あの日からまもなく4年がたとうとしています。
死者1万5890人、今も行方不明の方は2589人に上っています。
皆さん、こんばんは。
真相報道バンキシャ!です。
きょう、私は宮城県の女川町に来ております。
ここ女川では、住民のおよそ1割に当たる827人の命が奪われました。
バンキシャでは、震災から半年後にも同じここ、女川から中継でお伝えいたしましたが、今、その風景は大きく変わっています。
日曜日のこの時間帯も、こうこうとご覧のように明かりがともされ、工事車両が行き交い、町づくりが急ピッチで進められているんです。
震災から4年。
被災地では今、何が起きているのか。
そして、そこに住む人たちは今、何を感じているのか。
きょうのバンキシャは、ここ、女川からお伝えしてまいります。
そしてバンキシャではことしも被災地の皆さんに、アンケートをお願いいたしました。
夏目さん。
バンキシャでは、おととし、去年に続き、岩手、宮城、福島でアンケートを行い、1350人の方から回答を頂きました。
今、後ろに映っている写真は、アンケートにご協力いただいた皆さんです。
そして、こちらが今回、回答していただいた、1350人分のアンケートです。
このアンケートの結果、これまでにはなかった、被災地でのある変化が明らかになりました。
ご紹介します。
まず毎年伺っている質問です。
あなたの周辺で復興は進んでいますか?結果がこちらです。
はい、復興は進んでいると答えた方が、ことしは52.6%と、半数を超えました。
去年の28.4%、おととしの29.6%と比べると、被災地で復興の兆しを感じている方々が、急速に増えてきていることが分かります。
それでは寄せられたご意見をご紹介します。
仮設住宅に暮らす、岩手県釜石市の佐々木暁美さん66歳。
復興アパートも完成し、国道のかさ上げも進んできているので、やっと進みだしたという感じである。
宮城県東松島市の17歳の男性。
災害復興住宅などが完成しているので、復興は進んでいるとは思います。
しかし、人の心まではやはり、復興というより、修復がまだできていないので、完全な復興は難しいでしょう。
こうした声がある一方で、復興は進んでいないとお答えになった方のご意見です。
宮城県大崎市の佐藤祐一さん40歳。
南三陸はがれきが片づいて、造成は進んでいるけれど、昔のにぎわいには程遠い。
福島県南相馬市の仮設診療所で働く、今泉美保さん36歳。
津波で壊れた堤防は、そのまま直っていないし、除染もまだまだ終わらない状態。
ごみの置き場も決まらない。
とても進んでいるとは言えない。
アンケートの結果ですが、このあとも随時、お伝えしてまいります。
被災地では、復興を感じるという人の数が増えているようですが、そんな中、ひときわ注目されている町があります。
それが今、私がいるここ、宮城県女川町です。
こちらご覧ください。
女川町では復興は進んでいるかという問いに、63人中47人、実におよそ75%の方が進んでいると答えております。
震災で住宅の9割が被害を受けるなど、被災地の中でも、とりわけ大きな被害があった、この女川という町で、なぜ今、住民は復興が進んでいると感じているのか。
女川で今、一体何が起きているのか。
バンキシャは、震災直後からこの女川の町づくりを追い続けてまいりました。
なお、これからご覧いただきますビデオには、津波の映像が含まれております。
ストレスを感じるおそれのある方は、視聴をお控えください。
大きな揺れから46分後。
女川町に、最大の津波が到達した。
高さおよそ15メートル。
死者・行方不明者827人。
被災した家屋は、全体の9割に及んだ。
女川駅の駅舎は跡形もなく津波で流され、車両は高台の墓地まで押し流されていた。
町にはまだがれきが残る2011年4月。
避難所だった高台の中学校の一室に、水産加工業の若手経営者が集まっていた。
待っていてもしょうがない。
自分たちで動くことをしないと、何も始まらないし、何もできなくなると思う。
