記者生活を少しでも経験すれば、書き手の「狙い」も見えてくる。加藤前支局長の文章は韓国の政治を批判したり、韓国を心配したりして書いた文章ではない。女性の独身大統領、既婚男性、離婚、動静確認不可能といったキーワードを寄せ集めたかったようだ。日本の政治家で国際社会でも有名な女性の名前を私は知らない。日本をよくは知らないが、特に無知な方でもないと思う。男性中心の政治風土、メディア界で育った記者が韓国の女性大統領を批判してやろうという野望が「名誉毀損」という法的攻防を生み、ただでさえ冷え込んだ韓日関係に北風を吹かせた。
しかし、そんな加藤前支局長、ひいては日本の全ての記者に対する態度として、これが最善なのかという思いがあることも事実だ。韓国は日本より国民所得は低いが、女性の社会的地位や反権威的な社会ムードは日本に勝っている。ところが、「大統領の私生活」に言及したことに関しては、とりわけ旧時代的に対応している。
昨年中国は政府に不利な記事を書いたとして、ニューヨーク・タイムズやブルームバーグなどの記者20人余りに外国人記者証を発給しなかった。政治的に敏感な事柄を取材する記者を拘束することも珍しくない。それが中国の言論の自由に対する態度だ。
数日前、産経新聞の新任特派員に対する「外信記者証」の発給が半年以上遅れているという記事を読んだ。中国よりははるかに「マイルド」だが、産経新聞に対する報復という印象はぬぐい去れない。公判への出廷が不確実だとして、加藤前支局長を「出国禁止」にしたことに対しても、過剰だという指摘が多い。
言論の自由、国家元首に対する尊重という概念は文化圏によってその性格も多様だ。ある文化圏では加藤前支局長にむち打ちの刑を下すであろうし、別の基準では韓国の対応は過剰だ。一般に先進国は国家元首の名誉よりも言論の自由を優先させる傾向がある。公人の名誉と言論の自由の関係も同様だ。
まともな記事を書けなかったという理由で処罰するならば、加藤前支局長は有罪だ。それも長期刑に相当する。しかし、一連の「名誉毀損訴訟」への対応は彼を「言論弾圧の犠牲者」に祭り上げるようなもので同意しかねる。