社説:苦悩続く福島 事情の違い超え支援を
毎日新聞 2015年03月09日 02時30分
おばあちゃんの原宿として知られる東京・巣鴨の地蔵通り商店街近くに、福島県からの避難者らが集う小さな憩いの場がある。「巣鴨さろんカモノス」だ。
豊島区民社会福祉協議会が震災7カ月後に開設した。ここには福島の地元紙2紙が1日遅れで配達される。話題になるのは、福島第1原発の事故処理だ。「汚染水は大丈夫か」「本当に廃炉にできるのか」。そんな不安が日々語られていると、相談員の今野喜美子さん(77)は言う。
東日本大震災からまもなく4年。原発事故で広大な地域が放射能によって汚染された福島の状況は特に過酷だ。政府による避難指示は今も10市町村に及ぶ。
◇避難者は全都道府県に
避難者はなお12万人を数え、うち5万人近くが県外避難だ。全都道府県に散り散りになり、東京では最も多い約6100人が生活を営む。
遠く離れていても故郷が直面する原発事故との闘いに心を痛める避難者たち。その現実を私たち一人一人が改めて直視したい。
実は今野さんも避難者だ。自宅は同県南相馬市原町区にある。事故後、警戒区域に指定され、娘2人が住む東京に避難した。地元の避難指示は解除され、賠償は打ち切られたが、避難生活を続ける。
やはり「カモノス」に顔を見せる小畑善昭さん(65)は、全町避難が続く楢葉町の出身だ。96歳の母親は一昨年、脳梗塞(こうそく)を起こした。東京では週3回介護施設に通い、訪問看護や医者の検診も受ける。もし、楢葉に戻ったら介護は継続できるのか。二重生活が頭をよぎるという。
東京都江東区の公務員宿舎で避難生活を送る富岡町出身の40代の主婦は「毎日がいっぱいいっぱいです」と言いつつ、東京での学校生活に慣れていく中2と小5の息子を複雑な思いで見つめる日々だ。
避難の理由はさまざまだ。避難指示に伴う避難のほか、自主避難や避難指示解除後も帰還しないケースがある。それぞれ家族構成は異なり、自宅再建、仕事、医療、子供の教育など抱える課題や優先順位も違う。
帰還や移住への考え方の違いが、時間の経過とともに浮き彫りになってきた。福島の被災地で暮らす人を含めて、あらゆる立場の被災者を固別の事情に応じて支える態勢を取り続けなければならない。
1日、首都圏と宮城県を結び、福島県を縦断する常磐自動車道が全線開通した。安倍晋三首相は「復興の起爆剤になると確信している」と述べた。こうしたインフラの復旧はもちろん重要だ。ただし、それは復興の入り口に過ぎない。
政府や県、地元自治体は一体となって、被災者の被害実態をきめ細かく把握し、その将来展望に辛抱強く耳を傾けてほしい。