震災から僅か1か月。
早くも町づくりについて、話し合っていた。
しかし、当時からある懸念があった。
定住人口がへってしまうと人がいなければ復興しないっていう。
人が残るためには、仕事と家。
この心配は現実となった。
震災前、1万人だった人口が今は7000人。
人口減少率は、全国で最悪だ。
このままだと働く世代が少なくなるのではないかと、町は危機感を持っている。
震災直後。
災害対策本部となっていた小学校の一室。
当時の町長と、役場の職員らが、手書きの図で復興する町のイメージを考えていた。
このような形で、理想的な町づくりっていうか、民家・市街地は高台を想定しているんですよ。
今ならできるんです。
今ならできる。
あと2、3か月したらだめ。
だめですね。
だからいち早くこれを造りたいなと、今考えているんですよ。
被災した多くの自治体が、国との調整や許可に時間を取られる中、女川町はいち早く地元主導での復興を決めた。
半年後にはがれきが片づき、震災から4年たった今、新しい町の形が見えてきた。
さらに、去年12月には、新しい商店街の計画についても、被災3県で最初に国が認定。
補助金が最も早く交付されることになった。
なぜ、女川町の復興は早いのか。
取材して見えてきた全国が注目する訳とは。
宮城県女川町。
女川湾に面し、町のすぐ後ろには山が迫る。
震災前、この一帯には役場や商店などとともに、多くの住宅が立ち並んでいた。
新たな町のコンセプトは、コンパクトシティ。
半径300メートル以内に、駅、役場、商業施設、小中一貫校、病院などが集約される。
しかし、ここに住宅はない。
実は女川町、海と共生することを選び、東日本大震災クラスの津波を想定した巨大な防潮堤は造らないことに決めた。
そのため、町の中心部はほぼ全域をかさ上げした。
かさ上げの高さは3段階。
最も低い海沿いには公園が出来、2段目には駅を含む商業エリア、最も高い場所には住宅街が造られる。
東日本大震災と同じクラスの津波が来た場合、商業エリアまでの浸水を想定している。
しかし、それより高台の住宅エリアは津波から守られる。
人の命を最優先に考えた町だという。
月曜日、女川町の仮設商店街にある店。
今月21日の駅開業に合わせた町開きイベントについて、地元の若手が話し合っていた。
催事も大事だけど、やっぱりこっちに来てくれる人も大事ですよね。
そうなんですよね。
なかなかね、催事は今、外に向けてPRするのがあるけど、やっぱり中に来てもらうためにどうするか、そっちのほうが大事だもんね。
とにかく女川に来てもらいたいっていうのがね、で、まだ町とか出来てねえけっど、今の女川って、今しか見れないじゃないですか。
熱く語るのは、地元で老舗の水産加工会社、高橋さん。
高橋さんも、女川町の会社で被災。
実家は津波で全壊し、祖父を亡くしている。
実は女川町では、こうした若い世代が町づくりの会社を作って復興を進めている。
メンバーは30代から40代が中心だ。
ご年配の方々が、勢いのある若手の意見を容認してくれてる。
この方針が決定したのは、震災直後だった。
震災後、初めての地元経済団体の会議でも。
町の将来を作っていくのは、若人、若者であると、そういうふうに考えます。
若者を中心とした組織を立ち上げ、行政と一緒になった町づくりを進めていく、その一心でございます。
若い世代による町づくり。
スムーズにするため、ある人物の動きが重要だという。
女川町長って、すごく年配の方からも信頼されてて、われわれ、若手とは兄弟のように接してくれて。
若手の考えを通訳して、年配者の方々と共有するというパイプ役みたいな感じで。
それは、女川町の須田善明町長。
震災後8か月のとき、39歳という若さで、66歳の前町長から町を引き継いだ。
全部、根こそぎやられてしまったんでね、それが一つの、わが町の復興のスタートのベースになっている部分になりますので。
須田町長は、大学卒業後、広告代理店に勤務。
