聞き手・構成 板垣麻衣子、編集委員・塩倉裕
2015年3月10日16時02分
東日本大震災から4年。未曽有の危機を受けて、表現者や批評家の想像力はどのように働いてきたのか。震災をめぐる思索や創作で知られる批評家・作家の東浩紀さんと作家の川上未映子さんに語り合ってもらった。
――東京に住むお二人から見て、3・11の痕跡は今どこに見えますか。
川上 風化が進んでいるのを感じます。福島の現場では、痕跡どころか問題が何も収束していないのに、東京も含めた被災地以外の場所ではゆるくまひしていく感じ。震災の直後も今も、自分の中には、「事実」と「国の認識や対応」にギャップがある。でもそのギャップにだんだん追いつけなくなっている。
東 3年目が大きな節目だったのではないでしょうか。今は汚染水の問題が起きても前ほど騒がれなくなりました。風化というよりも、「福島原発の事故に向き合わない」という意思がいろいろなレベルであるのではないかと感じられるほどです。
川上 まだ4年なのに。
東 予想以上です。「震災から10年もたったら、こうなるかな」と思っていた状況が、すでに現実になっている。3・11以前、2000年代後半の段階では、「日本は変わらないといけない」という機運がありましたよね。それが3・11を機に「日本は今のままでいい」になった。政権交代などなかったかのように自民党長期政権を選択し、「日本はスゴイ」という自画自賛国家へ向かっている。
川上 あの原発事故が「初めてのこと」と受け止められてしまったのかも。人は事故が1回きりだと、偶然性のほうに重きを置いてしまう。「あれは不幸な例だった、2度目は起きないだろう」と。もう一度起きない限り無理なのではないかと思いたくなってしまう。
東 その前のチェルノブイリ事故(1986年)を入れれば、福島って基本的には少なくとも「2回目」です。国内しか見えてないから、これが世界史的な事故なのだという認識ができない。想像力の限界です。
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