NNNドキュメント「2589 震災4年 あなたは、どこへ」 2015.03.09


まだ帰らない
2589
(海藤エツさん)ミネ子〜!
(エツさん)髪の毛1本でもいいから揚がってほしかったの。
幼い娘はどこへ行ったのか?
立ち入りは制限されたまま
(木村紀夫さん)うちのばあちゃんが覚えててこの靴だったって。
妻はきっと待っている
夫は自ら海へ
(高松康雄さん)そうですねだんだん時間経つと難しくはなって来ると思いますけど。
大震災から4年
今なお行方が分からないその数2589人
宮城県女川町
宮城県は最も多い1253人の行方不明者がいます
ただ今より桐ヶ崎漁港周辺海域行方不明者捜索出動式を行う!黙とう!
被災地では行方不明者の捜索が続いています
あの日車で勤め先に送り届けた妻が今も帰りません
「夜何食べようか?何でもいいはダメ」
最後の言葉がずっと頭に残っています
穏やかで優しいその笑顔に引かれました
ちょっと気掛かりだったのが女房だけだったんですけど。
まぁ女房も近くに目の前に避難場所あるし病院のほうに逃げてるからね大丈夫だと思ってたんですけど。
祐子さんが勤めていた七十七銀行女川支店
15mを超える津波に襲われ4人が死亡8人が行方不明のままです
来る日も来る日も妻を捜し続けました
避難所銀行そして海岸
(康雄さん)これ結婚式の時の。
お見合いで知り合った2人
「きっと幸せな家庭が築ける」そう直感しました
なかなかね…。
結婚して27年
2人の子供にも恵まれ思い出を積み重ねて来ました
(康雄さん)あんまりこう何て言うんですかね…。
争い事があんまり好きじゃないというか嫌いなタイプで。
(康雄さん)優しい感じですかね。
墓を建て直して感謝の言葉を刻みました
震災の翌年康雄さんは妻の死亡届を出しました
毎月11日の月命日には墓参りに訪れます
早く早く出て来いとハハハ…。
(スタッフ)今奥様の物は?眼鏡眼鏡だけです。
あのケータイは取り出したんで1回納めたんですけどこの墓作る時に取り出して今は手元にあるんですけど。
七十七銀行女川支店では大津波警報の後屋上へ避難
しかし津波は屋上を越えました
その直前まで祐子さんは夫にメールを送っていました
これが私に届いたやつなんですけど。
最後ですね…。
1か月後に見つかった妻の携帯電話
電源が入りメールが残っていました
「大丈夫?帰りたい。

これは私には届かなかったやつなんです。
「帰りたい」の4分後届かなかったメールです
「津波凄い」
どんな気持ちで打ったのかなと思うとホントにいたたまれないというか…。
何とも言えないですけどねぇ…。
被災地の盆
銀行の跡地に犠牲者の家族が集まります
「妻を連れて帰りたい」
康雄さんはある決意を固めました
ボヨヨヨンってつくんだ。
あ〜かわいいねほら。
祐子さんを捜すため自ら海に潜ると決めたのです
康雄さんはダイビングの練習を始めました
月に数回スクールに通い20歳以上も若い先輩ダイバーに教わります
じゃあ…。
よいしょ。
1回立ってもらっていいですか?はぁ…よいしょ。
身に着ける装備は20kg以上
体にこたえます
ダイビングスーツなども一式そろえました
休みの日に練習を重ね震災から2年半後ライセンスを取りました
う〜んまぁ…。
多分。
でも「じゃあやめる」って言うと怒るんですよね大体ハハハ…。
「やめた」とかって言うと。
(スタッフ)何で怒るんですか?いややっぱり…。
それは建前で。
海の中を捜索するために潜水士の国家資格も取ることにしました
学科試験に向け毎晩遅くまで問題集に向かいます
う〜んハハハ…そうですねぇ。
やっぱり久しぶりなんでこういう問題とかですね。
やっぱり最初は眠くなるんですよねハハハ…。
そこはちょっと…。
まだまだいつ捜索自分でできるかまだちょっと分かんないですけどね。
何としてもやりたいなとは思ってるんでハハっ。
カッコ悪い姿を妻には見せたくありません
いよいよ試験の日がやって来ました
この日の受験者の中で康雄さんは最年長
妻を捜すために乗り越えなければならないハードルです
合格発表は1週間後
受験番号44番は果たして…
ありました。
(スタッフ)番号ありました?ありました。
44。
ようやく捜せます
ついでにやっちまおうかな。
