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【社説】

東日本大震災4年 「命山」で命を守る

 津波から命を守る「命山(いのちやま)」を築こうという動きが広まってきた。東日本大震災を機に見直された先人たちの知恵である。その動きを、もっと広めたい。

 静岡県袋井市湊(みなと)に古墳のような人工の丘「湊命山」が完成したのは二〇一三年十二月である。高さ七・二メートル。公園として市民に開放されている頂上からは、周囲に広がる集落や田園風景を、空気の澄んでいる日には富士山も見渡すことができる。

 遠州灘に面する袋井市は、南海トラフ地震で最大一〇メートルの津波が想定されている。海岸から一キロほどの湊地区一帯は、海抜二〜三メートルしかない。それでも、津波の危険が迫れば、その頂上部に千三百人が避難できるようになった。

 命山の造営は、東日本大震災の後、津波への危機感を強めた地元自治会連合会が市に要望し、実現した。発想の原点は、この地に残る江戸時代の命山だった。

 延宝八年、つまり一六八〇年の台風は、この一帯に大きな被害をもたらした。高波、高潮で六千軒余の家屋が流され、三百人余が命を落とした、と伝えられる。

 生き残った村人たちは、悲劇を繰り返さぬよう集落の中に築山(つきやま)を造った。その後、幾度も高潮や洪水が来襲したが、そのたびに多くの住民が築山に避難して命を守ることができた。その築山は、いつしか「命山」と呼ばれるようになった、という。

◆よみがえる先人の知恵

 三百年以上たった今も高さ五メートルの中新田命山、三・五メートルの大野命山(ともに静岡県指定文化財)が残り、先人たちの知恵を伝えていた。東日本大震災は、その知恵に再び光を当てたのである。

 命山は、津波に有効か。

 東日本大震災で津波に襲われた岩手県山田町では、町中心部の御蔵山に三十人余の住民が避難して助かっている。

 御蔵山は、慶長三陸地震(一六一一年)を教訓に、山を削って高台を造り、津波から年貢米を守る米蔵を建てた場所。四百年の時を経て人々の命を救ったのである。

 仙台市・荒浜の海岸公園も、取り囲む広大な防災林ごとすべて津波に押し流された。その中で、冒険広場と呼ばれる高台だけが浸水を免れた。登った公園スタッフ二人、近くの一家三人と犬、猫各一匹は、その日のうちにヘリコプターで救助されている。

 高さ十三メートルの冒険広場は、実は、覆土して整備された昭和期のごみ捨て場だった。

 津波から身を守る鉄則は、迷わず安定した高い場所へ、である。

 津波が来ることのない場所で暮らす、つまり高台移転が一番確実だろうが、そうできないところもある。辺りが平たんでは難しい。とすれば、いつでも逃げ込める高い場所が欠かせない。

 巨大な防潮堤を築く、つまり自然の猛威を力ずくで抑え込もうという考え方もある。数百年に一度ともいう巨大地震を想定すれば、長大なコンクリートの壁となる。海との共存、海岸線の環境や景観は損なわれてしまう。

 それを思えば、先人の知恵、命山は理にかない、しかも、人にも環境にも優しい。

 同じ狙いの津波避難タワーは、維持費がかさむ上、鉄の劣化などで耐用年数は五十年ほど。命山は広い敷地が必要だが、何百年も風雪に耐えることは歴史が示す通り。収容人数はタワーより多く、平時は住民の憩いの場に利用できる。車いすなどもスロープで上がりやすい。

 実際、命山を造る動きは各地で起きている。浜松市など静岡県の各地で、愛知県の田原市や蟹江町で、三重県の津市で…。仙台の海岸公園も命山を四つに増やして再興を目指す。

◆人にも環境にも優しく

 その動きを、もっともっと広めたい。無論、用地確保や盛り土の確保は容易ではないだろう。ならば、知恵を出し合わねば。

 例えば、リニア中央新幹線のトンネル工事で今後、膨大な建設残土が発生する。運搬に支障がなければ、その土を命山に生かすことはできないか。実際、東京の夢の島は、ごみだけでなく地下鉄工事の土で丘のように築かれている。

 新たな命山は、やがて緑に覆われて日本の風土に溶け込み、人々に憩いと安心を提供するはずだ。

 大津波は日本への大きな試練だった。何百年後の人々の命も守れるよう、私たちは、大きな構えで乗り越えていかねばなるまい。

 

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