原子力論考(8) 「放射線管理区域」の本当の意味は?
»2011年6月25日
開米のリアリスト思考室
原子力論考(8) 「放射線管理区域」の本当の意味は?
社会人の文書化能力の向上をテーマとして企業研修を行っています。複雑な情報からカギとなる構造を見抜いてわかりやすく表現するプロフェッショナル。
原子力論考の8本目です。
今回は「放射線管理区域」について書くことにしましょう。
というのも、原発事故による放射性物質の拡散により、放射線管理区域に相当する放射線量を記録する地域が相当に広範囲に広まったため、政府は放射線管理区域で子供を学ばせる気か! 気でも狂ったか! といった批判の声が続出しているからです。
この件、つまり「放射線管理区域設定基準を超える20mSv/年という数値で計画的避難区域を設定したこと」についてはまだ納得できない方が相当多いことでしょう。
こんな話もあるようで→「村上誠一郎衆院議員による決算行政監視委員会での質問で、東京でも放射線管理区域レベルの放射線量を観測したことが明かされる」、東京にお住まいの方でも心配になっても無理はありません。
ちなみに私が良く行く地域でもこの「放射線管理区域以上」の観測値が出たという場所があります。が、私は心配していません。というのは、
「放射線管理区域」の法律が想定している状況と現在の状況が根本的に違うため、
「放射線管理区域」に当てはまる放射線量があってもそれは危険であることを意味しない
からです。その理由を今回は書きます。これを読んで安心できる方が増えることを願っています。(不安から来るストレスのほうが現況下では放射能よりはるかに大きな健康の阻害要因ですから)。
もっとも、本稿を読んで安心できるのは、それほど不安が強くない方だけだと思います。人間はどうしても、「自分がよく知っていて、能力的にも人格的にも信頼がおける人」の言うことしか信用できないものですから、放射線防護の専門家でもなんでもなく(いや、紛れもなく素人です(笑))、何の役職にもついておらず、知名度もない私が何を書いても本来大した影響力はないのです。
でも、私のことをある程度知っている人にはこの話は通じるはずです。そんな人を通じて少しでも安心できる人を増やすために、この記事を書くことにしたわけです。
(ただし、何度も書いてますが私自身は医療や放射線防護の専門家でもなんでもありませんので、これから書くのはあくまでも「ちょっと理系に強い素人の見解」です。ですがそれなりに合理性はあるはずです。まずは読んでみて判断してください)
■事実1:放射線管理区域以上の自然放射線のある地域は世界中にいくらでもある
まずは事実として、「放射線管理区域以上の自然放射線のある地域は世界中にいくらでもある」ということは知っておきましょう。
こういった、日本の放射線管理区域を越える自然放射線のある地域でも人は普通に暮らしていて、発がん率が高いなどの影響も出ていません。これは、「放射線管理区域の基準を越えてもそれが即『危険地帯』だというわけではない」ことの証拠のひとつです。(原発事故以来、この話はかなり有名になりましたが、念のために書いておきます)
(注:放射線管理区域の設定基準は他にもいろいろありますが、本稿ではいちいち全部書きません。しかし私は一通り調べたうえで本稿を書いていて、結論は同じです。気になる方は自分で調べてみましょう)
■疑問:安全だというならなぜ管理区域が設定されているの?
それでもやっぱり不安を感じる方はおそらくこんな疑問を持つはずです。
「安全だというなら、なぜその基準で管理区域を設定するのか?
放射線管理区域じゃ18歳以下の労働は禁止されてるんだろう?
やっぱり危険なんじゃないのか?」
というものですね。この疑問を解くために、下の図をご覧ください。「放射線管理区域」の考え方ってようするにこういうことだろう、と私が推測したことを簡略化した図です。
言葉にすると、次のようなリクツになります。
通常、このリクツで設定される「放射線管理区域」は数メートルから長くても数百メートルのオーダーです。それも、数百メートルになるのは原子炉建屋のような場所ぐらいで、ほとんどの場合は10数メートル以下の狭い範囲になります。
ということは、「放射線管理区域」に入っていた場合は間違いなくその近くに「高濃度の放射性物質がある」わけで、つまりちょっとした事故があればそれに触れてしまう可能性があります。これは管理しなければいけないのは当然ですね。
ところが、現在の状況はこれとはまったく違います。図にすると、こんな感じですね。
つまり、
ということです。
■ガソリンにたとえて説明すると
では次に同じ話をガソリンに例えて説明しましょう。
ガソリンスタンドに給油に行くと、タバコを消せ、静電気を逃がせ、と注意されますね。
これは、ガソリンという引火しやすい可燃物が近くにあるための、当然の規制です。
では、仮にあるとき何かの事情で自宅のガレージで30CCほどのガソリンをこぼしてしまい、それに気がつかないまま扉を閉めたとしましょう。しばらくするとそのガソリンはすべて蒸発して六畳間ほどのガレージ全体に充満します。この状態でまたガレージを開けるとその瞬間はっきり「ガソリン臭い」とわかるはずです。さて、このときあなたがタバコを吸うことにはどのぐらいの危険があるでしょうか?
