白熱教室海外版 リーダーシップ白熱教室 第3回「大統領はなぜ失敗したのか」 2015.03.06


世界が君を待っている。
今こそ真のリーダーシップが求められているからだ。
ハーバードケネディスクールで人気教授が行うリーダーシップについての特別ワークショップです。
アメリカ東海岸マサチューセッツ州。
ここにハーバード大学はあります。
その設立は1636年アメリカの建国より前の事。
以来現代までこの大学で議論されてきた政治経済哲学は世界をリードしてきました。
ハーバードにはロースクールビジネススクールなどより専門的なカリキュラムを持つ大学院がそろっています。
そこで学ぶ人の多くは社会経験を一度積んだ人たちです。
その大学院の一つケネディスクールは「PublicPolicy」公共政策を課題の中心として世界のリーダーたりうる人材を送り出してきました。
国連事務総長や世界各国の大統領首相もここで学びました。
今95か国からの学生がその国の次世代を担うべく学んでいます。
そのケネディスクールで30年にわたり「真のリーダーシップとは何か」という問いに迫り続けてきたのがロナルド・ハイフェッツ教授です。
今回のワークショップではケネディスクールで学ぶ人たちが自らの経験をもとにリアルな現実の問題にどう立ち向かうのか深い議論が繰り広げられます。
まず「リーダーシップ」は人々の視点から始めなくてはならない。
問題の解決に向かわせるには心の奥まで理解しておく必要がある。
そして実践へ。
まず技術的な問題と適応が必要な問題とを区別する事。
「技術的な問題」は専門家に解決を任せられる。
だが「適応が必要な問題」では新たな考え方を皆が認める必要がある。
その2つの切り口が解決への道です。
問題の多くがどちらも含んでいる。
今回はここから始めましょう。
こんばんは。
今回はリーダーシップでまず守らなくてはならない原則から始めよう。
それは社会的な原則。
人々が今どこにいるかを問う事だ。
この基本的原則に沿ってまず君たちに質問します。
君たちは今どこにいる?このワークショップではいろいろな事を学んできたが君たちは今どんな考え困惑や疑問を持っているかな?それを基にしてどう進めたらいいか考えていこう。
どうぞ。
ジェシカだね。
前回の内容からの質問なんですけど私たちはリーダーシップを「問題解決に向けて進展する事」ないしは「重要な問題において解決に向かう事」だと定義しましたよね。
という事はリーダーシップを発揮しても成功できないという事はあるんでしょうか?成功は必要条件なんでしょうか?「進展」とはこう言いかえる事もできる。
徐々に増加する進歩そしてより大きな変化が起こる事だと。
しかしどこがその進歩の瞬間だったかは後になって振り返ってみないと分からない。
リーダーシップが効果的に発揮されボールは転がり始めたが失敗した。
それは効果的ではなかったと言わざるをえない。
はいジョン。
僕がよく分からなくて混乱しているのはリーダーシップと権威との関係です。
教授はマンデラとキング牧師を例に挙げました。
二人は「ANC」アフリカ民族会議と「NAACP」全米有色人種地位向上協会で権威ある地位にありリーダーシップを発揮できる環境にあったはず。
なのでリーダーシップは権威と一体だと考えられると思うんですが…。
すばらしい質問だ。
ピーター。
教授の定義するリーダーシップがさまざまな状況において正しい事をする事とどう違うのかよく分からなくなっています。
もしリーダーシップが権威を必要としないのならある意味学校で誰かがいじめられている時ただ加わらないのもリーダーシップという事になりませんか?もしリーダーシップというものが「たとえ誰も賛同しなかったり誰も見てくれなくても正しい事をする」というのでないのならリーダーシップとは何ですか?リーダーシップの意義をどうやったら広げられるんですか?よし。
みんなの質問に答えていくとしよう。
アメリカ社会において絶大なリーダーシップを発揮したといえる人物マーティン・ルーサー・キング牧師を例にとろう。
キング牧師の権威を分析すると彼は小さな権威しか持っていなかった事が分かる。
公式の権威と呼べるものはほとんどなかった。
キング牧師の組織はNAACPではなく「南部キリスト教指導者会議」と呼ばれる小さな組織だった。
キング牧師は責任者であり組織における公式な権威を持っていた。
人を雇ったり寄付を集める権限があった。
非営利団体としての法的地位も認められていた。