その後、県議会議員を経て、町長となった。
町づくりは行政が主導することが一般的だが、須田町長は、民間の同じ世代の若手に任せる道を選んだ。
託された若手は時折、迷うこともあるという。
逆に言うと、迷ったときに死んだじいさんだったら、どういう決断をするかなとか、聞いちゃうんですよ、死んだ人に。
俺の同級生、亡くなったやつにね、先輩だったら、どうするかなとかね。
実は、亡くなった人も町づくりに加わってんじゃねぇかなと思ってる。
で、あの…。
それでいいんじゃない。
ね?それでいいよ、たぶん。
木曜日、震災で不通となっていたJR石巻線終点の女川駅。
今月21日の開業を前に、報道陣に公開された。
駅舎内には温泉施設も入っています。
温泉施設を町の中心部、併設することで、住民が頻繁にここに集まることが期待されるという。
展望台からは新しい町と海が一望できる。
駅が出来るっていうのは、一つの新しいスタートになるのかな。
これからの女川町にとっては、待ちに待った駅ですからね。
震災からまもなく4年。
きょうは宮城県の女川町から中継でお伝えしております。
この女川町ではきょう、津波で犠牲となった七十七銀行女川支店の従業員の遺族らが、慰霊碑を設置しました。
この銀行では4人が死亡、8人が行方不明となっています。
慰霊碑には悲劇が繰り返されないようにと、高台に避難を呼びかけることばが刻み込まれています。
それではここでこよいのご意見バンをご紹介いたします。
まずは元総務大臣で、前の岩手県知事の増田寛也さん。
こんばんは。
そしてここ、女川で家族を失い、当時高校生ながら、ラジオを通じて、災害情報を伝え続けた阿部真奈さん。
こんばんは。
そしてもうひと方、女川町の町づくりをけん引してきた、須田善明町長にもお越しいただきました。
お三方、どうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
お願いします。
さてこの女川の町づくりの象徴ともいえるのが、後ろに今、見えております、女川駅の新たな駅舎であります。
この駅は、JR石巻線の終着駅なんですが、駅舎が流され、震災後、バスでの代替輸送が続いておりました。
今は列車の試運転が始まり、2週間後の21日には、実に4年ぶりに鉄道が再開し、それに合わせて、町開きのイベントが行われます。
そのイベントで司会を務めるのが、阿部真奈さんでいらっしゃいますけれども、阿部さんはこの高校卒業後、首都圏の大学に通ってらっしゃるわけですが、生まれ変わるこういったふるさとをご覧になって、どうお感じになりますか?
進学のために、女川町を離れて2年になるんですけれども、女川町を離れたからこそ、ふだんは見ることができない面を見れるようになったのかなと感じています。
春休みとか、長期休暇、帰省をするたびにどんどん女川町が生まれ変わる様子を見ることができて、今は女川駅が再建されることになりました。
そういうふうに4年たって今だからこそ新しい町づくりが、作られていくという様子を見ることができて、とても今はうれしく思っております。
そうですか。
そして、女川では非常に多くの住民が復興が進んでいると感じているようなんですが、町長、このスピードの速さ、町づくりのポイントはどのへんにあるんでしょうか?
早いというご評価もあるようですけれども、実態としては、まだまだだと思いますし、住民の皆さんももっと早く形にならないかということを、お望みになっているだろうと思います。
全体の将来形をちゃんと見据えた町づくりのビジョン。
またそれを成すための構造、そういったものを百数十回、説明会を通じながら、住民の皆さんにもお示ししてきましたが、おかげさまで、町民の方から大変、用地も含めて、協力を頂きながら進めてこれた、その住民の皆さんの後押しというのが、何よりだと思います。
そしてこの須田町長とも交流があって、何度もこの女川の町を訪れてらっしゃる増田さん、この町づくり、どうお感じになりますか?
