会則改正勉強会
Posted on 07, 2015
春になると、ウグイスが鳴きます。
ホーホヶキョ♪
ホーホヶキョ♪
ホーホヶキョ♪
しかし日寛上人には、そうは聞こえません。
ホーンゾンカケタカ♪
ホーンゾンカケタカ♪
ホーンゾンカケタカ♪
広宣流布の時は近い。
御本尊流布を急げ。急げ。急げ。
大石寺のウグイスは鳴きます。
ホーンゾンカケタカ♪
ホーンゾンカケタカ♪
ホーンゾンカケタカ♪
あれから、んん百年。
世界広布新時代前進の年。
そして世界広布新時代躍進の年を迎えました。
日寛上人の御本尊様が全世界に流布する画期的な時代を迎えたのです。
今この時を迎えて再び大石寺のウグイスは鳴きます。
ガーッカイヤメタカ♪
ガーッカイヤメタカ♪
ガーッカイヤメタカ♪
≪地区部長≫ 今日は地区教学担当○○さんから、会則改正についての勉強会を行います。
それでは、おねがいしします。
≪地区教≫ 皆さんこんばんは。プリントを作りましたので、これを、使用します。
このプリントは、去年の11月8日の新聞発表の全文。
それから、先月29日と30日の内容の半分ほどを、そのまま入力したものです。4ページあります。
(テキストデータを最後に掲載しています)
そして自分で勝手に、重要と思ったところを、太字で印刷してみました。
太字の部分を中心に、読みながら勉強したいと思います。
まずは1ページ。
(聖教2014/11/8) この世界広布の大いなる流れを決定づけたのは、ひとえに、池田先生の大闘争と未来を展望する構想にあったことは、いうまでもありません。
とりわけ、平成3年(1991年)日蓮正宗宗門が創価学会を破門し、広宣流布を阻む魔の本性を現した際に、先生がその時を捉えて「魂の独立」を宣言されたことが、重要な分岐点でした。
その魂の独立から23年。先生の指導通り、世界広布の歩みは日本において著しく進展しただけでなく、世界192カ国・地域にまで広がる大発展を遂げました。
この間、宗門と決別してから入会した会員も多く、後継の青年部もたくましく成長し、前進を続けています。
明年は創価学会創立85周年、池田先生の会長就任55周年、SGI発足40周年の佳節であり、学会は、いよいよ世界宗教として、新たな段階へ飛翔する時を迎えたのであります。
今回、こうした経緯と世界教団としての発展の状況に鑑み、学会の会則の第1章 第2条の教義条項 を、創価学会の宗教的独自性をより明確にし、世界広布新時代にふさわしいものとするとともに、現在の創価学会の信仰の実践・実態に即した文言にするために、改正いたしました。
≪地区教≫ 創価学会には、会則というのがあります。
第1条 は、名前。この会は、「創価学会」という。
第2条 は、教義。何を信じて、どう実践するかが書いてあります。
第3条は、三代会長。「三代会長」は創価学会の永遠の指導者である。と書いてあります。
こんな感じで、さらに細かな組織上のことなんかも、いっぱい、キチンと書いてあります。
第2条には、教義についてその根本的な事柄が、きちんと書かれているので、『教義条項』と呼ばれています。
今回は、この『教義条項』を、「創価学会の宗教的独自性をより明確にし、世界広布新時代にふさわしいものとするとともに、現在の創価学会の信仰の実践・実態に即した文言にするために、改正いたしました。」という事です。
それでは、その『教義条項』を読んでみましょう。
(聖教2014/11/8) この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ、御本尊に自行化他にわたる題目を唱え、御書根本に、各人が人間革命を成就し、日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現することを大願とする。
少し長い文章ですが、大事ですよ。
一つ一つ、勉強してみましょう。
(聖教2014/11/8) 「根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ」という部分について説明いたします。
大聖人は、宇宙と生命に内在する根本の法を南無妙法蓮華経であると明らかにされました。そしてそれを、末法の全民衆の成仏のために三大秘法、すなわち、本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇として具体的に顕されたのであります。
