芸術文化の都として知られる…20世紀を代表する思想が生まれ時代を切り開く人材を排出してきました。
そしてパリには世界各地からさまざまな分野の学問を学びに留学生たちが集まってきます。
そんなパリの一角に2006年に創立された新しい学校があります。
新時代のエコノミストを養成するため国と民間企業が資金を出し合って運営している新しいタイプの高等教育機関です。
創立僅か8年で数々の名門大学と肩を並べ経済学部の国際ランキングで7位に浮上しました。
その創立に関わり初代校長を務めたのが気鋭の経済学者トマ・ピケティ教授です。
ピケティ教授は研究仲間たちと15年以上の歳月を費やし300年にわたる世界各国の税務記録を収集してきました。
これらの膨大なデータを基にピケティ教授は所得と富の格差や資本主義の法則を明らかにしようとしたのです。
「アメリカでは所得の最上位層1%が国全体の総所得の3/3を占有している」。
ピケティ教授のこのリポートが「ウォール街抗議運動」の理論的な支えとなりました。
ピケティ教授の研究の集大成「21世紀の資本」はアメリカで50万部を超えるベストセラーを記録。
今世界15か国以上で翻訳され経済学の本としては異例の反響を呼んでいます。
世界各国に招かれ多忙なピケティ教授。
その合間を縫って学生たちに講義を行っています。
富が富を生み格差が格差を生む現代の資本主義。
不平等の問題にピケティ教授が切り込みます。
経済の事はよく分からないと済ませてしまうのは安易すぎます。
自分の意見を持つべきだし経済の問題を他人任せにしてはいけないのです。
日本は国際的な視点からすると極めて興味深いケースです。
所得や富の分配の問題は日本で将来もっと深刻になるでしょう。
将来のために自分の考えを深め多少の時間を費やしてもこの講義に耳を傾けてもらう価値はあると思います。
第2回のテーマは「所得の不平等について」です。
そもそも所得には働く事で得られる給料や賃金などを指す「労働所得」と株の配当や不動産からの収入などを指す「資本所得」があります。
そしてこの2つを合わせたものを「総所得」と呼びます。
所得の格差はなぜ生まれるのか。
それは歴史的にどのように変化してきたのか。
アメリカフランス日本の例を挙げながら格差の複雑な構図を明らかにします。
今日これから話すのは私たち個人個人の所得や資産の分配の話だ。
私たちは完全に平等な世界に生きているわけではない。
社会全体の格差拡大の傾向は必ずしも常に起こりうるというものではない。
格差拡大が起こるかどうか。
起こるとすればなぜか。
それを理解するために私たちはいわゆる不平等のブラックボックスに入ってゆかねばならない。
だから今日はまず所得格差所得不平等の問題を考えてみよう。
そのあとで資産の所有や資産から得られる所得の問題を考えていこう。
ではまず格差のおよその規模について見ていこう。
格差についての数字を聞いたらそれがどの程度の大きさか妥当な数値かをイメージできる事が大切だ。
所得階層の上位10%がどのくらいの所得のシェアを持っているのか資産ではどの程度のシェアか下位50%の所得層ではどうかといった事だ。
では社会全体の所得や富つまり資本はどんな割合で分配されているか。
まず重要な事は…所得と資本の格差を見ていくためには社会全体を所得の上位層10%その次の中間層40%更に下位層50%という3つのグループに分けてみるとよく分かる。
労働所得で見ると上位10%によるシェアは大体総労働所得の20から30%だ。
けれども資産となると少なくとも50%場合によっては90%のシェアを占めるに至る。
平等な国として知られるスウェーデンでさえ20年前には上位10%が国全体の富総資産の50%を所有していた。
労働所得の分配が最も不平等なアメリカでは上位10%が労働所得の30%から40%を占めている。
しかし資産の分配となると最も平等な国々でさえアメリカの労働所得の分配よりももっと不平等で上位10%ははるかに大きな資産の割合を占めている。
