「満月の夕」〜震災が紡いだ歌の20年〜 2015.03.09


その日は満月の夜でした。
余震の不安と寒さに耐える被災地で生まれた歌があります。
(拍手)関西を拠点に20年にわたって活動してきたロックバンドソウル・フラワー・ユニオン。
中川敬さんの代表曲です。
・「焼けあとを包むようにおどす風」・「悲しくてすべてを笑う乾く冬の夕」中川さんが震災直後に見た避難所の光景と被災者の心情をつづりました。
誕生以来東日本大震災を経て日本全国の人の心を捉え続けています。
そういう歌なんですよね。
阪神・淡路大震災から生まれた「満月の夕」。
歌を巡る20年の歳月を見つめました。
マグニチュード7.3の地震が神戸を襲いました。
およそ6,400人もの命を奪った阪神・淡路大震災です。
住まいを失った人々は避難所での生活を余儀なくされました。
そうした人たちに向けボランティアで演奏を行うバンドが現れました。
・「奪い去られし生産を」メンバーの伊丹英子さんは震災当初壊れた家で引きこもるお年寄りの事が気にかかりこの活動を提案しました。
すごく家の中で困ってるんじゃないかなっていうのがまず頭の中によぎって。
どうしても遠慮してしまったり避難所に行っても邪魔になるんじゃないかって言って壊れかけてる家の中にいる人がいるんじゃないかな。
中川敬さんはふだんロックバンドで弾いているギターを三線に持ち替えました。
被災地のお年寄りのために民謡や戦前のはやり歌を歌ったのです。
・「アリランアリランアラーリーヨ」震災からおよそ1か月後に神戸で初めて演奏した日の事でした。
あるおばちゃんが近づいてきて「にいちゃんありがとうな」って。
「あんたの歌う朝鮮民謡『アリラン』やっと泣けたわ『アリラン』で」。
俺あれはすごく忘れられない出来事で。
2月14日この日も中川さんたちは神戸に演奏に行きました。
長田区の南駒栄公園は当時最大級の避難所がありました。
日本人はもとよりベトナム人や在日韓国・朝鮮人などが肩を寄せ合って暮らしていました。
演奏を終えたき火を囲んだ中川さんたちは余震についてのうわさ話を聞きました。
その日は1月17日以来の満月の夜だったのです。
みんながもうほんと口々に…2月15日にねほんと早かった多分30分ぐらいやったんちゃうかな。
ああいう事はほんと珍しいねんけどね。
中川さんは被災地で出会ったつらい経験をしながらも前を向いて生きようとする人の姿を歌詞に描いたのです。
おまけ。
はいおまけ。
ありがとう。
その後中川さんたちの演奏は5年間で200回にも及びました。
障害のある人たちの支援事業を行っています。
震災直後中川さんたちと共に避難所のお年寄りの支援活動を行った代表の…西さんの運営する作業所は震災で大きな被害を受けました。
それでも西さんは作業所の人々と共に避難所で日々炊き出しを行ったのです。
避難所に行きましてね避難所の一角で一人暮らしのお年寄りが身を寄せ合っておびえてるんですよ。
私が行ったらなんとかしてほしいという事で抱きつかんばかりにですね頼んでこられるわけですね。
お年寄りに心安らいでほしいと西さんは中川さんたちに演奏を頼みました。
・「風が吹く港の方から」・「焼けあとを包むようにおどす風」・「悲しくてすべてを笑う」なかなかね震災の状況情景を表現するのは難しいんでねそれをこうああいうふうな感じでまとめて…。
そういうムードがありますね。
西さんの作業所では震災当時の炊き出しがきっかけで地域のお年寄りへの配食サービスを始めました。
それは今も続いています。
調理担当の…避難所で中川さんたちの「満月の夕」を聴きました。
・「風が吹く港の」被災地の人々の心を捉えていった「満月の夕」。
この歌の誕生には中川さんの他にもう一人の人物が関わっていました。
