[PR]

 一夜で約10万人が死亡したとされる東京大空襲から、10日で70年になる。壊滅的な被害を受けた東京の下町では様々な追悼行事が予定されており、改めて平和を祈る一日を迎える。

 1945年3月10日未明、米軍のB29爆撃機約300機が東京都の東部に約1700トンの焼夷弾(しょういだん)を投下。火は強風にあおられ、木造家屋の密集地帯が火に包まれた。現在の江東、墨田、台東区がほぼ焼け野原に。米軍は以降、名古屋、大阪、神戸といった大都市や中小都市への爆撃を本格化させた。空襲の犠牲者は、全国で20万人超(原爆被害を除く)と言われる。

 東京では、遺体が応急処置で公園や寺などに「仮埋葬」され、都は戦後、掘り起こして火葬し直す事業を51年3月に終えた。この間、身元確認が不十分だったこともあり、犠牲者の名前や人数など被害の全容はいまだにわかっていない。被害者や遺族の高齢化で、記憶の風化も懸念される。

 10日は墨田区の都慰霊堂で午前10時から、公益財団法人東京都慰霊協会主催の慰霊大法要が営まれるほか、「平和のつどい」(江東区、台東区)、「平和祈念コンサート」(墨田区)などが開かれる。

 東京、大阪の空襲被害者や遺族は2007~08年、謝罪と賠償を求めて国を提訴したが、昨年までに敗訴が確定した。元原告らも高齢化が進み、戦後70年の節目を、被害者の救済制度実現に道筋をつける年と位置づける。原爆被爆者や沖縄戦の被害者らと連携し、与野党国会議員への働きかけを強める考えだ。

 また、戦争体験の継承を目指す東京都江東区の民間機関「東京大空襲・戦災資料センター」や自治体などは、映像や写真、活字を活用したり、若い世代が体験を学んだりすることで、記憶の風化を防ぐ取り組みに力を入れ始めている。(佐藤純)