4年前津波に流された沿岸部。
ゼロからつくり直す町の形が見えてきました。
宮城県女川町です。
今月21日ようやく鉄道が再開します。
被災地全体で91%が復旧。
少しずつ震災前の姿が戻ってきています。
震災で1万2,000社余りの企業が被害を受けました。
今その74%が業務を再開しています。
(拍手)震災から4年。
暮らしの復興はどこまで進んだのか。
私たちは大学と共同でアンケートを行いました。
岩手宮城福島の5万5,000人に配布し1万人余りから回答を得ました。
すると表からは見えない深刻な実態が浮かび上がってきました。
(堤)「先が見えない。
いつまで続くのか出口がない。
でも4年も経過した。
何も変わらない。
いつまで被災者なのかずっと『どうなるのだろう』で過ごしてきて疲れた。
仮設にいるのも心苦しく思うが行き先がない」。
「震災前と違って自分の将来が全く見えてきません。
公共事業や企業の復興は見えますが被災地の住民個々の復興は全く進んでいません。
年月がたつにつれて個々の経済力体力精神力は衰えていき元の生活を取り戻す事が難しくなっていく現実を見てほしいです」。
全壊した自宅と会社を再建した夫婦です。
震災前より収入が大幅に減り多額のローンが負担になっています。
ただいま。
お帰り。
震災をきっかけに離婚し一人で小学生の娘を育てている女性です。
思うような仕事が見つからず毎日がギリギリの生活。
それなのに「いつまで被災者づらしているんだ」と言われ心を痛めています。
震災から4年。
なぜ一人一人が復興を実感できないのか。
1万人の声が明らかにする現実です。
東日本大震災から間もなく4年。
国は震災から5年間を集中復興期間として総力を挙げて復興に取り組むとしています。
残すところ1年となりました。
震災直後津波で家を失うなどして避難した人は47万人。
それから4年の間に自宅を再建したり災害公営住宅に入居したりした人はいますが今もなお23万人が避難を余儀なくされています。
このうちプレハブの仮設住宅には8万5,000人近く。
また自治体が民間の賃貸住宅などを借り上げるいわゆるみなし仮設にはおよそ12万人がいて今も不自由な生活を送っています。
こうした被災者一人一人は今どのような状況に置かれているのか。
今回私たちは早稲田大学と共同で大規模なアンケートを行い岩手宮城福島の1万人を超える人たちから回答を得ました。
質問は住まいや家計仕事の状況健康状態や家族関係など100近い項目に上っています。
まずアンケートから見えてきたのは暮らしの復興が思うように進んでいないという現実でした。
現在の経済状況を尋ねたところ「とても困っている」「少し困っている」を合わせますと68%3人に2人が困っていると答えました。
暮らしの基盤となる住まいについては「非常に不満」「多少不満」を合わせると58%が不満だと答えています。
なぜ震災から4年たつのに一人一人の暮らしは思うように復興していないのか。
最大の被害を出した宮城県石巻市を取材しました。
4,000人が犠牲となり2万棟以上の住宅が全壊した石巻市です。
(拍手)住まいの整備がようやく本格化しています。
すばらしい。
被災者向けの賃貸住宅災害公営住宅は今年度中に1,000戸が完成します。
内陸につくられるニュータウン。
自力で家を再建する人への宅地の分譲も始まっています。
頑張って!一方で今も仮設住宅ではピーク時の1/41万3,000人が避難生活を余儀なくされています。
阪神・淡路大震災では4年の間に9割の人が仮設から出て5年目までに避難生活は解消しました。
一方東日本大震災では被災地全体でいまだ7割の人が出られません。
土地の取得や造成に時間がかかっているため全ての人が出られるのは早くても4年後とされています。
時がたつにつれて問題となってきたのが仮設住宅の環境の悪化です。
カビの生えた天井。
傾いた床。
ここに布団を敷いてこうして寝てるんです。
1万人のアンケートには長引く避難生活に追い詰められているという悲鳴が数多く記されていました。
(堤)「長く仮設に住んでいると心が疲れてきます。
そして病気になり弱くなっています。
震災後は家族で体調を崩す事が多くなりました。
受験生の勉強する場所がありません。
子どもたちが集中できる居場所がないと家族は心が痛みながら生活しています」。
「仮設生活が長くなりいろんな病気が増えてきている。