末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、全て根本の法である南無妙法蓮華経を具現したものであり、等しく「本門の本尊」であります。
そして、「本門の本尊」に唱える南無妙法蓮華経が「本門の題目」であり、その唱える場がそのまま「本門の戒壇」となります。
改正のこの部分は、その大聖人の法門を信ずるということであります。
≪地区教≫ さあ大事なところです。
日蓮大聖人が書きあらわされた御本尊様は、500体とか600体とかいろんな研究があるそうです。現在その中で残っているものは、140体あるそうです。大石寺には12体あるそうです。
それを書写した御本尊。すなわち、日達上人の書写したもの、日寛上人の書写したもの、また日興上人の書写したもの、さらには日顕の書写したもの、また昔は、末寺の住職も本尊を書写してたそうなんです。それらを、全部ひっくるめて、「全て根本の法である南無妙法蓮華経を具現したものであり、等しく「本門の本尊」であります。」ということです。
この中で、『等しく「本門の本尊」であります』の表現の、『等しく』というところが、大変に重要です。そこをまず、頭に入れておきましょう。
(聖教2014/11/8) 次に、「御本尊に自行化他にわたる題目を唱え」という部分について説明いたします。
世界広布新時代開幕から躍進へという世界広布の進展が加速しつつある時代性を踏まえて、信仰の本義をあらためて明確にしたいと思います。
大聖人の仏法は、万人に開かれたものであり、三大秘法はあくまで一人一人の信仰において受け止められなければなりません。
ある場所に特定の戒壇があり、そこに安置する御本尊が根本の御本尊で、その他の御本尊はそれにつながらなければ力用が発揮されないという、あたかも“電源と端子”の関係であるかのような本尊観は、世界広宣流布が事実の上で進展している現在と将来において、かえって世界広布を阻害するものとなりかねないのであります。
≪地区教≫ 『ある場所に特定の戒壇があり、そこに安置する御本尊が根本の御本尊で、』という表現は、もちろん大石寺の事を言ってるわけです。
そこでさっき勉強しました、『等しく「本門の本尊」であります』の表現の中の『等しく』という表現が生きてきます。
御本尊は、全て等しく本門の本尊であって、特別なものは存在しないのです。
≪地区部長≫ 納得。納得。
≪地区教≫ 次に2ページを勉強します。さあ重要なところですよ。
(聖教2014/11/8) 大聖人の御本尊は、「法華弘通のはたじるし」(御書1243)すなわち民衆救済のための御本尊であり、広宣流布のための御本尊であります。御本尊は広宣流布の誓願、信心で拝してこそ御本尊の力用が発揮されます。
≪地区教≫ この中の『広宣流布のための御本尊』が大事です。
『広宣流布のための御本尊』。
この言葉をしっかり、頭の中に入れておきましょう。
(聖教2014/11/8)) 創価学会は、大聖人の御遺命である広宣流布を実現するために、宗門と僧俗和合し、弘安2年の御本尊を信受してきました。
しかし、宗門はいつしか堕落し、衣の権威を笠に着て信者を蔑視し、創価学会を破門する暴挙に出ました。さらに法主詐称者の出現によって、永遠に法主が不在となり、宗門のいう法主の血脈なるものも断絶しました。大石寺はすでに大謗法の地と化し、世界広宣流布を目指す創価学会とは全く無関係の存在となったのであります。
≪地区教≫ ほっすしゃしゃ、、(失礼)『法主詐称者』とは日顕のことです。
私たちは、登山会で大石寺に行ってました。そして弘安2年の御本尊様を拝してきたわけです。
皆さんは、何回ぐらい登山会に参加されたでしょうか?
≪担当幹部・(元輸送班)≫ 私は、もう何十回ですね。
≪地区婦人部長≫ 5-6回だと思います。
≪ヤング婦人部≫ 一回も行ったこと無いです。
≪地区教≫ 私も、何度も登山しました。
そして、僧俗和合という事が言われていましたから、僧侶は僧侶の立場で、私たちは私たちの立場で、それぞれに頑張っていこうと思っていました。
もちろん、跳ね上がった生意気な坊主もいたけれど、それは、ほんのごく一部の変わり者だろうと思っていました。
ですから、私たちも僧侶も一緒に弘安二年の御本尊様に手を合わせ、広宣流布を祈っていた。そんな気持ちだったのです。
ところが、ある時頭を上げてみると、坊主は御本尊様に背を向け、こっちを向いて立っているではありませんか。
≪地区部長≫ 御僧侶さま、そこに立たれては、大御本尊様が、見えません。
≪坊主≫ 弘安2年10月12日の御本尊様を、拝みたいのか?