これは歴史を通して見られる共通のパターンと言える。
これほど歴然としている事実はない。
ここから資産の格差が生まれる理論的メカニズムを読み取らなければならない。
上位10%への資産の集中は所得の集中よりもはるかに大きいという事を肝に銘じてほしい。
逆に下位50%は額に汗して得た所得しかないという事だ。
下位50%の層は労働所得全体の20から30%のシェアを占めているにすぎない。
上位10%を除く90%は資産がほとんどなくせいぜい10%以下場合によっては5%にも満たない。
つまり社会の下半分の層は基本的に資産がほぼないに等しい。
今度は「ジニ係数」というものを見てみよう。
ジニ係数の定義を見てみるとそれは0から1までの指数で表され0が完全に平等の状態だ。
みんなに同じだけの労働所得や資産が分配されている状態だね。
それに対して1は完全な不平等を表す。
1人の人が所得もしくは資産の100%を占めている場合が1だ。
ジニ係数の値は労働所得の場合大体0.2から0.4ぐらいで資産の場合だと0.6から0.8になる。
ジニ係数を扱う時に気を付けるべき事がある。
ジニ係数は所得の分配の状態を1つの値で表す事ができるのでとても便利だが実は欠点も大きい。
なぜかというとジニ係数は総合的な指数なので例えばどの階層の所得の変化によって指数が変わったのかという情報が見えなくなってしまいその変化の原因を特定する事が非常に難しいからだ。
ジニ係数だけでは上位と下位とがそれぞれどの程度をシェアしているのかという詳しい状況が分からない。
具体的な事を知られたくない富裕層にとっては都合の悪い事実を隠す隠れみのになる。
ジニ係数という一般的な指数だけで議論するのは注意が必要だ。
少なくとも上位層中間層下位層という3つの区分で所得のシェアを見なければ分からない。
具体的な数字によってデータの信頼度が明確になり国際比較もできるようになる。
10%ごとに区切る十分位のシェアが分かるデータがあるといいね。
もちろん1%ごとに区切る百分位のシェアからジニ係数を算出する事もできるよ。
しかしジニ係数に頼るだけでは不十分だ。
本当に一国の不平等を計測するためには納税申告の記録や財政統計といった精度の高いデータだけでなくそれに加えて自己申告による家計調査などの不完全なデータも取り入れて計測を行わなければならない。
しかし注意すべき事が一つある。
所得上位層は自分たちの所得を正確に申告しないという事も考慮しないといけない。
所得上位層のシェアについて見る場合には今言ったデータ以外にもさまざまな雑誌が扱う長者番付や財務データなどが役に立つ。
こうしたものを全て合わせ活用しなければ彼らの本当のシェアは分からないという事だ。
最上位1%や2%の人々を見る場合には家計調査によるジニ係数だけでなくそうした上位集中が分かるデータをも勘案してシェアを求める方法が必要だ。
ジニ係数だけでは残念ながら最も資産を持っている富裕層がさほど裕福に見えてこない。
その富裕層が月にいくら得るのか公表する調査があるが信頼できないね。
だから他のデータでそこを補う必要がある。
家計調査のデータがもう必要ないと言っているのではない。
それは今でも役に立つが家計調査と他のデータとを合わせてより正確な不平等の推計を行う事が大切なんだ。
所得もそうだが資産についてはより深刻だ。
上位層の資産保有は驚くほど小さくしか出てこない。
この表は労働所得の不平等の大きさをさまざまな場所と時間に分けてまとめたものだ。
これはおよその数字を示したものでこれを見れば不平等の大体の規模が分かるはずだ。
さてここで社会全体をいくつかのグループに分けてみよう。
専門的な定義では「上位10%」といった呼び方をするがここでは便宜的に所得上位10%を「上位層」下位50%を「下位層」中間の40%を「中間層」とそれぞれ呼ぶ事にしよう。
国際比較を行う時には定義をそろえる事が重要だ。