しかしその公式な権威の範囲よりキング牧師がより大勢の人々に対して非公式な権威を持っていた事が重要だ。
アメリカ中の何十万人という人々の目から見ればキング牧師には「モラルの権威」があった。
それは仕事の内容を記した書類や地位に就いた事によって与えられる権力や制度的な権威によって形成されたものではない。
それは権威関係の基本構造と同じだ。
何十万人もの人々が彼を見てサービスを受ける代わりに彼に権力を与えるという構造だ。
人々が期待するサービスとはキング牧師が「公民権」あるいは「人権」という思想をアメリカという国において擁護する事だった。
公民権人権はどちらもキング牧師の権威の基礎となる非常に重要なものだったが彼の真の聴衆彼が導こうとした人々はこの輪の外にいる人々だった。
彼らはキング牧師に好意を持っておらず無関心かキング牧師の意見など自分には関係ないと思っていた。
中にははっきりと敵意をむき出しにする人無関心ではなく敵対的な人々もいた。
キング牧師が動かさなければならなかったのはこういう人たちだ。
キング牧師の戦略は「学びの戦略」あるいは「教える戦略」である。
なぜならキング牧師には分かっていた。
自分がやろうとしている事には何の注意も払わない払う気のない何百万人もの大衆の心を動かさなくてはならないと。
もちろんキング牧師にはベースとなる支持者たちはいたけれども支持者たちを導くのがキング牧師の目標ではなかった。
自分に対して何の権威も感じていない人々を導かなければならなかったんだ。
こういう人々は権威関係においては「フォロワー」とはとても呼べない。
つまりどんな戦略を使って問題を提起し掘り起こし教育し心を動かすかという事が問題になってくる。
とてつもなく広く大きなコミュニティーに属する相手にアメリカ社会の基礎的な理念や優先順位や効率についての考えを改めてもらわなければならないのだ。
確かにキング牧師にはベースとなる権威はあった。
しかし彼はその権威をはるかに凌駕して人々を導いたのだ。
私がよく思う事がある。
一国の大統領や首相を研究したりあるいは大統領だったり首相だったりした人たちと一緒に仕事をしたりするとすぐに気付く事がある。
彼らの権力は実はとても制限されているものなのだという事だ。
彼らも束縛されていると感じている。
なぜなら彼らの権威が人々の期待に応える事を要求するからだ。
その期待とは「ある特定の方法でサービスを提供してもらえる」という期待だ。
その拘束力は非常に強い。
私が出会った各国の大統領や首相は常に権威がもたらす拘束束縛を受けたうえでいかにして導くかという事を考えていた。
ピーターの質問は「リーダーシップは正しい事をするという事なのか」だったね。
正しい事をするというのは範囲が広い。
その例を挙げると「子供にイライラしても子供をたたいてはいけない」。
「生後6か月だからたたいてはいけない」。
でも子供は君のシャツによだれをつける。
子供は洗いたてのシャツや上着を汚そうとしてやるわけではない。
けれどもやられた瞬間はムッとするものだ。
でもこの場合正しい事は一呼吸置き「子供のせいではない」と認識する事だ。
生後6か月いや6歳16歳の子供でも子供ゆえの行動をとる。
故に正しい事をするというのは広い範囲での人間の行動だ。
私たちは人間としてこの中で行動する。
君たちは今正しい事をしている。
私に敬意を払い話を聞いてくれているからね。
それではどういう行動を「リーダーシップ」と言えるだろうか。
もちろんリーダーシップにおいても正しい事をするのは大変重要だ。
正しい診断を下す。
倫理的に正しい事をする。
正しい行動をとる。
また正しい事をするというのは特別な事ではない。
それは誰かが権威があるから人々を導くというのが普通に見られるのと同じだ。
権威を持っていても人々を導かない人は大勢いる。
非公式な権威を持っている人は大勢いる。
カリスマだったり倫理的な権威があったり説得力があったり。
だが人々を導くとは限らない。
何かな?ピーター。
「正しい事をする」というのは範囲が広すぎましたね。
僕はまだ疑問に思っているんですがもし教授の言うリーダーシップの定義に従えばそれは「選択の積み重ね」ですよね。
つまり大事なのは「その人がどういう人間か」ではなく「何をするか」です。
つまり選択の瞬間危機に直面した瞬間に人間はリーダーシップを実践する。
リーダーシップが積み重なるつまり小さな選択が積み重なってもっと大きなリーダーシップを生み出します。