そんなに、拝みたければ、俺様の子分になれ!
≪地区教≫ この時から、弘安2年の御本尊様は、『広宣流布のための御本尊様』から、『創価学会の組織を切り崩すための御本尊様』になってしまったのです。
大聖人様のお怒り。大聖人様のお怒りは、いかほどでありましょうか。
千葉に中山法華経寺というお寺があります。富木常忍の流れをくむお寺です。
大聖人直筆の観心本尊抄や立正安国論があって、それらは国宝です。
ある意味、由緒あるお寺かもしれません。
しかし、鬼子母神を祭ったり荒行をしたりなど、私たちの信仰から見れば、お話になりません。
もちろん、創価学会とは全く無関係の存在です。
それと同様に大石寺も、『すでに大謗法の地と化し、世界広宣流布を目指す創価学会とは全く無関係の存在となったのであります。』
(聖教2014/11/8) 魂の独立以来、学会員は皆、大石寺に登山することなく、弘安2年の御本尊を拝することもなかったわけであり、各人の御本尊に自行化他にわたる題目を唱えて絶大なる功徳を受け、宿命転換と人間革命を成就し、世界広布の拡大の実証を示してきたのです。まさに、これが会員が実践し、実感しているところなのであります。
≪地区教≫ これは、まさにそのとおりです。
このように、地区部長のお宅も、こんなに立派に新築となりました。
前は、少し傾いてましたからね。
≪地区部長≫ いや~そのとおりです。
(聖教2014/11/8) 創価学会は、大聖人の御遺命の世界広宣流布を推進する仏意仏勅の教団であるとの自覚に立ち、その責任において広宣流布のための御本尊を認定します。
したがって、会則の教義条項に言う「御本尊」とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊であり、大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません。世界広布新時代の時を迎えた今、将来のためにこのことを明確にしておきたいと思います。
≪地区教≫ はい、ここがドンぴしゃり、一番大事なところです。
申し訳なく、もったいない事ですが、もはや、弘安2年の御本尊様は、『広宣流布のための御本尊様』ではありません。
『創価学会の組織を切り崩すための御本尊』であり、『創価学会の組織を切り崩すために日顕宗に残された最後のカード』なのです。
もちろん『等しく「本門の本尊」であります』とある、とおりです。
しかし、もったいないお話しですが、『残された最後のカード』となってしまって現在、いくら真顔で、弘安2年の御本尊様を拝したとしても、それは、大聖人様のお怒りを受けるだけである、と考えざるを得ないのであります。
退転者の○○がいますね。昔は学会員でした。今は他宗に入ってウロウロ活動してます。
彼の家の御本尊は、地区部長さんの御本尊様と全く同じ御本尊様ですよ。けれど、他宗の人だから。他宗の信心やってるお宅だから。私たち学会員が、何かの用事で行ったときでも、題目三唱なんかしてくる必要はありません。だって、他宗の本尊なんですから。
我が地域にも日顕宗の○○寺がありますが、あの寺の御本尊はもちろん、他宗派の寺の本尊ですから、私たち学会員が、のこのこ出かけて行って拝むべき御本尊ではありません。
たとえば、あの日顕宗の○○寺で、知り合いですとか、親戚の葬儀があった場合でも、本人の遺影に手を合わせて冥福を祈る事はあっても、決して御本尊に題目三唱なんかする必要はないんです。だって、他宗の本尊なんですから。
大石寺の御本尊も同じです。
弘安2年10月12日の御本尊様は、もはや、他宗のお寺の本尊であって、私たち学会員にとっては、拝むべき対象の御本尊ではないのです。
このところ納得して、いただけましたでしょうか。
≪担当幹部・(元輸送班)≫ がってん。がってん。
≪地区部長≫ がってん。がってん。
≪地区婦人部長≫ がってん。がってん。
≪ヤング婦人部≫ がってん。がってん。
≪地区教≫ 3ページの大事なところを読んでみます。
(聖教2015/1/29・30) その自覚と使命感にたつ以上、学会が生きた宗教として、時代の変化や広布の伸展の段階によって、現実的な課題として現れてくる事態や、将来起こりうる課題に責任を持って対応していくのは当然の事である。
日蓮正宗のように古色蒼然たる教義解釈を墨守して事足れりとし、現実の広宣流布の伸展には責任も関心もないという立場とは全く違う
今回の改正は、「魂の独立」から23年、世界広布の伸展の時代的要請に応えるため、日蓮大聖人の仏法の本義に立ち返って、従来の教義解釈を整理し直したものである。したがって、教義の変更ではなく、教義の解釈の変更と位置づけられるものである。