所得階層を3つのグループに分ける事で研究が便利になる点は話す言葉も全く違い成り立ちも異なる社会を比較する事ができるという事だ。
十分位百分位といった区分はどの国にも当てはめられるし歴史的地理的な比較が可能になる。
ここでは更に十分位つまり上位10%を最上位の1%とそれ以外の9%に分けている。
格差の低い国を見てみよう。
1980年ないし1985年のスウェーデン1970年代および80年代のスカンジナビア諸国がそうだ。
上位層の所得シェアは20%くらいで下位層が35%中間層が45%といったところだ。
所得不平等の最も低い社会では上位層が労働所得全体の20%程度を占めていて中間層が45%下位層が30から35%を占めている。
その場合のジニ係数はとても低く0.19ぐらいだね。
所得不平等が中程度の国つまり今日のヨーロッパ諸国では上位層は労働所得全体の25%下位層が30%を占めている。
そして現在のアメリカのような不平等の大きな国では上位層が占める割合は35%で下位層は僅か25%ほどだ。
これは不平等が更に進んだ国での仮説としてのケースだがアメリカのここ数十年間の不平等化の傾向が続けば2030年にはそうなりかねないという例だね。
必ずこうなるというわけではないけど現在の傾向が続けばそうなるね。
このどのレベルの社会に属するかによって購買力生活水準所得水準に関して大きな違いを生むという事を理解する事が大切だ。
基本的に国によって事情が大きく異なる。
こちらは下位50%が上位10%のシェアの倍を占めている。
つまり上位10%は下位50%の倍ではなく半分にすぎない。
だがこちらの不平等が著しい国はその逆だ。
だから20%対35%35%対25%数字で見ると小さな違いに見えるかもしれないけれど実際には現実的な生活水準や集団の経済的支配力といった意味で違いは大きい。
ジニ係数と所得上位層のシェアとは関係があるのでしょうか?関係あるね。
上位層のシェアが上昇すればジニ係数も増加するし下位所得層のシェアが高まればジニ係数は低下する。
ただ同じジニ係数であっても例えば0.36という高いジニ係数の社会で上位層が45から50%を占めていて中間層と下位層が同じ程度のシェアの場合には中間層と下位層には不平等がない。
事実上中間層がない状態になる。
つまり上位層が大きなシェアを占め上位層以外は平等という同じジニ係数でも全く違った意味を持つ事になる。
では資産の分配がどのような数字であるかを見てみよう。
この表に示されているのが資産分配のケースだ。
上位層が労働所得よりも大きなシェアつまり占有率を持っている事が分かるね。
1970年代80年代のスカンジナビア諸国でも50%だ。
現在のヨーロッパ諸国は60%アメリカは70%かそれ以上だがこれについては後で見てみよう。
最近の研究ではアメリカの上位層の資産占有率は73%から75%に近いと言われていて70%を超えている。
不平等の著しいケースでは70%の資産が上位層に集中している。
しかし既に見たいくつかの国と比べて極端とは言えない。
こうした不平等の状態はいつの時代にも見られる事だ。
どうぞ。
(学生)その資産格差は課税前のシェアですか?そう課税前だ。
この問題を考える際に重要な事がある。
どのデータでも共通している事は少なくとも第一次世界大戦以前の資産の集中は極端に大きかったという事だ。
上位層が資産全体の90%を占めている事も珍しくなかった。
そのような社会では事実上中間層というのは存在していなかった。
1910年のフランスやイギリスその他のヨーロッパ諸国がそうだった。
上位層が総資産の90%を占めていて中間層は下位層と同じ極めて低いシェアだった。
要するに中間層が存在しなかったという事だ。
中間層40%の人々も下位50%の人々と同じぐらい貧しかったという事だ。
つまり資産の所有格差というものは極端に集中しがちでかつてほどではないにせよ今日でも労働所得の格差よりもはるかに大きい。
では総所得の不平等について簡単に見ていこう。
