アカイさんノート: 2014/01/24
新感覚の大型バラエティショー『テレビファソラシド』
左から古藤田アナウンサー、頼近アナウンサー、井上順、永六輔、ケン・フランケル、愛川欽也
NHKの女性アナウンサーが司会、永六輔がアシスタントを務めた異色のバラエティショー『ばらえてい テレビファソラシド』。1979年から3年にわたって放送された同番組をふりかえる。
ユニークな大型バラエティショー
NHKの歴史番組『スポットライト』(1972〜78年)で司会を務めて以来、「ラジオの方が楽しいから」という理由で6年もの間テレビ出演を控えていた永六輔。そんな永が『ばらえてい テレビファソラシド』で久しぶりにテレビカメラの前に立った。出演を決めたきっかけは「ラジオではできなかった手話が、テレビでできる」というものだったが、一方では6年の間にテレビも変化し「ラジオができてテレビにできなかったことができるようになってきた」と思えたことが大きかったとか。また、大ファンだったNHKの女性アナウンサーに夜のショー番組に出てもらいたいと「自分はアシスタントになってもでも!」とラブコールを送ったそう。こうした熱意が実り、加賀美幸子アナウンサーと頼近美津子アナウンサーが司会進行役となり、永六輔がアシスタントと務めるという異色の大型バラエティ番組が1979(昭和54)年4月に誕生。音楽、スポーツ、歌舞伎、漫才、解説、座談会、日本の自然探訪、日本古来の伝統芸能など、あらゆるジャンルの情報をほのぼのとした笑いのなかで週に一度発信していった。
番組の大黒柱、加賀美幸子アナウンサー
当時、アナウンス歴15年のベテランだった加賀美アナウンサー。同番組のほかに『きょうの健康』、『ニュースセンター6・40』(関東ローカル番組)などを担当しており、永からは「どんな番組でも、絶対ペースが乱れない、あの安定感と優しさには脱帽です。この番組では大黒柱ですよ」と絶大な信頼を得ていた。加賀美アナ自身は「アナウンサーの仕事は地道にやっていくということが根底にあって、いろんな方々とお会いする中で、自分もひとまわりずつ大きくなればと思っています」と話していた。
左から永六輔、古藤田アナウンサー、加賀美アナウンサー
頼近美津子アナ、初のレギュラー番組
『ばらえてい テレビファソラシド』は、新人だった頼近アナにとって初のレギュラー番組。そのため出演の際は緊張の連続だったという。スタジオを無我夢中でかけまわっていた頼近アナは「先輩アナウンサーの粋なテクニックを見せてもらいます」と話し、先輩に一歩でも近づきたいとはりきっていた。ピアニストを夢見ていたというだけあって番組では見事なピアノの腕前を披露。端正なルックスでたちまちアイドル的存在となり、フレッシュな魅力で番組に花を添えていた。
永六輔がアシスタント!!
NHKの女性アナウンサーを主役にした同番組では永六輔がアシスタントとして彼女たちを支えた。「これまでのアナウンサーというのは、自分の感情をおさえ、喜怒哀楽を表に出してはいけない、というような考え方があったでしょう。ニュースに女性アナウンサーが登場する時代ですよ。アナウンサーにも、生き生きした人間味が出てきたっていいじゃないでしょうか。視聴者だって笑ったり、おこったり、泣いたり、こまったりしているアナウンサーの姿を見たって、決して悪く言わないはずです」と語っていた永。この番組をきっかけにアナウンサーのイメージや役割が大きく変化いくこととなった。
左から永六輔、九重親方、加賀美アナウンサー
超豪華!多彩な準レギュラー&ゲスト
3年にわたる放送期間のなかで、放送曜日を火曜から木曜、さらに土曜へ移設した同番組。司会進行は加賀美、頼近両アナのほかに、毎回数名の女性アナウンサーが加わっていた。また、漫才の内海桂子・好江やアメリカの俳優、ケン・フランケルが当初レギュラーとして番組に参加。ほかに、井上順、萩本欽一、愛川欽也、淀川長治、小沢昭一、加藤登紀子、タモリ、小堺一機、近藤真彦、泰葉ら多彩な面々が出演していた。
後にレギュラーとなったタモリは頼近をミドルネームのキャサリンと呼んだほか、女性アナウンサーに「芝居のまねをせよ」などの無茶ぶりをするなど番組を大いに盛り上げた。そんな無理難題に対し加賀美アナは「人気抜群、多芸のタモリさんと、地道に仕事を重ねている一アナウンサーとでは、もともと土俵が違います。だから、無理に歩み寄らない方が、妙なおもしろさが出てくるような気がします。それに、番組の打ち合わせなどで、タモリさんのまじめな面や、人がら、礼儀正しさなどを見ている私は、本番で何を言われようと、すっかり安心していられるのです」とコメント。絶妙な2人のやりとりには、視聴者からも多くの反響が寄せられたという。
放送開始当初「最近テレビではやっているスピーディで刺激的なギャグや笑いではなく、子どもからお年寄りまで楽しめるようなどこかあたたかいほのかな楽しさを、画面に出していこうとするもの」と番組の意図を語っていた永さん。女性アナウンサーをメインに据えた当時としては画期的なバラエティ番組は、家族団らんで安心して楽しめる番組として皆さんのご記憶にも残っているかもしれない。
放送期間:1979(昭和54)年4月3日〜1982(昭和57)年3月13日
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更紗|投稿日2014年01月28日 14:15
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昔は「女子アナ」なんて言葉はなかったですよね。
「女性アナウンサー」なんて言い方もしなかったかな?
ここには古藤田さんが映ってらっしゃるけれど、私は中曽根美恵子アナが好きだったなぁ~。
「きょうの料理」とか出てらした。
テレビファソラシドには出てたかどうか忘れた。
頼近さんは綺麗だけれど、アナウンスはヘタッピ~でしたよね(笑)
やっぱり美人は得だよなぁ~って思ったものですw
更紗|投稿日2014年01月24日 16:45
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印象に残ってる、強烈に印象に残ってるレギュラー(準レギュラーだったかな)はやっぱり浪曲の「広沢瓢右衛門」さんでしょうか。
悪声ということもあって、全然売れなかったのが、齢80にして売れたという(永さんや小沢さんが仕掛け人だったんですかね)、浪曲はよくわからないけれど、トークが面白かったのを覚えています。
奥さまが当時としては珍しい女子大卒業という才媛だったこと、その奥さまを亡くされて、81歳で独り身になって食事の支度をしなければならなくなったご自分を「自炊男爵 パーピン卿」と称してたのが面白かったです。
「じすいだんしゃく ぱーぴんきょう」、「パーピン」は「パー」が「8」で、「ピン」が「1」ってことなんです(笑)
悪声で浪曲を語ってたら、お客さん(おばあさん)が瓢右衛門さんの袂をつかんで「(舞台から)降り~よぉ~」、つまり降りろ!って引き摺り下ろそうとしたってエピソードとか、面白かったなぁ~。更紗|投稿日2014年01月24日 14:16
「女子アナ」さんw、ウチの母のお気に入りは帰山礼子アナだったなぁ~って思い出しました。「さん」づけで呼んでた、帰山さん、ご結婚されて伊集院さんになったんですよね。
あと、室町さんも好きだったみたい。
私は中曽根さん、ご結婚されて渥美さんになったのよね、が好き。
やっぱり声だな。
私は広瀬修子アナの声が落ち着いてて好き。