≪地区教≫ まさに、そのとおりだと思います。
次に「出世の本懐」についてです。
(聖教2015/1/29・30)その意味で、「出世の本懐」 の本義は、大聖人の御生涯において、末法万年の一切衆生の救済のために三大秘法を確立されたこと、それとともに、立宗以来27年目に、熱原の法難において、農民信徒たちが大難に負けない不惜身命の信仰を示したことによって証明された民衆仏法の確立である。
大聖人が、「弘安2年の御本尊」 を御図顕されたことも、この三大秘法の確立と民衆仏法の確立という意義の中に含まれるものと考える。
≪地区教≫ ここのところは、石頭では、理解できません。
今回、あらためて、対談集「御書を語る」第3巻を読んでみました。この本は10年ほど前に出たものですが、今回の『教義条項の改正』の説明を読んでいるような気分になります。
最後に、4ページの大事なところを読んでみます。
(聖教2015/1/29・30) 日蓮正宗が完全に大聖人の仏法に違背した邪教と化した今、学会は正統の教団として、世界宗教にふさわしい教義の確立という立場から見直しを行っていく。
その意味で、日寛教学の一大秘法、六大秘法という用語は、今後用いない。
なお、こうした立て分けを行い、日寛上人の教学を見直していくという立場をとったとしても「日寛上人書写の御本尊」を受持することには何の問題もない。なぜならば「日寛上人書写の御本尊」も根本の法である南無妙法蓮華経を具体的に現された「本門の本尊」であるからだ。
これに関連して、なぜ「日寛上人書写の御本尊」を受持しながら「弘安2年の御本尊」を受持しないかといえば、「日寛上人書写の御本尊」も「弘安2年の御本尊」も等しく「本門の本尊」であるが「弘安2年の御本尊」は、大謗法と化した他教団の大石寺にあるから、受持の対象としないということである。
≪地区教≫ ここはまさに、そのとおりだと思います。
日寛上人は、江戸時代という厳しい宗教政策の時代にあって、広宣流布という事を、具体的に考えたと思います。
どうすれば、広宣流布はできるのか。そのためには、今何をしておかなければならないのか。真剣に悩んだと思います。
春になると、ウグイスが鳴きます。
ホーホヶキョ♪ ホーホヶキョ♪ ホーホヶキョ♪
しかし、日寛上人には、そうは聞こえません。
ホーンゾンカケタカ♪ ホーンゾンカケタカ♪ ホーンゾンカケタカ♪
広宣流布の時は近い。御本尊流布を急げ。急げ。急げ。
大石寺のウグイスは鳴きます。
ホーンゾンカケタカ♪ ホーンゾンカケタカ♪ ホーンゾンカケタカ♪
あれから、んん百年。
世界広布新時代前進の年。そして世界広布新時代躍進の年を迎えました。
日寛上人の御本尊様が全世界に流布する画期的な時代を迎えたのです。
今、この時を迎えて再び、大石寺のウグイスは鳴きます。
ガーッカイヤメタカ♪ ガーッカイヤメタカ♪ ガーッカイヤメタカ♪
お話したいことはたくさんありますが、そのままずっと話していると、朝になってしまいますので、このくらいで終わりにいたします。
どうも、ありがとうございました。
勉強会で使ったプリントのテキストデータ。
入力の誤りないつもりですが、もしあったらごめんなさい。ぜひお知らせください。
(聖教2014/11/8))(中略)次に、創価学会の会則の改正について申し上げます。
私どもは、池田先生の指導のもと、昨年11月、広宣流布大誓堂の建立によって世界広布新時代を開幕し、日本も世界も、新たな歓喜の前進を開始いたしました。
広宣流布大誓堂にはすでに世界102カ国・地域の同志を迎えております。日本の各地から、“大誓堂へ、大誓堂へ”という滔々たる信心の流れは着実に勢いを増し、名実ともに、創価学会の「世界広布新時代」、すなわち、世界宗教としてのさらなる躍動が開始されたのであります。
この世界広布の大いなる流れを決定づけたのは、ひとえに、池田先生の大闘争と未来を展望する構想にあったことは、いうまでもありません。
とりわけ、平成3年(1991年)日蓮正宗宗門が創価学会を破門し、広宣流布を阻む魔の本性を現した際に、先生がその時を捉えて「魂の独立」を宣言されたことが、重要な分岐点でした。
その魂の独立から23年。先生の指導通り、世界広布の歩みは日本において著しく進展しただけでなく、世界192カ国・地域にまで広がる大発展を遂げました。
この間、宗門と決別してから入会した会員も多く、後継の青年部もたくましく成長し、前進を続けています。
明年は創価学会創立85周年、池田先生の会長就任55周年、SGI発足40周年の佳節であり、学会は、いよいよ世界宗教として、新たな段階へ飛翔する時を迎えたのであります。