総所得とはこれまで見てきた労働所得と資本所得を合わせたものだ。
これは多少複雑で総所得の不平等は労働所得資本所得この両者の不平等の相関関係によるものだ。
この関係はしばしば一致しない事がある。
労働所得の高い人が資産は僅かしか持っていないあるいは逆に資産はあるが労働所得が少ないケースもある。
こうした関係によって不平等のレベルもさまざま異なるものとなる。
現在のアメリカと100年前のヨーロッパ諸国は上位10%が総所得の50%を占めていた。
けれども不平等の原因はそれぞれ全く異なる。
今日のアメリカでは労働所得の格差に不平等の原因があるのに対してかつてのヨーロッパでは極端な資産の格差が不平等の原因だった。
1910年のヨーロッパの労働所得の格差は現在のアメリカほどではなかった。
なんといっても資産格差が圧倒的だった。
不平等が高まる理由は国によって異なる。
労働による所得の格差も資産の格差も両方とも強まるという事もありうるとは思うがこれまではそういう事はなかった。
今後はどうなるか分からないけどね。
次に不平等の歴史的変化について話を進めていこう。
まずその前に説明したい事がある。
ある人がどの所得シェアのグループに属しているかが分かればその人の実際の所得が何ユーロかが簡単に算出できる方法があるという事だ。
もし最上位1%が総所得の5%を保有していた場合を考えよう。
そうするとこのグループの平均所得は一体どのくらいになるだろうか?例を挙げると…単純な計算だよ。
誰か分かる?そうだね!なぜかというと2,000ユーロの5倍だからだ。
なぜ2,000ユーロを5倍するかというと最上位1%の所得シェアが5%という事はこの人たちの所得は平均的な賃金の5倍だからだ。
このグループの賃金は社会全体の平均賃金に5を掛けたものだ。
簡単だがとても重要な方法だ。
資産の不平等についても同じようにして計算できる。
現在の平均資産が20万ユーロかそれを少し下回る程度だとする。
平均資産が20万ユーロだとするとこの層はいくらの資産を持っている事になるだろう?そのとおり。
下位50%の資産シェアが5%という事は彼らの平均資産は社会全体の平均の10分の1という事だ。
人口全体の平均資産が20万ユーロなので下位50%の資産の平均は2万ユーロという事になる。
さすがにゼロではないわけだ。
でもこれはあくまで平均なのでもちろんそれより僅かしか資産がない人もいる。
1,000ユーロだとか2,000ユーロだとか借金がある場合にはマイナスだとかね。
例えば住宅の形で保有している場合その住宅が20万ユーロの価値でローンが18万ユーロあれば純資産は2万ユーロになるね。
2万ユーロは確かにゼロではないけれど社会全体の平均資産と比べるととても僅かだ。
もしも最上位1%が35%の資産を持っていれば?そうだね。
このようにシェアの数字を具体的な資産や所得の金額に当てはめてみる事が重要だ。
自分がどのくらいの所得の分配を得られる層にいるのかを知る事は経済学者にとってだけでなく誰にとっても意味がある。
さまざまな階層がそれぞれ総資産のどの程度を保有しているか具体的に把握する事が大切だ。
こうした単純な計算方法を使えば保有シェアを聞くだけでそれがどの程度の所得や資産を持っているかがよく分かる。
さてこれまでのところで大枠の認識ができたと思うが次は不平等の歴史的変化についての基本的事実に移りたいと思う。
これについてはまずヨーロッパ日本それとアメリカのパターンを見ていこう。
どんなパターンかというとフランスあるいはヨーロッパのいくつかの国と日本は長期的に見て労働所得の不平等が同じように推移した地域であったという事だ。
20世紀に生じた全体的な不平等の縮小の大半は資産所有の不平等が小さくなった事によるものだ。
特に資産分配の点で中間層に起こった大転換がそうだ。
そもそもこれらの国では上位層が90%の資産を保有するという意味で中間層は事実上存在しなかった。
それが今や上位10%のシェアは60%から場合によっては50%にまで減少している。