自殺しても不思議ではないと思う。
電話も全て聞こえる。
聞かれる。
家族のけんかが多い。
寝ても疲れが取れない。
狭すぎて横にもなれない」。
仮設暮らしから抜け出せない住民たち。
中でも高齢者の割合が高く宮城県では44%になっています。
今の心境を詩につづった88歳の女性がいました。
(夏木)「とぶにとべない母子鳥せまいねぐらにひざよせて」。
詩を書いた遠藤きぬこさんです。
娘の和子さんと年金など月10万円足らずで生活しています。
住み慣れた一軒家は全壊。
災害公営住宅への入居を希望していますが入れるまでにまだ時間がかかります。
仮設暮らしで体の衰えが進んでいます。
出歩く事が減ったきぬこさんは支えなしでは歩けなくなりました。
和子さんも母の介助で腰を痛め台所に立つのもつらくなっています。
・車来ました〜。
(和子)はい。
日々の生活は住民同士の支え合いでなんとか成り立っています。
(裕昭)大丈夫?同じ仮設団地の自治会長です。
足の悪い人やバス代にも困っている人など月に延べ80人を病院やスーパーまで送り迎えしています。
夜寝る前きぬこさんが必ずする事があります。
娘の和子さんと互いの手首をひもで結んで寝るのです。
こうやって。
こう引っ張られっから。
夜中急に具合が悪くなった時互いに助けを呼べるようにしているのです。
きぬこさんが日々の思いをつづった手帳があります。
アンケートに寄せた詩も書き留められていました。
ごめんなさい…。
もともと仮設住宅の入居期間は2年でしたが年々延長されてきました。
それが健康にも影響を及ぼしている事がアンケートから明らかになりました。
高血圧など震災前の持病が悪化した人は3人に1人。
震災後新たに病気にかかった人は4割に上っています。
運動不足やストレスを原因とするものが上位を占めています。
一方自宅の再建を果たした人の中にも苦しい胸のうちをアンケートにつづる人がいました。
石巻市のある夫婦の声です。
(夏木)「自宅を再建できたからといって暮らしが楽になる訳でも幸せが空から降ってくる訳でもなく収入が減り借金が増え将来への不安はどんどん大きくなります」。
(堤)「これからどうなるか分からずただ時が過ぎていくばかり。
立ち止まればいろいろ悪い事ばかり考えてしまいます」。
はいどうも。
どうぞ。
夫の…震災の翌年高台に土地を購入し家を新築しました。
そのために2,300万円の住宅ローンを組みました。
2人の子どもが落ち着いて暮らせる環境を取り戻したいと考えての事でした。
萱場さんは夫婦で会社を営んでいます。
おいしょ。
水産加工会社や漁師に資材を卸す仕事です。
津波で全壊しましたが早く元の暮らしに戻りたいと1年後に再建しました。
以上になります。
はい分かりました。
しかし生活の支えとなるはずだった会社の経営は厳しいままです。
会社の再建資金として借りたお金。
震災の特例で返済を猶予されていますが3年後から返していく必要があります。
(幹夫)明日。
え?資金繰りに追われる日々。
取引先の多くも再建の途上で会社の売り上げはまだ震災前の3割です。
…って思ってるんですけど。
(取材者)萓場さんとしては?アンケートからは今なお多くの人が経済的に苦しんでいる実情が浮き彫りになりました。
仕事を持つ人に世帯収入の変化について尋ねたところ震災前より収入が減ったと答えた人は42%に上りました。
年収が200万円に満たない世帯は震災前全体の22%でしたが4年後の今38%に増加しています。
「私たちだけではないのは十分分かってはいますが家も無くなり仕事もなくなり震災前の収入の半分になりその日暮らしになりました」。
「朝になるとまた目が覚めてああまた今日も生活しなければなと思います。
心の中では生かされた命なんだから一日一日大切に生きなければと思う反面生きているのが本当につらいです」。
「津波でこれまで生きてきたもの全てを無くしあるのは命だけ。
生活が変わり仕事をしていますが収入が少なく不安が消えずまだあの黒い波に追われているように感じます。
復興で周りが変わり3・11は遠くなって行きますが自分の心はあの時のまんま…」。
(夏木)「本当の声を誰が聞いてくれるのでしょうか?」。
ここからはお二人の方と話を進めていきたいと思います。
元総務大臣で岩手県知事も務めた増田也さん。
それから阪神・淡路大震災のあと被災者の心のケアに取り組み東日本大震災の被災地でも活動していらっしゃる兵庫県こころのケアセンターセンター長の加藤寛さん。
