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【戦後70年~大空襲(4)】
米軍、地方都市にも容赦なく 防空壕から孫を追い出した祖母の愛 終戦前日にはアジア最大の軍事工場も廃墟に…
「息ができない」。そう思った瞬間、祖母が壕外に押し出した。祖母は「このままでは全員死んでしまう」と思い、樋口だけを逃がそうとしたらしい。
火の粉を浴びながら道路にはい出すと、ちょうど父に出くわした。父は樋口を抱き、空き地にあった大きな防空壕に押し込むと自宅に引き返した。
だが、父の目には無残な光景が飛び込んできた。防空壕は焼夷弾の直撃を受けたらしく無残に崩れ落ちていた。「お母ちゃんたち、ダメやった…」。父は樋口に力なくこう告げた。
翌朝、父子は壕内から真っ黒になった2つの遺体を掘り出した。着物の切れ端から母と祖母だと分かった。2人は炎と煙から守るように姉と妹2人を抱きかかえており、姉ら3人の顔はきれいなままだった。
「優しい祖母でした。いつもおやつの煎り豆を『ばあちゃんの分もやる』とくれた。最後に見せた厳しさで私を助けたんです…」
こう語り、樋口は涙をぬぐった。
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あれから70年-。服部寿夫(ひさお)(84)=兵庫県西宮市在住=は20年6月1日の空襲の記憶をようやく身内以外に話す決心がついた。妻、恭子(80)にも10年前まで打ち明けなかった父と姉の最期。淡々とした口調の端々に悲しみがにじみ出た。