今回、こうした経緯と世界教団としての発展の状況に鑑み、学会の会則の第1章 第2条の教義条項 を、創価学会の宗教的独自性をより明確にし、世界広布新時代にふさわしいものとするとともに、現在の創価学会の信仰の実践・実態に即した文言にするために、改正いたしました。
この改正は、本日、所定の手続きを経て、総務会で議決されましたので、ご報告いたします。
これまでの条文では「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し、日蓮大聖人の御書を根本として、日蓮大聖人の御遺命たる一閻浮提広宣流布を実現することを大願とする」となっておりました。
この会則は平成14年(2002年)に改正されたものです。
当時、宗門との僧俗和合時代に信仰実戦に励んできた会員の皆さまの感情や歴史的な経緯を踏まえ、この「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」については、「弘安2年(1279年)の大御本尊」を指すとの説明を行っていました。
それを今回、次の通りにいたします。
●「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ、御本尊に自行化他にわたる題目を唱え、御書根本に、各人が人間革命を成就し、日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現することを大願とする」
以下、改正条項の内容について説明いたします。
●最初の「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ」は、従来の会則から表現に変更はありません。
●次の「根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ」という部分について説明いたします。
大聖人は、宇宙と生命に内在する根本の法を南無妙法蓮華経であると明らかにされました。そしてそれを、末法の全民衆の成仏のために三大秘法、すなわち、本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇として具体的に顕されたのであります。
末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、全て根本の法である南無妙法蓮華経を具現したものであり、等しく「本門の本尊」であります。
そして、「本門の本尊」に唱える南無妙法蓮華経が「本門の題目」であり、その唱える場がそのまま「本門の戒壇」となります。
改正のこの部分は、その大聖人の法門を信ずるということであります。
●次に、「御本尊に自行化他にわたる題目を唱え」という部分について説明いたします。
世界広布新時代開幕から躍進へという世界広布の進展が加速しつつある時代性を踏まえて、信仰の本義をあらためて明確にしたいと思います。
大聖人の仏法は、万人に開かれたものであり、三大秘法はあくまで一人一人の信仰において受け止められなければなりません。
ある場所に特定の戒壇があり、そこに安置する御本尊が根本の御本尊で、その他の御本尊はそれにつながらなければ力用が発揮されないという、あたかも“電源と端子”の関係であるかのような本尊観は、世界広宣流布が事実の上で進展している現在と将来において、かえって世界広布を阻害するものとなりかねないのであります。
大聖人の仏法における信仰の本義は、「根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法」を信じることにあります。具体的には、広宣流布を願い、御本尊を受持し弘めるという自行化他の実践であり、それは日々の学会活動そのものであります。
そのことを「御本尊に自行化他にわたる題目を唱え」と表現いたしました。
「受持」とは、「受持即観心」の法理に示されている通り、南無妙法蓮華経という根本の法が具現された御本尊を信じ、唱題することによって自身の内にある仏界が湧現するのであります。したがって、御本尊の力用は、自行化他の実践があるところに発揮されるのであります。
大聖人の御本尊は、「法華弘通のはたじるし」(御書1243㌻)すなわち民衆救済のための御本尊であり、広宣流布のための御本尊であります。御本尊は広宣流布の誓願、信心で拝してこそ御本尊の力用が発揮されます。
創価学会は、大聖人の御遺命である広宣流布を実現するために、宗門と僧俗和合し、弘安2年の御本尊を信受してきました。
