ドイツという国に親しみを覚える人は少なくない。歴史、芸術や文化、あらゆ…[続きを読む]
米軍の無差別爆撃で推定10万人が犠牲になった東京大空襲から、きょうで7…
米軍の無差別爆撃で推定10万人が犠牲になった東京大空襲から、きょうで70年になる。
約300機のB29爆撃機が首都の夜空に飛来し、33万発の焼夷(しょうい)弾を投下した。
当時、下町一帯が炎に包まれても、市民には消火活動をする義務が課せられていた。子どもや女性、老人が逃げ場を失い、命を落とした。
東京大空襲は、都市そのものの徹底破壊をねらった米軍の絨毯(じゅうたん)爆撃の始まりとなった。この後、名古屋、大阪、神戸が大規模な空襲を受け、終戦までに主要都市は焦土となった。
沖縄の地上戦や広島、長崎への原爆投下、艦砲射撃を合わせれば、市民の犠牲者は国内だけで50万人を優に超すともいう。
国民の8割を占める戦後生まれの世代には、国中が「戦場」となった歴史を実感することは難しい。だが、現代を理解するためにも、私たちは絶えず先の大戦の被害の実相を見つめ直していかねばならない。
無謀な戦争に突入したことへの反省が、戦後日本の歩みの出発点であるからだ。
空襲被害を過去のものにしてはいけない。そんな思いから闘い続ける人たちがいる。
07年に東京で、翌年には大阪で、空襲の被災者や遺族が国に損害賠償と謝罪を求める訴訟を起こした。ともに最高裁で原告敗訴が確定したが、被災者らは今、すべての一般戦災者を対象とした援護法の制定をめざす。遺族や孤児、障害者への補償のほか、実態調査や追悼施設の建設が要求の柱だ。
日本政府は軍人・軍属らを援護対象としているが、国と雇用関係がなかった一般市民は原則対象外だ。サンフランシスコ講和条約で、日本人が米国に賠償を求める道は閉ざされている。
そんな中で高齢の被災者が訴えることをやめないのは、被害を知る自分たちが生きているうちに国の責任を明確にし、戦争を二度と繰り返さないための礎にしたいとの思いからだ。
空襲被害だけみても、国による実態調査は十分ではない。どれほどの人がけがをし、家族や財産を失ったのか。少なくともこうした実情を調べることが、過ちを起こさないとの将来へのメッセージになろう。
名古屋空襲で左目を失った杉山千佐子さん(99)は6日にあった集会で「お金がほしいんじゃない。再び何か事が起きた時、国民が捨て置かれる。それでいいのか」と訴えた。
重い言葉といえよう。老いた被害者たちの叫びを、国民全体でしっかり受け止めたい。
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