ドイツの脱原子力政策決定から4年・ 国民的合意は揺るがない (第1回)
ドイツが原子力発電を2022年末までに廃止することを決めてから、今年は4年目になる。
日本の選挙では原発の再稼働は、政局を左右する重要な争点になっていない。これに対しドイツでは、エネルギー問題は政局を左右する重要なテーマである。私は25年前からドイツに住んで定点観測を行っているが、時々あっと驚くようなことが起きる。
*エネルギー問題に高い関心
原発推進派だったアンゲラ・メルケル首相は、2011年3月に福島第一原子力発電所で発生した炉心溶融事故をきっかけに、原発批判派に「転向」した。同政権は、老朽化した原発8基を即時停止し、残りの9基についても2022年末までに停止することを決めた。
原発全廃に関する法律は、福島事故からわずか4ヶ月で議会を通過した。代替エネルギーの主役は再生可能エネルギーで、2014年9月の時点で電力消費量の約28%をカバーしている。ドイツ人たちは、2035年までにこの比率を55~60%に高めることをめざしている。
元物理学者のメルケルは、かつては緑の党の反原発政策を批判していた。2010年には、電力業界の意向に配慮して、原子炉の稼動年数を平均12年間延長する決定を下したばかりだった。
メルケル首相がエネルギー政策を180度転換した理由の1つは、「原子力に固執していたら、反原発派である社会民主党(SPD)や環境政党・緑の党に大量の票を奪われる」と考えたからである。実際、福島事故から2週間後にバーデン・ヴュルテンベルク州で行われた州議会選挙では、約半世紀にわたって同州を単独支配していたキリスト教民主同盟(CDU)が大敗し、緑の党が圧勝。原発に大きく依存してきた保守王国に、初めて緑の党出身の首相が誕生した。
ある有権者は、「私は30年間CDUに投票してきたが、福島事故の映像を見て、自分がだまされていたことに気づいた。初めて緑の党に投票した」と語っていた。つまりドイツでは、日本と異なり、エネルギー問題が政治の流れを大きく変える「爆発力」を秘めているのだ。
「脱原子力」と「再生可能エネルギー拡大」という2つの総論については、国民的合意が出来上がっている。原子力政策をめぐり、新聞界の意見が真っ二つに割れている日本とは異なり、ドイツの新聞、雑誌、テレビ局の姿勢は、反原子力という点で一致している。
ドイツでは、福島事故のはるか以前から、メディアがエネルギー問題、環境問題、特に原子力のリスクについて詳しく報じてきた。このため市民が豊富な知識を持っており、関心も強い。隣国フランスではエネルギー問題、環境問題についての報道がドイツよりもはるかに少ないので、市民の関心も低い。福島事故前の日本では、市民やメディアの電力問題に関する関心は非常に低く、ドイツよりもフランスに似ていた。
*再稼働に疑問の声
それだけにドイツの言論界では、去年12月の日本での総選挙の前から、安倍政権が福島事故から4年も経たない内に原発再稼働への道を歩み始めたことについて、強い疑問の声が上がっていた。
リベラルな週刊新聞「ディ・ツァイト」のF・リル記者は、2014年10月5日の電子版で「日本では、フクシマはすでに過去のことになっている」と題した記事を発表し、「多くの市民が再稼動について抗議しているのに、日本では原発が再び動き始める。日本は、原爆による被害を受けた世界で唯一の国だ。さらに3年前には、福島で深刻な炉心溶融事故を経験した。よりによってそうした国が、市民の反対にもかかわらず原発に固執するのはなぜなのか?」という問いを発している。
これは、多くのドイツ人が抱いている疑問だ。私自身、多くのドイツ人から「日本政府の態度は、理解できない。なぜ原発を再稼働するのか」と尋ねられる。
