東京大空襲:束ねた線香の煙…終戦3年後の膨大な改葬作業
毎日新聞 2015年03月07日 07時30分
第二次世界大戦末期の東京大空襲(1945年3月10日)による膨大な犠牲者の遺体を数年後に改葬した様子を伝える文書が、東京都公文書館(東京都世田谷区)で6日までに見つかった。10万とされる遺体がどのように扱われたのかについては不明な点が多く、異臭の中で続けられた過酷な作業の生々しい描写は、その一端を伝える貴重な資料だ。
同館の斉藤伸義・史料編さん係専門員が発見したのは、51年4月に東京都労働局失業対策事業課によって編集発行された「失業対策時報」第6号。
大空襲による遺体は、軍などにより寺や公園などに仮埋葬されたが、遺体を掘り起こして埋め替える改葬作業は、復興事業の遅れなどから48年にようやく都の事業として始まり、約3年続いた。
資料には、大空襲から6年近くを経た51年1月下旬、錦糸公園(墨田区)で行われた作業の様子が詳細に記されている。現場に漂う「集団腐敗した人間の屍(し)臭は、一種異様」で、臭いを消すために太く束ねた線香が煙を上げていた。骨を掘り出す穴の中には「恐らく内臓や皮膚が腐敗しとけこんだであろう泥土と、頭蓋骨(ずがいこつ)」などがあったという。
作業にあたったのは50〜60人の日雇い労働者。空襲で夫を亡くした女性が懸命に遺骨を捜す姿をみて「誰一人いやな顔もせず卒倒しそうな悪臭の中で、どろどろになった土を掻(か)きわけて、人骨を大きな寝棺の中に拾いあげ」ていった。
仮埋葬地の数や場所、改葬作業の解明などの研究は立ち遅れてきた。見つかった「時報」は都の内部資料とみられるが、空襲史研究では活用されていない。東京大空襲・戦災資料センター(江東区)の山辺昌彦学芸員は「どのような作業をしていたのかが分かる貴重な資料」と話している。【栗原俊雄】