しかし、宗門はいつしか堕落し、衣の権威を笠に着て信者を蔑視し、創価学会を破門する暴挙に出ました。さらに法主詐称者の出現によって、永遠に法主が不在となり、宗門のいう法主の血脈なるものも断絶しました。大石寺はすでに大謗法の地と化し、世界広宣流布を目指す創価学会とは全く無関係の存在となったのであります。
魂の独立以来、学会員は皆、大石寺に登山することなく、弘安2年の御本尊を拝することもなかったわけであり、各人の御本尊に自行化他にわたる題目を唱えて絶大なる功徳を受け、宿命転換と人間革命を成就し、世界広布の拡大の実証を示してきたのです。まさに、これが会員が実践し、実感しているところなのであります。
創価学会は、大聖人の御遺命の世界広宣流布を推進する仏意仏勅の教団であるとの自覚に立ち、その責任において広宣流布のための御本尊を認定します。
したがって、会則の教義条項に言う「御本尊」とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊であり、大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません。世界広布新時代の時を迎えた今、将来のためにこのことを明確にしておきたいと思います。
●次に、「御書根本に」の部分は、従前の会則と内容的な変更はありません。
●最後に、「各人が人間革命を成就し、日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現することを大願とする」について説明いたします。
池田先生の小説『人間革命』の主題は、「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」であります。世界広宣流布の実現といっても、個人における一生成仏、すなわち人間革命の成就により成し遂げられるものであることから、教義条項の中に「各人が人間革命を成就し」との文言を新たに加えました。
また、これまでの「一閻浮提広宣流布」を「世界広宣流布」と現代的な表現にあらためました。
以上を踏まえて、今回、会則の教義条項を改正いたしました。
今回の改正は、これまでの創価学会の信仰の基本を、大聖人の仏法の本義に立ち返って明確にしたものであります。したがって、学会員が各人の御本尊に自行化他にわたる唱題をし、それによって自身の人間革命を成就し、世界広宣流布を実現するという学会活動の基本は、これまでと何ら変わりません。
明年はSGI発足40周年。さらに2001年から2050年を目指して7年ごとの前進を期す「第2の七つの鐘」の2番目の鐘が鳴り終わり、3番目の鐘を打ち鳴らす重要な2015年であります。
文字通り、世界宗教への体制を固めた我が学会は、先生の指導のもとに、一段と広布の歩みを世界に広げて躍進してまいりたい。世界広布の新たな誓願に燃えて出発を切っていきたいと思います。
(聖教2015/1/29・30)●はじめに
過日、創価学会の会則の第1章第2条の教義条項が、「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ、御本尊に自行化他にわたる題目を唱え、御書根本に、各人が人間革命を成就し、日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現することを大願とする」と改正された。
この改正について原田会長は、「今回の改正は、「魂の独立」(1991年)以来の世界広布の伸展に鑑み、創価学会の宗教的独自性をより明確にし、「世界広布新時代」にふさわしいものとするために行われた」と説明した。
「創価学会の宗教的独自性」 は、会則に 「各人が人間革命を成就し、日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現することを大願とする」 とあるように、三代会長の指導のもと、各人が自行化他の実践で人間革命を成就し、仏意仏勅である世界広宣流布を事実の上で実現するための不惜の実践を貫く教団であるという点にある。
その自覚と使命感にたつ以上、学会が生きた宗教として、時代の変化や広布の伸展の段階によって、現実的な課題として現れてくる事態や、将来起こりうる課題に責任を持って対応していくのは当然の事である。(中略)
日蓮正宗のように古色蒼然たる教義解釈を墨守して事足れりとし、現実の広宣流布の伸展には責任も関心もないという立場とは全く違う
今回の改正は、「魂の独立」から23年、世界広布の伸展の時代的要請に応えるため、日蓮大聖人の仏法の本義に立ち返って、従来の教義解釈を整理し直したものである。したがって、教義の変更ではなく、教義の解釈の変更と位置づけられるものである。