結婚後は任せることが多かった家事にも少しずつ慣れて来ました
あの日屋上で「帰りたい」と願った妻を何としても捜し出す
その思いは揺るがない
(エツさん)よいしょよいしょ。
あら〜フノリいっぱいだ。
ここにも帰りを待つ人がいます
私はいっつもここにお参りするんです。
(鈴を鳴らす音)守ってくださいね。
そして向こうのほうも守ってください。
(エツさん)守ってねありゃりゃ。
一人娘のミネ子さん
会えなくなってから4年の月日が流れました
はいあんたの好きなねカプチーノだよ。
(エツさん)はい。
みかんもみんなで食べてね。
(エツさん)どこにいてもみんな白浜の人守ってちょうだいね。
お父さんがどんなに心配してたかあんたに分かる?髪の毛1本でもいいから揚がってほしかったの。
娘は母の隣の集落で暮らしていました
あの日は1人で自宅にいたそうです
誰からも慕われ来客の絶えなかった生活
(風鈴の音)
津波から数日後母が峠を越えてたどり着くと…
すっかりこうしてね…。
娘は家ごと津波に流されたのではないか
母はそう考えています
落ち着き先に選んだ復興住宅
去年の春仮設住宅から引っ越しました
「一緒に暮らそう」内陸部に住む孫から誘いを受けました
でも娘のそばにいたい
震災前と同じく1人暮らしを続けています
いつも着物姿のミネ子さん着付けも自分でこなしました
仏壇に大好きなカプチーノを欠かしません
♪〜
ミネ子さんは踊りの師匠でした
震災の前の年に開かれた創立30周年の発表会
♪〜
好きな踊りを自分に教えてくれたのは母でした
♪〜
(司会)感謝の握手でございますはいどうぞ。
♪〜♪〜
(拍手)お母さんです。
♪〜
(拍手)
(海藤ミネ子さん)私今度で7回目のチャリティーを迎えることができたのも会場の皆様そして弟子達そして弟子の家族私の家族のおかげだと思っております。
そして一番に会場の皆様方の温かいご支援があればこそ今日のこの発表会ができたと感謝しております。
高い席からではございますがお礼を申し上げます。
ありがとうございます。
(拍手)
(拍手)
自慢の娘はどこへ?
踊りの着物さえ1枚も見つかっていません
月命日には娘の好きなものを手押し車に載せて海に向かいます
ミネ子〜!だから一番それが辛いし…。
そういうふうに言われてねホントにあの子はね…。
エツさんを女性が訪ねて来ました
(曾根さん)こんにちは。
何まぁ…。
お邪魔します。
エツさんに見せたいものがあるといいます
曾根さんは娘の1番弟子です
ほら…。
まだ何だかあるはずだったんだよアハハハ…。
それは舞台で使ったおそろいの衣装
最高だ。
この着物は最高だった。
(曾根さん)波の柄とでこれを…ひっくり返してリバーシブルに作って。
40人の弟子がいたミネ子さん
海を題材にした振り付けが好きでした
曾根さんは先生の踊りを必死にまねたといいます
♪〜♪〜
(拍手)
(拍手)最初に会った時は怖くてキツそうな先生かなっていうふうに思ったんですけど話せば情が深くてもう涙もろくてひとのことも自分のことっていうふうにひとのいいところとかよかったことも一緒になって喜んでくれるし。
みんな…まぁみんなというか…。
海で…。
…っていうふうにみんな。
♪〜
日増しに募る娘への思い
思わず…
♪〜
娘は母の追憶の中に生きています
揚がってちょうだい。
父は線量計を持って娘を捜します
福島県大熊町
今も立ち入りが制限されています
一時立ち入りの際は自宅の裏山で娘の笑顔を思い浮かべます
夏の穏やかな海からその名前を付けました
(木村さん)入りたい気持ちはあったけどなかなかその放射能のことがよく分からなくて。
あの…特に震災後1か月は入れる状況にはあったんだけどやっぱりいろんな不安特に放射能を持ち出す…っていうことに対してね不安があって。
で入ることができなくて。
それから随分…4年近くなるんですけど。
だけどやっぱ何かをする時今回の震災でね何かをしようと思うとホントにあの…苦しいですねうん。
うん…。
福島第一原発から自宅まではおよそ3km
事故後木村さんが汐凪ちゃんの捜索に入ったのは半年以上が経ってからでした
娘が遊んだ裏山
海から100mほどにあった家は津波で流されました
にぎやかで明るい6人家族の生活がここにはありました
