1日目 ~はじまるおわり~①
ボンネットバスの最後部座席に、ギラギラとした朝の日差しが差し込んでくる。
俺――皆垣草弥の『那乃夏島』での初めての朝は、鶏の鳴き声でも、目覚まし時計の電子音でもなく、耳をつんざく程の大きなダミ声で始まった。
「グッド良い朝! ニャんと今は1日目の午前7時48分~ッ! 世界が終わるまで、残り160時間と11分と4秒だニャ!」
窓から唐突に、大きな物体が顔をのぞかせた。驚いて目を開いた俺は、
「うおわぁっ!」
俺は体をのけぞらせ、背中をドシンとシートにぶつけた。
……マジでビビった。
目を覚まして最初に目に映ったのは、50センチほどの巨大な三毛猫。首からは古い懐中時計を提げていた。
てか、この猫フツーにしゃべってるぞ……?
俺がぼう然としていると、猫は不思議そうに尋ねた。
「おや、どうして黙っているニャ? 朝の挨拶は『おはよう』だニャよ?」
「あ、ああ。おはよう」
俺が小さな声を返すと、猫は元気よく片手を挙げる。
「グッド良い朝!」
「……おはようじゃないのかよ」
「細かいことを気にしたら負けだニャ。もうここは『那乃夏島』だニャよ。優しい神様が創った七日で終わる世界。だから何でもありだニャ!」
猫はどうだと言わんばかりに胸を張る。
「いや、それとお前の挨拶とは全くの無関係じゃ……」
「おぉうっとだニャ!」
猫はわざとらしく声を上げると、懐中時計に目を落とした。
ゼンマイ式なのか、チクタクというクラシカルな音を奏でている。まるで不思議の国のアリスに登場する『時計ウサギ』の懐中時計のようだ。
もっとも、今の所有者はウサギではなく巨大な三毛猫だが。
「ニャニャんと、よく分かっただニャ!」
驚きの声を上げるダミ声猫。
「これは時計ウサギ殿から譲って貰った、由緒正しき懐中時計だニャよ」
「……本物だったのか、それ」
というか人の思考を読むな、と口には出さずに突っ込んだ。
「ちなみに時計ウサギ殿の話だと、この懐中時計は、フック船長の腕を食いちぎったチクタクワニのお腹から取り出したらしいニャ」
「……ワニの腹から取り出したのか……しかもウサギが」
「不思議の国の住人はスパルタンだニャよ」
そういう問題ではない気がしたが、しかしこの三毛猫を見ていると、どこか納得できるのも事実だった。この三毛猫も不思議な存在に違いはないのだから。
「そのとおりだニャ!」
「だからお前は人の思考を読むな!」今度は口に出た。
「おぉうっと、あんまり大きな声出しちゃダメだニャよ。可愛いレディが起きちゃうだニャ」
ニマニマと癪に触る笑みを浮かべ、猫は俺の隣を肉球で指さす。
ん? 隣? 俺は視線を横に向けた。
「くぅ……すぅ……」
「……へ?」
ようやくそこで、俺は自分のすぐ左隣に一人の女の子が座っているのに気付いた。
長いまつげに、少し幼いが、しかし整った目鼻立ち。白いサマーワンピースに身を包み、さらさらの黒髪を腰まで伸ばしている。
バスの窓からフリーフォールのごとく差し込んできた朝日が、少女の髪に金色のリングを描き出していた。
月並みに言えば、深窓の令嬢。あえて不健全な表現をするなら、病弱な義妹か正統派ヒロイン。
そんな形容がぴったり来る女の子が、くぅすぅみぅと寝息を立てていた。
数秒後、バスの揺れによってバランスを崩されたのか、女の子はねらい澄ましたかのように俺の肩に寄りかかってきた。
「すぅ……」
「……」
思わず身体を硬直させる。顔が一瞬にして強張った。
うらやましいシチュエーションだニャ~、などと思う輩がいたら、一度脳味噌を取り出して石鹸でゴシゴシと洗ったほうがいい。
いくら相手がかわいらしい女の子であろうと、たとえフローラルなシャンプーの香りが鼻先をくすぐったとしても、それを上回る気まずさが俺をジクジクと蝕むのだ。もし目を覚ました女の子に痴漢と間違えられたら? といった不安が襲いかかってくる。
彼女が割と爆睡中であることと、このボンネットバスに乗っているのが俺たち二人だけなのが、救いと言えば救いだろうか。もし他人(猫は論外として)に見られたら、どうなっていたかは想像すらしたくない。
「ムムッ、ミーが数に入ってないニャよ」
二人だけ、と思った俺の思考を読んだのか、猫が不満げに言った。
「……窓の外だろ、お前。つか、しゃべる猫は除外だ」
「横暴だニャ。現在時刻を教えてあげないニャよ」
「いや、別に構わんし」
わざわざ猫に時間を教えて貰わなくても問題はない。腕時計も携帯電話も――
「あれ、ない?」
腕を見ると、愛用のデジタル腕時計がなかった。
「当然だニャ」
猫は得意げにヒゲをナデナデ。
「那乃夏島では、時間を教えてくれる機械の一切がないのだニャよ。時計を持っているのはニャニャンと、この時々丸さまだけなのニャ。つまり時間を知りたかったら、ミーを呼ぶしかないってことだニャよ」
「……横暴だ。断固抗議する」
「ミーは構わないニャ」
フフン、と鼻で笑う猫。ちなみに時々丸という名前らしい。
そのヒゲ、いつか引っこ抜いてやる。俺はそう誓った。
「やれるもんならやってみるニャ。――それより、もうすぐ着くニャよ」
時々丸の言うとおり、数秒後、車内アナウンスがピンポンパンポーンと鳴り響いた。
――まもなく~、フラワーショップ『ルンランリンレン』前~!