キング牧師とかガンジーとか。
知りたいのは何をもって「正しい事をする」と見なしどんな指針特徴をもって「リーダーシップだ」とするかです。
正しい事をするというのはとても主観的です。
何が正しいと誰が決めるんですか?これはリーダーシップでこれはリーダーシップじゃないって誰が決める?主観に頼るとさまざまなバージョンのリーダーシップが出てきてしまいます。
どうやったら客観的に「これがリーダーシップだ」と…そもそも客観的に言える事でしょうか?いい質問だ。
今回はその問題について考えていこう。
リーダーシップにおいて失敗を呼ぶ最も一般的な原因とは何か。
私が30年間見聞きした経験から話していこう。
リーダーシップにおいてよくある失敗の原因は何か。
2つの基本的なチャレンジを混同してしまう事にある。
もちろんこの言い方はとても単純化した言い方だ。
だが問題へのアプローチとしては役に立つ。
なぜこんなにも多くの人が正しい事をしようとしているにもかかわらずリーダーシップの実践において失敗してしまうのか。
その理由を理解する事ができる。
問題には基本的な2つのチャレンジがあるという事を私は医者としてスタートした時に悟った。
医療の世界では毎日多くの病気に直面する。
医師はそれに対する専門的知識を持っている。
医師は何の病気かを診断し…一般的な医師のありふれた1週間では診察を受けに来る人たちが抱えるほとんどの病気は技術で解決できる。
つまり治療法解決策が既に分かっている病気だ。
例えば子供が耳の感染症でやって来る。
医師は耳の中を診てその感染症の原因は何かを考える。
原因はどんな地域どの国に住んでいるかによって違うだろう。
そして抗生物質を処方する。
大多数の場合は子供の耳の感染症はそれで治る。
お子さんが耳の感染症になった経験がある人は?医師に診察してもらい正しい抗生物質を処方してもらって5日か10日後には治っていた経験がある人は?そういう類いの病気はたくさんある。
シンプルな病気で医師には症状が分かっているし耳の中を診れば何が見えるかも分かっている。
もちろん治療薬も安価だ。
しかし医療には技術だけでは治せない病気治療しただけでは治せない病気が存在する。
例えば「心臓病」だ。
私が初めて心臓手術をこの目で見た時それは現代医療の驚くべき成果だと思ったよ。
それは血管を置き換える手術だった。
心臓の血管を入れ替えて治す。
そんな事に人間が対応できるというのはなんと驚くべき事か。
胸を開くと脈打つ心臓がそこに現れる。
医師は心臓を一旦止め極々細い糸で血管を縫い付け患部を取り替える。
そして僅かな電流を流す事で再び心臓が動きだす。
患者の胸は閉じられ僅か2週間後には退院する事ができるなんて。
とはいえこのような治療を施してもそれだけではその効果は長続きしないのだ。
心臓手術のあと世界のどこであれ患者は必ず同じお説教を聞かされる。
主治医は患者に向かってこう言う。
「よかったですね。
我々医師団はベストを尽くし手術は成功しました。
次はあなたが頑張る番です。
タバコを吸ってはいけません。
こういう食べ物を食べてはいけません。
運動をしなければ。
ストレスのたまるライフスタイルを変えなければなりません」。
医療においては医師が部分的にしか解決策を提示できないケースがあるのだ。
患者がライフスタイルを変えない限り血管はいずれ再び詰まってしまうからである。
死にかけて心臓手術を受けた人たちのうち医師の指示を守って生活を改善する患者が何%ぐらいいると思う?50%。
50%?70。
20。
20?10?楽観的な人と悲観的な人がいるね。
国によっても病院によっても違うがアメリカではおよそ20%だ。
とはいえ我が国の最も優れた病院の一つボルティモアのジョンズ・ホプキンス病院の外科部長が言っていた。
「20%だなんてとんでもない。
0%ですよ。
20%はうそつきです」。
(笑い)きっとその日外科部長は機嫌が悪かったんだな。
患者は学習し新しく適応力を広げなければならない。
我が身に関係なければ他人に「運動しろ」だの「タバコをやめろ」だの「食生活を変えろ」と言うのは簡単な事に思える。
しかし実際は心臓病のような病気を抱えている人にとってライフスタイルを変えるのは非常に難しい。
なぜ人間は食生活を変えるのに苦労するのだろう?人間が食べるその意味は何だろう?慣れ親しんだ文化的な伝統から離れられなかったりあるいはそれを食べると慰めを得られたりお母さんやおばあちゃんが出してくれた料理を食べると子供時代を思い出したり。