これは上位層より下の特に中間層が一定の資産を保有するようになったという事だ。
下位50%は依然としてゼロに近い。
先ほどの例で見たように下位50%が5%の資産を保有するという事は平均して2万ユーロの資産だがそれが5%ではなく1%となると僅か4,000ユーロしか持たない事になる。
長期的に見た資産分配の一番大きな変化は資産のかなりの部分が上位層から中間層に移動する事によって格差が縮小したという事だ。
下位50%のシェアは絶対的に見るとさほど増えなかったが相対的に見れば僅かながら増加した。
しかしそのシェアはおよそ5%ほどと依然ごく僅かだ。
資産格差が緩和され最大の恩恵を被ったのは中間層だった。
彼らは100年前と比べてはるかにリッチになったわけだ。
私が考えようとした大きなテーマの一つは中間層のシェアは今後も増大するかあるいは減少するのかという事だった。
さてかつてのアメリカは資産所有の不平等がヨーロッパほど大きくはなかった。
資産については後で触れる事にし今日は主に労働所得について見ていく。
19世紀のアメリカの比較的平等な資産分配はある意味で新天地フロンティアがもたらしたものだ。
誰でも少しずつの土地を持つ事ができるという状況が平等な資産分配を実現させた。
土地が数世代数世紀にわたって大規模に世襲されたヨーロッパとは大きく異なる。
もちろん資産が比較的平等だったといってもそれは白人のアメリカ人の間での事だ。
奴隷制度のあった時代白人に所有されていた黒人にはもちろん当てはまらない。
奴隷制とはある人々が他の人々を物のように所有する事で資本所有の極めて極端な形態だ。
19世紀のアメリカの不平等を論じる時には平等なアメリカと奴隷制を持つ不平等なアメリカの二つの側面を見る必要がある。
今奴隷制の問題を除外して考えても100年前のアメリカの資産保有の規模は当時のヨーロッパと比べて決して大きくはなかった。
富と所得の格差もヨーロッパの方がはるかに大きかった。
私たちフランス人はアメリカは常にヨーロッパより不平等な国と思いがちだがそれは違う。
100年前は今とは全く逆でそれには理由もあった。
近年労働所得の格差がアメリカで極めて高い水準に上昇しており特に最上位層のシェアの急増は顕著だ。
ここで考えなければならない問題はこれがなぜ起こっているかという事だ。
私も完全な答えを用意しているわけではないし完全な答えを出した人もいなかった。
我々にできる事はさまざまな正しいと思われる仮説を提示する事だ。
確かに従来の研究はそれなりに重要なメカニズムを明らかにしてきた。
けれども私はそれで十分とは思わなかったしこの問題の研究をより一層深めるべきだと思っている。
次に移ろう。
このグラフはフランスの例だ。
1910年から100年間のフランスにおける不平等を対比させたものだ。
上位10%の総所得に占めるシェアと労働所得に占めるシェアとの差が歴然と分かる。
この2つはどう違うかというと資本所得が入っているかどうかだ。
総所得はその大半が賃金である労働所得と利子や配当などからなる資本所得によって構成されている。
フランスでは総所得の不平等は長期的に減少したがそれは何よりもまず上位層の保有する資本所得が減少した事によるものだ。
労働所得の不平等については長期的にそう大きくは変化していない。
上位層10%の所得シェアは常におよそ25%くらいだね。
…とはいえ多少の変動はあった。
1968年から83年まで最低賃金が大幅に引き上げられた。
この時期にフランスに住んだ人はお金持ちの所得の上昇率よりも最低賃金の上昇率の方が早く上昇するという異例の事態を目の当たりにできたわけだ。
1930年から35年を見てみよう。
この時期に何が起こったか。
とても複雑な時代だ。
そこで起こった事を見るために上位10%を更に最上位1%とそれ以下の9%とに分けてみる必要がある。
2つの違った変化がある事が分かるね。
