祈り続ける一人の老人。
あの日津波で自宅を失った。
今人生を懸けた最後の大仕事に挑もうとしている。
もう一度家を建てようというのだ。
全ては愛する妻のため。
妻タキ子さん。
震災後体調を崩し歩けなくなってしまった。
仮住まいでの過酷な老老介護。
ここさ上げる気になれ何やってんだ!妻を介護施設に預けようとしたがかなわなかった。
どの施設もお年寄りでいっぱいだった。
ベッドは空いているのに入所できない。
原因は介護の人手不足。
原発事故の影響で町を離れる人が相次ぎ募集をかけても働き手が見つからないのだ。
夫婦2人支え合って生きていくしかない。
頑張るしかねえよ。
何もねえんだ。
頑張るより方法がねえの。
やりようがないの。
いろいろ思ったって。
震災と原発事故から4年。
懸命に生きる老人は自らに言い聞かせる。
「頑張るよりしょうがねえ」。
東京電力福島第一原子力発電所。
その北にある福島県南相馬市。
沿岸部は震災から4年目を迎えようとする今も甚大な被害の爪痕が残されたままだ。
人々の暮らしのすぐそばに除染で出た大量の廃棄物がうずたかく積み上げられている。
7万1千だった人口は5万3千にまで落ち込んだ。
若い世代は町を去り通りで見かけるのはお年寄りの姿ばかり。
1年前私たちは借り上げ住宅に暮らす老夫婦に出会った。
農業と漁業を営んできた桑折馨さん。
津波で自宅を失った。
(取材者)ご飯にかけるんですか?桑折さんは県が借り上げた空き家を仮設住宅の代わりに提供された。
家賃は不要だがあと1年で出ていかなければならない。
妻のタキ子さんは段差の多いこの家でトイレに向かう途中に転倒。
持病の腰痛が悪化してしまった。
夜眠っていられないほど痛みが激しくなり入院する事になった。
独り暮らしになった馨さん。
寂しさを紛らわすのは1本のビデオテープ。
元気だった頃のタキ子さんの晴れ姿だ。
日本舞踊の師範だったタキ子さん。
人望があり80人の弟子を抱えていた。
自慢の妻を一人きりにはしておけない。
馨さんは一日も欠かさずタキ子さんのもとへ通っている。
朝昼晩毎日3往復。
食事の介助をするため軽トラを飛ばす。
ぬくい?妻のタキ子さん1日の大半をベッドで横になって過ごしている。
おっ!馨さんが姿を見せると少し元気になる。
(取材者)お父さんが一日3回来てくれるのはうれしいですか?
(取材者)馨さんは優しいですか?タキ子さんを苦しめているのは腰痛だけではない。
震災後うつ病を発症してしまった。
その大きな原因は2人が頼りにしていた息子の死。
忠夫さんは両親の待つ避難場所へ向かう途中で津波にのまれた。
実はタキ子さんが息子と死に別れるのは2度目だった。
40歳の時長男が二十歳の若さで事故死。
震災で忠夫さんを失い家の跡継ぎはいなくなってしまった。
腰の症状が落ち着いたらタキ子さんは退院しなければならない。
しかし馨さんは一人で介護する自信はなかった。
途方に暮れていた馨さんにうれしい知らせが届いた。
近所にある介護施設「厚寿苑」が規模を拡張したのだ。
新しいところだよ。
58床だったベッドが一気に100床に増えた。
早速馨さんはタキ子さんの入所を申し込んだ。
ところが新たな入所者を受け入れる事はできないという。
拡張に伴い必要となった15人のスタッフを確保できなかったのだ。
せっかく増やしたベッドも使われていない。
現在南相馬ではおよそ30の高齢者施設が稼働している。
しかしそのほとんどが深刻な人手不足に悩まされている。
原発事故のあと働き手となる若い世代がごっそりと抜けてしまったのだ。
介護の必要なお年寄りたちが取り残される形となった。
いくら求人を出しても応募者が現れない。
稼働している施設だけで人材不足は50人を超える。