今日はよろしくお願い致します。
(2人)よろしくお願いします。
震災から4年がたちましたがまずこの現状ですねどのようにご覧になってるのかまず増田さんいかがでしょうか?仕事の場とそれから住まいが一体となってる地域なんですがあの沿岸地域は。
全部津波で流されてしまったと。
住まい再建するだけじゃなくて併せて仕事をどうするかという事を両方を考えなければいけないんでそれだけすごく時間がかかってると。
その間にどんどんどんどん心が…疲れていってしまうと。
こういう状況じゃないかと思いますね。
やはり阪神の時とどうしても比べてしまうんですけども阪神の時の4年目っていうのはある程度仮設の解消をしかけていまして地域も復興が見えてきていた訳ですけども東北の場合にはまず安全な土地を確保しなきゃいけないというところから始まってますのでなかなか復興っていう姿が見えていないっていうような状況を感じます。
加藤さん阪神・淡路大震災の時と比べてこの仮設の人々の状況どのようにご覧になりますか?4年間たったって事は4歳年を取ったって事ですよね。
だからもともと高齢化率が高い地域な訳ですから皆さんが年を取っちゃってなかなか健康面での問題もいろいろ出てきていてとてもそういったところが生活全体の苦しさを増強してるんだというふうに言えると思います。
コミュニティーの事考えると力のある方からどうしても再建されて出ていかれるという状況になってしまいます。
そうするとやっぱりなかなか再建できない方が残ってしまわれてそのコミュニティーの全体の力も落ちていってしまうという事になっていくと思います。
震災後の収入の状況なんですが収入が震災後減ったという方が42%いらっしゃる訳ですね。
かなりの深刻な数字だと思うんですけども…。
4年たちましたのでせめてやはり震災前と同じぐらいにやっぱり戻ってないといけないそういう時間じゃないかと思いますね。
恐らく相当借金をしてそれで自力再建をしたという将来に向けてのいろんな計算をされてその中には当然この時期になれば収入もね元に…ほぼ同じぐらい戻ってるという計算でやられているでしょうからそれが全然外れますとやっぱり結局外出ていかざるをえないという事になってしまうと思いますね。
なおさらこの被災地から人口が減ってって残るのはお年寄りだけになってしまうと。
結局最終的にはそこの地域で町をですね町っていうのは仕事の場とそれから生活の場を含めた町をやっぱり残したいといってそれに向けてこういう支援をすれば町が残るんだというそこを何か探し出してそれで新しい支援の仕組みを考えるって事が必要になると思いますね。
はい分かりました。
さて暮らしを立て直すには何よりも地域経済の復興が欠かせません。
国は震災後地域経済を支える産業を復興させようとさまざまな支援策を打ち出してまいりました。
しかしながらよくなる兆しはなかなか見えておりません。
その理由はどこにあるのでしょうか。
津波で大きな被害を受けた東北沿岸部の地場産業。
その復興のために国が力を入れたのが水産業への支援です。
三陸沖の豊かな漁場に恵まれたこの地域。
全国に名の知れた漁港がいくつもあります。
中でも石巻市は震災前全国第3位の水揚げを誇った水産の町。
漁港の周辺には水産関連の工場や問屋など100社以上が集まり水産加工団地が出来ています。
その再建を後押ししたのが国が震災後に作ったグループ補助金という制度です。
被災した企業がグループを作る事で建物や設備などの復旧費用の補助を受けられます。
地場産業を支える中小企業全体の底上げを図る従来にはない制度です。
石巻市では水産業に関わる199社がグループを作り総額356億円の補助を受けました。
グループには食品製造業をはじめ造船業運送業など互いに取り引きのあるさまざまな企業が参加。
一体となって地域経済の復興を急ぐのがねらいでした。
この補助金を利用して工場を再建した水産加工会社です。
従業員はおよそ50人。
主に地元で揚がるサバやイカを使った総菜などを製造しています。
4年前工場は津波で全壊。
8億円の被害を受けました。
震災の翌年3億5,000万円のグループ補助金を受け操業を再開しました。
しかし売り上げは思うようには回復しませんでした。
震災前のまだ半分以下にとどまっています。
誤算だったのは取引先の対応でした。