父妻そして汐凪ちゃんの3人と連絡が取れず木村さんはポスターを作り捜し続けて来ました
しかし父と妻は遺体で見つかりました
震災から4か月後
木村さんはふるさと大熊町から長野県白馬村への移住を決めました
東京電力とかかわりたくないと賠償金を受け取らずに蓄えを切り崩しながら生計を立てています
現在は長女舞雪さんと津波に流されたものの助かった愛犬のベルと一緒に暮らしています
(舞雪さん)やめて離れて…。
福島県外への移住を決めたのは理由がありました
あの〜自分自身もその…。
よく分かんない…。
大熊町から持ち出したものはごくわずかでした
(木村さん)これは震災の年の5月6月に自衛隊が捜索した時に回収したやつです。
(木村さん)う〜んねぇ本人が…本人の顔がねちょっと削れちゃったなんていうところ…。
こういうのとかねちょっと…。
う〜ん…。
何か津波の犠牲になったっていう感覚がなくて。
何か突然いなくなったみたいな感じで。
カメラが趣味の木村さん
捜索で見つかった写真だけでなく知り合いからも集め汐凪ちゃんの写真集を出版しました
写真集を出した理由っていうのはやっぱりその…とても何かね将来楽しみだなっていうような感じの子だったんです。
その…ホントにいい奴っていうような感じで。
それでね写真集出してまぁ友達にも忘れないでほしいしさらに写真集によってこう友達をねまた増やして行けたらなっていう思いがあって。
すごいなっていうかね。
この写真すげぇ何かハハハ。
何か力強いですよね。
父がお気に入りの1枚に添えた言葉は…
汐凪ちゃんの口癖です
責任感が強く面倒見も良かったという汐凪ちゃん
困っている友達には「大丈夫?」と声を掛ける優しい子です
木村さんは大熊町へ向かいました
(男性)すいませんお預かりします。
ふるさとに入れるのは年間15回
一日5時間だけ
舞雪さんは15歳未満のため一時立ち入りできない決まりです
大熊町の行方不明者は汐凪ちゃんただ1人
寂しい思いをしないようにと自宅の裏山にお地蔵さんを建てました
突然帰って来るかもしれない淡い期待を抱きながら瓦礫が散らばったままの海辺で娘の手掛かりを捜し続けて来ました
一時立ち入りで重機の持ち込みは認められていません
全て手作業での捜索
・藍染めだ・
捜索のさなか見つかった小さなシャツ
必死に記憶をたどります
分かんない。
やっぱ覚えてないしね割とね。
薄れる記憶の中写真の中で娘が着ていた服と重ね合わせます
ここで3人が犠牲になってるんでまたねここで生活してたっていうのもあるし。
だから一番感じられる場所うん。
家族の物が見つかると必ず立ち寄る場所があります
(木村さん)これがあの…。
(木村さん)うちのばあちゃんが覚えててこの靴だったって。
(木村さん)これはうちの…。
(木村さん)そのまま車の中に載っていて…。
震災当日娘が持っていた体操服
しかし放射能に汚染されていてここに置いておくしかありません
汐凪ちゃんと4つ違いの姉舞雪さん
今は中学2年生です
父と2人きりの生活も3年になりました
(木村さん)何かね雑なんですよ。
だから分量とかもいつも適当だし。
取りあえず味音痴だし食えればいいかなみたいな感じなんです。
家族6人で囲んでいた食卓
寂しくないといえばウソになります
(舞雪さん)うん。
まずいのとおいしいのがある。
(木村さん)何が?嫌いなもの入ってるの全部まずい。
何?嫌いなものって。
(舞雪さん)きのこ。
マッシュルームとかまず過ぎでしょ。
あ〜あのそれは…。
…みたいな。
あと1年でふるさとに入れる
しかしその大熊町には県内の除染廃棄物を集め30年間にわたり保管する中間貯蔵施設が建設されることになりました
原発の立つ大熊町双葉町は施設の受け入れを決めました
国は今月13日から除染廃棄物の搬入を始めます
木村さんの自宅跡も建設予定地になりました
汐凪ちゃんとのつながりを感じられる大切な場所
売るつもりも貸すつもりもありません
こういう事態になったのは国の政策であったり東電の責任というのが大きいと思うんでね。
さらにそこから強制的に取り上げるとかね考えられないことなんでうん。
ホントに誰が悪いの?俺ら何か悪いことしたの?何で取り上げられなきゃなんないの?