とても私はうまくいってると思いますね。
というのは、身の丈の合ったような形で、コンパクトな町づくりを、この駅を中心に考えているということ。
それから議論の過程で、何よりも若い人たちが中心になって、その意見をうんと入れる、それから彼らに行動してもらって町づくりを進めていると、これが、ほかの所に比べまして、非常に合意形成などもうまくいっている、その理由だと思います。
そうですか。
町の大きな決断として、町長、この巨大な防潮堤を造らないというふうに早々に決めたわけなんですが、この考えはすぐに住民の皆さんに受け入れられたんですか?
これについては、前町長である安住前町長が、ああいう状況の中でも、町がどうあるべきかということを、住民の皆さん、アンケートなども取りながら、その大きな基礎を築いていただいたというふうに思います。
先ほど説明会というようなことも申し上げましたけども、町の構造をひな壇形式にすることで、津波から守り、また住民の生活を守り、同時に活力も出していくんだということを、繰り返しお話してきた、そういう中で、合意形成ができたのかなと思います。
ご覧のように、この女川、冷たい雨が、いささか強く降っておりますが、ここでアンケートにお答えいただいた方の声を1つご紹介いたします。
女川町の34歳の女性。
女川駅が再建されたり、水産加工団地が出来てきていたり、最近、景色が変わってきていることをよく感じるようになった。
ここまで4年かかっているが、やっとここまできたという感じ。
町の象徴となります新たな駅舎の屋根は、港町ならではの、カモメの翼をモチーフとしたものだそうです。
この建設物、この建物の反対側には、すでにJR石巻線のホームが完成しております。
レールは隣の駅まで伸び、開業を今か今かと待っております。
さあ、阿部さん、この石巻線で震災までは、高校に実際、通ってらしたんですよね?
はい。
私は高校1年生のときに被災をしましたので、1年間だけ石巻線を利用して、高校に通っていました。
でも、女川駅が石巻線の発着駅ということもありまして、この駅を通して、友達と出会うことができていろんなつながりを作ることができました。
ただ3月11日がありまして、女川駅がすべて流されてしまった中で、2年間は代行バスでの通学になったんですけれども、本当に30分かかる道を、バスだと長い時だと2時間かけて通うこともありました。
授業に遅れることもありましたので、とても不便だったんですけれども、ここを始まりとして、新たな若い世代の方たちが頑張って高校に通ってくれることが、本当にうれしく思っています。
あと2週間で、新たな町が産声を上げます。
一体どんな町に生まれ変わるのか。
そこには、さまざまな人たちの思いが込められていました。
先月、東京・虎ノ門ヒルズ。
須田善明町長の姿があった。
そこでは。
町の姿が、いくらこう、出来たところで、この上で暮らす、またここで、それぞれの人生を過ごす、演じる方々がいらっしゃらなければ、町は当然死んでいくわけでございます。
大企業の交流会。
女川町の復興についての講演依頼は後を絶たない。
人口減少率、日本一の女川町。
参加者からはこんな質問が。
人口減少と少子高齢は、それは受け入れることなのか、人口減少は逆に、歯止めをかけたいのか。
6000人がなんか、ここ、いいなといえばいいじゃないですか。
まずは。
6000人がいいなと思える町ということは来た人もいいと言うに決まっている。
日本の地方都市共通の問題である、人口の減少や、少子高齢化に向き合いながら、復興をどう進めていくのか。
行政が担うんではなくて、別な主体、民間含めたいろんな主体に委ねていく。
これだってたぶん、一つの在り方だと思いますね。
町長は、住民一人一人にも、町づくりへの積極的な参加を求めている。
すでに具体的な計画も。
海に一番近いこの施設では、女川最大の魅力、水産業を生かす。
日本有数の水揚げ量を誇る女川町。
今では震災前の9割にまで回復したという。
この水産業の魅力で、町に観光客を呼びたいと、水揚げや水産加工を体験できるようにする。
ことしの春オープンするこの施設は、カキやホタテなどの出荷体験や、魚をさばき、食べることもできるという。
繰り返し来てもらう人を増やす。
だから、ファンを増やすっていうことにつながるのかなと思いますね。