「う、ぅん……」
音に反応し、女の子が寝ぼけた子犬のようにピクピクと身体を動かした。俺の肩にやんわりとした重みがかかり、ほんの少しドギマギする。
女の子が着ているのはノースリーブのワンピースで、僅かに汗ばんだ大福のような二の腕が俺の脇腹に当たってきた。
……もっちりとして少し冷たい体温が、割と心地よかったのは黙っておく。
しばらくすると、バスが減速しながら大きく右に曲がった。ピンポイントな横方向の重力に引かれ、少女の頭が一瞬、俺の肩から離れる。
そのチャンスを逃さず、俺は素早く後部座席から立ち上がった。
再び枕を求めて身体を傾けてきた少女は、俺の肩があった場所を華麗にスルーし、そのままこてんと後部座席に横になった。
正直に言おう。とても可愛い仕草だ。
そのままくぅすぅと眠り続ける女の子を鑑賞していたかったが、いくら公共交通機関内とはいえ、年頃の娘さんの寝顔を無断で拝み続けるのは紳士的ではない。
……別に、律義な紳士を目指しているわけではないが。
それにしても、すこし寒そうだな……?
「ニャニャ? 襲うのかニャ?」
羽織っていたサマーパーカーを脱ぎだした俺を見て、不届きな時々丸がそんな事を言ってきた。
なぜか興味津々の瞳で、時々丸はこそっと俺に耳打ちする。
「そのレイディ、実は隠れ巨乳だニャよ」
「……どこだ、その情報のソースは」俺も思わず目が鋭くなる。
そうか、隠れ巨乳なのか……って、そんなことよりも、
「人聞きの悪いこと言うな、エロ猫」
俺はすかさず封じるが、当の本猫は涼しい顔だ。
「英雄、色を好むだニャよ」
「いつ英雄になったんだ、お前は!」
「ほらほら、もう着くニャよ」
まもなくして、バスは徐々に速度を落とし、ブスンと停車する。ここで俺は降りなくてはならない。
チッ、運のいい猫め。覚えてろよ。
俺は冷ややかな視線を時々丸に向けた。
――フラワーショップ『ルンランリンレン』前~、『ルンランリンレン』前~!
俺はパーカーをそっと少女にかけると、猫に向き直り、釘を刺した。
「襲うなよ」
「そんなことしないニャよ。これでもミーは元英国紳士だニャ」
まったく説得力がないが……まあいい。
なにかあったら、それこそ本気でヒゲを引っこ抜いてやる。機会があればの話だが。
「じゃあな」
俺は出口に向かう前に、時々丸に小さく手を振った。
「それじゃニャね! 世界が終わるまで残り160時間と5分と45秒! しっかり楽しむといいニャよ、皆垣草弥ニャン!」
窓の外からシュタッと片手を上げる三毛猫に別れを告げ、出口の向かいの運転席に座っていたメイド服のオネーサンに軽く頭を下げると、俺はボンネットバスを降りた。
俺が降りたのを見届け、ブスブス……ブロロロロ、とバスが再び走り出す。
ちなみにバスの周りを眺めたが、三毛猫が捕まっていられるような取っ掛かりは一つもなかった。
あの猫は、いったいどうやって浮いていたのだろうか?
「……まあ、いいか」
空を仰ぐと、綿菓子のように白い雲の間を、巨大なピンク色のクジラがふよりんふよりんと泳いでいた。ピンククジラが空を泳ぐのなら、宙に浮かんだ猫がしゃべったところで不思議はない。
たぶん、きっと。
「気にしたら負けっぽいな」
俺はそうそうにこの世界の常識を悟った。
那乃夏島。
七日で終わる不思議な世界。
俺は、この世界で最期を迎えることになった――。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。