食生活を変えるのは実は非常に大変な事なのだ。
医療の場においては医師の技術的な問題とそして患者がいかに適応していくかの問題と問題が2つある。
私は後者を「適応が必要なチャレンジ」と呼ぶ。
このチャレンジには新しい適応力を発展させていく事が必要だ。
患者は新しいやり方を身につけていかなければならない。
また2つの問題が混在する場合ももちろんある。
100%技術的な問題だけのケースもあるだろう。
90%が技術10%が適応という問題や半々というケースもあれば90%が適応で10%が技術というケースもあるだろう。
リーダーシップにおける最初のそして最も難しいタスクは診断を下す事だろう。
そのチャレンジのどの部分が適応を必要としどの部分が技術的なのかを見極める事である。
なぜなら全てを技術的なものだと捉えてしまえばそのチャレンジを部分的にしか解決する事はできないからだ。
キーシャー。
教授は医師として重大な病気の患者を診た事がおありですよね?あぁ。
まず診断を下しそれから処方を考える。
そうだ。
最終的な診断がつかない時はいろいろなケースを想定して治療を始める。
そうだ。
そして治療の結果を見て診断が正しかったかどうかを知る。
「診断する」のと「行動する」のとは私たちが今話しているテーマに付け加えるべき重要な要素だ。
「診断」と「行動」とは…まず最初の診断を下す。
そして治療という行動を起こす。
治療をしてみて得られた結果が更に診断の精度を上げる。
そして次の治療という行動を起こす。
そうして診断の精度はどんどん上がっていく。
しかし全く診断がつかない病気治療できない病気もある。
そういうケースはたくさんある。
そういう場合は状況を見直し適応の範囲を更に広げ「発見」「適応」へと切り替える。
そこで人は現実と直面する事になる。
病気の中にはまだ治療法が見いだされていないものもあるという現実だ。
現実を認識する事は新しい問題をあらわにする余地を作る。
「問題を解決する事」から「状況の中で適応する事」に移行する。
この「状況」とは例えば「私は末期のがんであり6か月以内に死亡する可能性が高い。
そして治療法はない」。
しかしこういう状況は新たな問題をそこに生む。
たくさん適応しなければならない事が現れる。
「私は多分死ぬ」という状況では適応が必要な問題がたくさん出てくる。
「もしかしたら死ぬかもしれない」という状況では子供たちに準備させるだけでなく残される夫あるいは残される妻にも準備させなければならない。
残りの人生を思い出の中で暮らすのではなく再び生きていっていいのだという気持ちを抱かせなければならない。
それは人の感情を扱う大変な仕事だ。
医師は患者や家族に説明する事はできても解決策を提示する事はできない。
ただし医師は患者や家族が考えるスペースを与え環境を整えたりはできる。
その中で患者や家族はこれからの事を考える。
それは当事者にしかできないからだ。
誰も肩代わりはできない。
「問題」が「状況」に変化する事は多々ある。
しかしその状況はただ単に新しい問題が生まれる余地を生むだけなのだ。
私たちが直面しなければならない現実と私たちの価値観や願望とのギャップ。
このギャップが問題をあらわにする余地となる。
技術的な解決策でそのギャップを埋められる事もあれば新しい適応力を発達させていく事でしかそのギャップを埋められない事もある。
しばらく前にアメリカ大統領だった人物を例に挙げよう。
彼が大統領になった時アメリカで最も熱く議論が交わされていたのは薬物の乱用についてだった。
世論調査をすると麻薬問題が人々の懸案の第1位だった。
国民は大統領に麻薬の問題を解決するよう圧力をかけた。
そこで大統領は9か月を費やし調査特別委員会や省庁をまたぐ委員会を設置した。
そして大統領に就任してから9か月後計画を発表できる運びとなった。
大統領はゴールデンタイムのテレビで国民に語りかけた。
ある意味これが大統領として国民に対してのデビュースピーチだった。
ホワイトハウスの中では議論があった。
どうこのスピーチをするか。
大統領のアドバイザーの中にはこう助言する者もいた。
「大統領。
国民に問題の背景を話すべきです。
薬物の乱用は家族や地域社会学校の中に本当の原因がある。
キリスト教会ユダヤ教イスラム教にも問題の根がある。
国民一人一人が薬物を必要とする背景と闘わなくてはならない」と。
しかしほとんどのアドバイザーは反対した。
「大統領。