取り引きの再開を求めましたが応じてくれるところはほとんどありませんでした。
震災前は卸売業者を通して全国のスーパーなどに販売していました。
しかし復旧に1年かかる間にほかの地域の会社が参入。
販路を奪われる形になったのです。
復興を待っていてはくれない経済の現実。
石巻市の水産加工団地は7割が事業を再開しましたが全体の生産量は震災前の半分です。
どうすれば販路を回復できるのか。
乾杯。
(一同)乾杯!会社は総額15億円をかけた新工場の建設に踏み切りました。
魚のうまみを閉じ込めて焼き上げる最新鋭の機械。
付加価値の高い商品で新たな販路を切り開こうとしています。
なるほど。
この投資を可能にしたのも国の新たな支援事業です。
海外マーケットにも通用する商品の開発などを後押しするため新たな工場の建設や設備の導入に8分の7という手厚い補助を行います。
ところがここでも誤算が生じています。
新たに従業員を募集したところ現時点で雇えたのは8人。
石巻周辺では水産加工業が求める働き手の数に対し3/3しか希望者がいません。
震災前水産加工団地の従業員が多く住んでいた周辺の住宅地は津波で流されました。
住民の多くは内陸の仮設住宅などに移り会社が休業している間に別の仕事に変わった人も少なくありません。
更に復興事業による建設ラッシュでより賃金の高い工事関係の仕事に人が流れています。
新工場の従業員を確保したいと内陸の仮設住宅を訪ねました。
この度完成致しまして…。
誰か心当たりはいないか自治会長に相談します。
しかし反応は厳しいものでした。
国の支援を受けてきた地域産業。
現場の努力では乗り越えられない壁に直面しています。
グループ補助金という事などはこれまで国も支援としてはなかった。
前例のない支援だという事は言えると思うんですけれどもそれでも地域経済というのは苦境からなかなか抜け出せていないんですよね。
増田さんなぜなんでしょうか?グループ補助金の考え方すごくいいと思うんですよ。
前よりもずっといいものをみんなで持ち寄ってですね協業化して強いものを作っていこうと。
ただそのためにはどうしてもある程度話し合いの時間ですとかそれから動き出すまで時間がかかる。
この産業の復興という事はまさに商売をどうしていくかの話でこちらはスピード感がやっぱり優先ですね。
お客さんが2年たてばですね完全にほかの人たちに変わってしまうというようなそういう状況ですから。
お客さんがどうなっているかというところまで多分そこまで十分考えてなかったんではないかと。
工場は出来たのだけどというそういう状況ですよね。
ハード事業はもちろん大事なものは…ありますけれどただ販路をどういうふうに開拓するかと。
いわゆるそれはノウハウの部分ですしソフト事業ですよね。
こちらの方に投じられるお金っていうのはすごく限られてるしですからここをどうしていくかって一つ大事なところだと思います。
これ被災地の産業全体をふかんしてみようと思うんですがグループ補助金を受けた事業者のうち売り上げが以前の水準に回復したかどうかというのを業種ごとにまとめたものなんですけれども建設業が例えば72%回復以下運送製造業と続いて沿岸部の地場産業であるところの水産・食品加工というのは20%足らずという。
今回の被災地沿岸地域は今の業種からいいますと一番下の回復が遅い方が主力の産業になってますよね。
水産あるいは水産加工ですし観光なども主力の産業の一つでしたからね。
ですからそういったところがすごく回復に時間がかかってる。
売り上げがなかなか元に戻らないという事で沿岸地域全体の経済がやっぱりその事もあって厳しくなっているという状況でしょうね。
建設はもちろん回復という事でしょうけれども。
建設工事随分行われてますから建設業などは売り上げがある程度回復しているんですが決して長続きするものでなくてこれは数年でおしまいになると思います。
そうすると全ての業種が非常に停滞してしまうという事になりますので本来であれば水産・水産加工あるいはサービス業とか旅館観光ですねその辺りをどうやって売り上げを戻していくのかそれがやはり優先されるべきだと思いますね。
今人手不足という追い打ちもかかってきている訳でどういう対策どういう施策が考えられるでしょうか?やはりこれからは協業化で設備をあれだけよくした訳ですからですから思い切って海外に対してどうしていくか。
これが本当の意味での復興につながっていくんじゃないかと思いますね。