また「私の釈尊観」から40年余がたち、仏教学の実証的研究もさらに進んでおり、今回の改正を機に、そうした仏教学の学問的な成果等も視野の入れながら、日寛教学や、相伝書等についても、慎重に研究を重ね、より普遍的な創価学会教学の構築へ一層の前進を図りたい。
1● 三大秘法 について
(1)三大秘法
(中略)今回、三大秘法についての解釈を次のように明らかにした。すなわち、末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、すべて根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたものであり、等しく「本門の本尊」である。
また、「本門の本尊」 に唱える南無妙法蓮華経が「本門の題目」であり、その唱える場がそのまま 「本門の戒壇」 となる。これは、末法の一切衆生の救済という日蓮大聖人の仏法の本義に基づいた解釈である。
したがって、「本門の本尊」 としては、「弘安2年(1279年)の御本尊」も含まれるが、それのみが「本門の本尊」だとするものではない。
まして、「弘安2年の御本尊」 に繋がらなければ、他の本尊は一切力用を発揮しないなどとする宗門の独善的な本尊観は、大聖人の仏法に違背するものであることは明白である。
(2)「出世の本懐」 について
これまで、創価学会は、日蓮正宗の解釈に基づき、「弘安2年の御本尊」を日蓮大聖人の出世の本懐としてきた。
その根拠は 『聖人御難事』の「余は二十七年なり」(1189㌻)の一節であった。しかしながら、この両者を結びつける解釈は古い文献にはなく、あらためて「聖人御難事」そのものを拝して大聖人が教示されている出世の本懐の意味について考察しておきたい。(中略)
一、大聖人御自身が、本抄において、直接、「弘安2年の御本尊」 について一言も言及されていない。(中略)
一、弘安2年10月1日の御述作である本抄において、大聖人は、農民信徒の捕縛の後、彼らが不惜の信仰を貫いているとの報告を聞いて、門下一同へ、とりわけ法難の渦中にいる門下へ、種々の厳しい信心の御指導と最大の励ましを送られている。したがって、この 「二十七年」 という 「時」 と、本抄の「難」への言及の本意は、熱原の法難で、農民信徒が不惜身命・死身弘法の姿を示したことを称賛されることにあるといえる。(中略)
一、その意味で、「出世の本懐」 の本義は、大聖人の御生涯において、末法万年の一切衆生の救済のために三大秘法を確立されたこと、それとともに、立宗以来27年目に、熱原の法難において、農民信徒たちが大難に負けない不惜身命の信仰を示したことによって証明された民衆仏法の確立である。
大聖人が、「弘安2年の御本尊」 を御図顕されたことも、この三大秘法の確立と民衆仏法の確立という意義の中に含まれるものと考える。
末法万年にわたって全世界の人々を救うという大聖人の出世の本懐は、三大秘法の確立とともに、「日蓮と同意」「日蓮が如く」との精神で、それを担いゆく不惜の門下が誕生してこそ初めて成就する。そこに民衆仏法の真の実現がある。
「聖人御難事」に仰せの「猶多怨嫉・況滅度後」の大難を受けながら、大聖人の根本目的を継承し、世界に弘めてきた創価学会の使命と役割は、ますます重要になるのである。
(3)●「一大秘法」「六大秘法」 について、
日蓮正宗では、「一大秘法」は「弘安2年の御本尊」であり、それを「三大秘法」に開いており、「本門の本尊」は、「弘安二年の御本尊」。「本門の題目」はその本尊に唱える題目であり、本尊所住の処が「本門の戒壇」となると説明している。(依義判文抄の引用省略)
今回の改正により「三大秘法」の定義を「末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、全て根本の法である南無妙法蓮華経を具現したものであり、等しく「本門の本尊」であります。
そして、「本門の本尊」に唱える南無妙法蓮華経が「本門の題目」であり、その唱える場がそのまま「本門の戒壇」となる。」とした。
会長の会則改定の趣旨説明には「大聖人は、宇宙と生命に内在する根本の法を南無妙法蓮華経であると明らかにされました。そしてそれを、末法の全民衆の成仏のために三大秘法、すなわち、本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇として具体的に顕されたのであります。」とあるように、「宇宙と生命に内在する法」、すなわち南無妙法蓮華経が根本であり、三大秘法はそれを具現化された法門である。(中略)