ロックバンドヒートウェイヴを率いる山口洋さん。
山口さんは中川さんと共に「満月の夕」を作曲しました。
1995年。
自身のバンドのアルバムを制作していた山口さんは中川さんの家を訪ね一緒に曲作りを行いました。
「満月の夕」のAメロと呼ばれているところを二人で書いたんですよ。
お互いピッときたものは部屋を分かれて考えに行ってもう1回戻ってきてというような事を2〜3回やって。
これはかなりいい感じだからそのいわゆるサビと呼ばれる「ヤサホーヤ」部分みたいなのはまだなくてお互いに作ったら連絡しようぜでいい方を選択するなり混ぜ合わせるなりしようみたいな話があったんだと思うんですよ。
しかし震災が二人で作っていた新曲の運命を変えました。
・「ヤサホーヤ」中川さんはその曲にサビをつけ「満月の夕」と題して被災地で歌い始めたのです。
だけど状況はこういう状況だったからそれは理解せざるをえない部分もあるわけで…。
でも僕らが作ったものが神戸でおじいちゃんおばあちゃんとかが聴いて少しでもね楽になってるんだったらそれはそれですばらしい事じゃんと僕は思ったので。
そのサビを聴いた時に…しかし山口さんは中川さんの歌詞をそのまま歌う事をためらいました。
そこで山口さんは東京から震災を見ていた自らの思いを書き足してもう一つの「満月の夕」を完成させたのです。
「言葉にいったい何の意味がある」って言われてそれ言うたら終わりやんって確かにそのとおりなんだけど意味ないなと思ったんですよ俺は。
言葉じゃないというか。
頑張ってるやんっていうのは見たら分かるし。
その時にその人たちにかける言葉っていうのは見つからないんですよね。
こうして生まれた二通りの歌詞を持つ「満月の夕」。
その後さまざまなアーティストにカバーされる歌となっていきました。
私大竹しのぶも歌っています。
どんなにつらく悲しい状況でも人間は生きていかなくてはならない。
歌詞の中にある「いのちで笑え」というメッセージに強く心ひかれたからです。
2003年復興が進む神戸で「満月の夕」をカバーした若者たちが現れました。
・「風が吹く港の方から」パンクロックバンドガガガSP。
中川さん山口さんの歌詞を織り交ぜ「満月の夕」を大胆なアレンジで歌いました。
神戸を拠点に活動を続ける…中学生の時に震災に遭い避難所暮らしを体験しました。
机の上に椅子置いたんですよね。
「満月の夕」が生まれた避難所があった場所は前田さんの子供の頃の遊び場でした。
これも子供の時に見た風景まんまですよね。
バンドのメンバーが「満月の夕」をよく聴いていた事がきっかけで前田さんはカバーを思い立ちました。
2003年1月避難所があった公園でライブを行った前田さん。
なんと1万人が集まり「満月の夕」を聴きました。
以来前田さんはこの歌の持つ力を感じるようになりました。
それに対して…震災から時が経過し「満月の夕」はさまざまな人が思いを寄せる歌になっていきました。
神戸市長田区のコミュニティ放送局FMわぃわぃ。
震災当時救援物資や給水所などの情報を伝えました。
代表の日比野純一さんは震災後20年の間にラジオで何度も「満月の夕」を流してきました。
本当に大変な被災をした人たちと共に公園で活動した日々だとかそのあとこの「FMわぃわぃ」というラジオ局をみんなで立ち上げてった日々だとか…。
歌をカバーする中で特別な思いを抱くようになった人もいます。
シンガーソングライターの…「満月の夕」をいち早くカバーしたアーティストです。

(ピアノ)沢さんが震災後5年目にカバーした時の音源です。
当時沢さんは歌のほとんどを声に出す事ができませんでした。
歌えたのはほんの一部だけでした。
・「言葉にいったい何の意味がある乾く冬の夕」沢さんは震災当時ボランティアで現地に歌いに行っていました。