リル記者は記事の中で、日本の原発再稼働の最大の動機が、経済界の要請であることを指摘している。彼は国際エネルギー機関(IEA)の事務局長も務めた元通産官僚・田中信男氏にインタビューした上で、「日本では福島事故以来、化石燃料の輸入コストの負担が増大している。田中氏のような原発推進派は、長引く不況から脱出するには、原発の再稼働以外にないと考えている」と記している。
リル記者は、さらに田中氏の「福島事故は人災だった。したがってこの事故を理由に原子力というテクノロジーに反対することは、誤りである。次世代の原子炉は、現在よりも多くのエネルギーを生み出す上に事故の危険も少なくなる」という楽観的なコメントを紹介している。
ドイツのメディアは、霞ヶ関で行われる市民の反原発デモの映像を時折流す。だからドイツ人の間では「市民の反対が強まっているのに、なぜその意見が政治に反映せず、原発推進派である自民党が選挙で勝つのかわからない」と不思議に思う人が少なくない。
*ドイツの原発回帰はあり得ない
日本の再稼働への歩みを驚きの目で眺めているのは、「ディ・ツァイト」のようにリベラルな新聞だけではない。政界、経済界に強い影響力を持つ保守系日刊紙「フランクフルター・アルゲマイネ紙(FAZ)」ですら、「電力コストを下げるために、日本に学べ」という論調は取らない。
同紙の共同発行人の1人であるH・シュテルツナー記者は、2014年2月に東京都知事選挙で脱原発を掲げた小泉信一郎元首相が敗北した直後に、経済面に社説を発表。彼も日本人が原子力リスクという倫理的な問題よりも、経済成長率を重んじているという見方を取っている。「この選挙結果は、原発推進派の勝利を意味する。日本人は、現実主義的な傾向が強い民族だ。この国の有権者は、放射能の健康への影響よりも、景気を回復させ賃金を引き上げることの方を重視した。日本のガス価格は欧米よりもはるかに高い。グローバルな価格競争にさらされている日本の産業界は、いつまでも高いエネルギー・コストを負担し続けることはできないのだ」と指摘した。
シュテルツナー氏は、「ドイツのエネルギー転換も、国民経済に過重な負担をかけてはならない」と釘を刺しながらも、この国の状況を次のように総括する。「ドイツでは、原子力への回帰は政治的にあり得ない。脱原子力政策を変更しようとする政党は、議会での過半数を得ることはできないからだ。市民の間では、再生可能エネルギーへの賦課金の上昇のために、電力料金が高くなっていることについて、以前よりも不満の声が強まっている。それでも、大半の市民が原発全廃を含むエネルギー転換に賛成していることには、変わりがない」
FAZは、メルケル政権のエネルギー転換に、諸手を挙げて賛成しているわけではない。これまで同紙は、再生可能エネルギー拡大のために電力料金が高騰し、ドイツ企業の国際競争力が低下することについて、再三警鐘を鳴らしてきた。そうした保守系紙ですら、「エネルギー転換は、経済成長率に悪影響を及ぼすので、2022年末までに原発を全廃するという政策を見直すべきだ」とは主張していないのだ。
私は2014年11月末にミュンヘン工科大学でドイツ技術アカデミーなどが開いたエネルギー転換に関する国際シンポジウムに参加したが、ドイツ鉱業・化学・エネルギー産業労働組合(IG・BCE)のR・バーテルス氏に「今後どのような事態が起きれば、ドイツは原発全廃政策を取り下げるだろうか」という挑発的な質問をしてみた。
IG・BCEは、電力の大口消費者の利益を代表してエネルギー・コストの抑制を求めるとともに、エネルギー業界の雇用を守ることを任務としている。この産業別組合でエネルギー転換についての政策提言を担当するバーテルス氏は、「原発回帰はあり得ない」と断言した。「議会制民主主義に基づくこの国で、過半数を超える市民が原発全廃を支持しているのだから、そうした世論に逆行する政党は敗北するだけだ」と指摘した。(続く)
朝日新聞社『ジャーナリズム』掲載の記事に加筆の上、転載
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