柳谷政人
2015年3月10日11時06分
山陽新幹線は10日、新大阪から博多まで全線開業して40年を迎えた。これまでに24億人を運んだ西日本の大動脈だ。JR新大阪駅で開かれた記念出発式には、40年前の一番列車の運転士と、その後を継いだ息子が参加した。
1975年3月10日、広島発東京行きの一番列車「ひかり158号」を運転した山崎勝己さん(74)=広島市安佐北区=と、長男でJR西日本大阪新幹線運転所長の幹人さん(44)。並んで記念のテープにはさみを入れた。勝己さんは「懐かしさとうれしさで思わず涙が出ました」と目を潤ませていた。
40年前。勝己さんは一番列車の運転を2日前に告げられた。盛大な式典に見送られ、緊張しながら新大阪まで走行。5秒早く着いたが、「うまくいった」と思った。新幹線の運転は96年まで約25年続け、「目を閉じていても、時間やカーブの傾きでどこを走っているか分かる」と自信を見せる。
幼い頃の幹人さんにとっては、乗務の都合で2日に1日は家にいない父だった。体調管理にうるさく、夜に騒ぐと「明日仕事が早いから早く寝ろ」と怒られた。後を継ぐつもりはなく、JRに入ったのも車両整備に興味があったからだ。
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