そんなふうにしゃべってはいけません。
決意を表明すべきです。
国民に『問題を解決してみせる』という強い決意を示すのです。
断固たる決意を持って進むという姿勢を」。
後者の意見が勝ち大統領はテレビの前の国民に語りかけた。
「我が国は今厳しい事態に直面しています。
我々は麻薬との闘いに挑み時間はかかるだろうが勝利しなければなりません。
私たちにはできるはずです。
もちろん行動計画も用意しています。
今年度だけで90億ドルの予算を薬物との闘いに充てる予定です。
また海外でも数十億ドルを費やして麻薬を製造しアメリカへ持ち込み若者を毒している犯罪者たちと戦います。
加えて予防と教育にも予算を割きます」。
そして大統領はこう締めくくった。
「皆さんはこの闘いのために私を大統領に選んだのであり私たちはこの闘いに必ず勝利します。
それではおやすみなさい。
神の祝福があらん事を。
またお知らせします」。
(笑い)その晩ホワイトハウスはお祝いムードだった。
大統領の支持率は上がり大統領はより多くの非公式な権威を手に入れた。
より多くの信頼尊敬が寄せられた。
国民は言った。
「これぞリーダーシップだ。
国民が困っていた事を取り除き解決策を提示してくれた」と。
これは子供が親に食べ物を与えてくれるのを期待しているのと同じだ。
病気の人間が医師に頼り車が壊れてしまったドライバーが修理工に頼るのと同じだ。
バランスを保ち問題の解決をみるために権威に頼ろうとするこの基本的な動き。
人々は権威に専門的な解決策を持っている事を期待している。
もし君がアメリカ合衆国大統領なのに身動きできないようにされていたらどうするかな?誰もが君の事を世界で一番権力を持つ人間だと思っているが実は君はがんじがらめ。
有権者の期待で身動きがとれない。
有権者は君に専門的な解決策を期待しているが実は解決策なんかないんだ。
薬物の問題を解決するには私たち自身がよりよい親になる事よりよい隣人になる事が必要だ。
ビジネスの世界では人々が経済の主流に参画できるよう道筋を作り違法な経済活動に流れなくてもすむように。
そしてよりよい教師よりよい宗教家にならなければならない。
そこには決まった回答はない。
例えば君が30人の子供たちを教える先生だったとしよう。
クラスによって状況は違う。
30人の子供たちがそれぞれ違うからだ。
教師は子供たちそれぞれに適応して指導のしかたを工夫し薬物乱用の誘惑に負けないよう子供たちを導かなければならない。
ここに権威を持つ多くの人々が導くのに失敗する理由がある。
解決策など実際にはないのに専門的な解決策を提示しなければならないというプレッシャーにさらされるからだ。
みんなが君に答えを求めている時「分からない」と言うのは政治的に危険な事だ。
君の国の大統領ならテレビに出てこう言うのを想像してみてほしい。
どんな問題についてでもいいがここでは薬物乱用の問題のままにしておこう。
さっき例に挙げたスピーチのように出だしは力強く国民を鼓舞する。
「問題と向き合い闘おう!必ずこの闘いに勝利しよう!」。
でもギヤを替えなければならなくなる。
スピーチは途中から違う道筋をたどる。
国民にこう言わなければならない。
「大統領に解決できる問題はたくさんありますがこれは解決できません。
薬物乱用の根は皆さんの家族学校地域社会の宗教組織のビジネス社会の中にあるからです。
薬物乱用と闘うためには我々は力を合わせて闘わなければなりません。
皆さん一人一人が自分の責務を果たさなければなりません。
政府はもちろん助ける事はできます。
教師が社会福祉という面でも活躍できるよう援助もします。
良い親になろうとしてストレスで参ってしまった親にも援助します。
ビジネスのリスクを和らげ熟練していない労働者でも企業が受け入れやすい環境を整えまた働き続けられるよう訓練にも援助します。
政府が援助できる事はたくさんあります。
しかし最終的にはこれは国民の皆さんの責務です。
頑張って下さい。
神の祝福があらん事を。
その後の状況を知らせて下さい」。
(笑い)ティム。
大勢の人に対し権威のある地位に就いているリーダーで困難な問題例えば今のシリアのような情勢や薬物問題や教育改革のような問題について今のような直接的でないアプローチで人々の信頼を勝ち得る事に成功したリーダーの例がありますか?リーダーシップを発揮した人々は大勢いると思うよ。
歴史における例だけではなく普通の暮らしの中にも例はある。