実はほぼ何の危険もありません。30ccのガソリンが蒸発して六畳間全体に充満した場合、ガソリン濃度は0.1%程度になります。この濃度ではガソリンは発火しません(ガソリンの燃焼範囲下限は1.5%程度)ので、どんなにガス臭く感じたとしても、発火する危険はないのです。(ガソリン蒸気を吸い込むこと自体による毒性は別ですが)
現在はつまりそんな状態なのです。うっかりこぼしてしまったガソリン(放射性物質)が「広い範囲に薄く薄~く拡散した」状態であり、匂いは感じますが(測定器には検知されますが)、だからといってすぐ側に蓋の開いたガソリンタンク(高レベル放射性物質)があるわけではありません。引火するようなレベルの濃度(健康に影響を与えるようなレベルの濃度)にはまったく達していません。
だから、心配は要らない、というわけです。
まあ、ガレージというのはガソリンをこぼさなくても可燃物の多い空間ですから、タバコは吸わないほうがいいですがね。
■結論:「放射線管理区域」の考え方は現在の状況下では適用できない
要は「放射線管理区域」という規制は現在のように「放射性物質が薄く広まった状況」を想定した制度ではないということ。
目的はあくまでも「危険なレベルの放射性物質へ近づかないようにすること」にあり、規制値(の1つ)である「3ヶ月当たり1.3mSv」そのものが危険だという意味ではない、と考えられます。現在のような原発事故という状況を想定していない「放射線管理区域」の規制値を上回るからと言って、恐れる必要はありません。
■開米の原子力論考一覧ページを用意しました。
→原子力論考 一覧ページ
今回は「放射線管理区域」について書くことにしましょう。
というのも、原発事故による放射性物質の拡散により、放射線管理区域に相当する放射線量を記録する地域が相当に広範囲に広まったため、政府は放射線管理区域で子供を学ばせる気か! 気でも狂ったか! といった批判の声が続出しているからです。
この件、つまり「放射線管理区域設定基準を超える20mSv/年という数値で計画的避難区域を設定したこと」についてはまだ納得できない方が相当多いことでしょう。
こんな話もあるようで→「村上誠一郎衆院議員による決算行政監視委員会での質問で、東京でも放射線管理区域レベルの放射線量を観測したことが明かされる」、東京にお住まいの方でも心配になっても無理はありません。
ちなみに私が良く行く地域でもこの「放射線管理区域以上」の観測値が出たという場所があります。が、私は心配していません。というのは、
「放射線管理区域」の法律が想定している状況と現在の状況が根本的に違うため、
「放射線管理区域」に当てはまる放射線量があってもそれは危険であることを意味しない
からです。その理由を今回は書きます。これを読んで安心できる方が増えることを願っています。(不安から来るストレスのほうが現況下では放射能よりはるかに大きな健康の阻害要因ですから)。
もっとも、本稿を読んで安心できるのは、それほど不安が強くない方だけだと思います。人間はどうしても、「自分がよく知っていて、能力的にも人格的にも信頼がおける人」の言うことしか信用できないものですから、放射線防護の専門家でもなんでもなく(いや、紛れもなく素人です(笑))、何の役職にもついておらず、知名度もない私が何を書いても本来大した影響力はないのです。
でも、私のことをある程度知っている人にはこの話は通じるはずです。そんな人を通じて少しでも安心できる人を増やすために、この記事を書くことにしたわけです。
(ただし、何度も書いてますが私自身は医療や放射線防護の専門家でもなんでもありませんので、これから書くのはあくまでも「ちょっと理系に強い素人の見解」です。ですがそれなりに合理性はあるはずです。まずは読んでみて判断してください)
■事実1:放射線管理区域以上の自然放射線のある地域は世界中にいくらでもある
まずは事実として、「放射線管理区域以上の自然放射線のある地域は世界中にいくらでもある」ということは知っておきましょう。
こういった、日本の放射線管理区域を越える自然放射線のある地域でも人は普通に暮らしていて、発がん率が高いなどの影響も出ていません。これは、「放射線管理区域の基準を越えてもそれが即『危険地帯』だというわけではない」ことの証拠のひとつです。(原発事故以来、この話はかなり有名になりましたが、念のために書いておきます)
(注:放射線管理区域の設定基準は他にもいろいろありますが、本稿ではいちいち全部書きません。しかし私は一通り調べたうえで本稿を書いていて、結論は同じです。気になる方は自分で調べてみましょう)
■疑問:安全だというならなぜ管理区域が設定されているの?