そうだねえ。
厚寿苑では既に280人以上が入所待ちという事だった。
妻のタキ子さんを施設に入所させ手厚い介護とリハビリを受けさせてやりたい。
しかし馨さんの願いはかなわなかった。
どの高齢者の施設も人手不足に苦しんでいた。
この施設では原発事故後介護職員の1/3にあたる12人が職場を去っていった。
震災後認知症と診断された81歳の男性。
職員の目が行き届きにくくなる中恐れていた事が起きた。
男性が二重の鍵を開けて施設を抜け出したのだ。
その日外の気温は0℃。
部屋着のまま飛び出していった。
職員総出で捜し回り2キロ先でなんとか見つけだした。
南相馬市は対策に乗り出した。
自ら介護の人材を育てる事にしたのだ。
受講料無料の介護職養成講座。
およそ15万円の研修費を全額市が負担するという苦肉の策だ。
しかし昨年度受講した55人のうち施設に就職したのは12人だった。
桑折馨さんは追い詰められていた。
妻のタキ子さんは近いうちに退院しなければならない。
しかし介護施設はどこもいっぱい。
借り上げ住宅で暮らせるのもあと1年だ。
馨さんは思い切った決断を下した。
もう一度家を建てる事にしたのだ。
俺っとこはここ。
そのU字溝からここの区切り。
段差の多い借り上げ住宅では再びケガをする心配があり十分な介護もできない。
ならばと馨さんは覚悟を決めた。
コツコツとためた農協の積み立て金を全て解約し土地を購入した。
ここにタキ子さんのための完全バリアフリー平屋の家を建てる。
図面は自ら引いた。
歩く練習のできる手すり付きの長い廊下。
介護のしやすい広い部屋。
86歳にして自宅の再建を決意した馨さん。
整骨院に通い痛んだ体を整える事が日課となった。
家族を養うため長年酷使してきた体はボロボロだ。
(鍼灸師)起きる時大丈夫?タキ子さんは退院に向けて体力づくりに励んでいた。
依然腰に痛みは残っていたが症状が落ち着いてきたため医師から在宅療養を勧められた。
借り上げ住宅でしばらく辛抱すれば新しい我が家で暮らす事ができる。
(理学療法士)あの黒い椅子のとこまでね。
じゃあいきましょう。
いっせ〜の!しかし心の傷は癒えていなかった。
新居での生活が始まれば妻はきっと元気になる。
馨さんはそう信じてタキ子さんのもとに通い続けていた。
息子の事を思い出してはふさぎ込んでしまうタキ子さん。
馨さんが励まし続ける。
雪が解けたら新居の建築が始まる。
ほら…
(「老夫婦」)・「おじいさんは歩いてゆく」・「おばあさんの好きな場所」・「なにもないしなにもしない」・「ただ来てみただけさ」・「ボケたふりしただけさ」タキ子さんが退院し借り上げ住宅に帰ってきた。
新居が完成するのは半年先。
それまではこの仮住まいで介護をする。
(タキ子)あ〜…。
重いんだねえおっかさん。
今日からお世話になります。
跡取りを失った老夫婦にとって頼みの綱はホームヘルパーだ。
しかしヘルパーも人手不足だった。
1日3回の訪問を申し込んだが来てもらえるのは朝昼の2回だけとなった。
独り暮らしのお年寄りなど優先せざるをえない訪問先を抱えていたのだ。
ヘルパーが来られない夜。
馨さんが夕食の介助をする。
おかずはほとんどが缶詰。
在宅介護が始まれば買い物に行く時間はない。
タキ子さんの入院中にたくさん買い込んでおいた。
買いだめしておいたのが焼きしそ巻き。
タキ子さんの好物だ。
炊きたてのごはんにのせると食が進む。
(馨)はいどうぞ。
しかしなかなか食べ始める事ができない。
首の痛みを訴えるタキ子さん。
一人で座っているのが難しいようだ。
(馨)食べてごはんほら。
ちょっと硬かったか。
大丈夫だな。
あ?食べづらい?どうすればいいの?起きればいい。
また起こせばいいの?