コンサルティングをなりわいとする人は仕事を失う危険を冒してでもクライアントが聞きたくない事を言わなければならないだろう。
優れたコンサルタントやアドバイザーはクライアントが向き合いたいと思っていないデータや問題点に徐々に向かい合わせる事ができる。
このように日常生活のレベルでリーダーシップの実践に成功している人もいるしもちろん歴史上の偉大な例もある。
同時にある一時期リーダーシップの実践に成功しても結局は引きずり下ろされてしまったり暗殺されたりした例もある。
それは彼らがその社会の支配的な文化が当然だとしている事に対してあまりにも大胆な価値観を表明したからである。
ホセ。
今の話で考えたんですが権威がたくさんあるのとあまりないのとどちらがいいんでしょう?どちらの方がより多くのリーダーシップを生み出すんでしょうか?権威は多い方がいいのか少ない方がいいのか。
私から見ると人々を導くには民主的な選挙で選ばれた大統領よりも独裁者の方が簡単なのかなという気もするんです。
でも少ない権威の方が縛られないですむというのも分かります。
その方が自由でいられるでしょう。
過度な一般化はすべきではない。
なぜならケース・バイ・ケースで一概には言えないからだ。
例えば独裁的な権力を持った人がある種の問題についてはリーダーシップを実践するが他の多くの問題についてはリーダーシップの実践に失敗する事もあるからだ。
民主主義においてもリーダーシップがうまく実践される時とされない時がある。
なぜならリーダーシップの実践の制約には他にも多くの要素があるからだ。
しかし民主主義において苦痛を伴うメッセージを発するのは非常に難しい。
苦痛を伴うメッセージを国民に受け入れてもらうには国民から高い信頼を受けていなければならない。
「これから皆さんは大変な思いをする事になるでしょう。
その苦しみを早く取り除く事ができたらと思いますが私にはできません。
この問題は短い時間では解決できず長い事バランスが悪い状態が続くでしょう。
長い時間をかけなければ私たちは新しい解決策を見いだす事はできないし新しいバランスを構築する事はできないのです。
組織としてのあるいはコミュニティーとしての新しい在り方を学ぶには時間がかかるのです」。
こういうメッセージを発するには国民からの信頼が必要だ。
十分な信頼を得ておく事は可能だが国民を失望させればその信頼という貯金をどんどん取り崩していく事になる。
失った信頼を取り戻すために自分はその問題に専門的な解決策を持っていると国民に思わせる事は可能かもしれない。
しかし専門的な解決策などない問題もあるのだ。
国民は君の代わりに別の人間を据える事もできる。
しかし「正しいリーダーを選べば問題は解決される」と思うのは幻想だ。
長い事問題を抱えている多くの国では人々は前へと進む方法を知っている人物が現れる事を切望し続けている。
人々が専門的な解決策を待ち望む気持ちは非常に強いためついつい才能がありカリスマ性があるように見える指導者を登場させてしまう。
しかしそういう指導者は自分の知識を過大評価し部分的な解決策ないしは見せかけの解決策しか提示しないので数年後に国民を失望させる事になる。
そしてまた同じパターンが繰り返される。
こんな事も起きる。
身の回りの組織や暮らしの中でよく見られるのはバランスの悪い状態では人はとどまりたがらないという事。
解決策がすぐ求められ何を捨て何を残す事が必要なのか見極める時間もない。
人々が考え直す時間もない。
変革や革新が必要でそれには新たな方法や可能性を探る事も必要だ。
それには時間がかかる。
するとつい避けようとするのだ。
バランスがとれていない期間をどれだけ短くできるかがリーダーシップに課せられるタスクです。
個人でもありがちですが社会でも起こりがちなのはバランスのとれた状態をできるだけ早く取り戻すために煩わしい事を避けようとする事です。
世界には多岐にわたる文化がありそれぞれに回避のパターンがありバランスを失わないために困難な質問からは言い訳して逃げがちという特徴があります。
民主主義においては変化を起こすのが非常に難しい事もある。
なぜならその社会の支配的な有権者層に気に入られないと選挙で票が集まらないからだ。
その結果有権者を変化から守るだけになってしまい勇気を持って有権者に変化を迫れなくなってしまう事が多々ある。
変化を迫るという事については独裁者の方が簡単かもしれない。
少なくとも最初のうちは新しい変化を簡単にもたらせるかもしれない。