「満月の夕」はその時の記憶を呼び覚ます歌だったのです。
なんでだろうなんでだろうと思ったら…ああ…私の気持ちそのものすぎて…震災から時を経て沢さんはようやく「満月の夕」の全ての歌詞を歌えるようになりました。
・「見渡すながめに言葉もなく」・「行くあてのない怒りだけが」それぞれの人の特別な歌となっていった「満月の夕」。
この歌は更に多くの人に求められる運命をたどったのです。
マグニチュード9の地震と津波で15,000人以上の命が奪われました。
この日以来投稿動画サイトの「満月の夕」は何度も繰り返し再生されました。
震災直後の被災地からの声も寄せられました。
「満月の夕」の二人の作者は東北の地に向かう事を決意しました。
山口さんが向かった先は友人のいた福島県の相馬市。
救援物資を届ける傍ら地元の人たちと共に復興支援プロジェクトを立ち上げました。
福島でたびたびライブを行い「満月の夕」を歌った山口さん。
・「風が吹く港の方から」
(拍手)・「焼け跡を包む様におどす風」実は山口さんは1995年に「満月の夕」を発表して以来積極的にライブで歌おうとはしませんでした。
中川が書いた1番のおかげで・「風が吹く港の方」…。
なんか僕ができる事は情景を観客に中空に描くって事だからそれをやるためにはその気持ちに戻んなきゃいけないから非常にタフな事を毎回やらなきゃいけない。
焼け跡から立ち上がって人が再生していくところを歌いきって何だろうなあ…・「ヤサホーヤ」しかし東日本大震災のあと山口さんは東北で何度も「満月の夕」を歌いました。
・「解き放て生命で笑え満月の夕」山口さんの復興支援プロジェクトのメンバー…震災当時南相馬市の病院の事務を担当していました。
1階のフロアの所を救急の場所にしてそこに患者さんを寝かせてという。
けが人の手当てで混乱する現場に更に衝撃の知らせが届きました。
福島第一原発が爆発したのです。
当時政府から自主避難勧告が出された南相馬市。
放射能を避けておよそ5万人が避難しましたが柚原さんはとどまりました。
南相馬市には原発から20キロ圏内に位置し「避難指示解除準備区域」に指定されている場所があります。
震災から4年近くたつ現在昼間立ち入る事はできても夜間の宿泊は禁止されています。
南相馬市で生まれ育った柚原さんの目に映るのはあの日以来時間が止まった光景です。
もともと音楽が好きだった柚原さん。
震災後すぐに頭の中を「満月の夕」が駆け巡ったといいます。
震災から半年を経て柚原さんはようやく山口さんが歌う「満月の夕」を聴きました。
ただもしかするとそれが…柚原さんは山口さんの誘いで各地のライブツアーに参加。
原発事故のあとも引き続き福島で暮らす不安を語り続けました。
そして去年10月柚原さんと山口さんは山形と福島の子供たちの交流イベントに参加しました。
山口さんは高校生と共に「満月の夕」を演奏しました。
16歳?16と50歳です。
(笑い)・「夕暮れが悲しみの街を包む見渡すながめに言葉もなく」・「行くあてのない怒りだけが胸をあつくする」
(拍手)帆乃佳ちゃんがいやなんかこんなふうにちゃんと高校生が歌を知ってくれててうれしかったです。
だから俺が歌うより今日は…いいでしょなんかね。
「イーヤーサーサー」「イーヤーサーサー」「イーヤーサーサー」「イーヤーサーサー」「イーヤーサーサー」「イーヤーサーサー」
(拍手)「満月の夕」を神戸で歌った…東日本大震災が起きたあと被災地を自分の目で確かめようと東北各地を回りました。
2011年4月。
宮城県女川町を訪れた中川さんは被害状況を見てただ立ち尽くすしかありませんでした。
分かんなくなってるけどこの辺やね。
無言でこの辺ちょっと数人でね歩いてたっていう感じやね。
1時間ぐらいこの辺にいたかな。
みんなでうろうろしながら。
