史資料ネットワーク20周年を記念して、全国のネットワークが集う会を神戸で開催した。
あの「3.11」から、今日で4年がたった。2011年5月10日、山形文化遺産防災ネットワークと東北芸術工科大学との協同で文化財レスキュー支援に訪れた陸前高田の光景は、今でも目に焼き付いている。がれきが取り除かれたばかりの道に降り立つと、あたりには潮の臭いが立ちこめていた。何も無くなってしまった街に「歴史」を取り戻すことの重さを感じた。人の営みと「歴史」が失われかけつつあるその現場で、懸命に文化財を残そうとしている陸前高田市立博物館の熊谷賢さんに、その時僕は、声をかけることが出来なかった。
その後、陸前高田を何度か訪れた。2013年9月には、3.11後から歴史学者の大門正克さんたちと一緒に続けている「『生存』の歴史学」フォーラムを陸前高田で開催した。その際、熊谷さんと地域にとっての文化財の意味について話し合った。熊谷さんは「文化財は地域のアイデンティティである」と言われた。今年、福島で開催したフォーラムでも、双葉町の学芸員の吉野高光さんが同じことを言われた。
「文化財は地域のアイデンティティである」、それはどういうことだろうか。全国で歴史資料・文化財を残そうとする仲間たちは、あの「3.11」から4年がたった今も、被災地で「歴史」を残し続けることの意味を問いながら、それぞれの現場に向き合っている。いや、その営みは4年ではなく、もう20年も続いているものだ。
現場は「小さな場所」である。「人が生きる」ということ、小さな場所の「歴史」は、きっとその意味を教え続けてくれているはずである。時には立ち止まり、息を整えながら、問い続けていきたい。
(かわうち あつし・歴史研究者)