(馨)このぐらいならどうだ?ず〜っと起きろ。
(馨)あんまりほっちゃ引っ込まっていったんだな。
高くて?どっち高えの?どいつ下がってんの?人間。
それじゃ難しい話だなあ。
体を引っ張り上げてほしいと訴えるタキ子さん。
しかし馨さんも思うように力が入らない。
上げ過ぎだ。
今このぐらいにしてろ。
向こうあてがうから。
タキ子さんの体を支えるために手を尽くす。
何度試しても姿勢が定まらない。
(馨)足でふんばって曲がっちゃ駄目だよ。
こっちゃ曲がれこっちゃ。
体曲がってんだ。
起きる気になれ。
なんぼやったって限りねえな。
悪戦苦闘する事40分。
炊きたてのごはんはすっかり冷めてしまった。
食べてもいいか?いただきます。
あしたの朝からは車椅子だな。
新しい我が家が完成するまで妻は元気でいてくれるのだろうか。
このままでは夫婦共倒れになってしまうのではないか。
(馨)だんだんおかしくなったな。
(馨)死ぬほかねえのはいいだけど死ぬまで大変だべ。
翌日。
馨さんは津波で押し流された自宅の跡を訪れた。
これが…玄関そっちだった。
堤防を突き破った津波は一瞬にして集落をのみ込んでいった。
馨さんは亡き息子に語りかける。
「忠夫母さんを守ってくれ」。
桑折さん夫婦のもとに朗報が届いた。
本日より私たちの仲間になって頂きます方々の紹介をしたいと思います。
介護施設の厚寿苑に新しく7人のスタッフが加わった。
県内のグループ施設が応援を出してくれたのだ。
これで新たな入所者を受け入れる事ができる。
タキ子さんもようやく入所できる事になった。
申し込んでから2か月。
夫婦にとっては長い時間だった。
おばあさん目覚ましたかい?馨さんはタキ子さんが施設に入ってからも毎日欠かさず会いに行く。
(馨)何?食いたくねえの?長引く避難生活。
南相馬では今介護施設への入所を一人でも減らすべく全国初の取り組みが始まっている。
「訪問リハビリ」の活用だ。
本来訪問リハビリは医師が常駐している施設でなければ行う事ができない。
こんにちは。
それが4年前に施行された復興特区法により理学療法士や作業療法士だけで事業を運営する事が認められたのだ。
静岡出身の理学療法士高野将充さん。
食欲はね相変わらず…あるみたいなのでよさそうですけれど。
被災地の力になりたいと志願してやって来た。
筋肉もね張りもなくて硬さもないので動き自体はいいんですけれども…。
79歳のこの男性は去年8月農作業中にトラクターから転倒し全身を打撲。
(高野)1。
はい10回いきます。
はい2。
はい3。
一人でトイレに立つ事もできなくなり要介護4の認定を受けた。
狭い仮設住宅に同い年の妻と2人暮らし。
(妻)介護大変だ。
4か月前訪問リハビリの利用を始めたところ自力で立ち上がれるまでに回復。
今では歩行器を使って外を歩けるまでになった。
また違うのかもしんないですけどね。
(高野)ハハハッ!やるつもりでいる。
(高野)いいと思います。
現在南相馬市内で120人が訪問リハビリを利用している。
その拠点となるのが震災の翌年に誕生した訪問リハビリステーションだ。
リハビリ専門職の全国組織が運営している。
青森鳥取佐賀など各地から駆けつけた理学療法士たち6人が活動を続け在宅介護の心強い味方となっている。
そういったところにも関わっていけたらと思っています。
南相馬で始まった新たな取り組みが多くのお年寄りを支えようとしている。
去年4月。
雪が解け桑折さん夫婦の新たな家の建築が始まろうとしていた。
待ちに待った地鎮祭。
夫婦で最後まで暮らしたい。
お供えする鯛も2匹用意した。
86歳にして挑む自宅の再建。
「これ鹿島区は烏崎の里に住めりしが桑折の馨これ東日本大震災による大津波により家木を失いければ」。
決意と覚悟のくわ入れ。
えいえいえい。
地鎮祭を終えたその足でタキ子さんのもとへ。
新居は9月に完成する予定だ。
ところがその9月家はまだ完成していなかった。
建設の現場でも人手不足が起きていた。
地元の工務店はいくつもの仕事を掛け持ちし大忙しだった。
町では災害公営住宅の建設が続き除染作業が本格化していた。
加えて東京オリンピックに向けた建設ラッシュで県外に人手を取られ建築現場はどこも作業員の確保が難しくなっていた。
その影響が桑折さん夫婦の新居にも及んでいたのだ。