海外への売り込み戦略というのはこれはやはり国でありあるいは自治体の県辺りが本当に戦略を考えてある種ジャパンブランドをですねそこで新たに確立していく。
そういう全体としての総合戦略が必要だと思います。
被災者1万人の声。
その中にはこれまで表立って語られる事のなかった現実がつづられていました。
その一つが家族の人間関係についてです。
「夫が震災以来どんどん頑固になってしまい困っています。
私のやる事なす事が気に入らないようで大変困っています。
仮設が狭いので夫に『顔の見えない所へ行け』と言われてもどこにも隠れる所がありません」。
「今まで働いていた収入は3/3になり24年連れ添った妻もうつになった。
仕事が手につかずあげくは離婚して生きがいがなくなった。
この先が見えずいっそのこと死んだ方が楽だと思う事がある」。
深刻な影響が子どもたちに及んでいる事も浮かび上がってきました。
「子どもの成長とともに学校でのいじめも陰険になり『仮設にいるくせに』などと差別的な言葉や『死ね』『うざい』といった言葉の暴力が目につきます。
子どもの遊ぶ場所がなく仮設に閉じ込めるしかないのが現実です。
子どもたちの本当の笑顔を取り戻したい」。
更に避難生活が長期化する中で周囲の無理解が深まっている事を打ち明ける人も少なくありませんでした。
(夏木)「しばらくは被災者である事を隠して生活していました。
よく言われたのが『いつまで被災者づらしてるんだ』や『いつまで甘えてるんだ』。
他人から見たらそうとしか見えないのでしょうがそんなに楽ではないし甘える事もできていません」。
こうアンケートに回答を寄せた…震災後離婚し娘と2人で暮らしています。
この4年周囲の冷たい目を感じてきました。
森さんは震災前夫婦で工場を営んでいましたが津波で全てを失い夫との関係が一変しました。
娘と2人家を出た森さん。
みなし仮設のアパートに入居しました。
収入は契約の事務の仕事の月10万円。
しかしその仕事は今月で打ち切り。
娘を抱えて続けられる職を探し続けています。
(ため息)この境遇から抜け出そうともがきながらかなわない現実…。
(夏木)「1人で支えていく不安。
悲しい思いが消える事はありません。
ただ穏やかに普通の生活が送れればと願う日々です。
前に進んでいくしかないと思っています。
できる範囲で…」。
被災者1万人へのアンケート。
今回私たちが最も驚いたのが心の不調を訴える声が多かった事でした。
アンケートの回答を専門家が分析したところ憂鬱だ意欲がないといういわゆる抑うつ状態にあると考えられる人が半数以上の55%に上る事が分かりました。
また生きるのがつらいと感じる事があるかという質問には「よくある」「少しある」合わせて43%と半数近くの人が生きるのがつらいと感じていました。
被災地の人々の心に今何が起きているのでしょうか?石巻市では今被災者の心の問題が深刻さを増しています。
1月半ば地域の医師や看護師保健師が一堂に会しました。
うつや引きこもりなど心の問題を抱える人が増えているため情報を共有しながら対応しようとしています。
会議を呼びかけたのは仮設住宅などを訪問し心のケアを行っている団体…あっどうもこんにちは〜。
お世話さまです。
この4年間で2万5,000件の相談に応じてきました。
あっどうも。
おはようございます。
お邪魔しま〜す。
この日訪れたのはみなし仮設のアパートで暮らす西村さん夫婦。
妻の勝子さんが一時うつ状態に悩んでいたためスタッフが毎月訪れて様子を見守っています。
やっぱそれは何て言うのかな…1万人のアンケートには気になる記述がありました。
日常を取り戻したかに見える人が最近になって心の不調を訴えているのです。
(堤)「震災3年目にある日突然眠れなくなりました。
何もやる気が起きない。
起きても着替えられない。
行動できない。
ごはんが食べれない。
何もできない。
どうしてよいか分からない」。
「震災直後とにかく頑張らないとという気持ちでいました。
少しずつ自分の環境が変わり始め先がなかなか見えない時間が続くと心と頭と体がばらつき始めて3年が過ぎた頃から落ち込みが激しくなりました。
寝れない。
やる気がない。
涙が出る。
自分が消えていなくなりたい」。
宮城県名取市の心療内科に通う会社員鈴木克人さん30歳です。
震災3年目になって突然ひどい不眠や呼吸困難に悩まされるようになり会社に行けなくなりました。