最上位1%のシェアはこの時期に大恐慌のあおりを食って減少した。
それまで配当を受け取っていた人たちがそれを失った。
彼らのシェアは激減。
でもこのグラフにもあるようにシェアはなぜ上昇しているのだろう。
最上位1%に入らない残りの9%の人々はもともと配当による収入は少なく賃貸収入やそれなりの報酬を得ていた人たちだ。
主に公務員工場のエンジニアなどだったんだ。
こうした人々にとっては大恐慌のデフレはむしろ有利に作用した。
失業と賃金の減少とで経済活動の全体的水準は1930年から35年の間に約30%低下した。
この事は職を失わなかった上位層のシェアが相対的に高まる事を意味した。
細かくなったけどこうした数値の背後にあるものを覚えておいてほしい。
それぞれの歴史にはそれぞれ具体的なストーリーがあるんだ。
ここで日本の場合を見てみましょう。
日本の最上位1%への所得集中はフランスなど大陸ヨーロッパ諸国と同じように比較的穏やかでした。
しかし1980年代以降徐々に上位1%への所得集中度は高まる傾向にあります。
所得の変化やその性質を理解しようと思えばそれぞれの所得グループの構成をよく理解する必要がある。
これは1932年のデータだが上位10%を更に細かく分けてみた。
これが上位10%の下半分だ。
その上に4%があり最上位の1%がそのまた上にある。
10%のうちのこれらの部分の人々はそれぞれの立場によって経済的社会的政治的に違った見方をする。
下位5%は1932年当時も今もその所得の大半は労働所得要するに賃金だ。
ずっと上の方に行くと労働所得はだんだんと比率を下げ資本所得が重要になる。
納税記録によって私たちはこうした精密な分析を得る事ができる。
それは家計調査からはうかがい知れない全ての納税者の包括的なデータだからね。
家計調査はサンプルが十分でなく自主申告制なので富裕層は正直には答えていない。
なのでこうしたグラフを作るためには行政による包括的なデータが必要だ。
この2005年のグラフを見てほしい。
また同じようなグラフだが資本所得のシェアが上昇し労働所得のシェアが低下している。
これは極めて一般的な形でどこの国にも当てはまる。
そしてここに所得の3つ目のカテゴリーがあってこれを「混合所得」と呼んでいる。
混合所得とはいわば自営業所得の事だ。
なぜ混合かといえばそれは部分的には労働所得であるし部分的には資本所得だからだ。
例えば医師の所得は一部は人的資本投資から得た収益でありその意味では労働所得だ。
だがその他に医療機器という非人的資本投資に対する収益もありその意味においては資本所得だ。
その区分が困難なので独自に扱っている。
典型的な例で言えば医師や弁護士比較的小さな商店などの小規模経営は大体そうだがたとえ大きな企業でも所有と経営が分離していない場合はこれに当てはまる。
オーナーと経営者が同一人物で所得に配当と賃金といった区別がないそれがつまり混合所得だ。
もしもあなたが最上位1%の人たちと同じようなお金持ちになりたいと考えているなら月に2万から5万ユーロ稼ぐような例えば医師や弁護士になるというのは悪い選択ではないかもしれない。
けれども本当の上位層に入り込むためにはやはり資産が必要だ。
これによって配当収入などを得られるよう戦略を考えるべきだ。
このグラフが示すのもそうで所得の形態的な違いは所得の水準と密接に関連している。
どうぞ。
課税後所得になるとどう違いますか?資本所得の課税が少なければあまり違いはないのでしょうか?確かに全体的な曲線の形は大きくは変わらないがあなたが言うように多少の変化は見られるだろう。
それは時とともに変化は大きくなる。
長い間資本所得は労働所得よりも重く課税されていた。
所得税が作られた時には資本所得は労働所得よりも重く課税されていた。
今では各国の課税競争などで逆の傾向が強まっている。
実際課税後のシェアでは労働所得の方が高いだろう。
2年前の税制改革で変化はありましたか?ここでは歴史の話はしてきたが最近の事はあまり話さなかった。
