キャンペーンガール:「水着だけ」からの脱却、旭化成の場合は
2015年03月10日
旭化成は10日、2015年のキャンペーンモデルに山下永夏(はるか)さんを起用することを発表し、東京都内でお披露目のイベントを開いた。山下さんは1994年三重県出身の20歳で現在はモデルやタレントとしても活動しているという。内定のニュースを聞いたのは昨年のクリスマスイブだったといい、「生涯で最高のクリスマスプレゼントになりました」と笑顔を見せた。目標にしているのは女優の新垣結衣さん。「キャンペーンガールとして一つ一つの活動を楽しみながら、私も成長していきたい」と抱負を語った。
◇初代アグネス・ラムから40年
女性水着の販売促進を目的とした大手繊維メーカーのキャンペーンガールは68年にカネボウがスタートさせ、70年代以降に盛んとなった。旭化成は76年、「水着キャンペーンモデル」の名称でスタートさせた。初代は愛くるしい笑顔が人気を呼んだアグネス・ラムさんだった。以来松嶋菜々子さん(92年・第17代)、片瀬那奈さん(99年・第24代)、宮地真緒さん(02年・第27代)ら多くの女優やタレントを輩出してきた。80年代のいわゆるバブル経済期から90年代にかけては、同社の他にも、東レ、帝人、東洋紡、ユニチカなどが競うように毎年、キャンペーンガールを選び、華々しい発表会や水着ファッションショーを開催していた。
2000年代に入ってからカネボウ、帝人、東洋紡はキャンペーンガールの制度を取りやめ、ユニチカは水着キャンペーンモデルをマスコットガールに統合し、水着を着用しなくなった。現在、キャンペーンガールを起用しているのは旭化成、東レの2社。旭化成は08年に、グループの事業全体をPRするために「旭化成グループキャンペーンモデル」と名称を変えた。発表イベントでも複数の水着を披露するファンションショー形式を取りやめた。最後まで「水着キャンペーンガール」としての活動だった東レも、昨年秋から企業全体の広報に関わる「東レキャンペーンガール」に名前を変えた。
旭化成でも社内的には「(キャンペーンモデルは)もういいんじゃないか」という議論が出た時期もあったという。山崎真人広報室長は「キャンペーンモデルの活動を繊維と水着のPRに絞っていた時代は終わった」と話す。例えばグループ企業の旭化成ホームズが取り扱う「へーベルハウス」はキャンペーンモデルと同時期に事業がスタートし、その歴史は40年を超えた。今日の旭化成は、多くの素材を用いた製品や多様なサービスを提供する企業に変容を遂げている。
基本的には素材産業である旭化成は、消費者に直接売る最終製品が多くない。山崎室長は「キャンペーンモデルの活動を通じて、一般の人たちに親しみを持ってもらうことが必要です」と話す。企業としてどんどん規模が大きくなる一方で、グループ全体の求心力を保つためのわかりやすい旗印が必要ということだろう。
さらに、CSR(企業の社会的責任)ということが言われるようになった現在、環境保全活動や工場のある地域への貢献・奉仕といった活動が年々大きくなっている。旭化成の場合、キャンペーンガールが参加するグループ内のイベントや社会貢献活動は年間60回近くに上り、平均すると週1回以上。イベントはたいてい土日に集中するのでスケジュールが重複しないよう広報室も調整に苦労している。当然そうしたイベントでは水着を着用する機会はまずない。
旭化成は、2004年から10年間は、中国市場への浸透を狙って、中国と日本の2人のキャンペーンモデルを起用してきた。中国で事業展開するにあたって企業としての認知度を上げる必要があった。10年たって一応その使命を終えたという判断だ。しかし、キャンペーンガールは40年で一区切りということはせず、「多種多様な旭化成グループの製品やサービスのPR役を担ってもらう」(山崎室長)ため今後も続けていくという。【小座野容斉】