手の届かないところで進む中間貯蔵施設
福島の復興に欠かせないことは分かっていても…
娘とつながれる場所を失いたくない
宮城県女川町
妻を捜すため潜水士の資格を取った…
毎年必ず足を運ぶなじみの店です
お待たせいたしました気を付けてお持ちください。
ありがとうございますまたお越しくださいませ。
この日は妻祐子さんの誕生日
娘と誕生日が同じでかつてはケーキが食卓を彩りました
51回目の誕生日です
(鈴の音)うんねぇ…。
大台に…。
震災の前の年に定年を向かえその後康雄さんはバスの運転手になりました
車窓から見える女川の町並みは日々変わり続けます
妻がいた銀行は取り壊され跡地に設けられた祭壇も今はなくなりました
それでもあの日の妻のメールが胸に残ったまま…
う〜んそうですねやっぱり…。
見つけてやりたいなと思ってね。
妻を連れて帰る
いよいよ潜水士として捜索を始めます
もう一人潜水士として海に潜るのは一人娘を捜す父です
え〜実は私の妻が行方不明でいろいろ高橋さんや他のダイバーの方達の力を借りてですね今捜索してるところなんです。
皆さんの力もぜひ貸してほしいと思います。
今日はよろしくお願いします。
(成田さん)成田ですおはようございます寒い中ありがとうございます。
今高松さんも言ってましたけどもうちの娘も女川の七十七銀行で働いててそのまんままだ行方不明の状態なんですけども。
やっぱり親としては何としても捜したいっていう気持ちが強いもんですから。
今日もどうぞよろしくお願いします。
・よろしくお願いします・・よろしくお願いします・
あの日妻をさらって行った海へ
体力が続く限り潜り続けると誓いました
宮城県ではボランティアのダイバーが行方不明者の捜索を続けています
陸の瓦礫が片付いた一方で海の底には震災前の町の面影がいまだ多く眠っています
あの日妻は紺色の制服を着ていました
高松康雄さんは瓦礫の合間をかいくぐりながらその姿を捜します
去年海上保安庁も宮城県の海の中を6回捜索していますが行方不明者は1人も見つかりませんでした
小さな手掛かりでもいい何としても見つけ出す
水温は5度三陸の冬の海では一日2時間の捜索がやっとです
今日も妻を連れて帰れませんでした
海に残された大切な人の生きた証し
最後の妻の姿を思うと気持ちが奮い立ちます
そうですねだんだん時間経つと難しくはなって来ると思いますけど。
まぁ…細く長くですかね。
続けては行きたいと思いますけど。
だんだんね難しくなって来ますけどね。
あなたは今どこにいますか?
揚がってちょうだい。
帰りたいと願う人
帰りを待つ人
家族友人恋人…
東日本大震災から4年
行方不明者2589人
「ただいま」と「おかえり」をもう一度…
あ〜!うぅ…。
重い知的障がいのある自閉症の息子
報道記者の父親がわが子の就活に奔走
そこから見えて来たものとは?
2015/03/09(月) 00:50〜01:45
読売テレビ1
NNNドキュメント「2589 震災4年 あなたは、どこへ」[字]

2589…東日本大震災で、今も行方不明の方の数です。その愛する人を捜し続ける人がいます。震災から丸4年、岩手・宮城・福島の地元局共同で被災地の今を伝えます

詳細情報
番組内容
2589…東日本大震災で、今も行方不明の方の数です。震災から丸4年、被災地では、町の復旧が進む一方で、愛する人が見つからず、次に踏み出せない家族たちがいます。岩手県釜石市で自慢の娘を捜す老いた母。宮城県女川市で、潜水士の資格まで取得して海の中、妻を捜す夫。福島県大熊町で、福島の復興か、不明の7歳の娘の捜索か、選択を迫られた父。岩手・宮城・福島の3つの地元局の共同制作で、被災地の今を伝えます。
出演者
【ナレーター】
松野芳子
制作
テレビ岩手・ミヤギテレビ・福島中央テレビ

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
ステレオ
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