駅前商店街の一角には、女川町の新たな名産品が。
開業を控えた女川駅の中を見ると。
駅舎内には、タイルアートが飾られています。
壁一面に白いタイルが貼られている。
女川町内を歩くと、至る所に色鮮やかなタイルが、震災後の町を彩っている。
さらに。
こちら、家の表札がタイルで出来ています。
このタイルを製作したのは、地元の主婦グループ。
震災後に、ここの工房でスペインの材料を使って、このタイル作りを始めました。
被災した町をスペインタイルで明るくしたいと考えた阿部さん。
僅か4年で、新たな地元の産業として浸透しつつある。
女川の新しい魅力の一つとして、全国にね、日本を飛び出して、世界中に発信して、関心を持っていただければうれしいなと。
駅前に出来る交流施設。
その活用方法を考えていたのは、高校生だった。
この日は、小中学生を集めるための課題を話し合っていた。
インドア気味になってしまってる。
分かる、分かる。
だって、家でゲームしようとかさ。
分かる。
俺の友達、あれだわ。
そうそうそうそう。
これはね。
これ、動かない、動かないのもいけないことだ。
話し合った結果、こんなアイデアが。
駅前を使うんだったら、そういうカフェみたいな、なんかちょっと休めるような、なんかこう、たまれるような、ゆっくりできるような、なんでもできるようなブースみたいなのを作ったほうがいいと思う。
駄菓子屋、今、思った。
この高校生たちは、毎週1回集まって議論し、実現を目指すという。
商店街には、東京から帰ってきた人も。
女川出身の店長は、東京でやっていたIT関係の仕事を辞め、日本中で注目のクラフトビールの店を開く。
仙台からやって来る人も。
伐採された女川町の間伐材でギターを製造・販売。
ここを拠点に、全国に売り出す。
女川町の町づくり、それは、住民一人一人が作り上げているものだった。
さあ、こちら、ウミネコの翼をモチーフとした、女川駅の駅舎を前に、中継をお伝えしております。
それぞれの思い、お聞きいただきましたが、町長、この町づくりを住民主導、いわゆる住民にどんどん任せていく決断をしたのは、なにゆえなんでしょうか?
やはりゼロから作り上げる町です。
やっぱり一人一人の思いが、この新しい町に宿ってほしいと思いましたし、私自身もそういうふうに思ってました。
つまり、新しい町をつくっていく、復興していくということは、全員がチームなんですよね。
そういう中で、例えば行政としての役割、民間としての役割、それぞれ果たしつつ、みんなでどういうふうにつくっていくか。
誰か一人が作った、行政が作った町って、これじゃあ、愛せない、つまらないんだと思います。
やっぱりみんなで関わって、新しいものを作り上げていく、ぜひそうしたかったというのがありますね。
阿部さんは実際、今のふるさとの雰囲気をどう感じられますか?
昔の女川町って、今までの女川町を築いてきた大人の世代の方が中心になって町づくりを進めていたような印象を受けていたんですけれども、今は30代、40代といった若い世代が中心になって、新しい町をこれからつくるんだという思いで活動をしているので、そういったところで活気を感じられるようになってきたのかなと思っています。
そうですか、すばらしいですね。
さあそして、バンキシャのアンケートにこんなご意見を頂いております。
40歳の女性です。
生まれたときから女川ですが、女川が大好きです。
震災で町の様子が変わっても、その気持ちに変わりはありません。
これからも女川の復興を見つめながら、女川とともに歩んでいきたいです。
これからの新しい女川の町並みも以前の女川の町並みも、どちらも大好きです。
一方で、こういった声もあります。
女川町の34歳の女性。
引っ越してしまった方が多いので、インフラ整備が進んでも、人口流出が食い止められなかったらと心配。
そしてこちらの数字をご覧ください。
2011年、震災直前の女川の人口は1万飛んで16人でした。
ところが現在、先月末の段階で、人口は7089人。
人口がおよそ3割減ってしまったという厳しい現実が、ここにはあるわけです。
町長、女川といえば、漁業があって、原発関連の仕事もあります。
ベースとなる働き口がある中での人口流出が止まらないという、この現状。
どうお考えになりますか?