だけど大きな変化が起こっているとは思えないね。
上位の資本所得の多くはキャピタル・ゲインでこの2年間の制度改革でそれが影響を受けたとは言えないからね。
変化があるとすれば新たな課税制度は2012年の制度改革の前よりもキャピタル・ゲインに対する課税が寛大だという事だろう。
ではアメリカの上位層の総所得のシェアを見てみよう。
これにフランスの場合を重ねると違う点に気が付くよね。
アメリカでは総所得の不平等が20世紀前半に減少している事が分かる。
大きく違うのはフランスはこの時期全体を通じて変化が少ないという事だ。
最後の部分で少し上がっているが長期的に見れば一定だった事を示している。
それに対してアメリカは所得の不平等が極めて急速に拡大している。
曲線は2つある。
キャピタル・ゲインを含むものとそうでないものだ。
「キャピタル・ゲイン」とは例えば株を買った時よりも株式市場で高く売れた時のその差額を指す。
ではストックオプションの場合はどうか。
見てみよう。
「ストックオプション」とはあなたが企業の経営者だった場合に報酬として自社株の購入権を与えられるという事だ。
例えば今の株価が一株100ドルで購入権も100ドルだとしよう。
もしも株価が200ドルに上がった時にその購入権を行使するとあなたはその株を100ドルで購入できる。
それを売却すれば一株当たり100ドルのキャピタル・ゲインを得られるというわけだ。
しかしアメリカでは税法上これはキャピタル・ゲインではなく労働所得と見なされる。
ストックオプションは経営者として働いた報酬として与えられるからだ。
キャピタル・ゲインには周期的な変動がある。
2000年と2001年の株の暴落。
インターネットバブルの第二次崩壊で株価は大暴落を起こした。
これはもちろん2008年のリーマンショック。
この時は株式市場が大暴落しキャピタル・ゲインを得られるような状況ではなかった。
これがこうした時期にキャピタル・ゲインが小さかった理由だ。
逆に2000年や2007年のブームの時期はキャピタル・ゲインが大きく膨らむ。
ここで最も重要なメッセージは株式市場の周期的な変動は所得分配の点で短期的な変動をもたらすが長期のトレンドには影響を与えない。
ではこの上位10%の総所得を表したグラフを細かく見よう。
この黄色が所得トップ1%そして緑がそれに次ぐ4%の層青は残りの5%だ。
トップ1%の2010年の年収は35万2,000ドル以上だ。
上位10%は10万8,000ドル以上だ。
上位5%は15万ドル以上だ。
だからおよそ10万ドル15万ドル35万ドルだ。
総所得に占めるシェアはどれも大きい。
10万ドルから15万ドルというとアメリカの経済学部の教授並みの所得だ。
もっと稼いでる先生は年収15万から30万ドルかもしれない。
所得シェアは非常に大きくしかもそれが年々増加している。
つまりこの階層の所得はアメリカの平均所得の増加よりも早く増加しているという事だ。
これはいろいろな事を教えてくれる。
彼らの世界観にもさまざまな影響を及ぼしているだろう。
だって自分の所得が平均より早く増加すれば気分がいいはずだよね。
「経済は能力や技能があるものにはちゃんと報いてくれるのだ」と思ったりして。
自分が生み出す価値によって所得が決まるという経済学の理論を信じたくなるのも無理はないかもね。
所得がどう分配されるのかを考えるのが仕事の経済学者でも自分自身の所得によって考えは左右されるものだ。
実際は経済学者たちはかなりいい生活を送っているがその上の層は更にリッチだ。
35万ドル以上の所得の人々は人口の1%を占め緑は人口の4%青は5%となっているがトップ1%の人々の所得は以前と比べても増えていて今では約25%の所得を占めている。
この最上位1%の所得のシェアはずっと増え続けている。
驚くべき事に上位10%の所得が上昇したと言っても実はその大部分は最上位1%の所得の増加によってもたらされたものだという事だ。