作業の遅れにいらだちが募る馨さん。
連日進捗状況の確認に訪れてはハッパをかける。
それでも出来栄えは上々。
歩行訓練のための長い廊下。
馨さんが引いた図面どおりだ。
更にタキ子さんのために特別にしつらえるものがある。
リビングを見渡しながら調理ができるアイランド型キッチンだ。
「立派な台所を目にしたら立ち上がる元気が湧いてくるかもしれない」。
最愛の妻へ人生最後の贈り物だ。
震災からちょうど3年半。
それは突然の事だった。
タキ子さんの容体が急変したのだ。
馨さんが駆けつけた時既に息はなかった。
毎日欠かさず見舞っていたのに70年近く連れ添った妻の最期をみとる事ができなかった。
新居が予定どおり完成していればタキ子さんと暮らす事ができた。
しかしそれはかなわなかった。
タキ子さんが亡くなった日は津波に襲われた息子の月命日。
「忠夫に迎えにきてもらったのかもしれない」。
そう考える事がせめてもの慰めだった。
合掌お願いいたします。
御拝礼。
南相馬に震災から4度目の冬が巡ってきた。
今も避難生活を余儀なくされている人はおよそ8,500人。
更に1万2千人以上もの人々が町を出ていったままだ。
タキ子さんが亡くなってから3か月。
新居はまだ完成していない。
(テレビの音声)「一緒に前に進んでいこうではありませんか。
この選挙は前進するか後退するかそれを決める選挙であります」。
「今のこの流れをこれまでの流れを変えるチャンスなんです」。
(アナウンサー)「2/3の317議席に届く勢いで自民党は単独でも過半数を大きく上回り300議席に迫る情勢です」。
(波の音)震災と原発事故で多くの希望が失われた南相馬。
それでも前を向いて生きようとする人々がいる。
タキ子さんが入所していた厚寿苑。
その目と鼻の先で別の介護施設が拡張工事を始めていた。
拡張に伴い新たに必要となる介護スタッフは20人。
全員を集められるめどは立っていない。
それでも地域のお年寄りは施設の完成に大きな期待を寄せている。
入所を希望する人は400人を超える。
(鈴の音)新たな年馨さんは妻の遺影を前に誓いを立てた。
親族から養子を迎え入れ桑折家の跡取りとし新しく建てた家を将来譲り渡す事にしたのだ。
目でこう言われてるような気する。
だからこいつが励みなのよ。
切り替えるの。
死んだと思うと悲しいからあまりにも無念だから。
そうでなく生きてるようにして毎日会話して「分かった。
ばあちゃんの思いどおりやるよ」って。
タキ子さんと暮らすはずだった新居が4か月遅れでようやく完成した。
歩行訓練のできる長い廊下。
そしてタキ子さんを元気づけるために用意した立派なキッチン。
こうやれば止まるし。
(取材者)すごい。
こうすると出る。
止まる。
夫婦二人で新しい生活を始める夢は絶たれた。
しかしいつまでも下を向いてばかりはいられない。
(「老夫婦」)・「おじいさんはひとり暮らし」・「おばあさんは雲の上」・「楽しかった悲しかった日々よ」頑張るよりしょうがねえんだ。
南相馬に生きる86歳桑折馨さん。
口癖はいつも「頑張るよりしょうがねえ」。
2015/03/07(土) 23:00〜00:00
NHKEテレ1大阪
ETV特集「頑張るよりしょうがねえ〜福島・南相馬 ある老夫婦の日々〜」[字]
東日本大震災の被災地で、介護の人材不足が問題となっている。福島県南相馬市に暮らす老夫婦の日々を軸に、介護現場の厳しい現状と、介護予防の新たな取り組みを伝える。
詳細情報
番組内容
東日本大震災の被災地では今、介護の人材不足が問題となっている。去年2月、福島県南相馬市で大規模高齢者施設が開所したが、原発事故の影響で若い人々が急減したため介護スタッフが集まらず、新規の入所希望者を受け入れられない事態が続く。番組では、南相馬に暮らすある老夫婦の日々を軸に、介護現場の厳しい現状と介護予防の新たな取り組みを紹介しながら、逆境の中、何とか希望を失わずに生きようとする人々の姿を描く。
出演者
【語り】國村隼
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
情報/ワイドショー – 健康・医療
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