その時中川さんはがれきの中でたまたま見つけたターンテーブルの写真をツイッターに投稿しました。
するとその持ち主から連絡があり中川さんはやりとりをするようになりました。
お〜い久しぶりっす。
お帰りなさいませ。
ターンテーブルの持ち主…かまぼこを作る会社の4代目です。
ターンテーブルがきっかけとなり中川さんと高橋さんの交流が始まりました。
東日本大震災で女川には高さ15mもの津波が押し寄せました。
死者行方不明者は800人を超えました。
高橋さんの自宅も被害を受けました。
ここがれきだらけで建物は形は残ってたんですが…。
勝手口で玄関で…ただいろんなものの流れ込んだものの下になってたんで実際祖父の遺体を見つけたのが3月17日。
震災から1週間後ぐらいですね。
やっと仏さんがじいさんの仏さんが手元に来たっていう感じでね。
地域のためにと祖父が育てたかまぼこ会社は幸い大きな被害を免れました。
工場を再開する事が町の復興につながると高橋さんは考え不眠不休で働きました。
好きな音楽を聴くゆとりは全くありませんでしたがある日車の運転中ふと音楽を聴いてみようと思いました。
そうなんだよねっつってこれなら聴きてえよねっつって。
危ねえっつってコンビニの駐車場に車止めて急いで。
で泣いて声かれてああ疲れたなって思って。
あれ不思議ですよね。
2011年5月。
高橋さんは中川さんに声をかけ女川町で演奏してもらいました。
・「生きていたとはお釈迦さまでも知らぬ仏のお富さん」・「風が吹く港の方から」・「焼けあとを包むようにおどす風」この時中川さんが歌った「満月の夕」の事を高橋さんはほとんど覚えていないと言います。
あの「満月の夕」流れてる時に泣きながら俺は「じいさんじいさん」って言ってたらしいですよ。
横にいた人から言われましたよ。
泣き終わってから。
「ほんとにおじいさんね」言われて俺「じいさん」って言ってたんだって。
全然気がついてない。
「じいさん」って言いながら俺泣いてた…らしいです。
覚えてないそれすら。
泣き終わってから言われましたから。
泣けてきちゃった。
ハハハハッ。
心解き放ったんでしょうあの時に俺は。
「満月の夕」が生まれて20年。
かつて避難所があった小学校を中川さんは再び訪れました。
震災が紡いだ歌「満月の夕」。
今も多くの人の心を解き放ち続けています。
(拍手)「アーリーリーアーサーサー」「ハイヤイーヤーサーサー」「ハイヤイーヤーサーサー」・「ラララララララララララララ」・「ラララララララララララララララ…」
(拍手)
(中川)「満月の夕」!2015/03/09(月) 01:16〜02:05
NHK総合1・神戸
「満月の夕」〜震災が紡いだ歌の20年〜[字][再]

1995年の阪神・淡路大震災を機に生まれた歌『満月の夕(ゆうべ)』。ミュージシャン中川敬・山口洋によって共作された歌が20年間歌い継がれる現場、心の風景を描く。

詳細情報
番組内容
1995年の阪神・淡路大震災を機に生まれた歌、『満月の夕(ゆうべ)』。この歌は、ミュージシャン中川敬、山口洋の2人によって共作された。震災後の20年間、多くのミュージシャンによって日本各地で歌い継がれ3.11以降は東北地方でも歌は広がり、予期せぬ災害で傷ついた人々の心を励まし、癒やし続けている。番組では『満月の夕』が歌い継がれている全国の現場を取材。歌に込められた人々の心の風景を描く。
出演者
【出演】ミュージシャン…中川敬,山口洋,コザック前田,歌手…沢知恵,【語り】大竹しのぶ

ジャンル :
音楽 – その他
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント

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