それでもやっぱり不安を感じる方はおそらくこんな疑問を持つはずです。
「安全だというなら、なぜその基準で管理区域を設定するのか?
放射線管理区域じゃ18歳以下の労働は禁止されてるんだろう?
やっぱり危険なんじゃないのか?」
というものですね。この疑問を解くために、下の図をご覧ください。「放射線管理区域」の考え方ってようするにこういうことだろう、と私が推測したことを簡略化した図です。
言葉にすると、次のようなリクツになります。
- 本当に危険なのは、高濃度の放射性物質の近くに寄ること。
- 自然放射線の線量はたいてい非常に低い。
- ということは、自然放射線よりも明らかに高い放射線量を示す場所の近くには高濃度の放射性物質があるはずだ。
- したがって、「近くに高濃度の放射性物質があるから気をつけろ」というサインとして、「放射線管理区域」を設定しておこう
通常、このリクツで設定される「放射線管理区域」は数メートルから長くても数百メートルのオーダーです。それも、数百メートルになるのは原子炉建屋のような場所ぐらいで、ほとんどの場合は10数メートル以下の狭い範囲になります。
ということは、「放射線管理区域」に入っていた場合は間違いなくその近くに「高濃度の放射性物質がある」わけで、つまりちょっとした事故があればそれに触れてしまう可能性があります。これは管理しなければいけないのは当然ですね。
ところが、現在の状況はこれとはまったく違います。図にすると、こんな感じですね。
つまり、
- 放射性物質が広い範囲に薄く拡散した
- その結果、放射線管理区域基準以上の放射線量を示す範囲は広がったが
- 実際に本来の管理が必要な放射性物質が高濃度のままで拡散したわけではない
- 基準を超えていたとしても本当の危険地帯は数十キロメートル(kmですよ、mじゃないです)向こうの原子炉建屋内。近くに危険な放射性物質があるわけではまったくない。
ということです。
■ガソリンにたとえて説明すると
では次に同じ話をガソリンに例えて説明しましょう。
ガソリンスタンドに給油に行くと、タバコを消せ、静電気を逃がせ、と注意されますね。
これは、ガソリンという引火しやすい可燃物が近くにあるための、当然の規制です。
では、仮にあるとき何かの事情で自宅のガレージで30CCほどのガソリンをこぼしてしまい、それに気がつかないまま扉を閉めたとしましょう。しばらくするとそのガソリンはすべて蒸発して六畳間ほどのガレージ全体に充満します。この状態でまたガレージを開けるとその瞬間はっきり「ガソリン臭い」とわかるはずです。さて、このときあなたがタバコを吸うことにはどのぐらいの危険があるでしょうか?
