[PR]

 まずは何よりも本日はこうしてお招きいただき、ご紹介いただいたことに感謝申し上げます。大変温かいお言葉をいただきました。私にとって、朝日新聞に招かれたということは大きな光栄です。朝日新聞は世界でもっとも発行部数の多い新聞の一つであるのみならず、大変伝統のある新聞社でもあります。その歴史は独日の交流の初期の頃にまでさかのぼるほどです。

 【日独関係の歴史】

 142年前のきょう、1873年3月9日、岩倉使節団がベルリンに到着しました。岩倉具視が特命全権大使として率いる使節団がヨーロッパ諸国を訪れ、政治、経済、社会など様々な分野で知見を深める旅行をしたのです。岩倉使節団は、私が考えるに、日本の世界に向けて開かれた姿勢、そして日本の知識欲を代表するものだと思います。そしてこの伝統は、この国において今でも変わらず守られています。そして日本人とドイツ人の間には、この間に多様なつながりが生まれています。経済や学術であれ、芸術や文化であれ、私たちはアジアのどの国ともこれほど熱心な交流はしておりません。60の姉妹都市提携があり、わが国に110を超える独日協会が存在していることも、そのよい例です。また、独日スポーツ青少年交流や、JETプログラム(外国語青年招致事業)で日本を訪れる若いドイツの学生も特別な懸け橋をなしているといえましょう。

 こうした長い活発な交流のリストの中で、一つ取り上げて紹介したいのが、ベルリン日独センターです。ベルリン日独センターは30年前に、当時の中曽根康弘首相とヘルムート・コール首相によって設立されました。今日にいたるまで、様々な会議、文化イベント、交流プログラムなどが開催されてきました。本日の講演会も朝日新聞とベルリン日独センターの共催で行われています。日独センターにおいて、日独間の対話のために尽力されている皆様に、ここで心からの感謝を申し上げます。

 【大震災と復興】

 明後日、2011年3月11日に発生した東日本大震災からちょうど4年になります。この地震は、巨大な津波、さらには原子力発電所事故、すなわち福島での大きな原発事故を引き起こしました。この地震と津波と原発事故の三重の災害による恐ろしい破壊と、人々が悲嘆にくれる姿の映像は、私の目にはっきりと焼き付いています。私たちの心は、愛する人々をこの震災で亡くした皆様の気持ちとともにあります。生き延びはしたものの今も故郷に帰ることのできない人々とともにあります。そして日本国民の皆さんが復興に立ち向かう際に示している共同体意識には大きな感銘を禁じ得ません。

 【戦後70年とドイツ】

 破壊と復興。この言葉は今年2015年には別の意味も持っています。それは70年前の第2次世界大戦の終結への思いにつながります。数週間前に亡くなったワイツゼッカー元独大統領の言葉を借りれば、ヨーロッパでの戦いが終わった日である1945年5月8日は、解放の日なのです。それは、ナチスの蛮行からの解放であり、ドイツが引き起こした第2次世界大戦の恐怖からの解放であり、そしてホロコースト(ユダヤ人大虐殺)という文明破壊からの解放でした。私たちドイツ人は、こうした苦しみをヨーロッパへ、世界へと広げたのが私たちの国であったにもかかわらず、私たちに対して和解の手が差しのべられたことを決して忘れません。まだ若いドイツ連邦共和国に対して多くの信頼が寄せられたことは私たちの幸運でした。こうしてのみ、ドイツは国際社会への道のりを開くことができたのです。さらにその40年後、89年から90年にかけてのベルリンの壁崩壊、東西対立の終結ののち、ドイツ統一への道を平坦(へいたん)にしたのも、やはり信頼でした。

 そして第2次世界大戦終結から70年がたった今日、冷戦の終結から25年がたった今日、私たちはドイツにおいても日本においても、振り返れば目を見張るような発展を遂げてきました。繁栄する民主主義国家として、独日両国そして両国の社会には、権力分立、法の支配、人権、そして市場経済の原則が深く浸透しています。両国の経済的な強さは改革、競争力、そして技術革新の力に根ざすものです。通商国、貿易輸出国として、両国の自由で開かれた市民社会はグローバル経済に支えられています。したがってドイツと日本は、自由で開かれた他の国々や社会とともに、自由で規範に支えられる世界秩序に対して、グローバルな責任を担うパートナー国家なのです。