主治医の桑山紀彦さんのもとには同じような不調を訴える人が多く訪れています。
患者数の推移です。
毎年3月と9月に山があるのは震災についての話題が増える影響です。
大きな傾向を見ると次第に減っていた患者数が去年の秋から増加しています。
克人さんは震災の翌年に結婚しその後ローンを組んで自宅を再建しました。
会社でも昇進するなど順調に生活の再建を果たしているかに見えました。
その裏で心の状態はどうだったのか。
震災前を100としてグラフに書いてもらいました。
結婚や自宅を再建した頃から悪夢にうなされるようになり徐々に悪化していきました。
誰にも相談せず我慢し続けた結果3年目の夏会社に行けなくなったのです。
なぜ誰にも相談しなかったのか。
自宅があった名取市閖上地区では700人以上が犠牲になりました。
克人さんは津波に襲われる寸前に避難し家族も全員無事でした。
周りの人と自分を比べた克人さん。
ほかの人より被害は深刻ではないとあの日体験した出来事を一切語らずにきたのです。
克人さんは1年間にわたって専門的な治療を受けてきました。
それまで心に閉じ込めてきたあの日の体験と少しずつ向き合う治療です。
そして1月。
克人さんは津波の時避難した小学校に向かいました。
いやすごいな。
実際の現場に立ちながら当時の記憶を呼び起こしていきます。
うわ〜。
津波が押し寄せた直後の写真です。
克人さんは校舎の2階でその様子を見ていました。
(克人)う〜ん…。
いやでもあれがきつかったかもしれないですね。
少しずつあの日の光景を語っていきます。
(克人)何にもできなかったし…。
流されていく人を救えなかったという罪の意識。
4年目にして初めて打ち明ける事ができました。
壮絶な体験をした人がその恐怖の記憶に苦しむPTSD。
今回のアンケートでは4割の人にPTSDの可能性がある事が分かりました。
多くの人が今も自らの震災体験を抱え込んだままです。
(夏木)「震災直後はただただ毎日頑張ろうと張り詰めた気持ちで生活してきました。
無理をして住宅も再建しました。
…が最近になって気持ちがとても沈む事が多くなりました。
他人に話してもどうにかなる問題でもなく相談した事はありません。
自分より大変な人は大勢いると思い込むようにしています」。
生活再建を果たした人が今になって心の不調を訴えるという事が起きているという事なんですけども阪神・淡路大震災でも経験をお持ちの加藤さん。
こうした事というのはあるんでしょうか?はい。
最近の私の経験で阪神大震災を経験された方で本当に17年要するに東日本大震災までは普通に生活されていた方が東日本大震災の報道をご覧になっていろんな苦しみがよみがえったっていう方がおられるんですね。
あとは今回のビデオに出てこられた方のようにとても罪悪感を持ってしまわれた方。
これは生存者抑うつというふうにいいますけども自分だけが生き延びてしまったというふうなそういった罪悪感にさいなまれてしまうと今の反応というのが収まりにくいという状況になります。
もう一つはそういった反応が出るのが嫌なので…今VTRでは専門の医師の治療というのを紹介した訳ですけれども…。
やはり非常に経験を積んだ専門家が関係がしっかり出来た中でやらないととてもリスクがありますので。
これを見たからといってすぐに同じような事をするという事はとても危ないという事はご承知頂きたいと思います。
今回のアンケートで心の不調を訴える人はどのような要因の影響を受けているのかという事について専門家の方に分析して頂きました。
それによりますとうつ状態の人について見ますと例えば相談者がいない人相談する人がいない人はそうでない人と比べて3倍うつ状態のリスクがある。
また経済状況が困っている人は2.9倍うつ状態のリスクがある。
以下体調が心配。
住宅・まわりの環境に不満がある。
加藤さんこの結果をどうご覧になりますか?人間はやっぱり社会で生きるものですからその社会コミュニティーそして家族自分の…そしてその中でその方の体の健康これを維持するというふうな事がとても大事でそれはやっぱりその方が自力で生活を再建するという事にもつながっていきますのでね。
あと一つはその方が役割を取り戻す。
ですから産業を回復し仕事を取り戻すという事もとても意味のある事だというふうに思いますね。
地域で物事を決めて地域で支え合ってきたそういうところですからいわゆるコミュニティーですね。
