まぁ4年だ。4年も経ったんだ。まだ4年なのか。よくわからない。その間世間も政権交代したりいろんなことがあった。それだけ時代は進んでいる。
実際自分は震災時にちょうど被害が大きい場所にいました。ぶっちゃけ本気で死ぬと思いました。でも不思議なことに、自分が死んだら周りも確実に死ぬと思ったので「まだ死にたくない」と思う一方で「みんなで死ぬから怖くない」みたいに思ったのも本当のところです。今現在なんとか生きていますが。そんな感じで当時を振り返ってみたいと思います。
【断水は辛い】
震災被害で直接辛かったのはやっぱりこれ。水道管がかなりやられたり資材が搬入できなかったりで復旧が大幅に遅れ、ひどい地域では2か月以上断水状態だったと思う。自分もほぼ一か月断水生活をして、改めて「水道ってすごいな」と思った次第です。「トイレはなるべくまとめて流す」とか「皿にラップを敷くと汚れない」とか「飲料・調理→衣服・食器洗い→トイレ用の流れをつくる」とかいろんな節水テクニックが生まれ、さかんに情報交換をしていた記憶があります。あとウェットティッシュ最強。顔をさっぱりさせたいならば赤ちゃんのおしりふきや化粧落としシートなんかもいいですぞ。
水はポリタンクだけじゃなくて、ゴミ袋に入れてしっかりした段ボールで運んだりしていたなぁ。あとは衣装ケースとか使っている人もいた。井戸水が沸いている家にもらいに行ったりしていた人もいたなぁ。
あと思い出は、町内会で「ひとり10本」ともらったどこの国のかよくわからない言葉で書いてある500mlのミネラルウォーター。他にカロリーメイトなんかももらった覚えがあるなぁ。
【ガソリンがない】
現地にいないとわからない情報がこれだと思う。 移動には車が必須の土地なのに、とにかくガソリンがなかった。震災発生後ひと段落してその日の夜にガソリンスタンドに向かったら「在庫がハイオクしか残ってない」って言われたっけ。その日は灯油をありったけ買ったんだけど、これが後で役に立った。反射式のストーブで暖と煮炊きが出来たのはありがたかった。
当時の記憶を辿ると、まず港はボロボロだし道路はズタズタだしでガソリンを入荷することもできなかったけど、何かあったら困るからガソリンは必要。でも入荷の当てはない。だから閉店しているスタンドに何百メートルも車が並んでいたのね。「どこそこのガソリンスタンドに入荷した」という噂でみんなそこに殺到してすぐに売り切れとか、そんな感じだった。
車があれば給水車でもらった水も楽に運べるし、まとまった物資だっていろんなところに配ることが出来る。だから言えるのはガソリン大事、道路大事、物流大事ってことです。道路のメンテナンスをするの大事! インフラ整備する人大事!
世界史で「ローマや中国が発展したのは治水と幹線道路のおかげ」って習った気がするので、本当に水と道路がダメになると生活破綻するよ。
【最後に】
ハード面の辛さを先に書いたけど、正直物質的なことは我慢するしかない。でも精神的な面は本当に何とでもなってしまうだけに辛いところもあった。
一番嫌だったのは震災系デマだったけど、同じくらい嫌だったのは「絆」だね。正直言って何が絆なのかさっぱりわからない。被災地の感覚としては「絆」という言葉は報道なんてされるわけないけど、あまり歓迎されていなかったと思う。勝手にニュース見て勝手に感情移入して勝手に涙して勝手に「キズナ」とか言い始めて、被災地の生活は見世物じゃねーぞって思ってた。淡々と事実を伝えるドキュメンタリーは必要だけど、どうしてもそういうのを見世物として受け取ってしまって最近流行の感動ポルノみたいに消費されている気がしていたのね。
受け取る情報のあまりの大きさに戸惑ってしまったのはわかる。でも、「私も辛いです」っていう情報はいらないし、当事者たちが途方に暮れているのに「頑張ろう」なんて言えるわけがない。葬式の場で遺族を前にして「私も辛いんです。でもキズナだから頑張りましょう」ってメッセージを大勢多数の外野が送ってくる感じ。一番辛いのは遺族じゃん。少し放っておいてあげてよ。
じゃあどうすればいいんだよって思うかもしれないけど、それを考えるのは被害にあった人ではない。ただいつだって思うのは、無邪気な慰めはいつも被害者を追い詰める結果になる。ハラスメント被害者に「自分も辛かったんだよ」なんて簡単に言ってしまうとよくないのと一緒。
今後どこで何が起こるかわからない。だから物質面でも精神面でも準備をしておくのがいいと思う。あの出来事をここまで乗り越えてきた人たちは強い。復興は遅れているんじゃない。やっと莫大なマイナスがゼロに戻ってきたところなんだと思う。