実はほぼ何の危険もありません。30ccのガソリンが蒸発して六畳間全体に充満した場合、ガソリン濃度は0.1%程度になります。この濃度ではガソリンは発火しません(ガソリンの燃焼範囲下限は1.5%程度)ので、どんなにガス臭く感じたとしても、発火する危険はないのです。(ガソリン蒸気を吸い込むこと自体による毒性は別ですが)
現在はつまりそんな状態なのです。うっかりこぼしてしまったガソリン(放射性物質)が「広い範囲に薄く薄~く拡散した」状態であり、匂いは感じますが(測定器には検知されますが)、だからといってすぐ側に蓋の開いたガソリンタンク(高レベル放射性物質)があるわけではありません。引火するようなレベルの濃度(健康に影響を与えるようなレベルの濃度)にはまったく達していません。
だから、心配は要らない、というわけです。
まあ、ガレージというのはガソリンをこぼさなくても可燃物の多い空間ですから、タバコは吸わないほうがいいですがね。
■結論:「放射線管理区域」の考え方は現在の状況下では適用できない
要は「放射線管理区域」という規制は現在のように「放射性物質が薄く広まった状況」を想定した制度ではないということ。
目的はあくまでも「危険なレベルの放射性物質へ近づかないようにすること」にあり、規制値(の1つ)である「3ヶ月当たり1.3mSv」そのものが危険だという意味ではない、と考えられます。現在のような原発事故という状況を想定していない「放射線管理区域」の規制値を上回るからと言って、恐れる必要はありません。
■開米の原子力論考一覧ページを用意しました。
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反吐が出るからの紹介されて読んだ。反吐が出た。ただこれは素晴らしい見本だ。詭弁とはこういうものだ、という素晴らしい見本。
放射線とその被ばくの影響については、専門家の間でもさまざまな見解があり、健康に対する影響についても楽天的なものから悲観的なものまでかなり幅がありますね。
だだし、おおむね共通の理解としてあるのは、その被害の程度について、線量上のしきい値はないということでしょう。
このことについては2000年代半ばごろ、アメリカ科学アカデミーの研究チームが正式な報告を出しています。ご存じだとは思いますが。
つまり放射線による健康被害については、ここからは安全、危険というラインを引くのには、科学、医学は決定的な役割を果たしえないということですね。
しかし現実には、放射線にさらされて業務をする方もいれば、暮らしていらっしゃる方もいますし、相当程度の高レベルの放射線量になれば当然健康への影響は明らかです。やはりどこかでラインを引かなければなりません。
要は、B/Cに照らして大多数が納得がいくかどうかでラインを引かざるを得ない性質のものということでしょう。
それならば、やはり現状では数万人の子供たちの命や健康に対するリスク軽減に重きを置くべきではないでしょうか。(ここで、そのリスクは無いか、あるいはほとんど無視できるレベルだと言ってはいけません。それがよくわからないから第一線の科学者でも意見が分かれているのですから)
確かに数万、数十万単位の人が避難すれば、相当なコストがかかります。
しかし、それはまた国家財政が破たんするほどの額でもないと思われます。
(日本財団の資料によると、日本人一人あたりの平均有形資産はすべての社会資本を足しても、およそ一千万円程だそうです。十万人分でも一兆円です。チェルノブイリ事故の後、ロシア、ベラルーシ、ウクライナがほぼ同じ基準で実施した避難では、元の資産の保障に加え、移転先での住居確保や就職などの様々な支援、将来また戻ってくることを希望した場合の支援もセットだったようですが、そのあたりを支援の最低基準にしたところでも三十万人で五兆円はかからないと推計されます。)
さらに、震災前と後で人間の放射線感受性が変わるものでもありません。
人の命や健康の価値も変わるものでもありません。
つまり、平時だから、緊急時だからという区分けは意味を持たないと考えます。
そのようなことからも、私はやはり震災前から長く使われてきた基準を支持します。
数年の間放射線を浴び続け、白血病などを発症した過去の労災認定患者の方々の被爆量は、少ない方だと年平均6ミリシーベルトほどです。
事故が起きたのだからということが、どうしてその基準を変える根拠になり得るのか、私にはわかりません。
対象は、何の責任もない子供や赤ん坊なのです。
今、福島に住んでいる子供たち、これから生まれてくる子供たちに、放射線による健康被害が出ないことを心から祈っています。
楽観的な見方をする方の意見では、そういったことはまず考えにくいということですから、私もそうなることを心底願っています。
しかし、万が一、いやおそらくもっと高い確率なのではと心配していますが、将来あの地域で子供や若者の間に放射線との因果関係が強く疑われる健康被害が多く出現したならば、それは紛れもなく私たちいまを生きる大人、ひとりひとりの責任なのだということを強く自覚しなければなりません。
そしてその時になってその責任の重さを痛感しても、とりかえしはつかないのです。
*追加
自然放射能も人口放射能も外部被ばくに関する限りは記載のように同列に議論しても構わないと思いますが、これもご存じだとは思いますが内部被ばくについてはその影響は全く違うものです。
自然放射能の多くを占めるカリウム40は水溶性がとても高く、常に体の中で一定量に保たれるような代謝の仕組みを人間は元々持っています。
体内で濃縮されたり長期間留まり続けるたりする人口放射能とはリスクが全く違います。
福島の放射能汚染地域の多くでは、呼吸や飲食による内部被ばくの程度も相対的に当然高くなります。
その意味で、他の自然放射線の高い地域と線量に数値のみで単純比較することはフェアとは言い難いと考えますがどうでしょうか。
自然界とは、状況が違います。原発事故由来の放射性物質は、浮遊します。つまり、肺やその他臓器などに距離0で被曝させます。それが、内部被曝です。
ここから、距離が近いほど乗数で影響を受けるわけですが、その部分の説明は欠落しています。日本国内でもはや昨年比7%近い増加の白血病…政府発表数値どう分析すればいいですか?偶然ですか?事故ですか?
