「記録を意識」 漫画「いちえふ」作者・竜田一人さんに再び聞く

2015年03月10日

原稿を描く竜田一人さん=2015年2月27日、石戸諭撮影
原稿を描く竜田一人さん=2015年2月27日、石戸諭撮影

 東京電力福島第1原発(通称「1F」=いちえふ)で作業員として働きながら漫画を描き続ける竜田一人(たつた・かずと)さんの原発ルポ漫画「いちえふ 福島第一原子力発電所労働記」(講談社)の2巻が発売された。以前は「2巻くらいで終わりかな」と語っていた竜田さんだが、2014年も1Fで働き、「全然、(紙幅が)足りなくなってきた」と連載を続けている。竜田さんにとって、1Fの風景はどう変わったのか。描き続けることで心境の変化はあったのか。見えてきた「いちえふ」らしさとは。ロングインタビューでお届けする。【聞き手・石戸諭/デジタル報道センター】

 ◇「私の目から見た『福島の現在』を伝えたい」

 −−「いちえふ」2巻では、竜田さんが漫画を描くことになる12年末までの1Fでの作業を軸にしながら、14年の福島の姿も描かれています。以前は「2巻くらいで終わりかな」と話されていましたが、まだまだ続きそうですね。

 竜田さん そうですね。描いているうちに全然、足りなくなってきました。2巻あれば、12年までは終わると思っていました。漫画にも描きましたが、新しい現場に足を踏み入れることができたことが大きいです。14年7月から1カ月弱、さらに10〜12月にかけて1Fで働くことができたのです。そこで、またいろんな経験ができました。作業については現在進行形の話が多く、どう描くかはまだ決まっていません。でも、連載は続けていきますよ。

 12年までの話は2巻までで、かなり描けたと思います。

開通した国道6号を走ると、車窓から街の風景が見える=2014年9月28日、福島県双葉町で石戸諭撮影
開通した国道6号を走ると、車窓から街の風景が見える=2014年9月28日、福島県双葉町で石戸諭撮影

 開通したばかりの国道6号を縦断したり、ボランティアで行った仮設住宅やいわき市内のライブバーで歌を歌ったり、(この時、実際は愛知県産でしたが)いわき市の名物・メヒカリを食べたり−−。そんな私的なエピソードも描くことができました。連載中の感想でも「面白い」と言ってもらえたのがうれしかったです。震災や原発という人によっては重いテーマの話なのに、読んでもらえて、なおかつ福島に関心を持ってもらえる。これはありがたいことです。

 担当編集者の講談社・篠原健一郎さん 少し、補足させていただくと、この巻では本当にありがたいことに「週刊モーニング」読者のアンケートでも人気があった話を盛り込むことができました。国道6号のエピソード(第14話「(Get Your Kicks On)Route6!」)や1Fの現場から離れる話(第15話「アイル・ビー・バック」)は特に人気がありました。原発問題に特別な関心がある読者だけでなく、そうではない普通の漫画好きからも評価されるようになったのが2巻の特徴かもしれません。

 竜田さん 原発事故も発生から4年が過ぎ、原発関連のニュースや番組は追っている人はどこまでも追っているけど、もう関心がないよという人もいます。福島のイメージが震災後、固定されてしまったという人も少なくありません。そこまで「関心はないよ」という人たちにも、私の目から見た「福島の現在」を伝えることができればいいな、と思っています。

 ◇変わった3号機の姿

「いちえふ」1巻の表紙。絵は2012年当時の3号機原子炉建屋
「いちえふ」1巻の表紙。絵は2012年当時の3号機原子炉建屋

 −−14年の作業で1Fの変わったところ、印象に残った風景はありますか?