例えば復興はまだまだで、例えば家を建てる場所も、これから順次、出来ていくという段階です。
そういう時間がかかるという部分ですね、離れられた方々もいらっしゃいます。
また、ご家族を失って、傷つかれた方で、別の場所でやり直したいというお声もだいぶ頂きました。
もともとこういう…は多いわけですが、これから新しい町をどう活気づけるものをつくっていくか。
例えば先ほどのギターショップもそうですけれども、新しい取り組み、新しい受け皿っていうんでしょうか、そういうものを作っていけたらなと思います。
なるほど。
そうした取り組みを、増田さん、どうご覧になりますか?
ここで起きてることはね、全国の自治体で言うと、20年、30年後には必ず起きますから、ですから、私はこれが全国のモデルケースですし、若い人たち中心の町づくりをしていればね、必ず一度出た人も、戻ってくると思いますね。
なるほどね。
さあ、それでは再び夏目さん、お願いします。
岩手、宮城、福島の3県で、バンキシャが行った1350人へのアンケート。
直面している課題について伺ったところ、上位には去年と同じく、住まいのこと、そして自分や家族の体の健康、地元の将来像が見えないとなりました。
そして、ことしから新たに選択肢に加えた、人口の流出。
震災の風化が、4番目と5番目に入りました。
皆さんのご意見をご紹介します。
福島県富岡町からいわき市内で避難生活を送る、33歳の女性。
借り上げ住宅があるうちはいいが、それが終わってしまったあとに住む場所が、確保できていない。
父は今でも眠れない日があるようなので、心配。
宮城県大崎市の高橋香さん19歳は。
4年がたった今、震災の風化が目立ち始めました。
いつまでも暗い気持ちでいられませんが、震災がきっかけで得たものは、失ったものと同じくらいあると思います。
だからこそ、忘れてはならないのではないでしょうか。
福島県いわき市の大谷加代さん62歳。
私は今、いわき市の震災語り部をしています。
その口話の中で、震災のことを忘れないで伝えていくことが大事だと思っています。
さらに今回、私たちのアンケートで、気になるデータが浮かび上がってきました。
それは世代間ギャップです。
生活は再建しましたか?と聞いたところ、10代、20代では、7割から8割近くが、再建した、ほぼ再建したと答えました。
しかし、年代が高くなるほど、その割合は少なくなり、70代や80代以上になると、3割程度にとどまっています。
増田さんは、こうした世代間ギャップ、世代間の差をどうご覧になりますか?
どうしても、年代の高い方は、前の生活をよく覚えてらっしゃいますから、3・11の前とすぐに比較をするということになりがちですよね。
ですが、あと、もう1つは、仮設住宅で、年代高い方、お1人で暮らしている方も多いんで、やっぱり心の寂しさをよけい覚えるという部分もあると思うんですが、若い人たちが、もうこれから、復興が、再建が終わってね、そして自分たちでやっていくという、そういう考え方が現れている数字じゃないかなと思いますね。
阿部さんはここから程近い仮設住宅におばあ様が住んでらっしゃるということですが、この今、女川の変化を、そのおばあ様はどう感じていらっしゃいますか?