以上のように、日寛聖人が用いられている三大秘法を合した「一大秘法」、また、「三大秘法」を開いた「六大秘法」という表現は、御書そのものには説かれていない。
これまで学会では、日蓮正宗の教義解釈を尊重し、「弘安二年の御本尊」を根本の本尊とする、との日寛上人の解釈を採用してきた。
日寛上人の教学には、日蓮大聖人の正義を明らかにする普遍性のある部分と、要法寺の法主が続き、疲弊した宗派を護るという要請に応えて、唯一正統性を強調する時代的な制約のある部分があるので、今後はこの両者を立て分けていく必要がある。日蓮正宗が完全に大聖人の仏法に違背した邪教と化した今、学会は正統の教団として、世界宗教にふさわしい教義の確立という立場から見直しを行っていく。
その意味で、日寛教学の一大秘法、六大秘法という用語は、今後用いない。
なお、こうした立て分けを行い、日寛上人の教学を見直していくという立場をとったとしても「日寛上人書写の御本尊」を受持することには何の問題もない。なぜならば「日寛上人書写の御本尊」も根本の法である南無妙法蓮華経を具体的に現された「本門の本尊」であるからだ。
これに関連して、なぜ「日寛上人書写の御本尊」を受持しながら「弘安2年の御本尊」を受持しないかといえば、「日寛上人書写の御本尊」も「弘安2年の御本尊」も等しく「本門の本尊」であるが「弘安2年の御本尊」は、大謗法と化した他教団の大石寺にあるから、受持の対象としないということである。
2● 創価学会に御本尊を認定する権能
いずれの宗教教団も、独立した教団である以上、その教団の本尊、聖典、礼拝施設等を決定する権能を有する当然である。仏意仏勅の世界広宣流布を推進する創価学会は、受持の対象としての御本尊を認定する権能を有する。ここでいう「受持」とは、創価学会が認定する御本尊に、自行化他にわたる題目を唱えることを意味している。すなわち、「受持」は、「実際に目の前で拝む対象」にするという意味を持つが、このような外形的な行為にとどまるだけでなく、当然、積極的な意味での信心が含まれる。
これまで創価学会本部、全国の会館、大型会場並びに各会員の家庭に授与されている御本尊は、すべて学会認定の御本尊であり、具体的な信心の活動としては、これまでと変わりがない。
御本尊の本義は「広宣流布のための御本尊」である。(中略)この「広宣流布のための御本尊」を弘通してきた教団が創価学会である。学会出現以前、当時の日蓮正宗に御本尊流布の実践が無く、本格的な御本尊流布は、牧口初代会長、戸田第二代会長から始まったことは歴史の示す通りである。(中略)
したがって、「広宣流布のための御本尊」を弘通し、「信心の血脈」を受けた創価学会が、御本尊を認定し、授与することは当然であり、御本尊は等しく「本門の本尊」であるが、学会員はあくまでも、学会認定の御本尊を受持し、無限の功力を現して、広宣流布に邁進していくのである。
また、三代会長の指導は全て私たちに御本尊の本義と信心を教えてくださるものであるから、僧俗和合時代の歴史的文脈で言われた発言も、その本質は大聖人の教え、精神と私たちを結びつけるためである。その真意を正しく捉えていくのは弟子の責務である。
3●「広宣流布大聖堂」と「創価学会常住御本尊」 について
日蓮大聖人の御遺命は「法華弘通」即ち「広宣流布の大願」である。この御本仏のお心のままに「広宣流布の大願」を成就する事を誓って立ち上がった、三代会長の死身弘法によって築かれたのが今日の創価学会である。(中略)
そして、牧口初代会長の魂を受け継いだ、戸田第二代会長が広宣流布の指揮を執られた原点の地・信濃町に、師弟不二、広布の本陣として、「広宣流布大聖堂」を建立され、まさに「法華弘通のはたじるし」としての「大法弘通慈折広宣流布大願成就」とお認めの「創価学会常住」の御本尊を御安置申し上げた。
「広宣流布大聖堂」の勤行会に参加する意義は、池田名誉会長が「まさしく法華経さながらに、全世界から地涌の菩薩が勇み来たり、広宣流布の御本尊と境智冥合して、久遠元初の大誓願の生命を、昇りゆく旭日のように光らせ、生まれ変わった息吹で出発する黄金の会座であります。」と述べられているように、その座に列なり、永遠の師匠である三代会長と心を合わせ民衆の幸福と繁栄、世界平和、自身の人間革命を祈り、ともどもに広布の推進を誓い合う集いなのである。
誓願は、日蓮大聖人の仏法の根幹である。(中略)「大法弘通慈折広宣流布大願成就」とは、この大聖人の誓願を受け継ぎ、広宣流布に立ち上がった地涌の教団である創価学会の使命を明確に物語っている。
私たちは、どこまでも日蓮仏法の本義に基づいて、学会教学の旗を掲げ、人間主義の大道を前進し、万人の幸福と平和の実現へ邁進してまいりたい。