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愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

結局、仕事を通じて「成長」した方が合理的というお話

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仕事を通じて成長なんてしなくていい - 脱社畜ブログ



人を成長させるのは何も仕事だけじゃないってことには同意できる。
趣味に打ち込むことだって、勉強することだって、ボランティアをすることだって、おそらく人を成長させるだろう。

ただ「仕事」には、先ほど挙げたものとは全く異質な、人を成長させる上で決定的な要素がある。

それは「結果を出さなければならないこと(仕事は出来なければならないものであること)」である。

給料をもらう以上、仕事は結果ありきで、お客さんにしろ、上司にしろ、働く以上必ず第三者から評価を受けることになる。

もし、仮に自分が「第三者」から求められている水準に達してなければ、成長せざるをえない。成長しなければ、フリーランスなら仕事がもらえなくなるだろうし、サラリーマンなら左遷、クビになってしまう。
人が最も成長できるときというのは「成長せざるをえない状況に追い込まれた」ときで、趣味や恋愛、ボランティア、試験勉強のように「成長してもしなくてもいい」「できてもできなくてもいい」といった環境とは比べ物にならない。

また、自宅でひたすら勉強するのと違って、仕事をしていると自分の予想しえない様々な問題が降りかかってくる。それを解決していく過程で自分の欠点や弱みに気づくこともあり、それを克服しようとすることで成長につながっていく。
仕事だけが成長の手段ではないのだけれど、「仕事」のように結果を重視するものが最も人を成長させるのだ。

仕事と成長がセットで語られる理由はとてもシンプルで、会社が従業員に成長を求めるのは基本的に搾取のためというよりも、そうしないと生き残っていけないからだ。

資本主義社会である現代の日本は競争社会で、会社は他社との競争に勝つために成長しなければならない。

成長できず競争に負けた会社は業績が悪化し、従業員にも給料を還元できなくなり、たちまち倒産してしまう。

競争社会では全ての会社が成長しようとするのだから、好む好まざるに関わらず、会社は成長を目指すしかない。

で、当然のことながら、会社という「箱」が勝手に成長するわけでもなく、そこに所属する「人」の成長なくして、会社の成長はあり得ない。

「人」の成長が止まることは、すなわち会社の成長が止まることであるからして、会社の業績が悪くなり、従業員に還元できなくなれば、結局困るのはそこで働く人たちだ。

「成長なんてしなくてもいい」と言うのはすごく簡単なんだけれど、「最高学府中の最高峰卒業」という究極のリスクヘッジをしている人がそれを口にしてもなんの説得力もないと思う。