4年たった今でも、仮設住宅で生活をしていますし、宅地の整備がこれから先、何年続くか分からないので、あと何年後に次のステップに移れるのかが、分からないのが現状です。
私の近くに近所のおじいさんおばあさんに言われたことがあるんですけども、これから今、復興、復興というふうにテレビでは見るんですけれども、私たちのことが忘れ去られてしまうんじゃないか、私たちのことが切り取られていってしまうんじゃないか、そういうことが怖いんだというお話をされました。
だから復興ということばに対しても、まだ心の復興まではたどりついていないんだなということを感じました。
まさしく、この若い世代が町づくりを担っているわけでね、高齢者と若い世代の間に、意識の差、いわゆる世代間格差と申しましょうか、あるのかもしれませんけれども、町長はこのあたりのことをどうお考えになってますか。
若い世代ほど、変化に対応したり、あるいはチャレンジしたりということができると思うんですが、年配の方はなかなか難しいところもあるのも事実だろうというふうに思います。
と同時に、まだまだ復興がこれからという中で、どう再建されるかということをお悩みになっている方など大勢おられます。
そこを本当に重要に捉えつつですね、思いははせつつ、今やることをとにかく急いで一つ一つを形にしていく、形にすることで、あっ、こういうふうになっていくんだ、あるいは自分自身はこう判断していいんだなという世界を、早く現実とさせていく。
この場所に、女川に現していくということが、何よりも大切なんだろうと思います。
それが、世代間の差をなくしていくということにつながるんでしょうかね?
結果として一つに、ゴールに向かっていくということかなと思
バンキシャが、福島県で行ったアンケートには、513人の方から回答を頂きました。
今直面している課題という質問について、福島県では、およそ半数の方が、放射能の影響と答えました。
震災から4年、原発事故は福島の人たちに今も大きな影響を与え続けています。
中継です。
福島中央テレビの大橋さん。
福島第一原発からおよそ60キロ。
福島県の中央に位置する郡山市です。
こちらの荒池西公園は芝生の養生中ですが、特別に許可をもらって中に入っています。
実は、私が立っている、この辺りのおよそ1メートル下には、福島の復興の妨げとなる、あるものが保管されています。
それは除染作業で出た汚染された土などの汚染廃棄物です。
市内のほとんどの公園で、汚染廃棄物を埋めて仮置きしているほか、置き場が不足しているため、住宅の敷地内でも、汚染廃棄物が保管されています。
汚染廃棄物は、土やコンクリートで覆うことで、放射線が遮られます。
こちらの公園では、除染前、最も高いときで、1時間当たり4.4マイクロシーベルトでしたが、現在は手元の線量計で、0.2マイクロシーベルト前後。
年間の追加被ばく線量、1ミリシーベルトに当たる、毎時0.23マイクロシーベルトを、やや下回っています。
とはいえ、汚染廃棄物が身近にあることに、不安を感じる県民は、決して少なくありません。
この汚染廃棄物を、国や県などの協議で、5日後の今月13日に、ある場所へ搬入することが決まりました。
それが、第一原発近くの大熊町、双葉町に建設予定の、中間貯蔵施設です。
廃棄物を30年にわたって、保管することになります。
ただ、考えなくてはならないのは、汚染廃棄物を受け入れる地元住民のことです。
こちらは、建設予定地の大熊町が行った住民意向調査です。
建設受け入れ前の2013年度、町に戻らないという回答は67%、そして判断できないという回答は、およそ20%でした。
それが、建設決定後の2014年度は、戻らないという回答が減った代わりに、判断できないという回答が、6ポイント増えています。
ふるさとが大量の汚染廃棄物の置き場となることをどう受け止めたらいいのか、住民の心は揺れています。
これは同じく施設の建設予定地の双葉町でも同じ傾向が見られるんです。
汚染廃棄物搬入のメドが立った一方、汚染廃棄物を受け入れる町の復興をどう進めていくのか。
福島には、重い課題が残されています。
福島県の皆さんからは、こんな声を頂きました。
福島県富岡町から郡山市で避難生活を送る、渡辺忠道さん85歳。
