柴田菜々子、西濃祐太朗
2015年3月11日11時27分
東日本大震災後、多くの人が福島から九州に移り住んだ。被災地の苦悩に福岡から向き合う人。店を開いて新たな一歩を踏み出した人。それぞれが、「あの日」から4年の月日をかみしめる。
■話して聞いて復興へつなぐ
今月上旬、福岡県粕屋町の公民館。女性約20人を前に、尼僧、釋尼倶會(しゃくにくうえ)さん(71)が、福島の知人の話を紹介した。「放射能が怖くて、ある母親が子どもを連れて避難したいと言ったら、夫に『離婚しよう』と言われた」。家族が離ればなれにならざるを得ない被災地の現実を訴えた。
東京生まれの倶會さんは戦中戦後、福島へ疎開。30代で結婚し、東京電力福島第一原発から約80キロ離れた西郷(にしごう)村に住み、書家として個展を開いてきた。
震災後、原因は分からないが、せきがとまらず、肌が突然赤らむなど体調不良が続いた。寺は持たぬ身。3年前に福岡県志免町に自主避難した。自宅にとどまった夫は昨年11月、82歳で亡くなった。
福岡で原発再稼働への反対運動をするうち、各地で講話を頼まれるようになった。被災地の実情を知ってもらおうと引き受ける。
おすすめコンテンツ
PR比べてお得!