しかし独裁者もいずれ自分の知っているノウハウだけでは解決できなくなるしそうなれば民主主義と同様の事態になってしまう。
それがアメリカが深刻な危機に直面した時アメリカ大統領が強大な権力を得る事の理由ですか?それがこれほど強い権限を大統領に付与する根拠ですか?それが基にある。
危機的な状況になると人々はその危機を打開する方法を知っている指導者が現れる事を強く強く望むようになる。
危機においては権威はより強大な権力を得る傾向がある。
歴史に学ぶと独裁者が台頭するのは危機の時だ。
平和で穏やかな時代に独裁者は現れない。
もし1920年代と30年代の大恐慌がなければヒトラーは不満をためた画家にすぎなかっただろう。
ドイツ国民がヒトラーに権威を与えたのは彼が危機に対する解決策を約束したからだ。
はいジェイソン。
それを現在進行中のシリア問題に当てはめてみると今の状況は適応が必要となる状況だと考えられます。
オバマ大統領はアメリカ国民に告げるべきだと考えた現実を発表した事によってリーダーとして成功したのかそれとも誰も納得させられなかったのでリーダーとして失敗したのでしょうか?シリア問題についてはどう考える事が正しいのか私もまだよく分からないし混乱している。
なぜなら私たちはまず「直面する問題は何なのか」を問わなければならない。
問題がどんなものかを規定して初めて解決策を模索する事ができる。
狭い意味ではこれは「化学兵器を使用した」という点で国際的な規範国際法に違反しているのが問題だ。
このように狭い意味でなら解決への道のりには希望が持てる。
うまくいくかどうかは分からない。
そう疑わざるをえない要因はたくさんあるからね。
しかし化学兵器の使用禁止というルールをもう一度徹底させるというのが解決すべき問題ならばオバマ大統領が「シリアが従わない場合は軍事行動を起こす」という脅しをちらつかせつつまだ起こしていないので事態はまだ流動的だ。
オバマ大統領は問題解決のためこの緊張によって生み出された新しい圧力状態の中に私たちを含む大勢の人間連邦議員やアメリカ国民だけでなく国際社会を巻き込んでしまっている。
しかも化学兵器の使用禁止は問題の捉え方としてはその一つにすぎない。
他にもたくさんの捉え方が存在する。
例えば国家としてのシリアの安定を解決すべきだとする考え方もあるだろう。
問題をもっと大きく捉える事もできる。
シリア問題は今まで中東で危機を生じさせてきた根深い病巣のごく一部が表面化した一症状にすぎないと考える事もできる。
ロンドンの地下鉄やスペインの列車アメリカのワールドトレードセンターで起きたテロという危機も元はといえばその病巣が元凶だと捉える事もできる。
問題の根をシリア内部の部族対立と見る事もできるしイスラムのシーア派とスンニ派の対立と見る事もできる。
このように異なった捉え方がたくさん存在する。
だから私たちはさまざまな捉え方を試さなければならない。
どのような診断方法が現実をきちんと捉えているのか。
私たちが今起こしている行動についてもそうだし大量破壊兵器や化学兵器についてもそうだ。
より大きな見地から問題を捉えてみようとする努力も大事だ。
困難な問題に直面した時人々が犯しがちな失敗はすぐに解決策に飛びついてしまい診断する判断するというプロセスに時間をかけない事だ。
権威ある地位に就いている人々に対する「早く解決策を提示しろ」というプレッシャーは非常に大きい。
なのでどんな組織どんな政治制度においても判断に時間をかけずすぐに解決策を提示してしまう事が多い。
アーロン。
僕にはリーダーを分析するプロセスは歴史が証明する事のように思えます。
今「指導者はリーダーシップを発揮したかどうか」について議論していますけど最初に質問が出ましたよね「問題解決に成功しなければリーダーとは分類されないのではないか」って。
問題はそのタスクの渦中にある時はそれが成功するか失敗するか分からない事です。
終わってからなら「あいつはあの時判断を間違えた」と言う事ができますが渦中にある時はどうでしょう?シリアの例では現時点でオバマ大統領がリーダーとして成功したか失敗したかをどうやって決められるんでしょう?2年後なら「あの時大統領は判断を間違えた」という事も言えるかもしれませんが結果を知る前にどうやってリーダーの成功失敗を分類できるんでしょうか?まず調べ問い分析しなければならない。
権威ある地位に就いている人々がどのように問題を定義したか。
その問題の技術的な側面と適応の側面をどのように分類したか。