あと何年たてば戻れるのか。
当てのない生活で、目標がない。
福島県郡山市の30歳の女性。
1歳半の娘を子育て中です。
放射能の影響を気にしすぎるあまり、かえってよくないことが子どもに起きることも少し心配です。
子ども時代に十分に外遊びできないと、身体的にも、情緒面でも不安。
また、福島県川俣町の77歳の女性は、家の前に除染した黒い袋が山積みになっている。
みんなが、そこを通るのも嫌だと言っている。
最終的な処分先が決まらぬまま、中間貯蔵施設を受け入れるという苦渋の決断を下した福島県と2つの町。
環境省は、3年で、除染廃棄物を運ぶ計画を立てています。
きょうは、宮城県女川町から中継でお伝えしております。
きょうの女川、午後から細かい雨が降り始め、この時間帯、雨、風ともに強くなってまいりました。
冷たい雨が降り続いております。
こちらは新しくなりましたJR女川駅の駅舎です。
さらに日曜日のこの時間帯、雨にもかかわらず、復興に向けての工事車両がこうこうと照らされる光の下、作業を続けております。
さて、続いてはニュースコーナーです。
報道フロアの上田さん。
お願いします。
お伝えします。
ボウガンの矢が刺さっているコハクチョウが、埼玉県の川で見つかりました。
ボウガンの矢が刺さったコハクチョウは、埼玉県川島町を流れる越辺川で、おとといの朝、発見されました。
1羽だけ動かないんで、おかしいなと思って、写真を撮っていただいて、拡大したら、矢が刺さっているのが分かって。
コハクチョウは、体長およそ110センチの成鳥で、病院に運ばれましたが、長さおよそ55センチのボウガンの矢が、左胸から右足にかけて体を貫通し、右足を骨折しており、かなり衰弱しているということです。
体の中に45センチ、中にあったわけですから、こりゃ、今も呼吸が難しいですけれども。
心を痛めますよね。
人間性を疑うというか。
警察は何者かがコハクチョウをボウガンで撃ったものと見て、鳥獣保護法違反の疑いで捜査しています。
フィギュアスケートの世界ジュニア選手権男子シングルで、17歳の宇野昌磨選手が、日本男子として5年ぶりに優勝しました。
ショートプログラム1位でフリーに臨んだ宇野選手は、最初のジャンプでミスが出ましたが、トリプルアクセルを成功させて、失敗を引きずらない演技を見せます。
3年後のピョンチャンオリンピックに向けて、期待がかかる17歳は、持ち前の表現力豊かな滑りを見せ、2010年の羽生結弦選手以来、日本勢として5年ぶりの優勝を飾りました。
ここからは全国のお天気をお伝えします。
西から雨雲が広がります。
東日本や北日本は、午後から雨が降りそうです。
日中の気温は、東海から西で13度前後の予想です。
関東は寒さが続くでしょう。
11日の被災地は、風が強まり、荒れた天気になりそうです。
2015/03/08(日) 18:00〜18:55
読売テレビ1
真相報道 バンキシャ![字]
バンキシャ!は毎週、注目を集めている事件・出来事について、他にない切り口で検証を加える番組です。今週もスタッフは各地に飛び、ただいま取材中。ご期待ください。
詳細情報
番組内容
真相報道バンキシャ!は福澤朗と夏目三久がお伝えする〈新型〉報道番組。日曜の夜、その1週間の起きた出来事について視聴者の方に「なるほど、そういうことだったのか」と言っていただける番組づくりを目指しています。取り上げるのは、事件・事故・政治・経済からスポーツまで、硬軟とりまぜ幅広く。ニュースの新しい見方をご提供いたします。番組への情報、ご意見は番組HPまでお寄せください。
出演者
【MC】
福澤朗
夏目三久
【ゲスト】
番組ホームページ
http://www.ntv.co.jp/bankisha/
ジャンル :
ニュース/報道 – 定時・総合
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
ニュース/報道 – 天気
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
ステレオ
サンプリングレート : 48kHz
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