 竜田さん 印象的なのは3号機の姿です。1巻の表紙と大きく変わっていました。12年も作業の進捗(しんちょく)が見えて面白いと思いましたが、14年は3号機の姿が大きく変わっていました。少しずつでも廃炉に向けた作業が進んでいるなと思えて、単純にうれしかったです。12年の作業中に「2年後には3号機内で作業ができる」と言われても、無理だと思ったでしょう。日々のニュースでは汚染水問題が中心に報じられることが多いのですが、現場の作業は(12年当時の)私が思っていた以上に、進展しています。

「いちえふ」2巻から。絵は2014年当時の3号機原子炉建屋
「いちえふ」2巻から。絵は2014年当時の3号機原子炉建屋

 構内の風景も大きく変わっていました。まず緑が少なくなりました。中央分離帯にあった草木が切られていましたね。これはちょっと寂しいとおもいました。

 作業員の環境も変わりました。12年に私が働いていたときはJヴィレッジでタイベック(防護服)に着替えて、1Fまで向かっていました。今は入退域管理棟というのが1F正門付近にできて、構内ぎりぎりのところまで普通の作業服で行けるようになりました。そこで、APD(警報付き個人線量計)の貸し出しや着替えをします。

 つまり、構内の放射線量や汚染もがれきの撤去や除染作業で2年前に比べて低くなったということです。1Fの中に入る時点で初めてタイベックを着ますし、1Fの中でも場所によっては防護服を着ないで、普通の作業服で移動できます。劇的な変化は無いですが、少しずつ状況は動いています。

 14年の作業内容について今はあまり詳しくは言えないのですが……。いずれ、漫画で描くときのお楽しみということにしておいてください。

 −−2巻では家探しの苦労など1Fの現場以外でも苦労された様子が描かれています。今回の作業で、住環境は改善されたのでしょうか?

 竜田さん これはどこの下請け会社で働くかによるので一概には言えませんが、私が働いた環境は良くなりました。

 住居については、働いていた下請け会社を私が変わったことが本当に大きいですね。私も1Fの中で移籍交渉をして、下請け会社をうまく移ることができたのですが、実際に移れるかは運次第。良い環境を求めていろんな人に声をかけておきました。

 その結果、下請けを変えられたので漫画にあるように一軒家におっさん十数人が一緒に住むということはなく、1人で住める宿舎も確保することができたのです。おかげで1Fで働きながら連載原稿も仕上げることができました。2巻の中には1Fで働きながら描き上げた話もあるんですよ。現場までは相変わらず、相乗りで車を走らせました。移動についてはあまり環境は変わっていないですね。

 ◇「技術の伝承、実践的なノウハウは現場でないと身につかない」

 −−竜田さんが初めての高線量の現場での作業で無意識のうちに恐怖心を持っていたのではないか、という描写もありました。

 竜田さん 多少、漫画的な表現をしていますが、自分では「放射線についての知識も勉強したし、この現場だったら大丈夫」だと思っていたのですが、恐怖感もあったのかもしれません。それでマスクを締めすぎて、頭が痛くなってしまったのかもしれないですね。それだけでなく、建屋内の作業は集団行動が原則です。自分が足を引っ張りたくないと、いつも以上に万全を期す、という意識もあったのかな。

 いずれにしても建屋内の作業でヒュヒューイとAPDの警報音が鳴り響くのはあまり気持ちがよいものではありません。「このくらいの被ばくなら影響はでない」と頭で分かっていても、やっぱり嫌な音ではあります。一方で、矛盾するようですが、これだけ鳴るような高線量の場所で働いているという自負も出てきました。

「いちえふ」2巻より
「いちえふ」2巻より

 1巻では原発内の休憩所で働いていたのですが、そこではそんなに被ばく線量が高くなることはないのです。言ってみれば、後方支援的な作業ですよね。大事な仕事なのですが、建屋内から帰ってきた作業員を見ると「あの人たちは、高線量の現場に行って廃炉のために頑張っている。一方で、俺は……」と思うこともありました。やっぱり建屋内の作業ができた、というのは単純に達成感もありました。自分の手で直接的に作業に携われるよろこびですね。

 現場に出て自分の手でネジ1本締めるだけでも、あそこに工事にかかわれたという気になります。実際に、長く働いている職人さんは手際も本当に良い。背中を見ながら、すごいなあと感じることがたくさんありました。漫画の中で現場の描写が「アーク溶接」だとか、「ビード」(溶接部分で波のような跡になっている部分)の出来がどうとか、細かい作業中心になっていますが、そこのすごさを自分が感じていたのでしょうね。元々、こうした作業は好きだからだと思いますが、この人はすごいなあと思う人にどうしても目がいってしまう。細かく観察してしまいました。

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