鬱陵島出身で6・25戦争に参戦したホン・スンチルさん=故人=が率いた「独島義勇守備隊」は1953年4月から警察が独島警備業務を引き継いだ56年12月まで駐留、日本の度重なる武力挑発を阻み、領土防衛に大きな功績を挙げた。自前で武器をそろえて活動したことから、「韓国最後の義兵」とも呼ばれている。クォン監督は隊長を務めたホン・スンチルさんの妻パク・ヨンヒさんや元隊員のチョン・ウォンドさんと会い、独島にも3回上陸した。独島義勇守備隊記念事業会から制作費の一部を支援してもらったが、資金の余裕はなかった。実際の火薬や模型の迫撃砲、コンピューターグラフィックス(CG)を使った日本の巡視船撃退シーンは、独島と地形が似ている西海(黄海)・九峰島の海岸で昨年9月に行われた。「出演者がスタッフの仕事もしなければならないほど撮影環境は良くありませんでした。私自身も走り回っていて岩につまずき転倒、先週親指のツメが根元から取れてしまって…。60年前なら状況はさらに悪かったはずですが、愛国心で一丸となり守り抜いたのだから、どれだけ偉大なことか」
クォン監督が独島や義勇守備隊に興味持つようになったきっかけの一つは兵役だ。国連平和維持軍の一員として2000年から01年まで東ティモールで通訳・写真兵として服務した。ポルトガルの植民地として350年、インドネシアの植民地としてさらに30年を経て独立を目指していた東ティモールは、村の家々のほとんどが倒壊寸前だった。住民の中には内戦の後遺症で体が不自由な人も多かった。独立(02年)を前にした新生国の荒れた風景を目にして、クォン監督は「1950年代の韓国の姿が重なりました。自分の国を守る力の重要性を痛感しました」と言った。『独島の英雄』は試写会後、教育現場での上映用作品として公開されていく予定だ。クォン監督は「韓国人がキプロスやフォークランド諸島といった国際的な紛争地域に関心がないように、世界も独島問題に無関心なのです。独島を守る原動力は外交でも世論でもなく、韓国人自身の力です」と言った。そして、このほど内戦発生から1年を迎えたウクライナを「他山の石」とすると言った。「西側世界は守ってくれると言いましたが、ロシアがクリミア半島を奪おうとしていた間、みんな知らんぷりしていたでしょう。国際社会は冷たいものです。生き残るためには力をつけなければ。それこそ、今の韓国人が独島義勇守備隊のことを忘れてはならない理由なのです」