隣同士との…以前のつながりももちろんあるでしょうしそれから長引いてますので仮設住宅の中での生活で出来たつながりというのもあると思うんですよね。
そういうのを大事にしながら家を建て替えてそれで…さて最後にお二人に被災地全体の復興に向けて何が必要なのか今後に向けた提言を伺いたいと思います。
増田さんいかがでしょうか?いよいよ…やはり被災者の人たちも言ってたとおり…ですから5年間はとにかくみんな全力投球でやってきたけどもそれから先どうするのかというところがまだはっきりしていないと。
ですから国は…加藤さんどのようにお考えになりますか?全体的には例えば国とか被災県もいろんなアイデアを出されて本当によくやってこられたと思うんですよね。
ただ長い計画の中でそれが果たして被災された方にとってどれほどの意味があったかというのはやっぱり検証するべきでしょうしこれから徐々にではあるでしょうが復興は当然進んでいきます。
仮設住宅もいずれは解消し復興住宅に移されていく訳ですけどもただそこで終わりではないんですね。
やっぱり復興住宅に移されたあとも被災された方の生活の支援というのは続けなきゃいけなくて…ずっと考えなきゃいけない事だと思いますね。
南海トラフなどの次の大きな災害に対して必ず残すものをつないでいかなくちゃいけないと思いますよね。
これは被災地だけで起きている事じゃなくて…ですから被災地の事というよりもどこの地域に住んでおられる方も我が事としてやっぱり考えないといけないと思いますね。
今日はどうもありがとうございました。
震災から4年いまだに多くの人たちが復興を実感できないままでいる現実を見てきました。
私たちが取材した人の中にはそれでも懸命にその厳しい現実と向き合い道を切り開こうとしている人がいます。
最後にその姿をご覧頂きます。
地域経済の復興を目指して。
石巻市でライバル同士の地元企業が手を携え従来にはない取り組みを始めています。
石巻ブランドの新商品を開発し新たな市場を切り開く。
それぞれの得意分野を生かし工場設備も共同で使います。
先月ある集まりが開かれました。
あの日の記憶と向き合い懸命に立ち上がろうとしてきた…その後も治療を続け自らの体験を人前で語れるまでになりました。
ありがとうございました。
(拍手)
(拍手)被災者1万人のアンケート。
毎日を懸命に生きる人たちのメッセージです。
(夏木)「『生かされている』と本当に思います。
当たり前の普通の日々が掛けがえのない宝物だと本当に実感しています。
1日1日を大切に生き人の痛みの分かる思いやりを持った人になりたい。
亡くなった家族に恥じない人生を送りたいです」。
(堤)「震災がなければ幸せで豊かな暮らしができたのに。
…と無念に思って数年がたちました。
現在私はどん底からはい上がっている最中ですが人は何かに共鳴し勇気づけられ少しずつ立ち直っていく。
その何かとは未来への希望の光と人間のぬくもりなのだと感じます。
被災地の復興はまだ時間がかかるのと同様に被災者の心の復興にも同じように時間が必要です。
この大災害を忘れないでほしいです」。
2015/03/08(日) 21:00〜22:15
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル 東日本大震災「震災4年 被災者1万人の声」[字]
震災から4年。一人一人の暮らしの復興は進んでいるのか。1万人規模のアンケートを実施したところ生活が苦しかったり、心が突然折れたりするなど深刻な悩みが見えてきた。
詳細情報
番組内容
震災から4年。一人一人の暮らしの復興は進んでいるのか、1万人規模のアンケートを実施した。すると、4年たっても生活の厳しさが改善していないこと、仮設住宅での暮らしが住民を追いつめていること、心が突然折れる人が出ていることなど、深刻な悩みが見えてきた。どうしたら「暮らしの再建」を進めることができるのか。現場のルポに加え、アンケートのデータや自由記述欄を丹念に読み解きながら、具体的な方策を考える。
出演者
【朗読】夏木マリ,堤真一,【キャスター】鎌田靖,【語り】渡邊佐和子
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
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