技術的な部分に対しどんな戦略を持って行動したか。
適応の部分にどう対応したか。
化学兵器使用については技術的側面から軍事的か外交的な手段が必要だろう。
しかし国際社会の考え方振る舞い方を変えるには明らかに適応が必要な部分がある。
故に君は政府の分析を分析する事から始めるのがいい。
評価するために分析する。
政府の問題の捉え方のクオリティーを評価するためだ。
大統領は問題を捉える際どれほど幅広いデータを考慮に入れたのか。
あるいは自らの力量に合うように問題を捉えてしまっただけなのか。
人間が適応の努力を避ける結果となってしまう要因の一つは問題を自らの力量に合わせて定義してしまう事だ。
そうすれば無能さを感じなくて済むし自分の力量の限界までいく必要がない。
しかし…新しい力量を獲得するまでの間は自分の力量のなさを痛感しなければならない。
これは誰にとってもうれしくない事だ。
もう一度学び直さなければならないからね。
私たちは自分の力量で何とかなる問題のごく一部分だけを見がちだ。
格言は言う。
もし君が外科医なら問題は外科的なものだと考え精神科医ならメンタルなものだと考える。
社会学者だったら問題は社会環境だと考えエコノミストなら間違いなく問題は経済的なものだと考えるだろう。
まず評価を行い次に困難な現実に対する反応のパターンを自覚しなければならない。
私たちは現実をどれだけ正しく把握しているだろうか。
どれだけ正確にデータを読み解いているだろうか。
複雑で困難な問題があるとしよう。
複雑な問題には大抵複数の人々が関わっている。
その人々の一人一人があるグループある特定の有権者層を代表している。
そういう代表者の面々を問題解決のため一つのテーブルに着かせると代表者は問題をそれぞれ自分を支持し支援する者たちの見方から捉えがちだ。
それぞれの代表者が自分を支持する者たちの見方からしか問題を見なければ問題の一端しか捉えられない事になる。
複数の見方が錯綜する中で自分たちの問題解決のクオリティーを評価できるだろうか。
恐らく解決策は他の代表者の見方を全て考慮に入れたものとなるだろう。
代表者のうち2人の見方だけを取り入れるという事にはならない。
そうすれば他のグループの意見を社会的政治的に締め出し黙らせる事になるからだ。
今回は複数の利害が衝突する困難な問題の解決において問題解決のクオリティーをどう評価するかすなわち問題解決のために人を組織し動かすリーダーシップそれに対する評価のしかたにはたくさんの方法があると言うにとどめよう。
次回は多くの優秀なコンサルタントが陥ってしまう状況とその理由を考えていこう。
それはコンサルタントがクライアントの話をよく聞き状況も分析したうえで解決策を提示しているにもかかわらずなぜ従わないのか。
その解決策に従うクライアントの割合は心臓手術を受けたあと医師のアドバイスに従う患者の割合となぜ同じぐらい低いのか。
アドバイスのほとんどは引き出しの奥にしまわれてしまう。
それはなぜなのか。
次回の課題としよう。
(拍手)2015/03/06(金) 23:00〜23:55
NHKEテレ1大阪
白熱教室海外版 リーダーシップ白熱教室 第3回「大統領はなぜ失敗したのか」[二][字]

ハーバード大学ケネディ行政大学院・通称ケネディスクールで人気を誇るロナルド・ハイフェッツ教授のリーダーシップに関する特別ワークショップ全6回の3回目。

詳細情報
番組内容
なぜ、リーダーシップの多くが失敗するのか?それは問題の性質を見誤るからだ。対処すべき問題の内容は2種類に分けられる。解決策がすでにある「技術的な問題」と、まだ誰も解決策を知らない「適応が必要な問題」。すべての問題はこの組合せだ。リーダーシップが発揮されなければ解決できないのがこの「適応が必要な問題」である。それは人々の文化や慣習に深く根ざしており人々そのものが「その問題の一部」だから難しいのだ。
出演者
【出演】ハーバード大学ケネディ行政大学院教授…ロナルド・ハイフェッツ

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
趣味/教育 – その他

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
英語
サンプリングレート : 48kHz

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