さてこれは上位層の総所得と労働所得のシェアを分解したものだ。
フランスでは上位の労働所得は長期的に安定していて所得格差の縮小はもっぱら上位の資本所得が減った事によるものだった。
アメリカの事情はフランスとはだいぶ異なる。
この数十年間で上位層は労働所得も大きく伸ばしている。
アメリカでも上位層の資本所得の増加はもちろん重要だが近年の格差拡大の要因のほとんどは上位層10%更には最上位層1%の労働所得のシェアの増加によるものだ。
最上位1%に着目する事だ。
この最後の方では現代に近づくにつれ最上位1%の労働所得のシェアと資本所得シェアの差はほぼ同じ割合に近づく。
少なくともその差が過去に比べて小さい。
これは上位所得層に超高額の報酬を稼ぐ人たちが増えているという実情を反映している。
ここで1929年の上位所得の構成を見てみよう。
上位層を見ると資本所得が労働所得を上回るという一般的な形を示している。
これは極めて特徴的だ。
上位5%から10%の人々は労働所得が60%を占めている。
0.01%以上の人々のシェアは10%だ。
これは1929年だが既に上位10%にはさまざまな所得階層が存在している。
その動きを理解するために再び内部構成に分け入ってみよう。
これは2007年のものだが上位層ほど資本所得の割合が大きい。
しかし資本所得が労働所得を上回るのは超富裕層0.1%の人々の現象だ。
上位層ほど資本所得の割合が大きいが資本所得が労働所得を上回るのは1929年ではトップ1%や0.5%以上で既に見られた事だ。
ところが2007年には最上位0.1%あるいは0.01%という超富裕層までいかないと資本所得の割合が労働所得を上回る実態は見られない。
トップ1%とか0.1%と言うと小さいグループだと思うかもしれないがこれは誤った認識だ。
1%というのは実は大きい数字だ。
それはフランス革命の時代の貴族の階級の規模でもある。
貴族階級は人口のほぼ1%から1.5%だった。
この重要性を見逃してはいけない。
社会を組織する上で1%という数字は大きな意味を持つ。
人口3億人のアメリカで1%と言えば300万人にも相当し彼らは政治にも影響力を持つ。
更にその上の超富裕層0.1%や0.01%の人々ならなおさらの事だ。
こうしたグループの人々は数は少なくともその影響力は計り知れないものがあるのだから。
さてそろそろ時間だ。
次回は不平等と教育の問題を見ていこう。
2015/03/09(月) 01:10〜02:05
NHKEテレ1大阪
パリ白熱教室・選 第2回「所得不平等の構図〜なぜ格差は拡大するのか〜」[二][字]
ピケティ教授がひも解く21世紀の資本主義。人口のわずか1割が国の富全体の9割を所有した20世紀初頭のヨーロッパ。格差はなぜ生まれるのか、その真の姿を明らかにする
詳細情報
番組内容
トマ・ピケティ教授が紐解く21世紀の資本主義。第2回のテーマは所得の不平等について。人口のわずか10パーセントの人々が国の富全体の90パーセントを所有した20世紀初頭のヨーロッパ。では21世紀の今、所得上位層10パーセントはどのくらいの所得のシェアを持っているのか。所得の格差はなぜ拡大するのか。それは歴史的にどう変化してきたのか。アメリカ、フランス、日本の例を挙げながら不平等の構図を明らかにする。
出演者
【出演】パリ経済学校教授…トマ・ピケティ
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
趣味/教育 – その他
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
英語
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32721(0x7FD1)
TransportStreamID:32721(0x7FD1)
ServiceID:2056(0x0808)
EventID:21697(0x54C1)