自然界とは、状況が違いますよね。肺や臓器などには侵入しませんよね。自然界はレントゲンのように滞在する放射性物質なく比較的安全です。原発事故由来の放射性物質は、浮遊します。つまり、肺やその他臓器などに距離0で被曝させます。それが、内部被曝です。137なら30年、プルトくんなら何万年??
死ぬまでこれでもかと、細胞をイジメぬきます。
ここから、距離が近いほど乗数で影響を受けるわけですが、その部分の説明は欠落しています。日本国内でもはや昨年比7%近い増加の白血病…政府発表数値どう分析すればいいですか?偶然ですか?事故ですか?
ガラパリなど自然放射線量の高い地域の人々が平気で暮らしているのだから現在の福島や関東地方などは問題にならない、という話をよく聞きますが、
私にはそれは、赤道直下に暮らす人をシベリアに連れていっても同じ人間なのだから大丈夫だ、というのと同じような乱暴な議論のように思えます。
チェルノブイリの周辺で元気に暮らすねずみと、そうでないねずみの両方に一瞬だけ超高線量の放射線を浴びせるという実験をしたアメリカの学者の話を聞いたことがあります。結果、何世代も高線量下で生きてきたチェルノブイリのねずみたちはピンピンしていたけれど、他の地域、つまり通常の線量の下で生きてきたねずみたちは死んだり病気になったりしており、両者の間には顕著な差が出たと報告されていました。
つまり、適応ということが放射能に関してもあるのだ、ということを示唆する結果となったのです。
果たして、ラムサールやガラパリのような高線量下でも日本人は元気に生きていけるのか、ということは、日本人をそこへ連れていかなければわからないのではないでしょうか。
加えて、3.11以前に『事故なんか起きません』と言っていた方々の口からガラパリなどの地名を教わったもので、どうもこの手の話は信用ができません。
放射線管理区域以上の自然放射線のある地域はあるが、そこにはプルトニウムや、セシウム134、137、ストロンチウム89、90等は落ちていないでしょう。今回の原発事故で、人体にどんな影響のある放射性同位体が、どのくらい日本の土壌に落ちたのか知っていますか?http://nanohana.me/?page_id=4382
それらを吸い込んでしまう事が一番の問題なのです。
民家のホコリからもセシウムが検出されている以上(福島市・渡利地区で1万9500Bq、岩手・ 一関市で5880Bq、郡山市で4910Bq、千葉・柏市で5970Bq http://www.j-cast.com/tv/2011/12/19116809.html)、呼吸から吸い込む事は必至。
単に線量だけでみたらとんでもない事になります。現にもう健康被害は始まっています。よく状況を調べましょう。
被害が出た時の責任なんて100%取れないんだから、今更安全デマはやめて下さい。
論理的な記事と、感情的な記事が好対照な記事ですね。チェルノブイリ事故が与えた健康被害のほとんどがストレス障害であったことを考えると、理屈の無いリスクを喧伝して回る人にも、被害が無かった時の責任というものが生じると思いますよ。
>チェルノブイリ事故が与えた健康被害のほとんどがストレス障害であった
汚染擁護派は死んでくれ
それとも頭がおかしいのか?
ストレス障害で奇形児が8割産まれるのか?
ストレス障害で心筋梗塞になるのか?
ストレス障害で白血病になるのか?
訂正しておく
チェルノブイリ事故が与えた健康被害の全ての原因が放射能汚染であった
「ちょっと理系に強い素人の見解」
が、一番危ないんですね。まさしく、見本ですね。
放射線管理区域が想定しているのは、上図のような自然界に存在する非自然物質なのですか?それだけなのですか?
そちらのほうが違和感ありますね。
前提が違っていては論理になりませんね。
さて、
放射能が危ない、どの程度危ないかは専門家の意見の分かれる所
の状況なので、
我々国民は法律を守るのが一番(放射線管理区域基準)。
あとは、作者の主観です。他人に強要してはいけません。
放射線管理区域の考え方がそうであるソースを提示願います。
>放射線防護の専門家でもなんでもなく(いや、紛れもなく素人です(笑))、何の役職にもついておらず、知名度もない
>「放射線管理区域」の考え方ってようするにこういうことだろう、と私が推測したことを簡略化した図です。
このようにおっしゃられてるのに「でもとにかくこの図を信じてね」は無理がある、というのが正直な感想です。